2009年12月31日木曜日

歩き前夜 〜宗谷岬でカニ鍋を〜

大晦日。歩き前日。

ついに明日から徒歩旅が始まる。思い立ってから半年。いろいろと準備をし、気持ちを盛り上げてきた。そして今日出発前夜。早かったな、そう思う。あっという間だった。

明日からのことを思うと、期待と不安がない交ぜになってなんとも落ち着かない。意味もなく立ち上がっては屈伸なんかをしてみたり。明日からの天候はどうなんだろう?予報では大荒れと言っている。今日の稚内は嵐の前の静けさか。風もなく晴れて、この上なく穏やかだ。そして僕はどれくらい歩けるのだろうか?今までの経験から想像してみても、それは憶測にすぎないし、さっぱりわからない。わからないから不安で、だけどワクワクするのだ。とにかく自分にできる範囲で頑張るしかない。

今、出発地点の宗谷岬に来ている。友人と共に日本最北端で年越しキャンプだ。
ここ宗谷岬では、誰が言い始めたわけではないが、年越しキャンプが恒例になっている。全国から愛すべき馬鹿たちが集まり、新年を日本最先端で向える。極寒の岬にテントを張り、年を越す。なんて馬鹿で愉快なんだろう。実は僕も一度来てみたかったのだ。

そんな大晦日は、友人の提案でカニ鍋をすることにした。大鍋に、たくさんの野菜と2ハイの毛ガニ。集まったみんなで食べるために、ゆうに10人分はある。なぜそこまでするのか彼に聞いてみると、地元民として旅人たちを迎えたい、そういうことらしかった。彼も以前バイクであちこち旅をしていた。その時にたくさんの親切をもらったらしい。だから今度は自分が旅人に還したいのだという。素晴らしいと思う。今夜はさぞうまいカニ鍋になるだろう。

今も続々と人が集まっている。車、バイク、自転車、徒歩。移動手段は様々だけど、みな目的はひとつ。見知らぬ者同士なのだけど、そこに俗世の壁はない。

僕は、最北の岬で良い年が迎えられそうだ。
どうぞ皆さんも良いお年を。

写真1
日本最先端の碑。おなじみ。

写真2
愛すべき馬鹿共。

2009年12月30日水曜日

リルートを開始します

稚内2日目。特にこれといった用事もなく。休息日。

友人の車で少し足をのばして豊富町の温泉へ。ここのお湯は油がしっとりと浮いていて、すごく肌がつるつるになる。浴室に入ったとたん石油の匂いが鼻を突くが、皮膚病に効果があるということで多くの人が湯治に訪れていた。

湯上がりにジンギスカン。鍋脇の溝に水をはり、野菜は焼かずに煮て食べるのが珍しい。

その後海沿いのオロロンラインを下見がてら帰宅。思ったほど雪が積もっておらず、状況はいい。ただ、明日からの天候は下り坂で、暴風雪というから心配になる。予想天気図では、なかなかお目にかかれないほどの等圧線の混み様だ。あんまり荒れるようなら稚内から手塩まで内陸部を走る国道40号を使う作戦も視野に入れたほうがいいだろう。

ルートと言えば。

先日さらりと触れたのだけど、本州での南下ルートを再考している。日本海側を通った方が距離も短く、都市の規模も小さい(大都市は歩きにくい上に野宿に全く適さない)ため、歩きの旅には向いている。しかし冬期の東北というのも天候面では太平洋側が有利である。日本海側は晴天率が低く風も強い。のんびり歩く旅であればそれでもいいのだけど、なるべく早く踏破したい僕としては、多少距離はのびても稼動率を上げたほうがいいような気もするのだ。まして晴れてるほうが精神衛生上断然よろしい。

まだ歩き始めてもいないのだからなんとも言えないのだけれど、ルートは一旦白紙に戻し、これから歩きながら考えたいと思う。

関東から紀伊半島、四国、九州と船を使いながら中央構造線をなぞるように歩くのも楽しそうだぞ、なんてことも考えていたり。

写真1
野菜は煮て召し上がれ。

写真2
オロロンラインの壮観な風車達。ゴゥゴゥ。

2009年12月29日火曜日

交わることのない人生

僕の数少ない特技の中に、いつでもどこでも寝られるというものがある。深夜バスで寝ることくらい、文字通り朝飯前なのだ。

まだ暗い中、終着の稚内フェリーターミナルに降りたった。驚いたことことに、乗客の半分近くがここで降りた。ということは、彼らはこのターミナルから出港する利尻島、礼文島に向かうということだ。ここからさらに船で2時間。北の離島に帰省するのも楽でないな、そう思った。

夜が明ける。強い冬型の気圧配置のために風が激しい。雪は降っていないものの、手が届きそうなほど低く重苦しい雲の流れは早い。鈍色の海は、水平線でそんな雲と溶け合って境界線が判然としない。はっきり言って厳しい生活環境だと思う。だけどそんな土地にも人々は力強く生きていてる。素晴らしいと思う。僕は、そういう人々がたまらなく好きだ。

バイクで日本を駆け巡っていた頃、幾度となくそんな気持ちを味わった。
苔蒸し、人気もなく、うっそうとした山道を走っていると、突然山の中にぽつりぽつりと人家を見つけることがあった。少し開けた斜面には小さな段々畑。それ以外には何もない。商店も学校も病院もない。もしかしたら水道もなく、井戸や沢の水で生活しているのかもしれない。でも、ここに生活する人がいる。
寒風吹きすさぶ海沿いに、寄り添うように建っている数軒の人家。港とも呼べないような小さなそこには、小さな漁船がひっそりと2雙。竹竿に掛けられた網が、風になびいている。ここにもおよそ僕らが生活に必要と思うものは何もない。だけどやっぱり生活している人がいる。
そんな時、僕は決まってどうしようもなくいとおしい気持ちになる。彼らの生活は確かにここにあり、そしてそれは僕の人生と交わることはない。そう思うと胸が締め付けられるような気持ちになる。と同時に温かい気持ちにもなる。うまく言葉には出来ないけど、そういう気持ちになったことはないだろうか?

稚内に住む友人が迎えに来てくれた。彼もこの地で生きているひとり。大変なことも多いだろう。
そんな彼に連れられて、日本最北の温泉で体を温め、稚内名物のタコしゃぶに舌鼓。寒い冬を知っている人間の心は暖かい。最北の町の夜は楽しく過ぎていった。

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稚内と言えば北防波堤ドーム。北海道遺産。

2009年12月28日月曜日

いざ最北の地へ

雨の倶知安。
この時期には珍しい小雨の中、15時15分倶知安駅発の電車に乗り込んだ。移動を再開したのだ。

小樽で一度乗り換えをすれば、2時間かからずに札幌に着いてしまう。そこからは夜行バスで移動。明日の夜明け前には稚内に降り立つ算段だ。

札幌のバスターミナルは人が溢れていた。驚いた。稚内へ向かう夜行バスを、それほど多くの人が利用するとは思っていなかったからだ。正月の帰省客なのだろうか。僕の乗ったバスが3号車なのだからいつもより増便されているのかもしれない。ただ、完全予約制にもかかわらず、座席は早い者勝ちという仕組みには面食らってしまった。普通なら座るべき席は決まっているのではないか?おかげで狭いバス内で右往左往する僕は、車掌のなげやりな
「どこでもいいから座ってくれ」
という言葉を聞かされるはめになった。僕は、北海道のバス事情に明るくない。
何はともあれバスは最北へ向けて走りだした。そこはこの旅の本当の意味でのスタート地点なのだ。

そういえば、昨日の夜、荷物の重さを計ってみた。実は20キロあった。どおりで重いはずだ…。

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こいつで最北の町へ。深夜の逃避行2。

2009年12月27日日曜日

ほうほうの体

ほうほうの体で脱出したニセコ。
それは肉体的というわけでなく精神的にという意味です。後ろ髪引かれまくりながらの退場でした。

たった1週間という短い期間でしたが、濃密で有意義な経験でした。1シーズンに匹敵!とまではいきませんが、自分的にはかなり満足のいく内容だったと思います。

ただ僕の思う歩きのルート上では再度ニセコを通過することになるので、今から再開が楽しみなのであります。

ルートと言えば。

最初の計画で本州も日本海側を歩こうと考えていたのですが、今はちょっと変更しようかと思っています。詳しくは後日述べたいと思いますのでお待ちください。

今日はまた倶知安町の知り合いの家に泊めてもらい、明日から移動を再開。明後日には稚内へ到着している予定です。

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ある日のナイター。雪だるまはお約束。

さよならサンタ

ついにニセコのラストナイトであります。
今晩は仲のいい友人たちがさよならパーティーを開いてくれて、すっかりこんな時間まで飲んでいたわけです。

クリスマスも終わり、年の瀬を感じずにはいられない今日に、今シーズンの滑り納めをしてきました。滑っても滑っても滑り足りない気持ちは否めません。それは重々承知の上です。しかし次なる目標に向うためには仕方のないことなのです。

なんてカッコイイことを言っておきながら、酒の席でのみんなからの執拗な引き止め作戦に、ころりと転びそうになってしまうから我ながら情けありません。しかし裏を返せばそれだけここには魅力があるということなのでしょう。

いつか僕も落ち着いて、どこかに住みかを見つけるとしたら、それはひょっとしたらニセコなのかもしれませんね。

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サンタ。友人が作った。

2009年12月25日金曜日

メリークリスマス

晴天のニセコ。
朝からさんさんと降り注ぐ太陽に、気分も晴れわたるってもんです。

新しい雪はそれほど積もりませんでしたが、気温も低く、よく締まったバーンは超高速ステージです。パウダーとは違い、それはまた気持ちの良いものです。
そしてそのスピードはかなりのもので、急斜面なんかではウェアがばたつき、羽根があったら飛べるんじゃないかと思えてしまいます。きっと転んだら30メートルくらいは止まらないでしょうね。

そんな今日はクリスマス。またひとり懐かしい友達が山に戻って来ました。嬉しい再開に顔がほころびますが、残り少ない山での日を思うと淋しくなってしまいます。

残りは2日。一生懸命遊ぼうっと。

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やっと全貌を表したニセコのランドマーク。

2009年12月24日木曜日

ショッキング・クッキング

いきなり駄洒落ですみません。

今僕が滞在している宿はバックパッカー向けのドミトリーです。相部屋で、共同トイレに共同キッチンという格安素泊まり宿です。ニセコにはこの手の宿が結構あり、国内外からたくさんのバックパッカーがやってきては長期滞在でニセコの冬を満喫しているわけです。

日本人からみたらちょっと考えられないかも知れませんが、海外から来る人たちは普通に1ヶ月や2ヶ月滞在したりします。それだけロングバケーションなのですが、僕のいる宿は基本的に外国人向けなので、客の大半が(というか今のところ僕以外は)外国人であります。
なのでいろいろと生活習慣の違いを見つけられる訳ですが、特に如実なのが食ですね。いくら日本の食が欧米化したと言っても、やっぱりその違いははっきりしています。

で、今日の朝にとてもおかしな出来事がありました。彼らの朝食は、パンかコーンフレークかオートミールという典型的ブレックファーストですが、僕の目の前に座ったひとりがチョコレート味のコーンフレークを皿にあけていました。しかし皿の隣にあるのはミルクではなくソフトカツゲンという、メグミルクから北海道限定で出ている甘いカルピスの様な清涼飲料水だったのです。しかもご丁寧に桃味です。
さすがに僕も、え?と思いました。きっと彼はパッケージに書かれた「MEGMILK」に勘違いしたのでしょう。そこからショッキング・クッキングが始まったのです。
僕は一応、
「それはミルクじゃないよ」
と忠告したのです。しかし僕の拙い英語では焼け石に水でした。
「じゃあこれは何なんだ?」
「うーん、甘いジュースだよ。しかも桃味だ」
彼はしっかりと味見をしたあと、コーンフレークにめがけて勢い良くそれをかけたのです。オーマイガー。そして一口食して、
「グッテイスト」
と親指を立てたのです。

ショックでした。さらにおかわりしたのもショックでした。
以前、京都のドミトリーでドイツ人がトーストに味噌を塗って、
「ルックスライクピーナッツバター」
と言い放ったのを思い出しました。その時の彼も親指を立てていました。
僕には欧米人の舌は理解できません。

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現場。現実。

2009年12月23日水曜日

ご老体?

そろそろ体がヤバイ感じです。

いい雪につられて連日長時間滑っていたら、あっという間に体が悲鳴をあげました。それもそのはず。まだ体が出来上がってないのに、毎日朝イチ(8時半)から5時、6時までガンガン滑っていたら筋肉痛にもなるってもんです。

普段ならこれからのシーズンに向けて徐々に足を慣らしていくべきなのです。が、いきなりのパウダー。しかもお腹いっぱい味わうわけです。あり得ません。

そしてまた今も雪が降っています。明日も嬉しい悲鳴に泣きそうです…

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今晩はオージー達とドリンキング(ブレブレ)。

2009年12月22日火曜日

ごちそう

いい1日でした。
昨日夜遅くまで飲んでいたから朝の目覚めは大変だったけど、滑りだせばそんなことは関係なし!

昨日リフトが止まったおかけで手付かずの新雪を朝イチから頂きます。いい感じに育ったマッシュも併せてどうぞ。

山の上はまだ風が残っているようで下のリフトを回していましたが、平日で滑ってる人が少ないから荒れるのも遅くて、午後になっても目一杯遊べました。満腹。

明日もいい雪が降りますように…

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ばふばふ。

2009年12月21日月曜日

思い出せ!

晴れ後吹雪のニセコです。

朝は晴れていて風もなく、なかなかのコンディションだったのですが、昼前から風が出てきてリフトもちらほらクローズになってしまいました。ちと残念。
まぁでもシーズン初滑りだし、足慣らしには丁度よかったかな?

もっとも、1本目からいきなり林の中に連れていかれ、新雪に悪戦苦闘。しまいにはノーズが刺さって一回転ですよ…。ブランクとは恐ろしいものです。

何はともあれ、雪まみれになってもスノーボードは楽しいと再確認の初日でした。

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今日の羊蹄山。朝はまだ見えていた。

2009年12月20日日曜日

心に染みる酒

結局、函館の五稜郭前駅から倶知安まで電車で移動した。つながりが悪く7時間以上かかったけど、そんなことはどうでもよかった。いろいろ考えることができたし、深く考えないという結論に至ることができた。

いい体験だったと思うには早すぎる。けど、もしこの先ヒッチハイクをしなければいけない状況になってもきっと深く考えることはないと思う。そしてもし僕がヒッチハイカーを見つけたら、きっと止まってあげることができると思う。


倶知安では知り合いの家に泊めてもらった。その人もバイクで日本を何周もしている旅人で、始めて会ったのは2年前の夏の北海道だった。久しぶりの再会に昔話に花が咲き、酒がすすんだ。その日の酒は心に染みた。

* * *

今日から1週間ニセコに滞在します。ニセコには過去4シーズン冬籠もりしていて、たくさんの友達がいるし、何より日本らしくない雰囲気(単に外国人が多いからだけではないと僕は思う)と不思議な時間の流れが好きなのです。もちろん雪はいいし、スキー場としても言うことなしだし、裏山も豊富。気に入ってなんだかすっかり居ついちゃた感じなのです。

スノーボードは意外とハードなスポーツらしく、それなりに足腰が鍛えられるので、歩きに向けてのいい準備期間になることを期待しています。
なのでこれからしばらくニセコ通信になってしまいますが、どうぞご了承ください。

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いい積もりっぷり

2009年12月19日土曜日

心折れた日

世の中には色んな旅の方法がある。そして旅をするならそのどれかひとつを選択することになり、それがその旅の楽しさにもつながっている。
その中にはもちろん僕にできて、僕に出来ないものがある。今回はそれがわかっただけでも前進としておこう。


まだ太陽は昇っていなかった。少ない乗船客にまじり、僕も北の大地に降り立った。函館のフェリーターミナルには何度降り立っただろう。ここは僕にとって北の玄関口と言っていい。
キンと冷えた空気が頬をさす。やはり北海道である。東の空が白み始めていた。もうすぐ日の出だ。見上げた空に雲はなく、すっきりと晴れているが故の寒さだった。

そんな空とは対象的に、僕は胸の中に悶々とした気持ちを抱えていた。フェリーに乗り込んでからずっと考えていた。ヒッチハイクについてだ。
出来る出来ないではなく、得手不得手で考えると、僕にとってヒッチハイクは疑う余地がないほどに不得手の部類に入るだろう。例えそれが0から1になってもだ。

この先稚内までヒッチハイクを繰り返すことは極めて困難と思えた。確かに昨日僕を乗せてくれた7人の人たちは皆いい人だった。それは心温まる出来事だったし、多少の自信にもつながった。だけど彼、彼女らがいい人であればあるほど、僕の心は苦しくなるのである。どうしてもその優しさをあてにしている自分が恥ずかしくなってしまう。

これまでの旅中、見ず知らずの人から数えられないほどの親切を受け取ってきた。自ら手を差し出したことはないにしろ、受け取った親切は事実だし、その事だけを見れば五十歩百歩じゃないか、そう考える事ができる。できるのだが、うまく割り切れなかった。やはり僕には難しいことだった。このままヒッチハイクを続けるべきか。船を降りても悶々は一向に消えないでいた。

とりあえず国道5号に向けて歩く。ニセコに行くなら国道5号で一本だ。だけどその足取りは重かった。やろうと思ったことを中断してしまうかもしれないという悔しさだけが原動力だった。国道に出たらヒッチハイクをしつつ、函館新道というバイパス入り口まで歩いた。途中のコンビニでマジックを買い、段ボールをもらって「森方面」と書いたプレートも作った。そのプレートがどれほどの効果があるかわからなかったけど、悪あがきをしたかったのかも知れない。
交差点を曲がり、バイパスに乗ろうとする車を狙った。だけどそれは形ばかりのものだった。気持ちがこもっていなかった。もしヒッチハイクの仕方に良し悪しがあるのなら、その時の僕は間違いなく悪い方だっただろう。

そんな状態だったためか、果たして車は1台も止まってくれなかった。立ち疲れてしゃがみこむと、なかなか立ち上がることができなかった。これからどれだけの車を捕まえなければならないのか。そう思うと気が重かった。学校へ行きたくない小学生が朝布団の中でぐずっている、そんな状態だった。

やりたくないならやらなきゃいいじゃん。

あきらめるのは簡単なようで、簡単なことではなかった。いたずらに時間ばかりが過ぎていった。もう決断しなければならなかった。僕は、心の中にある答えに従うことにした。それは、きっと船を降りた時から出ていたのかもしれない。

今来た道を戻る足取りは、さらに重いものとなった。

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北の日の出。すっきり晴れた空に救われる。

世の中捨てたもんじゃねぇ

僕は自分が考えているよりも、ずっと面の皮が厚いみたいだ。もしくは深く考えすぎだったのかも知れない。出来ないと思っていたヒッチハイクを今こうしてやっていることに自分自身驚いてしまう。


歩きはじめて50分。3台目の車が止まってくれた。そこは歩道が上り車線側しかなく、北へ向かう僕にとっては大変ヒッチハイクがしにくい道だった。
それでも道の反対側にいる僕を見つけて止まってくれたことはありがたい。
仕事途中だというおじさんはわざわざ少し遠回りして西目の道の駅まで送ってくれた。そして以前は北海道から沖縄に向けてのヒッチハイカーを乗せたことがあると言って笑う。自身も旅が好きでよくあちこちに出かけているという、話好きのとてもきさくな方だった。

1時間で西目に到着。時間は15時。家から60kmは進んだだろうか。もう1時間もすれば暗くなる。焦る気持ちを押さえ、さらに歩く。歩く。歩く。なかなか車は止まってくれない。1時間は歩いただろうか。何もない海沿いから本庄市に入った。車がぐんと増える。が、やはり町中は厳しい。

さらに30分ほど歩いて町外れ手前まで来た。あたりはすっかり暗くなった。またしても吹雪いてきている。こうなるとこの先の町まで歩くわけにはいかない。町外れの国道。もうここを逃すとかなり厳しい状況になると思った。
車から良く見えそうな街灯の下に立ち、手を挙げる。17時までここでやってみよう。もしそれまで捕まらなかったら少し場所変えてみよう。もうそれしか考えてつかなかった。
16時58分。ここじゃダメか…と思った時、一台の車が僕の目の前に止まった。本当に目の前に止まったので少し驚いた。車には若い兄ちゃんが運転席と助手席に乗っていた。
「後ろどうぞ」
そう言われて後部座席のドアを開けるとさらに2人の兄ちゃんが乗っていた。
なんだか身構えてしまうシチュエーションである。しかしせっかく止まってくれた貴重な車だし、今さら断る訳にもいかず荷物を荷台に入れ、後部座席に乗り込んだ。

「一度通り過ぎたんですけどね、ヒッチハイクしてる人がいるってんで、わざわざ戻って来たんですよ」
運転席の若者が言った。なるほど。だからまるでタクシーさながら僕の目の前に止まったのか。普通なら少し行ったところに止まるものだ。
「こんな時期にヒッチハイクしてる人ならいろいろ話が聞けるかなと思って」
そう言うや否や
「どこまで行くんすか?」
「宿とか飯はどうするんすか?」
「彼女とかいるんすか?」
「ていうかなんで冬なんすか?」
いきなり質問攻めだ。僕がひとつひとつの質問に丁寧に答えると、やべぇ!とかマジすか!の連発。だけどその実とても礼儀正しい若者達だった。そのことに僕はすごく清々しい気持ちになれた。

ちょうど秋田市に遊びに行くという彼らのおかげで一気に秋田市に着いてしまった。しかもこれから電車に乗ろうと思う僕のためにわざわざ秋田駅まで送ってくれた。4人にお礼を言って、4人から励ましの言葉をもらって別れる。

これから青森まで電車で移動することにした。時間は18時半。青森行き最終の鈍行にまだ間に合う。改札を抜けてホームに降りるともう電車は来ていた。これから乗り換え1回、3時間40分の鉄道旅。背負っていた荷物を下ろし、暖かい座席に座るともうぐったりだ。かなり疲れいたようだ。おかげで4時間弱の鉄道旅はもあっという間のことだった。

着いた青森駅は閑散としていた。最終電車の時間が過ぎたからなのか、北の駅の夜はどこかもの淋しい感じがした。
ここから約2km先に青森港がある。青函フェリーの最終便は確か2時だったはずだ。それに乗れば明日の朝には函館にいる。
僕は重い荷物を背負い、未だ雪の青森駅を後にした。


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こいつで本州脱出。深夜の逃避行。

0から1

ついに動き始めた今回の旅。実は僕的にいろいろ初体験が満載の旅でもある。まず前回も触れたようにヒッチハイク。この旅最初の初体験であり、同時に最大の難関と考えている。


午前10時半。予定よりだいぶ遅れた出発となった。朝の天気予報では今日一日大雪と言っていたが、雪は降っていない。それでも確かに黒く重い雲が空一面を覆っている。
まずは国道まで行こう。そこでヒッチハイクしよう。そう考えていた。町中よりも青森まで延びる国道7号の方が良いだろう。明後日までニセコに到着しないといけないから、出来れば今日中に青森まで進みたいところだ。

国道に歩いて出るまでの30分。実際青森までヒッチハイクは難しいだろうと考えていた。奇跡的に長距離を走る車でも捕まえないかぎり、300km以上進むことは今の僕には困難に思えた。
行けるところまで行こう。うまく行けば秋田市過ぎまで行けるかもしれない。あとは電車にでも乗るしかないな。どこでどうするかはその時に考えよう。それが僕の出した計画とも呼べない計画だった。

国道に出る。やるぞーなんて思いつつもなかなか手が挙がらない。気持ちではやろうと思っても体が拒んでいる、そんな感じだ。それでも意を決して手を挙げる。人生初のヒッチハイク。片側2車線の国道はそれなりに車が走っているが、止まってくれそうな気配はまったくない。15分ほど立っていたが不発。段々に寒くなってきた。それもそのはず気温は3度。気付けば雪まで降り始めている。

立っているだけでは寒いから、歩きながらヒッチハイクをすることにした。北に向けて歩きながら、背後から車が来るたび手を挙げた。

20分歩いた。雪と風は強くなる一方で、車は一向に止まらない。ガード下で休憩をとる。ため息ひとつ。まぁこんなもんだろうという気持ちもあった。が、全然嫌な感じではなかった。また旅が始まったという悦びの方が強かった。
再び歩き始める。と、1台の車が僕の前に止まった。やった!駆けよる。運転席には「どうぞ」の仕草をする若い女性。ありがとうございますとお礼を言って車に乗り込んだ。
「家に帰る途中で、ホントすぐ近くなんですけどいいですか?」
と言うお姉さん。
「いやもう全然いいです」と僕。
目的地は?と言うので北海道ですと答えると、かなり驚いていた。とにかく止まってくれたことが嬉しくて、会話の中で何度もありがとうを言ったように思う。そんな会話を10分ほど楽しんで、そのまま国道に降ろしてもらった。

たった10分の距離だったけど、僕にとって大きな一歩になったのは言うまでもない。なに事も0から1に変わるときが一番大変なのだ。

新たなエネルギーをもらって歩きだす。するとものの10分で車が止まった!
「象潟までだけどいいかい?」
おじさんは快く僕を乗せてくれた。この頃になると雪と風が激しさを増し、かなり冷え込んでいた。車でも視界が悪く時速40kmしか出せないほどだった。僕は寒い外から暖かい車内にいきなり入ったので汗が吹き出してきて、だけど広い後部座席を使わせてもらえたおかげできちんと体温調節をすることができた。

1時間ほどで象潟に到着。山形県を抜けて秋田県に入っている。お礼を言って車を降りると時間は12時50分だった。まだまだ行ける。だけどトイレにも行きたい。近くにコンビニもなく、象潟駅まで歩く。ついでに待合室で昼食を食べ、一息ついた僕は歩いてのヒッチハイクを再開した。


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象潟の海。ひゅるり〜。演歌の世界。

2009年12月17日木曜日

出発前夜 〜35才のオギャー〜

いよいよ明日、出発地点の北の大地に向けて出発する。

まず目指すはニセコ。そこは言わずもがな国内屈指のスノーリゾート。そこで約1週間、高度順応ならぬ寒度順応で、これからの寒さに向けて体を慣らしていく…

というのは大義名分。笑

要は雪山遊びまくり、スノーボードしまくりの1週間である。出発までのちょっとした息抜き。なんだか大寒波が日本列島を襲っているみたいで、心配していた積雪も問題ないみたいだし、ひょっとしてお腹いっぱいパウダー喰いまくりで、スノーシュー持っていった方がいいのかな?なんてほくそ笑んでいるのだが。

それはさておき。

宿の関係で20日までにニセコに到着したいわけで。そこまでの移動はヒッチハイクを考えていたのだけど、そこでまずいきなり問題が発生するのである。

ヒッチハイク。

恥ずかしながら僕はこれまでヒッチハイクをしたことがない。はっきり言ってそれはかなり苦手な分野である。
これまでの僕の旅を鑑みると、基本的に自分で移動をしていく旅だった。それは車だったりバイクだったり自転車だったり歩きだったりしたのだけど、自らの舵(意志)で進んでいくていう大前提がある旅だった。だけどヒッチハイクはそうではない。

受動的移動。

バスや電車に乗って感じるそれが、ヒッチハイクにもある。そしてヒッチハイクには無償で移動手段を得るという、なんだかちょっと後ろめたい気持ちも上乗せされている。僕の考えすぎなのかもしれないが、そんな気持ちが今までヒッチハイクをしなかった理由なのだ。とにかくヒッチハイクは僕の中ではかなりタブー的行為なのである。

そこをあえてヒッチハイク。

己を囲う壁をいくつ壊せるかで、人生の楽しみ方は変わってくると思う。そうは思わないだろうか。だがそうは言ってもそれを実行するのはかなりの勇気が必要だ。そして年をとればとるほど困難な作業になる。

だからやる。

難しく考えすぎだよって思うかもしれない。でも今の僕には歩いて日本縦断するよりもヒッチハイクは困難なことなのだ。

僕は明日生まれて初めてヒッチハイクをする。35才の生まれ変わり。

またひとつ新しい世界が拓けるかもしれない。

2009年12月15日火曜日

旅装備 その他編


小物が意外と大切。

バックパック
スコップ
ヘッドライト
ミニライト
コンパス
カラビナ
アーミーナイフ
ホイッスル
細引き
ライター×2
マッチ
ろうそく
まな板
タイラップ数本
ガムテープ
瞬間接着剤
ファーストエイドキット
トイレットペーパー
ジップロック数枚
ポリ袋数枚
タオル×2
洗面用具
予備の電池
デジタルカメラ
携帯電話&充電器
郵貯カード
保険証のコピー
現金


思いつくものを並べてみました。もしかしたら他にあったかもしれませんが、大体こんなところです。
バックパックはKarrimorのCougar70-95。たくさん入る。キャリーモア。
スコップは雪がなくなったら役目は終了なので、北海道を出たら装備から外すと思います。
ガムテープは芯を抜いて潰しますが、トイレットペーパーは芯を抜いていません。好みです。
ここにあるまな板はまな板としてではなく、テント内でストーブを使うときの敷物としてです。
本は数少ない娯楽なので持って行きます。読みきったら途中で買います。バイクで旅していたときは、知り合った旅人と本の交換なんかもしていました。あの本は今頃どこに行ってるかなぁ。
保険証はなくすと怖いのでコピーを持ちます。とりあえずは保険者番号が分かればいいです。どうしても必要な場合は郵便局留めなんかで郵送してもらいます。
あと、旅をするなら郵貯です。手数料がかからないのはもちろん、どんな小さな町にもあるので旅人には頼もしいです。なので現金は必要な分だけ持ち歩きます。

***

装備紹介はこんな感じです。
これだけでも全部をバックパックにつめると結構な量です。15kgくらいになると思います。
歩いて歩いて距離を稼ぐにはちょっと重いかも。食料をはやく食べてしまいたいところ。

以上、ラフに紹介してみましたが参考になりますかね。なりませんね。そもそもなんの参考なんだって話です。うーん。やっぱりこういうことは専門書に任せるとします。

旅装備 住編


旅中は、いつでもどこでも庭付き一戸建て。

テント
シュラフ
マット
シュラフカバー
テント内用シート
テント用アンダーシート
座布団
十字ペグ

テントは山岳用のPuroMonte VL-13です。ただし冬用の外張りではありません。大丈夫かな?とちょっと心配ですが、吹雪いていたらそもそもテント張らない(どこかに逃げ込む)と思うのでなんとか生きていけるかと。
シュラフは奮発しました。mont-bellの#0なので寒くないことを期待しています。シュラフカバーとダウンウェアもあるし、こちらもなんとか生きていけるかと。
マットはISUKAのインフレータブル。とても快適なのですが、長年の使用のため朝になるとすっかりやる気なく潰れている代物です。ちょっと心配です。なので少しでも下からの冷気を防ぐために薄い銀マットをテント内用シートとして買ってきました。早い話が家庭でコタツなんかの下に敷くあれですね。荷物を増やしたくないので薄いものにしましたが、あまりに寒いようならばどこかでダンボールでも拾う事にします。
テント用のアンダーシートはお手製だったりします。ブルーシートをサイズ測って切っただけですけど…。
雪に埋める十字ペグ用に木片と麻ひもを持っていきます。これなら埋めたままでも土に還ります。エコです。足りなくなったら現地調達。

旅装備 食編


食は娯楽になりうるか?

[装備的なもの]
ストーブ
ガス
クッカー
マグカップ
魔法瓶
水筒
アルミボトル
はし&スプーン
まな板

[食品]
無洗米(1kg)
パスタ
缶詰
マルタイ棒ラーメン
レトルトカレー
ドライフルーツ
カロリーメイト
シリアル
インスタントのスープ
コーヒー

[調味料]

胡椒
一味唐辛子
ごま油
コンソメの素
トマトペーストの素
うどんつゆの素
めんつゆ
マヨネーズ

旅の予算が少ないので、やっぱり基本的に自炊となります。ひたすら歩く旅ならば、食べることはかなりの楽しみとなるはずです。なのでおいしい物を作って食べたいと思うのは山々なのですが、当然背負える量には限界があります。持っていきたいけど、持っていきたくない。葛藤。
山登りなどをされている方なら「うんうん」とうなずいてくれると思いますが、単独行ならば自分自身の中でどうにか折り合いをつけなければいけない難しい問題なのです。ちょっと大げさすぎましたか。でもそういうものです。
装備品はまぁこんなものかと。きっと魔法瓶が一番活躍するのでは?なんて思っています。
食品は山登り用に買ってあったものがほとんどです。現地でいくらでも買えるんだしちょっと多すぎ?と思いますが、北海道は町から町までが結構離れているので一応持って行きます。
調味料。悩んだなぁ。塩、胡椒、一味唐辛子はフィルムケースに入れています。そうするとめんつゆ、マヨネーズ以外はクッカーに入ります。めんつゆは小さなペットボトルに入れてます。
クッカーはステンレス製を使っています。歩き用に軽いチタンのものが欲しいのですが、なにせ高価。それに米が炊きにくい。アルミは軽いし安いのですが、ステンレスより匂いが気になるので僕は使っていません。
まな板は薄いものをクッカーに収まるように丸く切って使っています。包丁はありません。ナイフで十分。
で、これだけ持って行きながら、寒いとラーメンばかりになりそうです…笑

旅装備 衣編


身に着けるもの。冬の北海道発なので寒さ対策が第一。

[頭部]
ビーニー×2
ネックウォーマー×2

[上]
インナー:ポリエステルのロングTシャツ
ミッドウェア:フリース&インナー用ダウンウェア
アウター:スノーボード用ウェア

[手]
インナーグローブ×2
スノーボード用グローブ
ウェットスーツ素材のグローブ

[下]
インナー:ジャージ(一応ポリエステルだし…)
ミッドウェア:ポリエステルのカーゴパンツ
アウター:レインウェア

[足]
厚手の靴下(ウール混だったっけかな?)
それっぽいブーツ

以上で戦います。

ビーニーとネックウォーマー、インナー用グローブは予備をひとつずつで2つ。ウェットスーツ素材のグローブは丈夫だし暖かいので重宝しています。外での細かい作業用。
フリースとダウンウェアは行動中に両方着ると暑すぎると思うので、温度によって切り替えていく感じ(夜は全部着ると思うけど)。
靴下は3足くらいで足りるだろうか?寝るとき用のもいるよなぁ…。
ゴーグルを持っていくか思案中。荷物に余裕があれば持って行くかも。
さすがに平地なので重登山靴に冬用ロングスパッツまではと思い、なるべく暖かそうなブーツを選んできました。それっぽいけど全然本格的ではありません。大型量販店で買いました。そしてどちらかと言うと蒸れとの戦いになるんじゃないかなと。で、朝起きてブーツが凍ってるのはちょっとショックなので、枕代わりにできれば幸いです。
レインウェアも持って行きます。ゴアテックスの上下です。これを上のアウターにしてもいいのですが、スノーボード用のウェアの方がフードの形状も良く、ベンチレーションも有りと機能的に上。ただかなり年季が入っているため撥水性は負ける…。
あとは着替え(Tシャツやパンツ)が数枚といったところでしょうか。
とりあえず色々考えてみての結果ですが、実際やってみないとどうなのか僕にはわかりません。それでも山と違って、足りなければ途中で買い足せると思うと精神的にものすごく楽なのです。

2009年12月14日月曜日

旅準備

なんだかご無沙汰しています。
何をしているわけでもないのですが、あっという間に日々は流れていくようです…

何もしていない訳ではないのですが、東京を脱出し、実家の山形へ帰って来て、荷物を片付け、旅の準備なぞをのらりくらりとしているうちに、10日ほど経っていました。あぁおそろしい。
そこで、のらりくらりの成果でもアップしようかと思います。まぁ早い話が装備品の紹介ですね。

今回の旅は期間的にも3ヶ月と短い(と言って良いのか…)ので、あまり費用をかけたくありません。
なので装備も今自分が持っているものをなるべく利用するようにしました。

今回のために買ったものといえば、
シュラフ
ブーツ
靴下
テント内に敷くシート
くらいです。

きっと装備的に「それじゃちょっと…」というものもあると思います。本当はもっとお金をかけていい装備品をそろえたいのですが、あまり物にこだわりすぎるのもいかがなものかと思うので、なんとか手持ちのカードで戦っていきたいと思います。

そしてつらつらと書いていたら随分と長くなってしまったので、衣、食、住、その他の4編で紹介したいと思います。

2009年12月4日金曜日

流れ行く日々

流れ行くのは日々ではなく、僕である。もちろん日々は万人に等しく流れるものだけど、その中でまた、僕も流れ行くのだ。

旅が始まる。

いい歳して、仕事もせずに、社会的責任を放擲し、己の快楽のために。
そんな後ろめたい気持ちは、もう磨耗してしまった。これまでの長い旅のあちこちに、少しずつ置き去りにしてきたように思う。感覚は麻痺するものだ。どんな環境にも適応できるように、人間うまく出来ているのかもしれない。
それが良いことなのか悪いことなのか、もはや判然としなくなってしまった。

旅は楽しい。

毎日が輝いている。いつまでもその甘美な世界に浸っていたくなる。川のように、気の向くままに、流れて行くだけだ。でも、川の流れは上から下と決まっている。決して上に向かうことはない。それが自然の摂理というものなら、僕はどこへ流れて行こうというのだろう?
それが良いことなのか悪いことなのか、もはや判然としなくなってしまった。

僕は、頭がいかれてしまった。

ただひとつわかること。
あの珠玉の日々がまたやってくるということ。


***

というわけで、これから移動が始まります。
住る方は人に譲り、一旦実家へ向かいます。
もも引きの破れをつづって、笠の緒もつけかえて、出発地点の北海道へ。
途中ちょっとスノーボードをしようと企んでいますが…(予算外自分ご褒美:p)

しかし、出発までもう一ヶ月きったんだよなぁ。
月日は百代の過客、ということです…。