2011年10月16日日曜日

ジンベイ鮫と泳ぐ日 vol.6

カンクンの日本人宿で何をするわけでもなくまどろんだ時間の中にいた僕。事の成り行きに任せ、カリブ海にジンベイ鮫を見に行くことになったのだが。


朝焼けのウシュマル通りは交通量が少なかった。それでも通りかかった何台目かのタクシーを捕まえることができた。まずは料金交渉だ。日本とは違いタクシーの料金なんてものはドライバーの言い値で決まってしまうこの国では、降りるときになってからもめないためにも最初に目的地までの料金を決めたほうがいい。僕らはプンタ・サムの港まで50ペソで行ったもらうことにした。コレクティーボという乗り合いバスならひとり数ペソ払えば行けるのだが、乗り場も時間もよく分からなかったのだ。50ペソを4人で割ればたいした額でもない。

港までいったいどれくらいの距離があるのか、誰も知らなかった。海沿いを北に向かえばある、というなんとも頼りない情報しか持っていなかった。4人を乗せたタクシーは、早朝の海沿いを結構なスピードで結構な距離を進んだ。そう遠くないと思っていた僕は若干心配になった。と同時に、料金交渉の時にドライバーが50ペソの値段でなぜ渋い顔をしたのか、理解できた。

しばらく走り、ドライバーはどこまで行けばいいんだ?と聞いていきた。最初の説明ではうまく伝わらなかったのだろうか。しかしどこまでといわれてもプンタ・サムという港の名前と、イスラ・ムヘーレスという島へ渡るフェリー乗り場があるということ以外何も知らない。道案内など無理だ。僕ではなく、4人のうち一番スペイン語がまともな男がそれを説明する。果たしてきちんと理解できたのかどうか分からなかったが、ドライバーは北へ向けて車を走らせ続けた。

ほどなくしてタクシーは停車した。そこには確かにフェリー乗り場があり、イスラ・ムヘーレスという文字が書いてあった。到着したか。ほっとした僕らはドライバーに料金を払い降車した。
さほど大きくはないフェリー乗り場だった。あたりを歩いてみる。しかし、それらしい雰囲気ではない。フェリー乗り場の脇に小型ボートが停泊できる桟橋があると聞いていたのだが、それが見当たらないのだ。おかしい。
そして、その予感は的中してしまう。

フェリー乗り場は場所を分けてふたつ存在したのだ。まさか同じ島へ行くフェリー乗り場がふたつあるとは思いもよらなかった。そして僕らは違う方のフェリー乗り場で降りてしまったようだ。目的の場所は、さらに北へ5、6km行ったところにあった。

4人で顔を見合わせた。歩けない距離ではないが、歩いていく時間は無い。結局フェリー乗り場の前でたむろしていたタクシーのドライバーに尋ねてみるしかなかった。ひとりの恰幅のいいドライバーが僕らを推し量るような視線を向けた後、

「100ペソで行ってもいい」

と言った。

そんなはずは無い。
セントロからここまで50ペソだったのだ。それなのにたった5、6km走るだけで100ペソなはずがない。完全に足元を見られてしまったようだ。しかも彼はディスカウントにも応じず、コレクティーボの有無を聞いても首を横に振るばかりだった。

安宿にたむろしているような貧乏旅行者がそんな金を払ってタクシーに乗るはずも無い。かといって歩くわけにもいかない。もはや打つ手なしかと思ったそのとき、僕らのまさに目の前に1台の乗り合いバスが停車した。それはこれ以上ない、というタイミングだった。フロントガラスには白ペンキで「CENTRO - PUNTASUM」と大きく書かれている。僕らはすぐさまきびすを返すと、まっすぐバスに乗り込んだ。

果たして到着した港は間違いなくプンタ・サムだった。まだ人影は見当たらなかったが、フェリー乗り場の脇にはきちんと桟橋があり、ツアーの受付にでも使うのであろう小屋のようなものがあった。
まずは無事に到着できたことに安堵した。そもそも当日の飛び込みであるというハードルがあるにもかかわらず、現地にたどり着けないのであれば論外だ。

ツアーのボートが来るまで各々が好きに過ごした。僕はみつけたベンチに腰かけ、ジンベイ鮫について想像をしてみた。実物は、見たことが無い。それどころか写真でも映像でもまともにそれを見たことが無いことに気づいた。
とにかく大きいということ。体に無数の斑点を持っているということ。そしてダイバーの憧れだということ。それくらいしか僕の知識にはなかった。いったいどんな魚なのか。巨大で、未知で、憧れの魚が、もしかしたら大群で見られるかもしれない。それを考えるのは、足が地に着いていないような感覚だった。

7時半を過ぎると、にわかに人が集まり始めた。ツアー会社の送迎らしきバンが現れては、数人の欧米人を降ろして去っていく。そんなことが何度か繰り返されるうち、桟橋のたもとには30人くらいの人だかりが出来た。この小さな港から毎日これだけの人がツアーに参加しているのか。そう思うとジンベイ鮫の人気の高さが伺えた。きっと他の港からも、同様かそれ以上の人数が参加しているはずだからだ。1年のうちたった2ヶ月ほどの期間しかその姿を現さないというのも人気を高めている理由かもしれない。

続々と集まるツアー客。

そうこうしていると、いくつかのボートが現れ、桟橋に停泊した。僕らはそのうちから1艘のボートを見つけだす。それは前日ツアーに参加したダイバーから教えてもらったボートだ。彼はそのボートの船長と話をし、その内容を僕らに教えてくれていたのだ。

「俺がキャプテンだ」

そう言ってボートから降りてきたのは、日焼けした肌にサングラスが似合うひとりの男だった。僕らはさっそく交渉を始めた。ここが一番肝心だ。どこのツアー会社も通していないうえに、当日の朝いきなり4人も現れたのだ。果たしてそんな飛び込み参加ができるのだろうか。

もし駄目なら仕方ない。昨日の夕方そんな話をしていた僕らだが、やはりここまで来てしまったからには参加したい。いったいどんな答えが返ってくるのだろう。心配していた僕らとは裏腹に、彼の答えは拍子抜けするほどあっさりしたものだった。

「ひとりだろうが4人だろうがもちろんかまわない。料金はひとり78ドルだ」

その言葉の中に、喜ぶべきことがふたつあった。まず無事にツアーに参加できるということ。そしてその金額が78ドルだということ、だ。100ドルを上限として、できれば80ドルでと考えていた僕らにその金額は予想外だった。値段交渉の手間もかからず、僕らは助手らしき若い男に金を払うと、キャプテンに促されるままちいさなボートに乗り込んだ。

ボートには全部で10人乗り込んだ。このボートのキャプテンとその助手。白人カップルが2組。そして僕ら4人。ボートは一旦イスラ・ムヘーレスに立ち寄り水や氷を補給したあと、北の水平線目指して進んでいった。
島から離れたボートは、それまでの運行がうそのようにスピードを上げた。今までふたつ付いている船外機のうちひとつだけが作動していたのだが、ふたつめが作動したとたん狂ったように走り始めたのだ。エンジン音は甲高くなり、船首が空に向かって跳ね上がった。一番船首寄りに座っていた僕は、両手でしっかりとつかまっていないと海に投げ出さてしまいそうだった。実際激しく上下に揺れる度、体は宙に浮いた。

いざ。

ダイバーの彼の話では、ジンベイ鮫が群れを成すポイントは日によってさまざまらしいが、おおむねボートで1時間はかかるとのことだった。いくら体長の大きな鮫が群れを成しているからといって、そんな遠く離れた場所にいる魚をこの広大は海原からよく見つけられるものだと思ったのだが、どうやら早朝のうちにヘリコプターが沖合いを飛び、あらかじめその群れを発見しておくらしい。なるほどそうか。それならほぼ100%の確立でジンベイ鮫が見られるという話もうなずける。

高速で飛ばすボートにどれくらい乗っていたのだろう。やはりたっぷり1時間はかかったと思うのだが、遠くにちらほらと見えていた同じくジンベイ鮫を見に行くであろう他のボートが視界に集まってきた。キャプテンも無線でせわしなく会話を続けている。きっと群れが近いのだろう。ボートは少しづつスピードを落とした。

やがて前方にボートの群れが見えた。エンジンの出力を最小にした僕らのボートは、ゆっくりとその群れに近づいていく。と、誰かが何かを叫んだ。何事だ。そう思った僕がボートから海面を見下ろすと、そこには体に無数の斑点を持った巨大な魚が、実に悠然と泳いでいた。たまらず僕も何かを叫んだ。想像以上だ。それは想像以上に大きく、そのためどこか現実味に欠けていた。

ふたりひと組になり、ひと組づつ助手について海に入っていった。自分の順番がまわってくるまで僕はずっとボートから海を見下ろし、巨大な魚を見ていた。それは口を大きくあけ、海面を優雅に泳いでいた。こうやってプランクトンや小魚を捕食しているのだ。いったいどれくらいの数の群れなのだろう。キャプテンにたずねると、今日は50匹ほどだといった。

順番がまわってきた。僕は足ヒレやゴーグルを装着すると、思い切って海の中へ飛び込んだ。深い藍色をした海は、とても気持ちがよかった。ライフジャケットを着ているため、海面に浮遊する感覚もいい。ボートから少し離れ、あたりを見渡す。助手が、なにやら指差している。その方向に、目をやる。1匹のジンベイ鮫が、こちらに向かって泳いできた。僕は、またしても叫んだ。海の中で見るそれは、ボートの上から見るのとはまったく異なっていたのだ。魚と同じ海の中にるというだけで、これほどまで臨場感に違いがあるものか。欠けていた現実味は、現実以上の迫力に変わった。

その開かれた口に、このまま吸い込まれてしまうのではないかと思えた。躍動するエラやヒレは、生命力にあふれていた。胴回りは両手いっぱいに抱えてもとても足りない。そしてゆっくりだと思ったその泳ぎは、かなり速いものだと分かった。
底がまるで見えない深い海で、たぶんずっと昔から姿を変えていないだろう巨大な生物と一緒に泳ぐという体験が、これほどまでに神秘的だったなんて。

彼らは四方から現れては消えていった。人に危害を加えることは無く、進行方向に人がいると判断すると器用に身をくねらせ脇をすり抜けていく。しかしその小さな目はほとんど見えていないようだった。体長は、大きなもので8メートルほどあった。これだけ大きければ天敵などいないのだろう。おっとりした性格なのも、目が見える必要性がないのも、その結果なのかもしれない。
50匹すべてを見ることはとても出来ないが、それでも海の闇から次々と現れる巨大なジンベイ鮫の姿には、息を呑むものがあった。

ボートのすぐ近くまで来る。

悠然。

予想以上。

神秘的。

交代で何度か海に入った。参加した皆が満足したところで、ボートは帰路に着いた。途中イスラ・ムヘーレスのリーフに停泊し、シュノーケルを楽しんだ。海は本当にきれいだった。あまりに海がきれいすぎるために魚の姿を見つけられないほどだった。餌となるプランクトンがいないのだ。プランクトンがいないために透明度は驚くほど高いが、その代わりに珊瑚も魚もほとんどいない。つまりはそういうことらしかった。以前メキシコ湾で遊んだ海は、本当に珊瑚と魚の楽園だった。同じきれいな海でも場所によってその表情がまるで違う。

ため息の味。

ボートの上ではセビチェ(魚介のマリネ)が振舞われ、ビールが飲み放題だった。僕は冷えたビールをもらい、メキシコらしくライムを搾ると、一気にのどに流し込んだ。コバルトブルーの海を眺めながら飲むビールはため息をつくほどおいしかったが、そのおいしさよりもさっき見たジンベイ鮫の姿が忘れられなかった。

おわり。

2011年10月15日土曜日

ジンベイ鮫と泳ぐ日 vol.5

海碧の海と、石竹の湖と、紅のフラミンゴを楽しみつつエルクヨの町まで到着した僕。今日もまた湧き出した雨雲なんかには負けじとカンクンへ向かって走るのだった。


コバルトブルーの海とお別れをして一路カンクンを目指す。もっともカンクンと言えばカリブ海の一大リゾートだ。きれいな海には事欠かないのだろうけど。

誰もいない浜辺。のんびりできる。

エルクヨの町を抜けると空に真っ黒な雨雲を見る。潔いほど青空と雨雲がはっきりとわかれていて、そこを境にして雨が降っているのは一目瞭然だ。そして悪いことに僕はそこへ向かって走っている。これは間違いなく降られるな。当然。何度も雨宿りをするはめになった。それでもずっと降り続く雨ではない。時には木の下に、時には軒先を借りて、しばらく待つと決まって雨脚は弱くなる。そのすきに先に進む。そしてまた雨宿り。そんなことの繰りかえし。

雨宿り。

小さな村のスクールバス。

雨雲がはけてきた。

カンクンに近づくにつれ雨雲がはけてきた。向かう先は青空だ。気持ちを上げて一気に走る。
カンクンはカリブ海の一大リゾート。よってこんな僕でもその名前を知っているような一流ホテルがずらりと軒を連ねる。しかしこんな僕はそんなホテルなど泊まれるはずも無い。煌びやかなホテルゾーンへは目もくれず、セントロへと向かった。

そこはカンクンがリゾートとして開発される前からある市街地だ。今ではホテルゾーンで働く人々のベッドタウンになっているようで、大型スーパーからティエンダ、露店まであり、庶民的な雰囲気が漂う。

そこにロサスシエテはある。カンクンのセントロに2軒ある日本人宿のひとつだ。ふたつあるうちのどちらに泊まろうが大差はないのだろうけど、事前情報でバイクが十分停められるスペースがあることと、サンクリストバルで知り合った女の子と「お互いカンクンに行くなら、じゃぁロサスでまたゆっくり酒でも飲もうよ」なんて何気なく約束をしていたからだ。

国道180号から外れ、セントロと示された道路標識に沿って進む。が、案の定どこを走っているのかわからなくなる。そろそろ誰かに道を聞かないとまずいなと思った頃、意外と宿の近くまで来ていることが判明した。今止まっているウシュマル通りは確かに手持ちの地図にのっていて、少し戻るような形になるけれど宿までは数百メートルの場所にいるようだった。

宿に到着し鈴を押す。しばらくたって現れたのはオーナーだった。

「バイクがあるんですが」

僕の言葉に

「バイクなら中庭に入れればいい」

といって鉄の扉を開けてくれた。

バイクを中庭に入れ、受付のためにヘルメットとタンクバッグだけを持って中に入る。と、驚いたことにそこには知った顔があった。メキシコ・シティーで会った女の子がリビングにいたのだ。

「久しぶりだね。カンクンに来てたんだ」

シティーで別れた後、どこをどうたどって来たのかは分からないが、またカンクンで会うことになった。
同じ時期に旅をしている者同士、何度も再会することは珍しくない。北か南か西か東か。大体の進行方向と移動スピード(旅の期間というべきか)が同じようなものなら、それはよくある。とても自由な旅だから地球上のどこへ行こうがかまわないのだけど、結局はだいたい同じような行き先になる。そして旅を続けていく限り、こんな再会は幾度となく味わうことになるのだろう。

悪い癖がでてしまった。またしてもだ。日本人宿に入るとそれは出てしまうのだけど、ついついゆっくりしてしまうのだ。カリブ海のリゾートだというのにカンクンに到着して数日海にも行かず、行った場所と言えばスーパーと市場とコンビニと銀行くらいのものだった。一日のそのほとんどの時間を宿で過ごし、他の宿泊者と旅の話をしたり、本を読んだり、まだ明るいうちからビールを飲んだりしていた。日の高い時間に動き回るには陽射しも気温も厳しかったというのもあるが、一番の理由は純粋にゆっくりしたいという欲求からだった。
移動中の日々はその大半をバイクの上で過ごす。その日の寝床を確保するのにも骨を折る。そして耳に入るのは聞きなれないスペイン語ばかりだ。

ここにいればそんな心配事はなにひとつない。自分のベッドがあり、いつでも浴びられるシャワーがあり、冷蔵庫には冷えたビールがあり、そして会話はすべて日本語だ。
要するに楽なのだ。
僕は今回それほどストイックに旅をしようとは思っていないので、ゆっくりする時間を惜しまないようにしている。それが良いとか悪いとかいう問題は別にして、実際それが長く旅を続けるコツのように思う。

朝のドミトリー。まったり。

午後のリビング。まったり。

近くの公園でやっているサルサ教室に行ってみた。

そんな穏やかな日々が流れていたのだが、ひょんなことからジンベイ鮫を見に行くことになった。
一年のうちのこの時期、カリブ海沖にジンベイ鮫の群れが現れるという情報は知っていた。そしてなぜかそんな時期にカンクンに来てしまった僕は、その現生する中では世界最大といわれる魚を見に行くことになってしまった。

事の発端はひとりのダイバーだった。彼(もちろん日本人だ)はアメリカから夏休みを利用してカンクンにやってきた。もちろんカリブの海を潜るのが目的なのだけど、ジンベイ鮫を見ることも大目的だと言った。その彼がある日セントロにある会社を通してジンベイ鮫ツアーに申し込みをしてきたのだ。

「思ったより安くて、全部で100ドルだったよ」

僕が知っていた値段はツアーなら200ドルというのが相場だった。一泊10ドルもしない宿に泊まっている身として、200ドルというのは結構な出費だ。しかしそれはどうやら煌びやかなホテルゾーンから出るツアーの値段であるらしかった。セントロにあるツアー会社では、その料金が一気に半分になってしまう。200ドルというのは金のある観光客向けの値段だったのだ。

翌日、早朝から宿を出た彼が宿に戻ってきたのはまだ夕方前だった。そして興奮冷めやらぬといった口調でその始終を話してくれた。ボートで1時間揺られた先で見たものは、100匹を超えるジンベイ鮫の大群だったのだ。体長7、8メートルもある魚が100匹も回遊していれば、尋常じゃない。そしてその群れの中を泳ぐのだ。話を聞いただけでこちらまで興奮してしまう。

さらに彼はこう付け加えた。ツアー会社を通さずに直接港まで行って船長に交渉すれば80ドルでいけるらしい、と。安いと思った料金がさらに安くなってしまった。差額の20ドルは、思うにツアー会社のマージンなのだろう。これは確実な話ではないが、一方で決定的でもあった。僕は俄然行く気になった。こんな機会はこの先もう無いかもしれない。これを逃す手はない。にわかに心が浮き立った。

早速他の宿泊者から参加希望者を募った。参加者は僕を含めて4人集まった。夕方のリビングで作戦会議をする。まず明日直接港まで行き、船長と交渉をする。もし参加できないようなら仕方ない。物見遊山ということで帰ってくればいい。料金は100ドルをボーダーとしてできるだけ下げる。目標はひとり80ドル。朝6時半に宿を出発。港まではタクシー。そういう話で落ち着いた。

つづく。

2011年10月2日日曜日

ジンベイ鮫と泳ぐ日 vol.4

雨を避けるため、国道沿いにある小さな教会に逃げ込んだ僕。今まで散々いろいろなところで寝たことはあるが、教会で朝を迎えたのは実は初めてだった。


昨夜の雷雨もすっかり姿を消している朝。教会のコンクリートに守られ、何も濡らすことなく一晩を過ごせたのは幸いだ。壁にかけられた聖母マリアは今日も静かに祈りを捧げている。ありがとう。そっとつぶやいて教会を後にした。

ここからカンクンまで、今日中に走ろうと思えば行ける。しかしこのまままっすぐ180号を東に向かうのも面白くないな。そう思いつき、もう一泊どこかでキャンプでもしてからカンクンに入ることにした。地図を見て、この先のバジャボリドという町から北に進路をとる。そのまま北に100kmほど走れば海に突き当たるはずだ。せっかく余分に移動するわけだし、少し足を伸ばして海でも見に行こうと思ったのだ。

180号から295号へ左折。道はほぼまっすぐ北に向かっていて、通りかかる名も知らない町のソカロで休憩をする。どの町のソカロにもベンチがあって、木陰があって、地元民で賑わい、雰囲気がよく、休憩するにはもってこいだ。これまで田舎町のソカロで何度休憩したことだろう。今日もまた旅行者がとても訪れないような小さな町のソカロでのどかに休憩をしている。それもバイク旅のいいところだ。

見上げる空にいつの間にか雨雲らしきが発生し、風も少しでてきてしまった。午前中は快晴だったのにまた今日も雨だろうか。昨日のような雷雨は勘弁してもらいたいものだ。せめて雨が降る前にテントを。そう思い、隣においてあるヘルメットを掴むと、小さなベンチを後にした。

海に出たの夕方だった。すれ違う車のほとんどない国道はやがて小さな町に入り、さらにそのまままっすぐ町を進むと海に突き当たった。きれいな海だ。町の西側には小さな漁港がある。夕暮れの漁港には誰も居らず、静かな時間が流れていた。

静かな漁港。

このあたりにはフラミンゴが生息しているらしい。小さなツアー会社の前を通りかかった僕は執拗に勧誘を受ける。ガイドらしきおやじは客を獲得しようと必死だが、今の僕にそんな暇と金はない。ツアーといってもきっとボートでフラミンゴがいる場所まで行って帰ってくる、それだけだろう。何万羽もいるというならまだしも、フラミンゴをわざわざお金を払って見たいとは思えない。こっちはとにかく雨が降る前にテントを張りたいのだ。ノーサンキューだよ。あっさりと断ってその町を後にした。

海に突き当たってしまったのでもう北には進めない。東に向けて走る。道路一本はさんで左手には海が、右手にはピンク色の湖がある。なぜ湖がピンク色をしているのか。わからない。不思議だ。
バイクを降りて浜辺まで歩くと、雲の隙間から斜陽が射しこんで海に落ちていた。もう海まで到着したし、ここまで走れば町からだいぶ離れたはずだ。おそらく誰も来ないだろう浜辺がそこにあったが、風があったのとバイクを乗り入れることが出来なかったため、そこにテントを張るのはやめた。

不思議な色をしている。

雲の隙間から降り注ぐ。

海から少し離れた空き地にテントを張る。ポツリポツリと小雨が降り始める。テントのフライシートをつけ、荷物を入れたところで一台のパトカーが止まった。道路から完全に死角になるような場所が無く、進行方向によってはその姿が見えてしまう場所だったのだ。暗くなれば問題ないだろう。そう思ったのだが、暗くなる前にパトカーが止まってしまった。

「なにをしているんだ?」

テントを張っている者に対して何をしているかと聞かれても困る。テントを張っているんだ、そう答えればいいのだろうか。

「ここは駄目か?」

もはやテントを張ることを前提とした言葉で質問し返した。降り始めた雨の中、俺はもうここで寝るぞという意思表示だ。しかし駄目と言われれば撤収するしかない。山の中の小さな村の出来事が頭をよぎる。少し考えた警官はバケーションか?と聞き、僕がそうだと答えると、彼は笑顔で問題ないと言った。

晴れていた。夜中に降っていた雨は上がり、今朝もやはりすがすがしい青空だった。
今日はこのまま東へエルクヨという町まで海沿いを走り、そこから一旦南下して180号に戻りカンクンまで走る予定だ。
持っている地図ではエルクヨまでかろうじて道がつながっているようだが、それはかなりあやしい。海と湖(ラグーナと言った方が的確か)の間に出来た砂州のような場所を行く。それはまともな道じゃないかもしれないし、もしかしたら行き止まってしまうかもしれない。でもとりあえず行ってみようと思った。駄目なら引き返せばいい。どうしても今日中にカンクンに到着しなければ明日が無いというわけでもない。それに誰も来ないようなところを走れるのもバイク旅のいいところだ。

果たして道はまともじゃなかった。アスファルトはあっけなく途切れ、締まったダートに変わったと思ったらそれもほどなくして砂地の道に変わった。ハンドルを取られてうまく進めない。曲がることのないまっすぐに伸びた道だというのが救いだ。

左手の海は茂みに阻まれ眺めることが出来なかったが、右手の湖は楽しめた。紅色のフラミンゴが散見され、それはピンクの湖と相まって幻想的な雰囲気をしていた。さらに進むと塩田を見ることが出来た。湖は塩湖だったのだ。ミネラルが豊富でピンク色をしているのかも知れない。数人が作業する塩田で、そのピンク色ひとかけらを拾って口に入れた。それは結晶が固く、あたりまえにしょっぱかった。岩塩というものだろうか。

道はまっすぐに伸びる。

紅色フラミンゴ。

ラグーナを見ながら。

薄紅色の結晶。

神経を使うダートは進めども終わりが見えず、まさかこのまま行き止まりなのではと心配になった頃、エルクヨの町に抜けた。たどり着いた舗装路は快適そのものだ。見つけた売店で冷たいジュース買うと、日陰に座り一気に飲み干した。

どこからか笑い声が聞こえる。左を見るとそこには学校があった。東洋人が珍しいのか、塀の上から顔だけ出した女学生たちがひそひそと何かを話している。目が合うとさっと隠れる。そしてまた顔を出す。そんなことを何度か繰り返す。ためしに手を振ると、わぁっと歓声があがった。彼女たちに僕が日本人だということがわかるだろうか。きっとわからないだろうな。メキシコの、それもカリブの海に近い町では東洋とはどこかおとぎ話でも聞いているような感覚だろう。実際僕だってカリブ海なんて言われてもそれがおとぎ話のように聞こえるのだから。

やっと到着した町。

汗がひくのを待ち、今日もまたどこからともなく湧き出した雨雲に立ち向かうようカンクンに向けて走り出した。

つづく。

2011年8月21日日曜日

ジンベイ鮫と泳ぐ日 vol.3

古都メリダにあるホテルの一室に宿をとった僕。連日炎天下で何時間もバイクを走らせているせいか、ひさしぶりのベッドが心地よかったせいか、それとも今日の目的地まで150kmもないという余裕のせいか、ゆっくりとした朝を迎えるのだった。


「チチェンイツァ」と言えばあまりにも有名なマヤ遺跡だ。目玉のエルカスティージョは巨大なピラミッド。そして春分と秋分の年2回それは起きる。ピラミッドの頂上へと延びる階段は蛇の形をしていて、自身が作る影によってあたかも羽が生えたように見えるのだという。いつだったか世界遺産を紹介している本を読んでいて、マヤ文明が高度な天文学を持つと知り、えらく関心したのを覚えている。

明日その遺跡を見学する予定だ。だから今日はその近くまで走ればいい。7時に起きたがすぐには準備をせず、シャワーを浴びてソカロまで散歩した。朝の静かな町はまだ夜の涼しさがかすかに残っていて、気持ちよく歩くことが出来る。ソカロのベンチに腰かけ、町行く人々をぼんやり眺めるというのはささやかながらも幸せな時間だ。

ホテルを出たのは10時を過ぎてからだった。遺跡へ向かう国道までの道順は、フロントの青年に地図まで書いてもらって説明されていたたから迷うことはない。たった一晩泊まっただけで特にこれといったサービスを受けたわけではないのだが、なまり英語の青年もオーナーらしき女性も人当たりが良く、ホテルを後にするときは気分がよかった。毎回こういうホテルだったらいいのにと思う。

国道180号はメリダとカンクンの間を、少し湾曲しながらもほぼ直線的に結んでいて、その途中に遺跡がある。両都市とも緯度にそれほど差異がないので、僕はほぼ東に向かって走ることになる。メリダの郊外にはカンクンまで330kmと出ていた。それほど遠くない。

ちょっとわくわくするタクシー。

カンクンの西、メリダの東。

ピステの町には昼過ぎに到着した。遺跡にもっとも近い町だ。オクソ(コンビニ)があったので冷えたコーラを飲んだ。日本ではほとんど炭酸飲料なんて口にしなかったのに、熱帯の国を走っているせいか近頃は頻繁に飲むようになってしまった。そこからさらに進むと遺跡があった。駐車場はかなり広く、大型のバスが数台行儀よく並んでいた。それだけ訪れる人がいるということだ。見学は明日の予定なので中には入らなかったが、結構な人数が来場しているようだ。

翌日、早い時間から遺跡を訪れた。敷地が広いので歩き回るなら涼しい午前中がいい。開場して間もないゲート付近は人もまばらだ。大型バスもまだ来ていない。チケット売り場で学生証(インターナショナルではなく、メキシコ専用のものだ)を提示してみたが難色を示された。首を横に振られてしまったのだ。ここでは使えないのか。しかし料金表にはきちんと学生料金が記載されている。駄目なの?と聞くと、メキシコの(学校名?)じゃないと駄目だ、というようなことを言われた。スペイン語なのでよく分からない。提示した学生証はメキシコ専用のものだが、学校名はアメリカのものだ。メキシコにある学校じゃないから駄目ということだろうか。それでも僕は

「それはメキシコのだよ」

と言った。もちろん「メキシコの」の後には「学生証」という文字が入るべきなのだが、そんな単語は知らない。係員は、よくわからんがまぁいいだろうという雰囲気で学生料金にしてくれた。116ペソが65ペソになるのだから大きい。学生証を作るのにだってお金はかかっているのだ。

ゲートをくぐり遺跡内へ入る。真っ先に目に入ったのがエルカスティージョだった。本で知って以来この目で見てみたいと思っていた。その実物が今目の前にある。

(ふーむ。これがそうか)

それは実に淡白な感想だった。確かに真っ青な空に向かって建てられたかのようなピラミッドは巨大で圧倒的だ。しかし取り立てて興奮するほどではなかった。なぜだろう。今までもそうだったけれど、どの遺跡を見ても鳥肌が立つような感動がない。本で見て、あれほど興味を持ったというのに、不思議だ。これなら山にでも登ったほうがよっぽど感動する。町の市場でも散歩していたほうが刺激的だ。

とは言いつつも、せっかく来たのだからとくそ暑い中3時間もかけて一通り見てまわった。空には大きな塊のような雲が浮いていて、ときおり太陽がそれに隠れると暑さも和らいでくれた。そんな隙を見ながら歩き回った。やたらとのどが渇き、持ってきたお茶はあっという間に飲み干してしまった。

遺跡には白人たくさん。

これが噂の。

残念ながら現在は登ることができない。

雨神チャック。

昼に遺跡を後にした。次に向かった先はセノーテだ。セノーテはユカタン半島にのみ存在する泉、ということらしいが泉というよりも鍾乳洞というべきだろうか。石灰岩が侵食されてできたそれに地下水が溜まってできたものだ。その透明度は驚異的で、澄んだところでは200mを越えるという。
ユカタン半島には山も川も存在しないから、古代マヤ人たちの貴重な水源であった。と同時に雨神チャックに供物を捧げる場所でもあったらしい。いくつもの装飾品や人骨などが発見されている。

遺跡から東へ5kmほどいくと、イクキルというホテル内にセノーテがあった。セノーテに訪れるのはカンクンに着いてからと考えていたが、こんな暑い日ならばさぞ気持ちよく泳げるだろうと思ったのだ。入場料は結構高く70ペソだった。ホテルはいかにもリゾートっぽい造りで、設備はきちんとしていた。透き通る青い泉に飛び込んで、真夏の太陽が見上げる岩の隙間から降り注げば、気分は最高だ。雰囲気はとても神秘的で、泉にはたくさんの小さな黒いナマズが泳いでいた。

神秘的。

シャワーを浴び、しばらくゆっくりしたあとホテルを出た。ピステに戻り夕食をとってからどこかにテントでも張るつもりだったが雲行きがかなり怪しい。間違いなく雨は降るだろう。さてどうするべきかと考える。そんな時、国道沿いにぽつんとたたずむ小さな教会を見つけたのは偶然だった。そしてそこで一晩過ごすことにした。こんな場所ならきっと誰も来ないだろう。ここなら雨が降ろうが関係ない。

階段をのぼり、小さな部屋ほどの教会に入る。といっても扉などは無い。壁は三面にしかない。教会は黄色とピンクのペンキで塗られていていかにもメキシコらしい。正面の壁には聖母マリアの絵がかけられていて、その前にはいくつものロウソクが置いてあった。

雨雲が大きくなると、ついには雷が鳴り出した。20時を過ぎたあたりから雨も降り出す。雷は激しく空を切り裂き、教会の中を青白く照らした。夕食を済ませてきたのでやることが無い。ベンチに寝袋を広げ、ライトの灯りで本を読んだ。こんな夜にテントならきっと心細かっただろうが、コンクリート造りの教会なら安心だ。雨のおかげで涼しくなっていい、などとのんきに考えながら寝袋に包まった。

つづく。

2011年8月5日金曜日

ジンベイ鮫と泳ぐ日 vol.2

メキシコ湾沿いの道があまりにも気持ちよく、結局そのまま浜辺で一夜を過ごすことにした僕。穏やかな夜を過ごし、次なる目的地メリダに向けて走り出すのだった。


早めの6時起床。空はまだうっすらと明るい位だ。ビスケットとコーヒーの朝食。太陽が出ていないからまだ気温は高くない。汗もかかずにテントを撤収できる。それでも太陽が高くなるにつれ陽射しは容赦なく、また今日も汗と格闘するいちにちだ。メリダまでは230kmほどあったが、早めに出発したこともあり昼には残すところ70kmとなった。何度か軍の検問があってその度に止められたが、荷物をあけるほどのことはなくすんなり通過した。

メリダでは安いドミトリーにでも入ろうと思っていたが、目星をつけていたホステルは調べていた値段の倍以上に値上がりしていて、さらに駐車場も無いというので値切る気力にもなれずあっさり断念した。その後ユースホステルにも出向いてみるが、駐車場込みで125ペソといい値段だった。

事前に調べていた情報では100ペソ以下が相場であった。すっかりその気でのこのことやってきた僕なので、125ペソと聞くとどうしても高く感じてしまう。25ペソといえば日本円にして約200円。なんだそれくらい、ときっと思うだろう。だけどすっかり貧乏旅が骨の髄まで染みこんだ僕にはその25ペソが大切だった。たかが25ペソ。されど25ペソ。ここでは屋台で食事が出来てしまう金額だ。

結局ユースホステルは保留にして、ソカロ周辺をバイクで走り、目に入ったホテル一軒一軒の値段を聞いてまわった。何軒目かのホテルに入ると、フロントには僕と同い年くらいと思われる青年がいて、事務的な椅子に座り事務的な仕事をしていた。
一見白人とも思えるような顔立ちをしている彼は、かなり強いスペイン語なまりの英語を話した。ホテルはいかにも洋館と言う造りで、清潔な感じが悪くない。床一面に白と茶のタイルが交互にはめられ、まるで自分がチェスの駒にでもなったような気分になる。中庭の植木は吹き抜けいっぱいに伸びて、2階の廊下を優に越していた。ぱっと見他に宿泊者はいないようで、フロントもロビーも閑散としていた。値段はシングルで180ペソだった。

(まぁそんなもんだろうな)

素直な感想だった。これではいくら値切っても100ペソは望めないだろう。僕はありがとうと言いホテルを出ようとした。

「150でどう?」

きびすを返した僕に、フロントの青年は待ったをかけた。そこから交渉が始まった。

「もちろん駐車場もあるよ」

しかしいくら個室といえど、ユースホステルのドミトリーは125ペソだ。一晩寝るだけならシャワーとベッドさえあればいい。残念だけど、と首を振り立ち去ろうとすると、どこからか女性(きっと青年の母親だろう)がやってきて、青年となにかを話し始めた。スペイン語の会話はまったく理解できなかったけど、女性は洒落たブラウスにスカートという身なりで、どこにもラテンな雰囲気はなかった。手には大きなブレスレットがはめられている。きっとあまり血が混ざっていないのだろう。これならチェスの床の洋館というのもうなずける。そんなことをぼんやり考えていると、ふたりの間では何かが決定されたようだ。

「小さな部屋だったら100ペソでいいよ」

青年はなまり英語で言った。いきなり目標の金額を目の前に出されてしまったら、もう帰るわけにはいかない。僕は部屋を見せてくれとお願いし、青年に案内されて2階の部屋に通された。小さな部屋といっても日本人の感覚からすればどこも小さくは無い。四畳半の部屋の方がまだ小さい。ベッドがあり、ファンがあり、机があり、テレビがある。もちろんシャワーとトイレもついている。
もう個室でこの値段はなかなか見つけられないだろうと、僕は部屋を見たときに即決したのだが、そうとは知らない青年はなんとしても僕を泊まらせたいらしく、リモコンでテレビをつけ(リモコンがあるというのはかなり”売り”のようだ)、電灯をつけ、ファンを最強でまわし、ホットシャワーまで出して部屋の設備をひとつひとつ丁寧に説明してくれた。

「問題ないよ。オーケー。今日はここに泊まることにするよ」

「そうか。それなら下で受付をしよう」

清潔感のある洋館。

4日ぶりの宿はやはり快適だった。
荷物を入れたら真っ先にシャワーを浴びた。外はいつの間にかスコールだったから、テレビをつけてベッドに横たわった。見上げた天井からぶら下がるファンは身をくねらせるようにまわっていて、いつかちぎれて落ちてくるんじゃないかと心配になる。テレビでは映画の「レオン」がやっていて、スペイン語に吹き替えられて言葉はわからなかったけど、なんだかんだで最後まで見てしまって、外はいつの間にか雨があがっていたから夕暮れの散歩に出た。

やはりと言うか古都メリダにおいてもソカロ周辺はコロニアルで、カテドラルは荘厳だった。おかげで僕は胸やけ寸前という気分だった。食傷。つまりはそういうことだ。唯一救いだったのは州庁舎の壁画が素敵だったことだ。それは今まで見てきたどの壁画とも似ておらず、見応えがあってよかった。

町の彫刻は、スペイン人がインディヘナを踏みつけていた。

今まで見たことの無いタイプの壁画。

州庁舎に並ぶ壁画。
どの壁画も物語性が強かった。

メルカドをぶらつき、安食堂街でポジョアサードとトルティーヤを買い、部屋に戻って夕食にした。この炭焼きの、ちょっと焦げたチキンが実にうまい。素手で身をほぐし、ハラペーニョと一緒にトルティーヤで巻いて食べるとかなりいける。ベラクルスで初めて食べて以来、すっかりお気に入りの食事になっている。

飯を食ったら眠くなる。疲れているせいかベッドでうとうとしていると21時になっていた。あわてて部屋を出る。今日はサンタルシア公園で歌と舞踊がおこなわれている(メリダは毎日どこかでそのようなイベントがあるらしい)ので見に行こうと思っていたのだ。というのもフロントの青年がぜひ行ったほうがいいと(なまり英語で)強く勧めたからだ。

公園はすでに結構なにぎわいで、特設のステージでは3人のメキシカンがギターを抱えて陽気に歌っていた。やっと涼しくなってきた気温と陽気な歌は疲れた体に心地よく、植木のブロックに適当に腰掛けて聞いていた。

メキシコはなぜかトリオが多い(と思う)。

そんな僕の前に、ときおり土産物をたくさん抱えた少女が現れて、色とりどりの布やらネックレスやらを目の前に差し出す。そして(あなたお金あるでしょ。買ってよ)という目で僕をみつめる。僕は、ただ目を伏せて首を横にふることしか出来ない。確かに金はある。いくら貧乏旅だといっても、少女からみたらとんでもない大金をポケットに入れているのだ。少し心が痛む。少女は、そんな僕にあっさり見切りをつけ次の客を探しにいく。

ベンチに座っていた恰幅のいい白人女性ふたり組みが、少女からいくつかの品を購入していた。僕はそれを見て少しほっとする。と同時に、胸の中にもやとしたものを感じてしまう。
心を痛めながらも、自分では買わない。しかもそのくせ品が売れているところを見て、ほっとする。なんという傲慢さか。僕はどうしようもないジレンマに苛まれる。

22時過ぎにイベントは終了した。歌も踊りも楽しいものだった。ステージでは民族衣装に身を包んだ女性が美しい笑顔で終演に花を添えていた。
観衆はくもの子を散らしたように自分の帰る場所へと歩いていった。僕も、ホテルに向けて歩き出す。今日はひさしぶりのベッドだ。それにファンもある。きっと快適な睡眠となるのは間違いない。真っ暗な夜の空にライトアップされた教会は煌びやかで、僕はそれを横目に足早にホテルへと歩いた。

素敵な笑顔で花を添える。

夜の空に見上げる教会。

つづく。

2011年8月3日水曜日

ジンベイ鮫と泳ぐ日 vol.1

マヤ先住民の伝統と文化が色濃く残る町サンクリストバル・デ・ラスカサスを後にした僕。次なる目的地パレンケ遺跡ではその密林のむせかえるような熱気に、山の涼しさに慣れた体は悲鳴を上げるのだった。


サンクリストバルの次に向かった先はマヤ遺跡の残るパレンケだ。メキシコ国内にあまたある遺跡でも、密林に覆われるようにあるそれは神秘的な雰囲気で人気も高い。僕もメキシコでの訪れたい遺跡のひとつだった。

サンクリストバルの宿を9時に出発した。予定通りだが、特にその時間に出なければいけないわけでもない。バイクでの移動は時間に縛られなくていい。バスや電車だとこうもいかない。まだ夜も明けぬうちにそっと宿を出ていく旅人も少なくないし、深夜バスに乗るために夜になって荷物を担ぐ人もいる。バイクなら自分の好きな時間に出発ができる。たとえ寝坊したとしても、多少の遅れは道中で挽回できる。
といってもバイクにはバイクなりの問題というものがあるので、何がいいとは一概には言えない。結局その人のやり方次第だ。自転車だって歩きだって、本人がやりたいようにやるのが一番だ。

さすがに標高2100mからとなると道は延々下りだ。パレンケまで一気に山を駆け下りていく。下りは非力なバイクでもスピードに乗って楽なのだが、ときおり現れるトペが舌打ちをしたくなるほどやっかいだ。前後ドラムブレーキな上に荷物満載。そして下り。となれば急停車などは間違っても出来ず、うっかりトペに気づかずにいると前輪を跳ね上げられて大変危険だ。カーブの先にトペが現れようものならブレーキさえまともにかけることが出来ず、ただもうあきらめるしかない。

それにしても驚くのはどんな小さな村にも教会があることだ。さんざんメキシコ国内を走ってきたけど、例えそれがこんな山の中であっても、また砂塵の舞う砂漠の中であっても、集落というものには必ず教会があった。そもそもメキシコの先住民はカトリックではない。それでも人々を改宗させ、教会を至るところに散りばめたスペイン人の徹底さに嘆息せずにはいられない。そして僕がこれから向かう先のそのほとんどがそうであるのだと思うと、否が応でも胸が締め付けられてしまう。

標高を下げるにつれ気温は上がり、出発時にはダウンを着込もうかと悩んでいたのがバカらしくなるほどになった。それもそのはず。最終的には暑さのあまりTシャツだけで走ってしまったのだから。

見渡す限りの密林が広がる。
そして暑い。

時間がかかるかと思ったパレンケまでの道のりは、下りのせいもあってか夕方のまだ早い時間に到着してしまった。宿を取るかキャンプ場にするか決めかねていたけど、遺跡に近いとあってマヤベルというキャンプ場に入った。60ペソはちょっと高いと思うが、シャワーがあるのでありがたい。

テント設営ですっかり汗だくになった僕はさっそくシャワーを浴びに行こうと洗面用具と着替えを持って歩き始めたのだが、近くのコテージに泊まっている初老の白人に呼ばれてしまった。彼は、僕を見つけるとそれが当たり前とでもいうように手招きをしてきたので、僕は誘われるままに開け放たれている入り口の扉をまたいだ。部屋は狭く、壁には不可思議な絵が掛けられていて、ステレオからはクラシック音楽が流れていた。そして入るとすぐにその匂いがした。マリファナの匂いだった。

彼はすでにかなり酔っているようだった。目を見ればすぐに分かった。まるで雪が降り積もったかのような真白い髪をしていて、着ているシャツもズボンも白だった。それはまるでなにかの儀式にでも参加するかのような感じを受けた。小さな銀色のパイプとライターを両手に持ち、突然何かを思い出したように話しはじめた。

(ちょっと面倒だな)

思いつつもすぐにその場を離れるわけにもいかず、少し話を聞いていた。どこから来たと聞かれ、カナダからバイクで走ってきたと答える。それを聞いた彼は満足そうな顔になり、それはとても良い経験をしていると握手を求められた。が、相手の話はあちこちに飛ぶし、もちろん英語だ。聞いている僕は疲れてしまう。さらにこれからカンクンへ向かいベリーズに入ると言うと突然彼は大笑いした後、急に変調して悪態をつきだした。最初は何がどうしたのか分からなかったが、どうもベリーズのことを快く思っていないようだ。独り言のように毒づく姿には僕もさすがに閉口してしまい、これからシャワーを浴びるからとその場を後にした。

シャワーを浴びて出てくると、彼は若い従業員を捕まえて何か大声で話をしているようだった。僕はなるべく近寄らないようにしてその夜を過ごした。テントに入って横になると、ホエザルの猛々しい声と野鳥の高く透明な声が折り重なり、脳に突き刺さるように聞こえてきた。夜中には雨が降った。

翌日の午前中はテントをそのままに、パレンケ遺跡を見学に行った。2時間をかけて歩いてみてまわった。人も多くなく、密林に覆われるようにある遺跡は雰囲気がよかった。それほど広くもないのもいい。広大な乾燥地帯にあるテオティワカンとはまた違う印象だ。

遺跡は密林の中にひっそりとある。

壁の彫刻が当時を偲ばせる。

土産屋の親子。

キャンプ場に帰ってテントをたたみ、かいた汗をシャワーで流して昼に出発した。午後からの走り出しだしそんなに進まなくてもいいかと思ったが、意外に走り200kmを越えた。途中もくもくと沸いて出た積乱雲の中につっこみ雨に打たれそうになるが、バス停でなんとかやり過ごした。雨季が本格的に始まったのだろうか。雨季でのバイク移動は避けたいところなのだが。

パレンケを出て2日目。その日はメリダ近くまで走ろうと思っていた。そうすれば明日の昼にはメリダにつくことが出来、午後から半日ゆっくり過ごせるからだ。
しかしサバンクイの町に到着したのはまだ10時で、しかもそこからメキシコ湾をなぞるようにのびる海沿いの道が気持ちよく、コバルトブルーの海を見ながら木陰で休憩なんかをしていると、そういえばまだこの旅が始まって浜辺でキャンプをしていないことに気がついてしまい、こんなにきれいな海と砂浜がありながらキャンプをしないなんてもったいないと気もそぞろになり、こうなったらメリダ近くまで行くのをやめにして(メリダに近づくと道は海から離れてしまう)海沿いのどこかいい場所を見つけてのんびりしようと決めた。
メリダまで200kmは残ってしまうが、頑張れば夕方には着くだろう。それよりもこんな天気のいい日は浜辺キャンプの方がいい。

向かう先は雨か…。

木陰の一休み。

チャンポトンの町ではいい具合に大型スーパーがあって、1.5Lの水と2Lのオレンジジュース(暑くてやたらのどが渇く)と1Lのワイン(浜辺キャンプに酒がないなんて!)を買い込んだ。町を出て10kmも走らないうちに国道から浜にのびる道を見つけ、その先にきれいな海ときれいな砂浜があったから、まだ午後の2時前だというのにバイクを木陰に止めてのんびり過ごした。陽射しが暑く、木陰からなかなか出られないが、人も来ず、Tシャツを脱ぎジーンズをひざまでまくり海に入れば最高の気分だ。風が少し出ているので風をよけられる場所にテントを張り、ワインを飲んだ。日が落ち、夕食を食べ、テントに入る。ほとんど波の打ち寄せないメキシコ湾でのキャンプは、月に見守られながら実に静かな一夜となった。

メキシコ湾独り占め。

波の無い鏡のような海の夕暮れは、
空と海の境界線が判然としなかった。

つづく。

2011年8月2日火曜日

Belize(ベリーズ) ツーリング情報 2011/06現在

【入国】

・人間:100BZドル(30日間)
・バイク:無料

【出国】

・人間:?
・バイク:無料

【その他】

・バイク消毒:5BZドル
・保険:15USドル(7日間)
・ガソリン:約10.9BZドル/ガロン(オクタン価87)
・通貨:ベリーズドル 2BZドル=1USドル(固定レート)
・走行距離:295.0km

【メモ】

メキシコのチェトゥマルからベリーズのコロザルに抜ける国境を使用。
保険とバイクの消毒は強制。いずれもメキシコを出国してベリーズ側入国ゲートまでの間にある。ないと入国できないと聞いたが、税関で特にチェックはされなかった。保険は1日単位で加入できるが、1日7USドルだったので、3日以上滞在する場合は1週間のプラン(15USドル)に入ったほうが得だ。

ベリーズ入国にはビザが必要。以前は国境でもすんなりとビザが取れたらしいのだが、今は審査が厳しくなって1~2時間(最悪半日ほど)待たされる。事前にベリーズ大使館などで取得しておけば待ち時間はないが料金は60USドル(国境だと50USドル)だと聞いた。僕はメキシコのチェトゥマルでベリーズ領事館を探したが良くわからず、結局国境へ直接向かった。やはり1時間半待たされたが、問題なくスタンプをもらえた。

バイクの通関はとてもあっさりしたものだった。必要書類(パスポート、国際免許証、バイクの登録証)を見せるだけ。荷物のチェックもなし。

それにしてもビザ代の100BZドル(50USドル)は高い。多くの日本人旅行者はベリーズを避け、メキシコ~グアテマラ間の国境を使用しているのもうなずける。小さな国だし治安もあまり良くないからだろう。ただしカリブ海はきれいだ。

出国時に37.5BZドルを払わなければならないようだったが、そのときの支払いカウンターには誰もおらず、僕はなぜか払わずにイミグレーションと税関のカウンターでそれぞれ出国のスタンプを押してもらった。イミグレーションのオフィサーにもう出ていいの?と聞いたらいいと答えたのでそのまま通過した。スタンプさえもらえばこっちのものだ。もしかしたらなにかしら記録が残っているかもしれないが、そうそうベリーズに行くこともないからまぁいいかといった感じ。

ベリーズ国内はUSドルがかなり流通していて、イミグレでも町の小さな商店でも不便なく使うことが出来た。というかUSドルの方が喜ばれた。おつりはBZドルで返ってくる。レートは固定なのでいちいち気にしなくてもいいのが楽。

道路状況は良い。国道は舗装されている。トペは、もちろんある。町と町の間には牧歌的な風景がどこまでも広がっていた。

ガソリンについて。ベリーズでは未給油だった。300kmしか走っていない。小さな国ゆえガス欠を気にすることもないだろう。ガソリンの値段はスタンドの看板を見てだが、結構高い。

単位はマイルとガロン。

中南米で唯一英語が公用語の国。イミグレの書類から町中にある店の看板まですべて英語表記だ。スペイン語もかなり話されているが、メスティーソの人々でさえ英語で話しかければ英語で返ってくる。僕はスペイン語がからきしなのでこれにはちょっとほっとした。ベリーズ・シティーはほぼ黒人の町。田舎にいくとマヤ先住民系の人々が多かった。