2016年9月8日木曜日

国境の町、深い谷、麗しき協会 vol.2

財布のコロンビア・ペソが、もう底をつきかけていた。実は、サン・アグスティンに居る時点で、すでに赤信号は灯っていた。だけど、山奥の小さな町では両替レートがすこぶる悪く、手持ちのUSドルを両替をしようとはとても思えなかった。日増し薄くなる財布に不安は感じたが、僕は見ないふりをした。あとちょっと。国境は近い。コロンビアを抜ければ、そこはエクアドル。通貨はUSドルだ。

風の吹くまま気の向くまま。バイクにまたがり、行きたいところに行き、居たいところに居たいだけいる。何のストレスもなく、自由な旅を続けている僕ではあるが、国と国をまたぐときには、それなりに色々なことに気を付けている。
国境を抜けるには、何が待ち構えているか予想もつかない。大抵はスムーズに事は運ぶのだが、とにかく時間がかかることもある。持ち物検査?システムトラブル?もしかして賄賂を請求されるかも?そうなったら持久戦。何があってもいいように、なるべく午前中には国境に付くようにしているし、評判の悪い国境は避けて通る。要らぬ難癖をつけられぬよう、身の回りを清めてから臨む。

残りの持ち金もそのひとつ。使いきれなかった他国の紙幣など、国境を越えればただの紙切れだ。国境を越えて両替しようものなら、いいように買い叩かれて、両替屋のおやじの懐を潤すだけだ。と、いうほど深刻には考えていないものの、貧乏旅行で札束を余らせるのも忍びない。なるべくなら使い切ってからの出国が望ましい。
そんなわけで、財布に赤信号が点灯していることに気付きながらも、僕は国境へ向けて走り続けていた。

国境の町は、どうにかなることが多い。それは僕が旅をして得た経験でもある。国境の町は、いろいろなことが流動的だ。後から思い起こすと不思議なんだけど、なんだかんだごまかしが効くのは確かだ。だから国境の町まで行けばなんとかなる。そんな期待を持っていた。


それにしてもポパヤンに到着した時点で、手持ちが21000ペソ(約12USドル)とういことはいかがなものか。ポパヤンは国境の町ではない。国境の町イピアレスまでは、さらに350㎞ある。どんなに安く見積もっても、ガソリン代と今日の宿代を考えたら、もう飯さえ食えない。


ポパヤンでは、ロンリー・プラネットに載っていた安宿に泊まった。ドミトリーで1泊12000ペソ。駐車場はなかったが、近くの駐車場を尋ねると、夜だけなら2000ペソでいいと言ってくれたので、そこに入れた。ということは残り7000ペソしかない計算。すべてガソリン代に充てたとしても、距離的に国境を越えられるかどうかぎりぎりのラインだ。

そんなこんなで夕方散歩には出たものの、外食などできず、おとなしく宿に帰って手持ちのパスタを茹でた。金がないからビールも飲めない。

(ま、なんとかなるよ。USドルのキャッシュはあるし)

暮れ方に映えるポパヤンの素敵な町並みを思い出しながら、ひとりさみしくパスタを食べる夜だった。


ポパヤンは白壁の町だった。
セントロの建物は、銀行から食堂に至るまで。素敵。

つづく。

2016年9月1日木曜日

国境の町、深い谷、麗しき協会 vol.1

サン・アグスティンを出た日、僕はバイクの上で激しく後悔していた。

(なぜだ?なぜこんな日に出発してしまったのだろう)

やはりというべきか。降りだした雨は、僕の期待とは裏腹に次第に強さを増していった。それは山越えのダートをぬかるみへと変えただけでなく、体温まで容赦なく奪っていく。体が小刻みに震えだす。

その日は朝から激しい雨だった。強い雨音を聞きながら、宿の温かいベッドの中で、もういちにちテレビでも見ながらグダグダするか、などと甘い誘惑にかられていたのは事実だ。今更何を言っても始まらないが、雲の切れ間から薄日を見ただけで安易に出発してしまった朝の自分を、寒さと、バイクがはね上げる泥水に耐えながら、ひたすら呪うしかなかった。

こんな日にバイクで走るやつなんて誰もいないよ。
なんて思っていたら、まさか二人乗りのもう1台が後方からやって来るではないか。そして僕の少し先に停車し、こう尋ねてきた。

「タイヤがパンクしてしまったんだ。空気入れを持っていないか?」

泣きっ面に蜂なのは、彼らの方だった。ただでさえ雨のダートで不快なのに、そのうえパンクだなんて。雨の日のパンクなんて考えたくもない。僕は、持っていた空気入れを渡した。応急用の小さな手押しポンプでは十分に空気は入らないが、ある程度弾力を取り戻したタイヤなら、山を下るくらいはできるだろう。

「ありがとう。助かったよ。で、いくらだ?」

ひとりの男が尋ねてきた。

「まさか。お金なんか要らないよ」

今の僕にはこんなことしかできないが、困ったときはお互いさまだ。むしろ、僕の方が多くの人の親切を受けて旅を続けている。先を急ぐ彼らを見ながら、小さくても人の役に立つというのはうれしいものだな、と思えた。

なんだか気をよくした僕は、雨の中を再び走り始めた。すると、とたんに雨脚が弱まるではないか。峠を越えたところで、雨はついにやんでしまった。どうやら山を挟んだこちら側は、まったく降っていなかったらい。山を下りるに従い、気温も上がってくる。やがてダートも終わりを告げる。泥色の山道から、黒いアスファルト。乾いた舗装路がこんなに楽だなんて!
さっきまでの愚痴はどこへやら。やっぱりこうでなくちゃ。現金な僕は、突然山間に現れたポパヤンの町中へとバイクを走らせた。

つづく。

2016年8月31日水曜日

今度はいつ戻ってくるの? vol.3

サン・アグスティンには4泊した。そのうち、雨の降らない日は1度もなかった。
1日中降りっぱなし、ということもなかったけれど、薄日が射しこみ、ぼちぼちやんだかな?と思うと、気まぐれにまた降りだす、そんな降り方をした。

雨が降るということは、必然的に宿で過ごす時間が長くなる。広い部屋。ベッドがふたつに机と椅子は、雨音を聞きながら、のんびりスペイン語の勉強をして過ごすには、すこぶる快適だった。


有名な遺跡に足を向けたのは、滞在3日目だった。その日は珍しく朝から晴れていた。この機を逃してはならないと、急いで支度をする。またいつ雨が降りだすとも限らない。
バイクにまたがり、9時には遺跡のある公園「パルケ・アルケオロヒコ」に到着した。緑豊かな園内をたっぷり3時間歩く。3時間も歩くのは結構な労力だったが、それだけ大きな公園ということだ。園内には古代インディヘナたちが彫った石像が、至るとことに(ちょっとやりすぎた感も否めないくらいに)あった。なかなかかわいらしい石像なので、眺めているだけで楽しい。
しかし、これだけ大きな公園なのに、朝早いせいか他の観光客はほとんどおらず、作業をしている職員も、園内にひとりしか見かけなかった。ほぼ貸し切りで楽しめたのだが、どこかもの寂しさも感ずにはいられなかった。

不思議な石造がたくさん。

 作業していた唯一の人。
いろいろ説明してくれた。

昼を少し過ぎたところで、公園を後にした。雲は多いものの、空は青い。雨はまだ先のようだ。せっかくだから町はずれの、少し山を登ったところにある滝までバイクを走らせた。
時間があれば行こうかな?くらいに考えていた場所だったが、よく考えれば時間はたっぷりあるわけで。行かない、という選択肢は前向きな消去法により棄却する。まさか滝を見るのにお金を取られるとは思わなかったが(1000ペソ。約50円)、たまの晴れ間には動いている方が気持ちがいい。

金を取るだけあって、一応展望用のデッキらしきが切り立った崖の上に設けられていた。が、手作りで木製のそれはあまりにも頼りなく、長いことそこから滝を見ていたいとは到底思えなかった。それよりも、滝が落ちる場所まで歩いて行けるのがよかった。勝手にそこまで行って良いのかな?という疑問もあったが、柵も何もないので誰でも好きに行けてしまう。万一足を滑らせても自己責任ということだ。

 展望デッキから。結構な落差。

翌日には、「ラ・チャキーラ」と呼ばれる、渓谷の玄武岩に刻まれた彫刻を見に出かけた。入口の道端にバイクを止め、ぽつりぽつりとある土産屋で通り雨をやりすごし、上品に馬を乗りこなすツアーの欧米人たちに追い越され、見晴らしの良い渓谷を歩くこと2時間。お目当てのそれは思ったほど大きくはなかったが、そこからの眺めは大変良かった。雨でぬかるんだ道にもめげず、来た甲斐があった。

ラ・チャキーラと。
名前からして女性の神様だろうか。

サン・アグスティンでの主な観光はそのみっつ。どれもそれなりに良い観光だった。
だけど僕のサン・アグスティンでの思い出といえば、毎日雨の中、買いに行くようになったパン屋のおかあさんが、10個注文しているのに、二日目からさりげなく袋に11個入れてくれるようになったこと。
それに5日目の朝、宿を出る際、バイクにまたがった僕のありがとうという言葉に、

「今度はいつ戻ってくるの?」

と女将が冗談交じりで、だけどやさしく言ってくれたことだった。

おわり。

2016年8月25日木曜日

今度はいつ戻ってくるの? vol.2

客引きに捕まったのは、いつぶりだろうか。
サン・アグスティンに到着し、サレントで教えてもらったエル・マコという宿を探そうとしていた時、ふいに一人の客引きに声をかけられた。バイクにまたがった客引きだった。

(客引き?なんか久しぶりだな)

僕が移動中に立ち寄る田舎町で、客引きに遭遇することはあまりなかった。そもそも僕が立ち寄るような田舎町には観光客がいないので、当然それを目当てにした客引きも居ない。大きな都市に行く場合には、あらかじめ宿の情報を仕入れていくので、やはりあまり関係がない。しかも、バイクで移動している手前、バス停や空港など、彼らがいそうな場所に立ち入らない、というのも大きな理由だった。

そのバイクの客引きは、僕が何度も「エル・マコ、探しているのはエル・マコだよ」と口にしてもどこ吹く風だった。あげく自らのバイクで先導をはじめ、町から少し離れたひとつの宿に僕を連れて行った。もちろんその前に断ることもできたのだけど、その時はそうしなかった。なんだかあまり客引き然としていなかったことと、どこか憎めない感じが、そうさせたのかもしれない。


到着した宿は、果たして良かった。値段は15000ペソ。すこぶる安い。通された部屋にはベッドがふたつもあり、バーニョがプリバードで(シャワーとトイレが別なのは、安宿ではめずらしい)、大きな机と椅子があり、なんとテレビまで付いていた。バイクも、屋根の下に置いて良いという。
何にもまして良かったのが、町外れの緑多き場所にある、ということだった。町の中心部まで距離はあったが、この豊かな静けさは、それ以上の価値があるように思えた。
宿の人たちも大変感じがよく、僕は結局この宿に決めてしまった。値段と質で考えると、コロンビアのこれまで過ごした宿の中で、一番かもしれない。

それにしても、あの客引きは不思議だった。彼は宿の女将らしきに僕を紹介すると、さっさと自分のバイクにまたり、ふいと行ってしまった。なんだったのだろう?もしかしたら、ただのお人よしなコロンビア人だったのかもしれない。

緑の中の静かな宿だった。

 サン・アグスティンのパルケ(中央広場)。

そんな彼のおかげもあり、素敵な部屋に荷物を運び入れる。すべて終えると、時計の針は16時をまわっていた。サン・アグスティンはその遺跡が有名だが、今日はもう疲れてしまった。観光はしないことにして、町に散歩がてら買い出しに出た。
初めての町なので土地勘はない。といっても小さな町だから、帰りの方角だけ気を付けていれば、迷うこともない。気の向くままふらふら歩く。と、ボゴタのファティマという宿で知り合ったコロンビア人に、ばったりと出くわした。こんなところで再会とは珍しい。そう思ったが、さらに驚いたことに、彼はこの町に住んでいるようだった。

(へぇ。そんなこともあるんだな)

などと感心していると、彼の友達(といってもやはり旅のどこかで知り合ったらしい)アメリカ人と、一緒にパブに飲みに行く流れになってしまった。こんなところでアメリカ人とは珍しいと思ったが、さらに驚いたことに、彼はスペイン語を流暢に操るようだった。
まことに偏見なのだけど、アメリカ人が英語以外を好んで話すとは思っていなかったので、僕よりも上手なスペイン語を話すアメリカ人を目の前に、その考えを改めさせられることとなった。
ともあれ、薄暗いパブの丸テーブルに3人落ち着いて、コロンビアのビールで「サルー」と乾杯すれば、ちいさな旅のいちにちが楽しく過ぎていくのは間違いがなかった。

つづく。

2016年8月21日日曜日

今度はいつ戻ってくるの? vol.1

宿近くの小路を右に折れると、それはすでにダートだった。路端の小さな看板に、イバゲ106㎞とあった。

サレントを出た日、僕はアンデスの奥深くを走っていた。それは、地図にさえ載っていない道だった。通る車は、見当たらない。道の状態も、良くない。スピードがまったく出せなかったが、おかげでアンデスのダイナミックな景観をゆっくり楽しむことができた。
ときおり人家が散見されたが、これといった集落もない。すなわち食堂はおろか、売店さえ見当たらないというわけで、なんの準備もしていなかった僕は、手持ちのクラッカーと水のみ、というさみしい昼食を余儀なくされてしまった。


行きと違うルートを選んだのには訳があった。といってもたいした理由でもなく、ジュンペイさんにおすすめのルートを教えてもらった、というだけの話である。サレントは、主要な国道からわき道に入ったどん詰まりにある小さな町だから、そこから出るには当然来た道を戻るしかないと思っていた。事実、僕が持っている地図では、それ以外のルートは見つけられなかった。だけど、その土地に住む人たちは、地図に載っていないことを知っている。

「山の中を行く道だけど、景色はすごくいいし、なによりたくさんのココラが見られますよ」

そんな言葉で勧められたら、行かないわけにはいかない。地図にも載っていない道を走れるのだから、これぞバイク旅冥利に尽きる。という訳で、僕は目の前いっぱいに広がる山々を眺めながら、何の味もしないクラッカーを水で流し込んでいる、という訳だ。

群生するココラ。自然の力強さを感じる。

アンデスの山道。

こんな山奥にも人々の営みがある。

次の目的地は、サン・アグスティンだった。これまたサレントに負けず劣らず小さな町。小さな町ではあるが、遺跡群が有名で、ツーリストの多くが、そこを訪れているようだった。まさかその遺跡群が世界遺産だったとは、クラッカーをのどに詰まらせている時点では、まったく知る由もなかったのだけど。


イバゲ。カンポアレグレ。それぞれの町で、それぞれ一晩を過ごした。イバゲでは以前立ち寄った宿に入ったのだが、宿の親父は僕のことを思えていてくれて、なんだかうれしかった。しかも前回と同じ2階の角部屋の鍵を渡してくれた。

コロンビアも、だいぶ南部まで進んできたせいか、ごちゃりとした雰囲気が町に戻ってきたように思う。北部では大きな都市ばかり見てきたからかもしれないが、すでに大型スーパーに取って代わられていたメルカド(市場)も、南部の町にはきちんとあった。どこも同じ匂いで、このすえたような何とも言えない匂いが、なんだかちょっとうれしく思う。

カンポアレグレの安宿。
ベッドひとつだけの簡素な部屋だ。

涼しい山岳地帯から抜け出し、赤茶の水をたたえた川に沿って南に走る。サンアグスティンに到着したのは、サレントを出て3日後の夕方だった。

つづく。

2015年11月17日火曜日

サウンド オブ サレント vol.4

サレントで、ひとりの日本人と出会った。サレントに到着して2日目のことだった。
その日は朝から小雨がぱらつくあいにくの空模様で、サレントでメインの観光としていたココラ渓谷へはまた改めてかな?なんて、宿で暇を持て余していた。オーナーのフェルナンドに声をかけられたのは、そんなときだった。

「すぐ近くに日本人がいるんだ。ちょっと一緒に行こう」

なぜ僕をその日本人に会わせようと思ったのかは分からなかったけど、客は僕のほかに誰か居るのだろうか?そんなことを考えてしまうほど静かな午前中だったから、宿のオーナーといえど(僕と同じく)退屈していたのかもしれない。

連れていかれたのは、宿からほど近い土産物屋だった。店内はエスニックな雑貨が整然と陳列されていて、鮮明な色彩をふんだんに使っていながらも、どこか落ち着いた雰囲気が感じられた。ラテンの感覚とは明らか一線を画している。ジュンペイさんは、そんな店のオーナーだった。


それからというもの、サレントを出る日まで、僕はすっかりジュンペイさんのお世話になってしまった。町の中をいろいろ案内され、町の外れにある見晴らしのいい場所に連れていってもらい、ジュンペイさんの自宅にまで招かれた。そこでふるまわれた手料理は驚きの日本食で、その時に飲んだ手作り豆腐の味噌汁は忘れられない。
サレントに住んでもう8年になるというジュンペイさんは、なかなかの人気者だった。町を歩けばたくさんの人に声をかけられる。顔が広い。おかげで僕までサレントに住む様々な人と交流することができた。
 
町は山に囲まれている。

トゥロンボで遊ぶ子ども。日本のコマとほぼ同じ。

やらせてもらったけど、僕はうまく回せなかった。

 サレントでの2大目的の一つトルーチャ(マスの一種)。
アヒージョで。とてもおいしかった。

だいたい午後になると、近場のカフェで一緒にコーヒーを飲んだ。それは毎日のことであるらしく、店に入ればいつものように、いつもの人々が集まってきた。その輪の中にはコロンビア人も居れば、他の国からサレントに移り住んだ人も居て、皆この土地でゆったりとした生活を楽しんでいるようだった。会話は早口なスペイン語なので話の半分も理解できないのだけど、僕に話しかけてくるときにはだれもが簡単な言葉を選んでくれるので、ありがたかった。

毎日午後のころ合いを見て、いつものカフェまで歩き(といっても宿から30秒ほどだ)、コーヒーを飲み、とりとめのないおしゃべりを楽しむ。そんなことがたまらなく楽しかった。旅をしていればいろんな町に滞在するのだけど、町の人たちとこういった時間をすごすことは多くないように思う。
数日もすると、顔見知りになった人たちと町で会えば、気軽に挨拶を交わすようになった。それは、すごく気分のいいものだった。僕は、なんだかすっかりこの町の住人になった気分だった。小さな町だけど、サレントには旅人を優しく迎えてくれるだけの包容力があった。

夕照の中央広場。

知らない場所から知らない場所へ。旅はそんなふわふわとした非日常の連続だから、とりわけなにげない日常的な行為に新しい気づきを見つけられるのかもしれない。

おわり。

2015年9月16日水曜日

サウンド オブ サレント vol.3

ココラ渓谷は、サレントのハイライトと言える。
言えるのだけど、実のところボゴタで聞かされるまで、僕はまったくその存在を知らなかった。どうやら最近のツーリストの間では、その渓谷が人気らしい。それは、どちらかといえば知らない僕の方が恥ずかしい、そんな感じだった。

「ていうか、そもそもココラって何?」

という疑問は誰に聞くにも聞ず。いつもの様にのこのこサレントまでやって来てしまったのだけど、果たしてどうしものかと思案する必要は微塵もなかった。町には渓谷へと導く案内板が完備され、ソカロ周辺にはしかるべきツアーを行うエージェントが、やたらひしめいていたのである。どうやらココラ渓谷とは、世界一高いといわれる椰子の木が自生している渓谷のことらしい。


というわけで、サレントに来た2大目的のひとつ(もうひとつはトルーチャという魚を食べること)であるその渓谷へ足を延ばすことにした。落ち着いた雰囲気の町で日々ゆったりとしていると、何をするわけでもなく、時間が足音も立てず足早に過ぎ去っててしまう。

町から渓谷へは結構な距離があった。歩いていける距離ではないので、大抵はソカロから出発するジープに乗るか、ツアー会社の日帰りツアーに参加するということになる。でも僕にはオートバイがある。その必要もない。
宿のオーナーであるフェルナンドに尋ねると、道は一本だから問題ないという。本当かな?ラテンの人々の問題ないはえてして問題があったりするのだけど、現に小川沿いの田舎道が町から渓谷へと延びているだけで、迷いようはなかった。

入口に到着したら適当な場所にバイクを止めて、渓谷を歩いて周った。フェルナンドが渡してくれた簡易的な地図には、渓谷をぐるりと周れるトレッキングルートが載っていて、それをなぞって歩くのが、正しいココラ渓谷の楽しみ方らしかった。

やたら背の高い椰子の木(コロンビアの国樹らしい)が、地表からにょきにょきと生える光景は、なんとも不思議だ。アメリカのレッドウッド国立公園で見た巨木ほどの衝撃はないものの、まるで自分が絵本の世界に迷い込んだような気分にさせてくれる。なるほどこれなら観光客が増えるのもうなづける。などど勝手な解釈をしながら歩いていると、ルートはそこから山へと入っていった。

まぁたいした道でもないだろうと高をくくったのだけど、実際それは結構な山道で、時折雨までぱらつくし、ガスで視界は奪われるし、さらに沢沿いの道はぬかるんで歩きにくいったらない。なんてネガティブな面もあったのだけど、のんびりたっぷり4時間。やはり自然の中を歩くのは気持ちがいい。

世界一高いといわれる椰子の木。

高いものでは50mにもなるらしい。実はつけない。
 
結構本格的なトレッキングルート。

さらに面白かったのは、ひょんなことから相棒ができてしまったことだ。あまり天気の良くない平日とあり、すれ違う人はまばらだったのだけど、なぜか道中で一匹の犬と出会ってしまった。ふと気づくと、僕の少し前を同じ方向に歩いていた。一見して野良犬ではないことはわかったのだけど、こんな山中に飼い犬がいるのも珍しい。

犬の進むスピードは、僕よりも早かった。さっさと行ってしまうので、やがて姿が見えなくなる。だけど、驚いたことにしばらく進んだ場所に立ち止まっている。一定の距離まで近づくと、また歩き始める。まるで僕を待っているかのようだ。そんな馬鹿な。そう思ったのだけど、何度もそんなことが起きた。やがて疲れたからとひらけた場所で小休止を取ると、道の先に消えた犬はなんと引き返してきて、僕を確認できる場所に腰を落ち着けた。


「そうかそうか。じゃぁ一緒に歩こうか」

時間にして1時間ほどだろうか。最終的に、山の出口まで一緒に歩いた。
ふと、このままずっとついて来たらどうしよう。なんて勝手な心配をしてしまったのだけど、犬はどうやら僕よりも利口だったらしい。一軒の農家の前まで来るとするりと門を抜け、少し高い場所から僕を見送ってくれた。自分の役目を果たしたとばかりに少し誇らしげに見えた。僕はひとこと礼を言い、なんだか満たされた気分で町へとバイクを走らせることができた。

つづく。