2013年5月14日火曜日

Argentin(アルゼンチン) ツーリング情報 2013/05現在

【入国】

・人間:無料(90日間)
・バイク:無料(200日間 長い!)

【出国】

・人間:無料
・バイク:無料

【その他】
・保険:未加入
・ガソリン:7.6ペソ/リットル(オクタン価?)
・通貨:ペソ 5ペソ≒1USドル
・走行距離:?km

【メモ】

アルゼンチンもチリ同様何度も出入りをした。パタゴニア地方では両国の国境が入り組んでいるため、どうしてもそうなってしまう。といってもそれだけに多数往来があるため、出入国は至ってスムーズ。そしてパスポートにはアルゼンチンとチリの入出国印ばかりが増えていく。

保険は強制ではない。

パタゴニア西部の40号線は未だ未舗装区間が多く走りにくい。現在舗装工事中のようだが、完成は何年も先のことだろう。東部3号線は全区間舗装されている。
アルゼンチン、チリではガソリンスタンドにシャワーがあるところが多い。野宿続きの時、給油ついでにさっぱりすることができてありがたい。ついでにwifiも飛んでいたりするので、スタンドは絶好の休憩スポット。
さらにパタゴニアの何も無い場所ではよくガソリンスタンドにテントを張らせてもらった。パタゴニア特有の風がしのげるばかりか、水も確保できるので助かる。テントを張らせてくれと頼んで断られたことは一度もない。

ガソリンは日本と同程度か。パタゴニア地区は経済特区らしく、1リットル5ペソ前後と安く買える。アルゼンチンのガソリンは青い。赤いガソリンに慣れているのでどうにも不思議な感じである。

単位は距離がキロメートルでガソリンはリットル。

アルゼンチン国土の大半を占めるパンパ(草原地帯)。そこに延びる道は本当にまっすぐで、そのまま地平線に消える。壮大だが単調。さらにパタゴニア地方が風が強い。基本的に西風で、向かい風になるとまったく進まず、トップギアに入れることが出来ないことも。反面追い風をもらうと楽で燃費も良い。もっとも風のある中での休憩は休憩にもならず逆に疲れるので、やはり風のない日が一番走りやすい。

両替レートについて。どうにもアルゼンチンの経済が不安定らしく、両替レートは現在二重になっている。公定レートは1ドル5.15ペソだが、闇レートでは1ドル7.5~8.5ペソで交換できる。つまり闇レートで両替すると所持金が一気に1.5倍になる計算だ。ATMでペソを引き出したり、クレジットカードで決済をすると公定レートで計算されるので、この差はかなり大きい。しかしアルゼンチンではUSドルを用意できないので、あらかじめ隣国でドルを作らなければならない。そしてやはり100ドル札の方がレートが良い。

2013年5月12日日曜日

Chile(チリ) ツーリング情報 2013/04現在

【入国】

・人間:無料(90日間)
・バイク:無料(90日間)

【出国】

・人間:無料
・バイク:無料

【その他】
・保険:未加入
・ガソリン:約770ペソ/リットル(オクタン価93)
・通貨:ペソ 475ペソ≒1USドル
・走行距離:5748.6km

【メモ】

チリには何度か出入りをしたのでその度に異なる国境を使用した。どこの国境でも人、バイク共スムーズに手続きを行うことが出来たので問題ないが、注意すべきは食料である。チリには生鮮品や牛乳などの一部食料の持ち込みが禁止されている。一応荷物の検査がある(場所によってはX線検査もあるらしい)ので入国前にそれらを処分しなければならない。米やパスタ、缶詰などは問題ない。所持が見つかると最悪罰金処分になるらしい。といっても僕が受けた検査はとても形式的なものだった。バイクから荷物を外さず、バッグの口を開けて「はい、いいですよ」で終わる時もしばしば。
それにしてもボリビアのウユニからチリのカラマへと抜けるアバロア国境はかなりタフな道のりだった。

保険は未加入。

南北に細長いチリでは、5号線がその国土を貫いている。日本の高速道路のようで距離を稼ぐには楽ではあるが、景色の変化に乏しく走っていて面白くない。さらにPeaje(料金所)が多数あり結構高い。なので僕は極力5号線を使わずに南下した。
5号線を外れるとほとんどが生活道路といった感じ。北部アタカマ砂漠を除けば程よい感覚で町があるので、給油や食事に困ることは無い。景色の綺麗な未舗装区間があったり、川に橋が架かっておらず渡し舟で渡ったりという楽しみがあった。となりのアルゼンチンへ向かうときには峠越えもあるが、基本的には海岸線を走られるためきつい坂道は無い。

ガソリンは高い。これまでの国で一番。特にパタゴニア地方は高く、チレチコなどではレギュラー1リットルが920ペソ(約2ドル)もした。

単位は距離がキロメートルでガソリンはリットル。

南北に細長いチリ。北部はアタカマ砂漠、南部はパタゴニアと対極の表情を持つ。じりじりと太陽の照りつけるアタカマ砂漠の果てしない一本道も、世界一美しい林道と言われるパタゴニアのアウストラル街道も、バイクで走っていて本当に楽しかった。

2013年1月28日月曜日

Bolivia(ボリビア) ツーリング情報 2012/11現在

【入国】

・人間:無料(30日間 90日まで延長可能)
・バイク:無料(30日間 90日まで延長可能)

【出国】

・人間:無料
・バイク:無料

【その他】
・保険:未加入
・ガソリン:9.25ボリビアーノ/リットル(オクタン価?)
・通貨:ボリビアーノ 7ボリビアーノ≒1USドル
・走行距離:1156.5km

【メモ】

ペルーのユングーヨからボリビアのコパカバーナへと抜ける国境を使用。
ペルー側出国も、ボリビア側入国も大変スムーズ。書類のみの提出ですんなり通過できた。ボリビアのイミグレーションにいたっては僕の代わりにオフィサーが入国カードをちゃちゃっと記入し、ぽんとスタンプを押してくれた。しかもなにか質問されたと思ったら「彼女はいるのか?」だった。まったく関係ない。いないと答えると「ボリビアはペルーより寒いぞ。彼女のいない夜は特にな」ときた。審査などどうでもいいといった雰囲気。

保険は強制ではない。

幹線道路が基本的に舗装されているが、全体的に舗装率は低い。田舎に行くと未舗装な場合が多く、状態も悪い。特にウユニからチリに抜けるダートは洗濯板状の道が続いていた。雨が降るとかなりぬかるむので雨季の通行は避けたいところ。

ガソリンは安い。どのガソリンスタンドでも一律料金で3.75ボリビアーノ。なのだが、最近になって外国人価格が設定されたため、ツーリストが買うと現地価格の2.5倍もする9.25ボリビアーノになる。どんなに頼んでも3.75ボリビアーノでは売ってくれなかった。
あまりにも価格差があるので僕はいつも「レシートは要らないからリットル5ボリビアーノで売ってくれ」と言って買っていた。たいがいの場合それで売ってくれる。差額はポケットマネーになっているのだろうか。そのあたりはボリビアクオリティー。

単位は距離がキロメートルでガソリンはリットル。

滞在期間の延長について。ボリビア入国時にもらえる滞在期間は30日。だけど90日までの延長は簡単に出来る。僕はラパスにあるイミグレーションで90日まで延長した。必要なものはパスポートのコピーのみ。2分とかからない。
同時にバイクのペルミソの有効期限も30日なので、これも延長しなければならない。ラパスにある税関では出来ず、30分ほど走ったエルアルトという町の税関へ出向かなければならないのでこれはちょっと面倒。手続き自体は1時間もあれば終わる。詳細を残したメモをなくしてしまったので税関の住所が分からないのだけど、日本大使館で調べてもらった情報なので、大使館へ電話をしてみるといいだろう。
また聞いた話では、入国時に「ビザを60(90)日くれ」と言えばもらえる場合があるらしい。どのみち延長を考えているなら駄目もとでも試してみる価値はある。

ボリビアといえばウユニ。見渡す限り真っ白なウユニ塩湖をバイクで走れば、今までにない最高の体験ができる。

2012年12月2日日曜日

Peru(ペルー) ツーリング情報 2012/08現在

【入国】

・人間:無料(90日間)
・バイク:無料(90日間)

【出国】

・人間:無料
・バイク:無料

【その他】
・保険:35USドル(30日間)
・ガソリン:約14ソル/ガロン(オクタン価90)
・通貨:ソル 2.57ソル≒1USドル
・走行距離:5654.7km

【メモ】

エクアドルのウアキージャスからペルーのサルミジャへと抜ける国境を使用。
この国境はとても近代的な国境だった。最近建てられたと思われる。が、エクアドル側税関が国境にないというなんとも不案内な造り。税関は国境から10kmも離れた場所にある。
ちなみにこの国境付近はあまり治安がよくないそう。知らずに通過したし、まして近くで野宿までしてしまったのだけど、なんともなかったので良しとしよう。

保険は強制なのかわからないが、僕は国境で入らされた(30日で35ドルはかなり高い)。

幹線道路は基本的に舗装され状況も良いが、山間部においてはがけ崩れや陥没などをよく見かけた。雨季の通行は注意が必要。幹線道路を外れると未舗装の道も多々ある。ペルーにもPeaje(料金所)はあるが、バイクはどこも無料。

ガソリンは高い。コロンビアと同程度。国土の広いペルーでガソリンが高いというのは結構痛い。オクタン価84のガソリンもあり安い(1ガロン約12ソル)が、アンデスの峠は4000m越えも当たり前なのであまりお勧めできない。田舎に行くとオクタン価84しか置いていない店もある。ちなみに大きな町ではオクタン価97まである。これはかなり高い(1ガロン約19ソル)。
山奥での小さな町でもガソリンスタンドはあるのでガス欠に困ることはない。地域によってガソリンの価格差が大きく、アマゾン地域では12ソルと安く、アンデス地域では15ソルと値が上がる。

単位は距離がキロメートルでガソリンはガロン。

ペルーでは何度もアンデス山脈を越えた。太平洋側からアマゾン側へ。アマゾン側から太平洋側へ。最高到達点は4500m(たぶん)。雪まで降られて大変だったが小排気量のキャブ車でもなんとか越えることが出来た。ペルー南部では4000m級の峠が当たり前なので、2000m、3000mくらいの峠ではもはや驚くこともなくなってしまった。峠越えは何かと大変だがアンデスの景色を見るだけで走る価値があると思える。国土が大きく見所も多いペルーはじっくり時間をかけて走りたい。

2012年11月6日火曜日

ダリエン・ギャップは優雅に越えろ! vol.8

グアテマラでひとりの日本人に出会った。紳士的な話し方をするその人は、昔、アメリカでセイルボートを手に入れ、カリブの島々を流れるように旅をしたことがあると言った。
荒れた海での戦いも、真夜中の航海も、大変なことは枚挙に暇がないが、それ以上にすばらしく価値のある旅だったと述懐した。その話しはどこか現実味を欠いていて、まるでおとぎの国の話しでも聞いているような感覚だったけど、同時に僕の胸を熱くするものだった。

やっとその言葉の意味が分かった気がした。実際に自分が海の上に出てみると、果てまで続く水平線を目の前にすると、あのときの言葉をすんなりと飲み下すことが出来た。その感覚はバイク旅で味わうものとはまた一味違うものだった。

ココ・バンデロでの時間は本当にゆったりしたものだった。
周りには海と、無人島しかない。天然のリーフに囲まれているおかげで外洋の波も僕たちのいるところまでたどり着くことは出来ない。碇を下ろしたボートは透明な海の上にぽっかりと浮かび、その下を大きなエイが2匹、ゆったりと横切っていった。

風がやむと音さえも消え、肌を刺す日差しだけが残った。何もないが、すべてが満たされていた。今が何日かも、まして時間さえ気にする必要性がまったくなかった。というよりも、考えることを放棄したと言ったほうが正しいかもしれない。世界中のすべてに等しく時間が流れている、という事実さえ忘れてしまいそうになる。ただ露出した肌だけが、しっかりと日焼けをしていった。

夜はデッキに上がり、潮風に吹かれながら寝た。船室のベッドはあてがわれていたのだけど、船内は裸で寝ていても汗をかくほど暑く、逃れるようにデッキに上がった。

まるで絵に描いたよう。



今日の晩飯はランゴスター(ロブスター)。

 ラム酒のココナッツジュース割り。
南国の味。

クナ族のおばちゃんと。

ビーズの装飾がすてき。

早朝のまだ目を覚まさぬうちにボートはコロンビアに向けて出航した。

ベッドに横たわり目を閉じたまま、にわかな騒がしさを耳にしていた。低いエンジン音がとどろき、ゆっくりとボートは動き出した。

(あぁ。これでついに南米大陸へ降り立つことが出来る)

なんて感慨も束の間だった。リーフに囲まれた場所から外洋に出たとたんボートは盛大にゆれ始めた。その揺れはまるでなにかに八つ当たりでもしているかのようで、これが本当の船旅だと言わんばかりだ。
ついにきたか。何度となく聞かされていた。大型の船ならまだしも、小型のセイルボートでの航海は波との戦いだということを。

ここまで揺れられるともう僕にはどうしようもなかった。ただでさえ船には酔いやすいのだ。あらかじめ夜のうちに飲んでおいた酔い止めの薬が唯一の救いだ。

結局終始ベッドに横になったままだった。横になってさえいればなんとか落ち着くことができるが、トイレに行くために立つだけでも気分が悪くなる。胸の中を誰かが無造作にかき回されているようだ。まともに食事なんてできるはずもなく、空腹感を抱えながらも朝食も夕食も普段の半分も口にできなかった。
そんな僕とは裏腹に船に強い奴らはいたって元気で、デッキに上がりビールなんかを飲んでいた。いったいどこがどう違えばこの揺れの中でビールを飲むことが出来るのか微塵も理解できなかった。

小さな窓からは空と海が交互に見えた。ひたすら寝ているので時間の感覚がなくなる。とにかくはやく明日の朝になってくれることを祈るばかりだった。

浅い睡眠から目を覚ますとボートが揺れていないことに気がついた。ボートはコロンビア沖を巡航しているようだ。重い体をベッドから起こし、デッキへ上がる。目の前に陸が見え、その先に町が見えた。それがコロンビアのカルタヘナだった。南米大陸が、僕の目の前にあった。



おわり。

2012年11月3日土曜日

ダリエン・ギャップは優雅に越えろ! vol.7

いよいよ移動が始まる。パナマのカルティからコロンビアのカルタヘナまで。大きな海を越えて。まだ見ぬ新天地。否が応でも胸が躍る。

船の上で朝食を済ませたら海でひと泳ぎ。残りの乗客がすべて乗船し終えると、出航に向けてのミーティングが始まった。デッキのテーブルを囲む乗客は全部で15人ほどだ。ぐるりと見渡せばなんとも多国籍な顔ぶれで、一見しただけではその出身国が分からない。

ミーティングは当然のように英語で進められた。僕は、いかにも分かった風な顔でそこに座っていたけれど、もちろん話しの半分も分からない。分かったのはキャプテンがドイツ人だということと、ビールは1本1ドルで買うことが出来るということだった。
まあそれだけ分かれば問題ない。別に取って食われるわけでもなし。常識の範囲で収まっていればいいだけだ。

出航に向けてパナマ出国の手続きをしなければならない。しかしそれさえクルーが行ってくれた。僕は手続きに必要な書類を渡すのみ。全員の出国手続きが終わるまで、真っ青な海に飛び込んで、ビールを飲んで、ごろりと日向ぼっこをしていればいいだけだった。

旅の準備段階から今まで何もかもすべて自分で行ってきた体は、他人に任せていればすべてが済んでしまうことにむずがゆさを感じてしまう。後ろめたさの影が心に落ちる。だけど今の僕はそれを優雅という言葉にすり替え、デッキに寝転がり、残りのビールを味わった。

出発の朝。

船内。突き当たり下段が僕のベッド。

 優雅な朝食。

そして船は動き出す。

 チェコ人のバイク乗りオンドリューと。

愛車はしばらくお休み。

全員の出国手続きが完了すると、船はゆっくりと碇を上げた。低いエンジン音が心地よく響き渡り、カルティ港が視界からゆっくりと遠ざかる。セイルボートではあるが、風がなく、帆を広げずにエンジンの動力で船は次の島へ向かった。快晴とまではいかないまでも天候はまずまずだ。滑らかに撫でる潮風は久しぶり感覚で、やはり船旅は旅情をくすぐる何かがある。

約2時間の航海の後、船は再び碇を下ろした。僕らの目の前には透き通る海に浮かんだ小さな島があった。椰子の木が天に向かって生えている。それだけだ。それ以外になにも見つけられない。一見して無人島であることがわかる。
「カリブの海に浮かぶ小さな無人島」
あなたがそう聞いて思い浮かべるイメージが正解だ。それをそのまま現にした、まるで絵に描いたような島だった。

ココ・バンデロ。

一帯の無人島群はそう呼ばれているらしい。昔はそうではなかったが、クナの人々が生活の糧に椰子の木を植え、そのために楽園のような景観になった。

そして僕らはここで2晩を過ごす。やることは、何もない。島をぐるりと歩いても2分とかからない。海で泳き、ビールを飲んで、日向ぼっこを楽しみ、多国籍な乗客とふれあい、陽が西の空に紅く浮かんだらバーベキューをして、たらふく酒を飲んだ。

暑さに火照った体を冷やすには海が一番。

無人島でBBQ。

遠くに難破船。





焚き火の炎が落ち着いてきた頃。せっかくシャワーを浴びたというのに、酔っ払いたちは次々と海に飛びこんでいった。僕もご多分に漏れず、淡い月明かりに照らされた海に誘われた。浮かぶ星を見上げながら、溶けるように浮遊するのは最高の気分だった。

つづく。

2012年10月13日土曜日

ダリエン・ギャップは優雅に越えろ! vol.6

朝の起き抜けにビールとはなんと贅沢なのだろう。まだ皆が寝息を立てている早朝、ひとり部屋を出て海を眺めながらのんびりとビールを飲んだ。移動中とはいえバイクを運転するわけではないので今は特別だ。


9時に船が島へ到着して僕らを乗せると、カルティ港でひとりの男を迎え入れた。そこには1台の自転車があった。太いフレームのマウンテンバイクはいかにもタフな長旅仕様で、これまでどのような道を走ってきたのだろう、その過酷な旅路を想像させた。持ち主はドイツ人のヘンス。彼もまたこの船で南米へと渡る旅人だった。

この旅で自転車乗りとじっくり話しをするのは初めてだった。もちろん何人かの自転車乗りには出会っていたが、道中で挨拶程度に会話をする程度だった。ヘンスはいかにもドイツ人らしい好青年で、多くのバイク乗り、自転車乗りがそうであるように、アラスカからアルゼンチンを目指して走っていると言った。

ヘンス。

アラスカから走り出してここパナマまで、その道のりはさぞ大変だったことだろう。そしてこの先も間違いなく大変なはずだ。ご苦労なことだと思う反面、それが僕にはうらやましいとさえ思えてしまう。それはバイクを船に積み込む際、大型のバイクを見てもちっともうらやましいと思えなかった気持ちに通じている。大型のバイクはうらやましくないが、自転車はうらやましい。僕の中で旅とは、やはりそういう位置づけにあるのだと強く認識した。

やはりこの旅は南米で一旦終止符を打とう。それはメキシコに到着する頃には芽生えていた気持ちだった。カナダから走り始めてまだ3カ国目のことだ。
世界は広い。アメリカ大陸が終われば、次はヨーロッパ、アフリカと次なる大陸への夢が待ち構えている。しかしこのままバイクで旅を続けようとする情熱は、徐々に薄れつつあった。

理由は多々あるのだが、簡潔に述べるなら「楽」ということだ。メキシコ・シティーの日本人宿で感じていたあの気持ちは今でもはっきりと思い出せる。当時の僕はそれをこう記している。

***

そのときの僕はドミトリーのベッドに仰向けに寝転がり、両手を頭の後ろで組んでぼんやりと高い天井を見上げていた。部屋の中にはゆっくりとした時間が流れていたが、僕の心は激しい浮き沈みを繰り返していた。

(この旅は南米で終わらせようか)

そう思い始めていたのだ。

メキシコ・シティーに到着するころには悶々としていた。カナダのバンクーバーから走ってきた。世界はやはり広かったし、非力な125ccのバイクでの移動は想像通り、いやそれ以上に大変な日々だった。しかし、なにかが足りなかった。いくら非力とはいえ、バイクは文句ひとつ言わず自動的に僕を運んでくれる。さらには荷物までも載せてくれる。なにかが足りなかった、絶対的に。心身を酷使して得られる高揚感というものが。

南米まで行けば、ヨーロッパやアフリカは近い。日本から直接向かうよりも格段に楽だ。航空券も安く買えるし、バイクを渡すための航路もかなりひらけている。だから日本を出る前は(資金の問題はあるが)大陸を変えて旅をしようと思っていた。とくにアフリカは行ってみたい大陸だったという理由もある。だけど、このままバイクで旅を続ける情熱が、徐々に薄れ始めていた。

日本からバイクを持ち出して、それで世界の国々を陸伝いに旅をするなんて、それはもう僕の中では「大冒険」だった。それは「すごいこと」として位置づけられていた。本を読んだり、雑誌の体験記を読んだりするだけで胸が熱くなった。いつか僕にもできるだろうか。そう思っていた時期があった。

だけどいざ自分が飛び出してみると、いつの間にか「すごいこと」が「すごくないこと」にすりかわっていた。確かにバイクだから大変なこともある。厄介なことだってあるし、危険なこともある。だけどあの当時感じていた胸の高鳴りは今、すっかりその居場所をなくしていた。やろうと思えば誰だってやれること。つまりはそういうことだった。

やろうと思っても、本当に困難なこと。それを達成してこそはじめて満足を得られるものだ。達成感は、その工程における困難さに比例する。ならばそれはいったいどんなことだろう。安宿のベッドの上に寝転がり、激しい心の浮き沈みを感じながらそんなことを考えていた。

***

ヨーロッパやアフリカへの夢を諦めたわけではない。だが今一度考え直す必要がありそうだ。ヘンスの自転車を目の前にして、その思いが一段と強くなった。
このバイク旅に向け、他の一切を切り捨て一本にしぼってきた道だったが、それはまたいつの間にか目の前に無限となって広がっていた。

つづく。