2011年3月16日水曜日

東北地方太平洋沖地震

3月11日。
東北地方太平洋沖で発生した地震はマグニチュード9を記録した。

そのニュースは瞬く間に海を越え、遠く離れた僕の街にも届いた。それからというものパソコンの画面から目が離せなくなり、インターネットを通じて流れてくる一切の現実味をおびない被災地の画像を見ては愕然とするばかりだった。その被害の甚大さはとても信じがたいものだった。

こういうとき
誰かのために何かを口にすることも
誰かのために何も口にしないことも
僕はどちらも金だと思う。

なにひとつ有益な情報もなく、なにかを訴えるだけの現状も知らない僕は、何も言うべきではないのかもしれないし、それでも何かを言わなければならないのかもしれない。そんな葛藤の中でこの文章を書いている。心の整理がついていないから支離滅裂な文章になっているかもしれないけれど、どうぞご了承ください。


まさかこんなことになるなんて。

友人とそんな話はするものの、一歩外に出ればここロサンゼルスには今までと何一つ変わることのない日常が流れていて、僕はその温度差に戸惑いを覚えてしまう。海の向こうでは大変なことになっているんだ。でもこの国に住む人々の日常にはなにひとつ影響を及ぼしていない。いつものように朝が来て、いつものように車が走り、しばしばけたたましいサイレンの消防車が走るけれど、街行く人の顔に地震の影はない。ごく普通に考えてそれは当たり前のことなのかもしれないけど、日本人の僕にとって当たり前ではいられない。
たまたま僕はその場所にいなかった。だから本当の実際を知らない。インターネットを通じて得る情報なんて、いったい現実の何分の1だろう?こんな僕がいくら心配してもそれは想像の域を出ないし、被害にあわれた方の心境を考えたらとてもちっぽけだ。それこそ無意味なものかもしれない。でもその気持ちは確かに心の中にあるし、だから感じるこのギャップに歯がゆさを禁じえない。


今僕ができること。

いったい今の僕になにができるというのか?節電?救援物資?ボランティア?直接的な援助はなにひとつできない。遠く離れていることがこれほどまでに無力感を味あわせるなんて。ひとり悶々とする時間を過ごすだけだ。
幸い僕のいる場所はロサンゼルスでも日本人街と呼ばれている地区で、近くのスーパーマーケットの入り口には今回の地震に対する募金箱が設置された。この際偽善だとかなんだとか、そんなことはどうでもよかった。買い物を済ませた財布の中身(それは気持ち程度のものだったけれど)を1セントも残らず入れた。ほんの少しでも役に立てばいい。それが今の僕の精一杯だった。


不謹慎だと思いながらも自分の家族や友人が無事だと知りほっとしてしまう。

被災地では多くの方の尊い命が奪われた。いまだその数は把握されていないようで、日を追うごとに増える数字は見るのも怖く、なにものかの手で胸の奥をわしづかみされたような気持ちになる。残酷な地震なんかで誰ひとり亡くなって欲しくはない。みんな生きていてほしい。
でも、家族や友人の無事を知りほっとする自分がいる。多くの犠牲者が出ていることを知りながらも、片方ではほっとしてしまう自分がいるのだ。不謹慎だとは思う。でもこれは隠すことのできない気持ちだ。
いったいどうすればいいの?人間のエゴだとか哲学的な話は僕にはわからないけれど、誤解を恐れずに言えば、きっとみんな同じ気持ちなんじゃないかと思う。どうしようもない。みんなそんな複雑な気持ちを抱えながら今を生きているんだと思う。


チェルノブイリの記憶はまだ新しい。

今も各地で余震が続いているようだけど、一番気になるのが福島の原発だ。この先いったいどうなってしまうのか。地震と津波の直接的な被害だけでも甚大なのに、放射性汚染とかってなんだよって思う。最悪の事態だけはならないで欲しい。
チェルノブイリの記憶はまだ色あせてはいない。史上最悪といわれた原子力事故からなにを学ぶべきか。旧ソ連政府の対応の遅れが被害の拡大にもつながっている。これ以上の爆発を食い止めることはもちろんだけど、政府による正しい情報の公開と適切な対処を求めたい。核とか放射能とか難しいことはわからないけど、彼らにはそれだけの責任があるし、僕らにはそれをきちんと知る権利(そして義務)がある。
日本にさえいない僕がそんなことを言っても誰の耳にも届かないとは思うけれど、とにかくもう十分なんだ。これ以上悪い方向に物事が転ぶなんて考えたくもないし、ましてやそれが人為的だったなんてことはあってほしくない。


日本国民の気高さに目頭が熱くなった。

これだけの混乱のなかにありながら、強盗、略奪、犯罪、そんな当たり前に持っているはずの人間の影の部分が露呈せず(多少発生はしているのだろうけど)、人々が互いを気遣い助け合っているという話が届くたびに目頭が熱くなり、同時に日本国民の高潔さに誇りを感じた。日本人は我慢強い人種だと言われてきたけれど、過去の事例を引き合いに出すまでもなくそれはまったくその通りなのだ。そして道徳的だ。困ったときはお互いさま。日本人は昔からそう口にしてきた。
そしてそれは国内のみにとどまらない。援助大国だった日本は、今逆に多大な国際援助を受けることになった。世界中の国境や民族、宗教を超えて差し伸べられる暖かい手。
これらの出来事はこの悲しい事態の中で小さくても確かな希望の光となっているはずだ。僕は、今まで以上に自分は日本人だと胸を張ることができる。それは今日本にいる人全員が教えてくれたことだ。


最後に。
犠牲者の方々に哀悼の意を。
行方不明の方がひとりでも多く救出されることを。
全力で援助、復旧に当たる方々には敬意を。
そして一日でも早く多くの方に笑顔が戻ることを心から願っています。

2011年3月15日 ロサンゼルスにて

6 件のコメント:

  1. お久しぶりです。
    まさか、こんな事態を誰も予想していなかったです。
    私も、つい先日まで、仕事一色で、皮肉にも
    こういう状況により、本日、自宅から日中にもかかわらず
    コメントさせていただきました。
    ナカ~タさんのいる地も
    私のいる地(東京の西のはずれ)も
    被災地との距離感はもしかしたら同じかもしれません。
    とにかく、被災地の方々に対して
    私たちの出来ることってのは、限られており、
    ナカ~タさんの仰るとおり
    お金が有効だと思います。

    とにもかくにも
    私たちは、日本人として、「生きる」ってことが
    大事ですよね。
    それが、たとえ、遠く離れたところにいたとしても
    共に、生きるってことが。

    誰かがいてくれれば、助け合うことが出来ますから。
    そういう気持ちになりました。

    長々と支離滅裂なコメント失礼します。
    タイ象

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  2. こんな事態を誰が予想できましょうか?
    夢なら今すぐ覚めて欲しいと何度も思いました。
    まだまだ寒いであろう被災地の方々のことを思うだけで
    胸が締め付けられるようです。

    ここロサンゼルスの日本人街ではいくつかの募金箱が設置されました。
    アメリカにいながらもみんな日本のために何かしたいと思っているのです。
    せめてこの気持ちが海を越えて日本に届くことを願っています。

    そしてタイ象さんの仰るとおり、とにかく生きることが大切だと思います。
    人は一人では生きていけません。
    共に生き助け合うことができれば未来はきっと明るいと思います。

    コメントありがとうございます。

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  3. 仙台のくどーです。

    とりあえずは無事でした。

    これからどうなるのか分からないけど頑張って生きていきます。

    いつか再会出来る事を夢見て・・・

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  4. ご無事でなによりです。

    そちらは大変な状況だと思います。
    今の僕には応援することしかできませんが、
    1日でもはやい復興を願っています。

    いつか、またおいしい酒を飲みましょう!

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  5. 被災者の方たちへ直接的にできることないかもしれませんが、
    まずは僕達ひとりひとりが健康に暮らす事が第一だと思います!
    バイトがんばりましょう!

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  6. そうですね。
    まず僕等がしっかりと生きていないと。
    そうでなければ被災者の方々を支えることができません。
    バイトがんばるぞー!

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