2009年11月30日月曜日

12万円で日本を歩く

家を出て、また家に帰ってくるまでの総費用を12万円と決めた。決して多い額ではない。むしろ節約を常とする旅になる額だ。なぜ?と言われれば、湯水のように金を使う旅は好きではないから。

旅の資金は多いにこしたことはないのかも知れない。でもあえて12万円にした。そこには僕の意思があるのだ。

ということは、まぁ単純計算で使える額は一日千円ほどということで、たったの千円?と思うかもしれないが、当たり前だけど移動はすべて自分の足なわけだし寝泊まりも基本野宿。もっぱらの出費と言えば食費と風呂代くらいなものだ。僕の経験上、贅沢さえしなければ十分いける額だと思う。

賀曽利隆氏は10万円で日本一周した。
下川裕治氏は12万円で世界各国を歩いた。
植村直己氏に至っては、手持ち4万円から世界の山々を制覇していった。
そんな先人たちの偉業が僕の背中をそっと押してくれる。

即物的な快適を求めない。不自由さを楽しむ。日常では起こり得ないことを期待するのが旅だ。だからなるだけ日常から遠くかけ離れたことをすることだ。それならばあまり金を使わない方がいい。金を使う旅は旅ではない。それは旅行というものだ。

って…え?御託ばかりを並べるなって?

うん。知ってる。
所詮は貧乏人の負け惜しみなんだっていうことくらい。

2009年11月27日金曜日

リーチング佐多岬

一緒に歩きませんか?

僕の計画では、1月1日に北海道の宗谷岬を出発して、3月末までには鹿児島の佐多岬まで歩くつもりだ。はっきりと計算したわけではないけれど、距離にして大体3000キロくらいだと思う。3ヶ月で3000キロ。毎日30~40キロは歩かないと届かない計算だ。真冬の北海道が出発になるから満足に歩くことが出来ない日もあると思う。きっと距離との戦いになるだろうなぁ、なんてのんびり考えているのだけど…

リーチングホームとは。

冒険家の河野兵市さんが5年計画で打ち上げた壮大なもので、それは北極点から徒歩とシーカヤックで地元の佐田岬まで帰るというものだった。鮭が故郷の川に帰ってくるように、地球のてっぺんから家まで帰りたかった、という文章をどこかで読んだ記憶がある。そしてその工程に参加したい人は、参加したいときに参加したい分だけ共に行動しようというものだった。(僕の記憶が正しければ)そんな壮大な計画の名前を拝借するなんてちょっと気が引けるのだけど、夢はでっかくなのだから僕もそれにならってみたいと思う。

リーチング佐多岬。

以前、初春の北海道を倶知安から札幌まで2日かけて歩いたことがある。100キロほどの工程だった。2日目には友人の女性と30キロを一緒に歩いた。赤井川にあるキロロスノーリゾートから、石狩湾の朝里まで毛無峠を超えるという工程だったのだけど、ひとりで歩くのとはまた違って楽しかった。その日の僕は前日の重い荷物にやられた足がまめだらけ、というなんとも憂鬱な朝を迎えていた。でも一緒に歩くのは楽しかった。疲れてくるとほとんど会話も無くなるけれど、時折交わす言葉に何度も救われたし、景色のいい場所があれば一緒に道端に座って休憩した。彼女が用意してくれた手作りの弁当はことのほかうまかった。その時、彼女が歩いて日本縦断をしてみたいと言った。いつかやれたらいいな。そう言った彼女の清々しい横顔を今でも覚えている。
もしかしたらその言葉があったから、今回の計画が持ち上がったのかもしれない。いや、きっとそうだ。その言葉がずっと心の奥に刺さっていたのは間違いない。なにはともあれ一緒に歩いた30キロは今でもいい思い出だし、彼女がいなかったら2日で札幌まで歩けなかったと思う。


だからという訳でもないのだけど、この旅を通して誰かとほんの少しの時間でも共有できたら素晴らしいな、と思うのです。地球のてっぺんから、とはいかないけれど、日本のてっぺんから佐多岬まで、どこかで一緒に歩けたら幸せなのです。

とは言っても、それを実行するのは容易ではないことは容易に想像できます。そもそも僕がいつどこを歩くのかもはっきり決まってないのだし…。基本的に日本海側を歩くつもりですが、ルートやスケジュールなんてやってみないとわからないことだらけです。

でも。
やりたいと願えばきっと可能なはずです。ちょいちょいブログ更新をしていくので僕の大体の居場所はわかると思います。コメントを残してくれれば返信します。

そしてもし一緒に歩いてもいいよって人がいたら、きっと僕は泣いて喜ぶと思います。

2009年11月22日日曜日

海沿いの道を歩こう

海沿いの道を歩こう。
真青な海が目にまぶしいから。

海沿いの道を歩こう。
吹き抜ける風が気持ちいいから。

海沿いの道を歩こう。
水平線に小さな島が見えるから。

海沿いの道を歩こう。
きまぐれカモメと一緒に遊べるから。

海沿いの道を歩こう。
潮の香りが鼻をくすぐるから。

海沿いの道を歩こう。
波の音が心に染み渡るから。

海沿いの道を歩こう。
綺麗な夕日に出会えるから。

海沿いの道を歩こう。
君の住む町まで、あと少し。

#tribute 2 shikihan*

2009年11月19日木曜日

ねぇ、授業なんてサボっちゃいなよ

優等生なんかじゃなかった。

特に不良というわけでもなかったけど、生徒の評価を優劣で線引きするのが教育なら、僕は間違いなく後者だった。カバンには教科書なんて入っていなかったし、教室にいてもそのほとんどの時間を寝て過ごした。遅刻魔で、何食わぬ顔で昼から登校する日もあった。とにかく、勉強なんてしなかった。
今にして思えばよく卒業できたものだと感心してしまうのだけど、窓際の席になったときだけは授業中もあまり寝なかった記憶がある。

外ばかり見ていた。

灰色の教室から眺める外の世界は、色彩に溢れていた。窓から眺めるそれはいつも変わらない風景なのに、この上なく自由な世界に感じられた。
わくわくした。
今すぐにでも席を立ち上がり、授業なんか放り出して、上着を脱ぎ捨てて、教室を飛び出したかった。

もちろん、そんな勇気はなかった。
その一歩を踏み出すことは、ついぞなかった。

でも、今なら行ける。

ねぇ、授業なんてサボっちゃいなよ。
窓際の僕が、そう問いかけてくる。


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2009年11月14日土曜日

挑戦なんて言えない

今回の旅はちょっとした挑戦だ。

真冬に歩くのだからそれもそうだ。馬鹿げていると言われるかもしれない。無謀と言われればその通りである。でも、あえて冬だった。なにかタフなことをしてみたかった。「挑戦」という言葉を使うのはちょっと恥ずかしいのだけど、あえて言うならそういうことだ。

2年間のバイク旅も、出発前はそんな気持ちがあった。125ccのトライアルというバイクを選んだのもそんな気持ちの表れだった。バイクで日本を一周するということは、結構大変なことだと思っていた。でも僕の期待を裏切って(それは良い意味での裏切りでもあったし、良くない意味での裏切りでもあった)、それほどタフな旅にはならなかった。
もちろん雨の日の走行にはうんざりしたし、野宿の夜、寒くて寝られない日もあった。寝床が決まらずさ迷ったこともある。だけどそのどれも大して苦にはならなかった。苦痛よりも楽しさの方が勝っていた。何倍も大きかった。毎日がきらきらと輝いて、明日を楽しみにしながら寝袋に包まる、そんな日々だった。
なぜだろう。
それは慣れなのかもしれないし、旅のスキルのようなものがあるならば、それが上がったからとも思える。そもそもバイクでの旅はタフな部類に入らないだけかもしれない。どちらにせよ、僕が思うタフさとはちょっと違っていた。楽しかった旅も、唯一その部分だけが心残りだった。
だから冬に歩こうと決めた。少しくらいはタフな旅になるかもしれない、そう思ったからだ。

とはいいつつも、冬の登山とは違い平地を歩くわけだから雪崩の心配もない。きっと雪洞を掘らなければならないなんてこともない。それどころか駅やバス停なんかがそこかしこにあるわけで、意志の弱い僕のことだからきっとそんなところに転がり込むのは目に見えている。距離にしたって高々(と言っていいのかわからないけど)3000キロだ。しかもなんといっても国内なのだから、もはやどうにでもなるよ、と思ってしまう。

最初にこの旅を計画したときは、冒頭に書いたような気持ちだった。挑戦なんて仰々しい言葉をあえて言うほどだった。でも日を追えば追うほど悲しいことに、実は大した事じゃないじゃない、と思えてきてしまう。
こんなんじゃとても挑戦なんて言えない。

願わくば死なない程度に死ぬ思いが出来ればいいなと考えていたのだけど、今ではまぁ鼻水くらいは凍っちゃうかな?と気楽に考えているわけです。


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2009年11月12日木曜日

そういえば というわけで とりあえず

そういえば…

ブログを始めてあれこれと書き綴ってみたけれど、これといって旅の計画みたいなのを書いてないなぁと今更ながら思いました。
よーしやるぞー!なんて一人で舞いあがっちゃって突っ走ってる感丸出しですね。
いきなり主語のない会話で始まってしまったようで…

というわけで。

私ナカ~タは新年から旅に出ます。やっと旅人復活なのです。ダメ人間ばんざい。

今回は3ヶ月で日本縦断予定。
行きと帰りをあわせると、約4ヶ月で日本一周て感じです。

縦断は
1月1日に宗谷岬発
3月末までに佐多岬着
の予定です。
もちろん歩き。冬の日本満喫!

ルートは基本日本海側。
出発していきなり厳冬のオロロンラインっていう自虐さ加減が我ながらたまりません。:p
そんで3月の九州なんて暖かすぎてちゃんちゃらおかしいぜこのやろーて感じになればいいな。

その他はあんまり決まってません。
行きと帰りはなんらかの交通手段で。
ヒッチハイクは今まで僕の中ではタブー的位置づけだったけど、己を囲う殻を破るからこそ面白いのでそれもありかな。
ゴールしてから屋久島行くかもしれないし、夏を求めて沖縄まで行っちゃうかもしれないし。
あぁ川の流れのように。

とりあえずは、佐多岬を目指して。


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2009年11月7日土曜日

さよならスノー

スキー場のシーズンパスを予約しなかった。

それは夏の間(8月1から31日まで)にインターネットから簡単な必要事項を記入してボタンを押すだけで、全額の30%も割引をしてくれるというこのご時世になんともうれしいサービスである。もともとが15万円もするパスだから、3割引きというのはかなり大きい。申し込んだからといって必ず買ってもらわなければ困りますなんてことも言われない。融通ききまくりのサービスだ。

買いたければ買えばいいし、買いたくなければ放置しててもお咎めなし。そんなオープンなスタンスが、予定は未定な人生を送っている僕なんかには大変好都合だった。だから毎年夏にそれを申し込むのが僕の中で決まりみたいなものになっていた。もちろんそのスキー場には毎年こもりに行っていたわけだけど、こもり先によってはパスが支給されたりするので、まだ状況がはっきりつかめない夏の間はとりあえずどう転んでもいいように予約だけは入れていた。



雪が溶け、山から下りてきて、数ヶ月でその季節はやってくる。その頃には雪山のことはすっかり頭から消えているのだけど、どういうわけか8月の下旬になると「あ、そういえばパスの早割り予約してないな」と思い出し、滑り込みセーフで申し込むというのが常だった。

ところが。

今年はすっかり忘れていた。思い出したのは9月に入ってからだった。たまたま雪山仲間と電話をしたのがきっかけで、思い出した。
呆然とした。
こともあろうに忘れていたなんて…。



日本縦断への青天のへきれきは7月だった。夏の走り。だから別にそんな予約は必要ないだろうと言われればごもっともなのだ。否定はできない。でも、どこかで逃げ道がほしかった。だって予約だけして買わなければいいんだもの。よしんば歩かずに今年も雪山にこもる方向で話が進んだとしても、ひと安心。きっとそんな下心があったように思う。

僕はスノーボードが大好きだから、冬の間雪が降ってもお預けというのは大変きつい。おもちゃ売り場の前で駄々をこねる子供のように身もだえしてしまう。だからこもりを棄て、歩くという選択をすることには大人な決断が必要だった。何度も何度も甘い誘惑に負けそうになった。
でも、予約は忘れていた。
気付いたら、夏が終わっていた。

忘れていたのは仕方ない。これはきっと人生のタイミングのようなものだ。大人な僕は表面上の折り合いをつけようとする。
もとから歩くつもりだったんだし、いいじゃないか。
そう自分にいい聞かせるが、結局その夜も駄々をこねながら枕を濡らすのだった…

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2009年11月4日水曜日

始まりの話

それはまだ夏の走りの日だった。

片側2車線。頭上には首都高速が太陽の光を遮るように横たわっていて、対向車は途切れる気配を見せなかった。交差点のど真ん中で右のウィンカーを出しながら停止線上に止まっている車の中に、僕はいた。

「そうか、歩いて日本縦断しよう」

青天のへきれき。それはひらめきに近い感覚だった。瞬間頭の中はそのことでいっぱいになった。ふつふつと気持ちが高揚していった。
うん、やろう。やってみよう。
右折専用の矢印が出て、車がゆっくり動きだす時には、もう決まっていた。
たった数秒。
あっけないような気もするが、きっと物事が決まるときは、案外そんなものなのかもしれない。

こうして僕の「徒歩による日本縦断計画」が始まった。

それからというもの、ことあるごとにそのことを考えていた。あれこれ考えるのが楽しくて仕方がなかったのだ。晴れた日に、海沿いの果てしない道を歩く自分を想像しては、ひとりにやけた。だけど同時に、不安や悩みのようなものも頭をもたげた。でもそれは一歩ずつ確実に目標に向かって進んでいる証拠のように思えた。

以前の僕は、四国のお遍路をやってみたいという思いがあった。とにかく、歩いての旅がしたかったのだ。そして単純に思いついたのがお遍路というわけだ。でもそれは頭の片隅に浮かんでは消える絵空事でしかなかった。実際にそれに向かって何かを進めたわけではないので、思いをはせては幸せのため息をつくだけだった。目標を達成するための困難とか、苦痛とか、そんなのものは一切伴わなかった。

今回は違う。
具体的な計画(まぁ僕の性格上どれほど具体的かは推して知るべしなんだけど)を立て、必要な道具を購入し、ブログを立ち上げ(笑)、やるなら冬だと決めた。

そしてある出来事が起こった。今にして思えば、それを乗り越えるのが一番の苦痛だったかもしれない。だけどそれにより僕の心はより一層固いものになったのは間違いない。

人生において物事のタイミングというものがあるとすれば、きっとこういうことを言うのかもしれない、と思った。それが例え自分のうっかりミスから派生した問題であったとしても、そんなことは棚に置いておいて。

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