2010年1月31日日曜日

歩30日目 岩手県盛岡市

天候 雪後晴れ
気温 7時 -2.2度
   15時 1.4度

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お知らせです。

取材を受けました。
読売新聞の岩手地方版です。たぶん2月1日に載るようです。まだ確実ではありませんが、もしこのブログを読んでいる岩手の方がいたら、ぜひチェックしてみて下さい。

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もし僕の感受性がとても豊かで、日々の生活の中で磨耗することがなかったのなら、きっとこうして旅を続けることはないだろう。

でも悲しいかな感受性は磨耗するらしい。日々の生活の中で、確実に。

だから僕は旅をする。

4時00分。起床。今日の朝は結構寒い。食パンの残りが少なくなったので、サンドイッチではなく朝からラーメン。時間がかかるが体が温まって良い。

6時40分。出発。雪がちらついているのでフードを被って歩きだす。安比高原スキー場が見える。大きなスキー場だ。夜にいい雪が降ったから、コンディションは最高だろう。週末とあって車の上にスキーやスノーボードを載せた車が何台も峠を登ってくる。僕はそれを横目に快調に下る。

10時00分。平地に出る。山を下りきった。ついに抜けたか。ほっとした瞬間だった。

振り替えると、2日かけて越えてきた山々が見えた。雪を被り、きれいだった。裾野にはどこまでも雪原が広がって見えた。いい景色だな。そう思った。

同じような景色を、僕は地元でも知っている。
でも。
その景色を見ても、きっと今と同じ感動はない。なぜだ。歩いてないからか。違う。
それは見慣れてしまったからか。
見飽きてしまったからか。
どちらにしても日々の生活の中で、その景色に対する感動が薄れてしまったのだ。
毎日が同じ日々の繰り返しなどないのだとしたら、感受性が豊かで磨耗しなければ、その景色だって毎日違って見えるはずだ。でも僕にはそれが無理なようだ。

だから僕は旅に出る。

感受性をいつも豊かに保たなければ。そのことを改めて確認するために。

12時00分。4泊5日のトレーニングを終了させた。十和田市を出てから食糧の補給をしない(たくさんの差し入れを貰ったが)という縛りを解いたのだ。これで買い物も解禁。スーパーマーケットに入り、真っ先に勝ったのはバナナとヨーグルトだった。

13時30分。西根の道の駅に到着。買ったバナナとヨーグルトを食べる。美味い。ずっと手持ちの食糧だけで5日間やりくりしてきた。配分を考え、腹が減っても我慢する時もあった。それだけに、食べたい物を食べられる喜びを痛感した。

道の駅には野菜が売っていた。長ネギが100円だった。僕はネギが大好きなので散々迷ったが、結局買ってしまった。さすがにバックパックには入らないので、脇に刺してみた。ネギの刺さったバックパック。しばらくは恥ずかしくてカバーを外せない。

17時30分。気付けば国道4号に入っていた。国道脇のスーパーマーケットで買い物。お土産売り場のお母さんが、僕の荷物を見て話しかけてくれた。話し好きなお母さんだった。岩手名菓だからとひとつお菓子をくれた。
「カロリーとって頑張って」
その言葉だけで十分だった。

お母さんに温泉の場所を教えてもらい、お礼を言って別れた。1時間歩くとその温泉があり、久しぶりの入浴。かなり足がやられて痛い。風呂上がりにはテレビを久しぶりに。結局23時まで居てしまった。

その後は近くの運動公園でテント。あらかじめ地図であたりを付けておいた。町中、特に都会になればなるほど、そういった事前準備が大切になる。何もない田舎ほど泊まりやすい。
普通に旅行していたら、それはきっと逆なのだろうけど。

今日の歩行距離約38km。

写真1
昨日の夜に撮った。安比のナイター照明がきれいだ。

写真2
鴨ネギならぬパッカーネギか。

写真3
今日も月が明るい。満月か?

2010年1月30日土曜日

歩29日目 岩手県八幡平市

天候 晴れ
気温 7時 -3.4度
   15時 1.0度

「私はね、ここで生まれて、ここで大きくなったから」

そう言って彼女は笑ったけど、眼鏡の奥の瞳は笑っていたのかそうでないのか、僕には判然としなかった。
僕がその言葉の本当の重さを理解するには、まだまだ長い年月が必要だった。

4時00分。起床。昨日は寝るのが23時になっていたから、少し寝足りない感じがする。

6時20分。出発。昨日ずぶ濡れになったブーツは未だずぶ濡れ。乾くはずもない。冷たいブーツに足を通すと、身が縮まる思いだった。
3日分の食糧が無くなったから荷物はだいぶ軽くなった。今日は秋田県から岩手県に抜ける山道を歩くので、荷物が軽くなったのは好材料だ。

8時00分。登りが始まった。これか秋田県から岩手県へ、つまりは日本海側から太平洋側へ日本の脊梁山脈を越えるということだ。

9時00分。湯瀬温泉郷到着。駅で休憩。ストーブの前でグローブを乾かす。濡れたグローブは風に当たって体温を奪ってしまう。一晩干しても乾かなかったグローブは、ストーブの前であっという間に乾いてしまった。

10時10分。県境を越え、秋田県鹿角市から岩手県八幡平市に入る。道は山あいを縫うように流れる米代川と並走していて、何度となく高速道路と交差した。

13時30分。ついに貝梨峠のピークに到着。標高430m。ここが中央分水嶺だ。
山から流れる川は必ず海に出るが、ここを境にしてそれを日本海と太平洋に分けている。すでに県境は越えているが、やはりこの分水嶺を越えて初めて、太平洋側に出たと実感できる。

緩やかな下り坂を歩く。山あいの小さな村をいくつか通り過ぎた。少ない平地を耕し畑を作っている。冬は雪に閉ざされ静かだが、ここにも確かに人々の生活がある。

野菜の直売所に入ってみた。おばちゃんがひとりでコタツに入って店番をしていた。商品の中に干された大根があった。以前どこかの民家の軒先でみかけたやつだ。気になって聞いてみると、これは寒干し大根と言うそう。ただ大根を切って干すだけかと思ったが、実はそうではなかった。
皮を剥き、切った大根を一旦茹でてから、さらに川の中に3日間さらし、それから干す。きちんと凍らせなければいけないそうで、寒い冬しか作れないのだそう。かなり手間をかけたものだ。これも雪深い山に暮らす生活の知恵なのだろう。
漬物にしてもそうだ。北国の山に暮らす人々は実にたくさんの漬物を作る。冬の間食べ物が採れないので、長期保存できる漬物が発達したのだ。そして、そのどれもがおいしい。長期保存できるよう、またご飯に合うようかなり塩気があるのが特徴だ。暖かい地方の漬物とはまた違う。
僕も北国育ちだが、海沿いの町だったのでそこまで漬物文化は発達していない。冬には冬の魚が採れるからだ。それでも魚の塩漬けや味噌漬けなどは作る。住む土地によって食の文化は様々だ。

そんな話をおばちゃんとした。おばちゃんは寒い土地だけど、やっぱりここが好きだと言った。
「ずっとここで生活してきたもの。私はね、ここで生まれて、ここで大きくなったから」
僕は、そうですねと答えるだけだった。

今日も頑張って歩かねばならない。朝見た標識には盛岡まで90kmとあった。明日には盛岡に入りたい。

17時00分。遠くに安比高原スキー場が見えた。ナイター照明がきれい。
なんとかスキー場の近くまでは行きたい。暗い道を進む。今日も歩きながら朝日を拝み、夕日が眺めた。

19時00分。スキー場までは行けなかったが、少し手前の雪原にテントを張った。
今日はかなり月が明るい。まるで夜明けの時のようだ。テントの中からは、白とオレンジに光るスキー場が見えた。

今日の歩行距離約47km。

写真1
ここが分水嶺。ここから太平洋側へ。

写真2
寒干し大根。手間隙かけた一品。切って戻して味噌汁などに。

写真3
雪だるま親子。ナナカマドがかわいい。

2010年1月29日金曜日

歩28日目 秋田県鹿角市

天候 雨→みぞれ→雪後晴れ後曇り

気温 6時 3.8度
   14時 0.0度

旅は、人の心を浄化する。

誰かがそんなことを言ったかもしれない。それは僕かもしれない。

4時20分。起床。3日間乾かし続けているタオルは、未だ濡れたままだった。この気温ではいくら干しても無意味に感じる。

雨だ。夜中の激しい風は、きっと雨雲を運んできたのだろう。軒下にテントを張ったから雨の音はしなかったが、外に出てみると雨らしい雨だった。十和田湖を囲む山々も雨に打たれ白く煙っていた。

7時00分。気温は高い。グローブ無しでもテントの撤収ができる。軒下効果でテントは濡れていない。カッパを着こんで出発。

8時30分。これから発荷峠というところで休憩。朝の5時に朝食を食べてしまい、すでに空腹感を感じ始めたのでサンドイッチを食べる。エネルギーを補給しないと坂道は登れない。
峠を登るにつれ、雨は次第にみぞれに変わり、ついには雪に変わった。山の木々は白で覆われていた。

峠では工事が行われていて、息を切らしながら登っている僕に皆がどこまで行くんだ?頑張れよ!の声をかけてくれた。

10時00分。発荷峠のピークに到着。1時間半の登りだった。ここからやっと下り。スピードを上げる。

しばらく歩くと一台のパトカーが停まった。運転席からおまわりさんが下りてきて、
「どこまで行くんだ?」
と聞いてきた。
「鹿角の町まで」
と僕。するとおまわりさんは、
「遠いぞ」
て言って後部座席のドアを開けた。
「乗れ」
ひょっとしたら職務質問かな?そう思った。面倒は起こしたくないが、それ自体が面倒だ。おまわりさんは尚も乗れと言い、僕の右腕を掴んできた。僕は、反射的にそれを振りほどいた。
「歩いて旅をしているんです。北海道からずっと」
そう説明した。
「いいのか?本当に遠いぞ」
「大丈夫です」
「そうか。わかった。遠いけど頑張ってな」
おまわりさんは笑顔でそう言った。全ては親切からの行動だった。僕の腕を掴んだその手も、実は優しさからのものだった。
僕は、それを振りほどいてしまった。自分の行動に反省した。
おまわりさんはパトカーに乗り込むと、クラクションを一度だけ短く鳴らし、スピーカーを通して
「頑張ってな」
とやった。かなり大きな音だったので僕は驚いてしまった。そして他に誰か居るわけでもないのに恥ずかしくなった。でも嬉しかった。走り去るパトカーに手を振ることができた。

11時00分。峠を下り、神社で休憩。雪は、また雨に変わっていた。

12時15分。一台の車が僕の背後からやってきてすぐ脇に停まった。あまりに至近距離だったので肝を冷やした。運転手が手に缶コーヒーを持っている。
「鹿角まで頑張れよ」
その男性はそう言うとあっという間に発進してしまった。僕は間に合うようにとありがとうございますと叫んだ。手には温かい缶コーヒーが残っていた。
作業服を着たその男性は、峠で工事をしていたひとりだったのだろう。かじかんだ指先を缶コーヒーで暖め、一気に飲み干した。嬉しくて涙が出そうだった。

14時00分。大湯の温泉地に到着。小さな川に架かった橋の歩道に入ろうとした時だ。短いクラクションが2度、鳴った。見ると峠のおまわりさんだった。僕は反射的に手を振った。笑顔でそれに応えてくれた。スピーカーは、なかった。
まぁな、さすがに町中だしな、なんてひとり思っては可笑しくなった。橋を渡り切ったところでパトカーがまた現れた。おまわりさんはチョコレートをくれた。鹿角の道の駅までの近道も教えてくれた。
「頑張ってな」
峠と同じようにそう言って去っていった。

一体なんなんだ。

僕が何をしたというのだ。ただひとりで歩いているだけだというのに!ただ好きで歩いているだけだというのに!

喉の奥がつまった。嬉しさと感謝の気持ちがこみあげてきて、目頭が熱くなった。と同時に、さみしさも感じた。それは、この気持ちを直接返すことが出来ない事へのさみしさだった。一期一会。もう二度と会うことはないだろう。いくら僕が感謝の気持ちを言葉にしても、もう彼らの耳には届かない。そう思うとさみしかった。

きっとこの気持ちは他の誰かに返すものなのだ。もし誰かが困っていたら、助けてあげること。もし誰かが頑張っていたら、応援してあげること。きっとそういうことなんだろう。
旅を通して僕の心は、あふれ出る泉の様に澄んだものになっていった。

もはや僕ひとりの旅ではないような気がした。応援してくれた人たちのためにも、なにがなんでも鹿児島まで歩かなければならない。そう思った。

14時30分。大湯の観光案内所で30分の休憩。大湯には共同浴場が3つあり、どれも150円だった。魅力的だがそんな時間はない。
今日はなんとしても鹿角の道の駅まで進みたかった。まだ15kmはあるだろうか。到着は19時を過ぎるだろう。気合いを入れて外に出てると、ありがたいことに晴れていた。

おまわりさんに教えてもらったルートで歩く。それは国道ではなく県道で、歩きやすかった。何度か休憩しながらやっと道の駅に到着した時にはもう真っ暗だった。19時30分だった。

ブログを書き、21時になって、今日も軒下にテントを張る。明日も峠を越えて長い距離を歩かなければならない。今日の雨でブーツがずぶ濡れになってしまったのが痛い。なんとか2、3日で乾いてくれればいいのだが。

今日の歩行距離約43km。

写真1
雪の発荷越え。足元が滑って体力を奪う。

写真2
発荷のピークから。十和田湖はぼんやりと湖岸が見える。

写真3
雨上がる。つかの間の太陽。

2010年1月28日木曜日

歩27日目 青森県十和田市

天候 晴れ後曇り
気温 6時 1.0度
   15時 2.1度

4時00分。起床。休憩所の中で快適に目覚めた。外はかなり風があるが、休憩所内は当然無風。
昨日もらったおこわの朝食。寝袋の中で温めておいた。

6時30分。ありがとうございましたの置き手紙を書いて出発。すでに東の空は朝焼けが始まっている。昨日の天気予報では雨だったが、予報は予報ということらしい。嬉しい外れ。

少し早足で歩く。奥入瀬渓流まではまだかなり距離がある。どうせなら渓流沿いはのんびり歩きたい。
道は奥入瀬川と着かず離れず。川幅まだまだ広い。オオアカゲラが水面を滑るように飛んでいて、朝日で自分の影が長く伸びた。

対向車線を歩いていた。運悪く両方の車線から車が来て、対向車線側の大型ダンプは車が過ぎるまで停まってくれた。僕のすれすれを強引に走り去る大型もいるのだけど、わざわざ停まってくれたのは嬉しい。僕は運転手におじぎをした。ハンドルを握っていたおじさんは笑顔で応えてくれた。つい目の敵にする大型車だけど、人のいい運ちゃんもいるものだ。

しばらく歩くと先ほどのダンプが背後からやってきて話し掛けられた。
「どこまで行くんだ?」
「今日は十和田湖まで」
「十和田湖?どこから来たの?」
「北海道から」
「北海道!どこまで行くの?」
「鹿児島まで」
「鹿児島!そいつは大変だ」
おじさんは必ず僕の言葉を繰り返した。そして、これでも食って頑張れよ、とパンをくれた。ダッシュボードに置いてあったパンは温かかった。お礼を言うと、手を振って走り去っていった。

その後も何度かそのおじさんとすれ違った。どうやら工事現場の砂を、ピストンで搬出しているようだ。すれ違う度にお互い手を振った。

9時50分。十和田湖温泉到着。もうすぐ奥入瀬渓流。
今度は違うダンプから缶コーヒーをもらった。
「風邪引かないようにな」
そう言って手渡してくれた。お礼を言うと、また笑顔で走り去っていった。

11時00分。奥入瀬渓流到着。道の両脇に山が迫り、林の中を歩くようになった。すぐ隣に川幅を狭めた奥入瀬川があって、2本の線は山あいを寄り添うように続いていた。
空は所々青空で、日も差してくる。運が良かった。雨の奥入瀬も乙なものだが、晴れた方がいいに決まっている。

冬の奥入瀬は、一年で最も静かな時を迎えていた。歩きを止めると、渓流のせせらぎと鳥のさえずりだけがあった。川面から出た岩はどれも雪の綿帽子をかぶっていて、滝は氷柱を作っていた。雪景色。泣ける風景だった。真冬のオロロンラインとはまた違う感動だった。鳥肌がたった。僕は、「冬の奥入瀬」と言った彼女に心から感謝した。

ゆっくりと歩いた。見飽きることはく、足早に過ぎるにはもったいなかった。
ひとりの女の子が僕の先を歩いていた。こんな冬にめずらしいな。自分のことは棚に上げて思った。カメラを構えていた彼女を、挨拶を交わす程度で追い越した。彼女もひとり旅を楽しんでいるようだった。

渓流沿いで昼食にした。冷たいサンドイッチだけど、こんな景色の中で食べるなら言うことはない。

14時20分。奥入瀬渓流を終え、十和田湖に出た。あと11kmで目的地の休屋(やすみやという地名)だ。なんとか暗くなる前に着きそうだ。それにしても湖畔は風がすごい。一旦トイレに避難する。
すると僕の後を歩いてきた女の子もやってきた。風をしのげる場所はここしかないのだ。
「バスで戻るんですか?」
僕は聞いてみた。すると彼女は首をかしげ、考えてしまった。なにか言葉を探しているようだった。そして手に持っていたバスの時刻表を指差した。
彼女は、日本人ではなかった。顔が似ていてわからなかったのだ。日本語はあまり話せないようなので、英語で会話をした。
「どこらか来たの?」
「香港よ。あなたは?」
「僕は日本人だよ」
「それは知ってるわ」
「そうか…」
ふたりで笑った。
彼女の乗るバスはまだ1時間待たなければいけなかったが、僕にはあまり時間がない。女の子ひとりトイレに残すのは忍びないが、出発する事にした。
「もう行かないと」
「どこまで行くの?」
「あと10kmは歩くよ」
「10km!」
彼女はその距離に驚いていた。良い旅を。お互いそう言って別れた。

十和田湖の湖畔を周遊する道を歩く。眺めが良く、車もない。快調に歩を進めるが、目的地の休屋までにはひとつ峠を越えなければならなかった。苦しい峠を下ると、休屋の町に入った。17時前だった。
乙女の像を見に行く。以前にも訪れたことがあるが、その時は夏で、観光客がたくさんいた。土産屋も忙しそうにしていたが、今はどの店も固くシャッターを下ろし、閑散としていた。
あわよくば十和田湖畔でテントなんて考えていたが、強烈な風がそれを許してはくれなかった。仕方なく閉鎖中の土産屋の軒下を借りた。明日は朝から雨予報。軒下なら撤収も楽である。
明日は発荷峠を越え、秋田県の鹿角までの予定だ。

今日の歩行距離約38km。

写真1
朝日に照らされて。

写真2
奥入瀬的風景。雪の綿帽子。

写真3
乙女の像は十和田湖のシンボル。誰もいなかった。

2010年1月27日水曜日

歩26日目 青森県十和田市

天候 雪時々晴れ
気温 5時 1.9度
   15時 -3.4度

以下は書き忘れた昨日のデータ

天候 雨後雪
気温 6時 2.6度
   17時 1.6度

「冬の奥入瀬とか素敵そうだね」

その言葉がずっと頭にこびりついて剥がれなかった。

あれは元日。この旅が始まった日だった。そこに居たのは、まだこれからこの旅がどうなるのか、想像の域を出ない僕だった。

その日、一緒に歩いた女性がいた。とてもポジティブな考え方をする女性だった。僕と同じく旅好きで、ひとりでどこへでも行く行動力も持ち合わせていた。

そんな彼女と一緒に歩けてとても楽しかった。色んな旅の話しをした。その時僕の旅の計画を聞いた彼女は、
「青森にはフェリーで渡るんだね。そしたら奥入瀬とか行っちゃうの?冬の奥入瀬とか素敵そうだね」
そう言った。

そんな馬鹿な!

その時の僕はそう思った。なんでわざわざ峠を越え、雪深い山に分け入らなくちゃならないの?その時の素直な気持ちだった。

でも、その日以降「冬の奥入瀬」という言葉が胸に刺さって抜けなかった。ちくちくと痛む古傷みたいだった。どうせなら見てみたい。そんな気持ちが芽生え始めたのはいつだろう。北海道を南下するにつれその気持ちは重く頭をもたげるようになり、ついには弾けてた。

よし、行こう。

そう決心すると心が軽くなった。僕は、あの言葉を聞いた時からずっと行きたかったのかもしれない。

5時10分。起床。アラームを消した朝はゆっくりだった。いつものように4時前に時計を確認したが、二度寝をしたらこの時間だった。ちょっと寝坊だ。
急いで準備をするが、こういう時に限ってミスをしてしまうものだ。コーヒーをこぼしたのだ。寝袋にかからなかっただけ良かったが、ずいぶん余計に時間を取られてしまう。
「なにをやってるんだか…」
独り言も口を突く。こんな時は深呼吸ひとつ。焦っても仕方ない。今日は日曜の朝だと思って、のんびり準備することにした。

8時00分。出発。日曜の朝気分ですっかりこんな時間になってしまった。
今日は気温が低い。雪がしんしんと降っている。カッパではなく、いつものようにスノーボード用のジャケットを着た。

9時20分。朝の通勤ラッシュか。大渋滞の七戸町を抜け、十和田市に入った。しばらく進み、国道沿いのマクドナルドでしばしまったり。12時に店を出て、近くのスーパーで食糧を買い込んだ。

これから僕は奥入瀬へ向かう。そこからさらに十和田湖を抜け、峠を越えて秋田県の鹿角に出る。その後はまた峠を越えて岩手県の盛岡まで抜ける予定だ。距離は軽く150km以上あるだろう。4泊5日の工程だ。この工程をまたトレーニングに見立てて歩こうと思ったのだ。だから食糧が大量に必要だ。

13時20分。国道4号から国道102号に折れた。この道はこのまま十和田湖まで続いている。
再度スーパーに寄り、最後の買い物を済ませた。栄養面を考え、野菜をいろいろ買った。見切り品が、小さなサイズで売られていたのが良かった。軽く、持ち運び出来そうなものは手当たり次第買った。4泊分、12食以上。食糧はものすごい量になった。食パンなどは3斤もある。バックパックに入り切らない物はカバンの脇に括り付けた。その重量はついに20kgを越え、ずしりとした重さが両肩に食い込んだ。

さて、行こうか。

両の太ももを手のひらで叩き、気合いを入れて出発した。

荷物が重くなるのと比例して足取りも重くなる。山とは違い登りでないのが救いか。
奥入瀬川には越冬のために飛来した白鳥がいて、さらにしばらく進むと道の駅奥入瀬に到着した。時間はすでに16時を回っていた。
できれはもう少し先まで歩きたかったが、今日は一段と風が強い。じきに暗くなる。今日はここまでとするのが賢明だと思った。

道の駅の建物内に入る。風が体に当たらないだけで暖かく感じる。風速1mにつき体感温度は1度下がるという。
建物内は売店と喫茶があって、しばらく青森土産を眺めて楽しんでいた。それでも立ちっぱなしは疲れるので、レジにいた店員さんに喫茶店の椅子で休んでもいいですか?と尋ねた。いいですよ、どうぞ、とありがたい返事。外に起きっぱなしの荷物を取りに行き、椅子に座った。

明日は奥入瀬渓流を歩く。国道と渓流は寄り添うようにあり、十和田湖まで続く。国道とは別に遊歩道もあるみたいだが、冬は歩けないだろうか。たくさんの滝もある。国道から見られる滝はあるだろうか。気になって店員さんに聞いてみた。遊歩道はやはり冬場は無理で、滝はいくつかなら見られるが、今は水量が少ないだろうと言うことだった。親切にパンフレットまで持ってきてくれて、丁寧に教えてくれた。
そして、
「歩いて行くんですか?」
という質問から、 僕の旅を少し話した。夜はどうするのか?と言うので、今日はこの辺で野宿しますと答えた。驚いていた。それもそのはず。今日は寒く、すでに外はマイナス3度を下回っている。北海道を出たと言ってもまだまだ東北は青森。寒さも厳しい。

パンフレットを椅子に座って眺めていると、ひとりの男性が僕の向かいに座った。支配人のようだった。どうやら先ほどの店員さんから僕の話を聞いたらしい。
「この寒さで野宿は大変でしょう。休憩所の鍵を開けておきますからどうぞ使ってください。電気もありますから」

トレーニングという僕のちっぽけなこだわりなんてどうでも良かった。僕はお礼い言い、頭を下げた。暖かい親切が、心に染みた。

先ほどの店員さんがパンを持ってきてくれた。ここで焼いたパンですからと、バゲットとロールパンを差し入れてくれた。頑張ってください。そう言われると元気が出た。

閉店時間になり休憩所に移動しようと荷物を背負い、お礼を言って出ようとすると、今度は男性の店員さん(店長さん?)がこれをどうぞとパックに入ったおこわをくれた。

涙が出そうだった。なんでこんなに親切にしてくれるのだろう。僕は、何一つ返すことができないのに。何度頭を下げても足りない気がした。

休憩所は、狭く寒いテントとは違いとても快適だった。もらったパンはとてもおいしかった。ロールパンはほんのり甘く、小麦の味が良かった。バゲットは皮はしっかり焼かれて固く、でも中は柔らかかった。マーガリンを溶かし、乾燥にんにくを香りが出るまで炒め、それにつけて食べた。最高だった。

旅の中で受ける親切は本当に心に染みる。忘れることのない思い出となる。辛かったことや苦しかったことは忘れてしまうのに、それは旅が終わっても消えることはない。そんな思い出を、僕はこれまでの旅を含めたくさん心の中に持っている。

素敵なことだ。きっとそのひとつひとつが、僕の人生を豊かにしてくれていることだろう。

今日の歩行距離約20km。

写真1
朝の大渋滞。僕の方が早かった。

写真2
奥入瀬川には白鳥。冬だ。

写真3
もらった親切。お腹と同時に心も満たされる。

2010年1月26日火曜日

歩25日目 青森県上北郡七戸町

雨だった。

朝と言うには早すぎる時間だったが、目が覚めた時にはフライシートがぽつぽつと音をたてていた。この音は雪じゃない。寝呆けた頭でも判断できた。朝に聞くには憂鬱な音だ。
長い道中雨を避けることはできないとわかっていても、いざ雨に降られると結構萎える。

3時20分。起床。北海道を出てからそろそろやらねばと思いつつも、まだ雨対策をしていなかったのでいろいろと準備をする。それにしても雨が降ると動きが鈍くなる。のらりくらりしているうちに明るくなってしまった。

7時00分。出発。テント撤収時にかろうじて小降りになったのには救われた。雨なのでいつものジャケットではなく、レインウェアを着た。さらに寝袋やダウンインナー、着替えや電子機器をポリ袋に入れてからバックパックに収めた。いくらザックカバーをしていても、長時間雨に打たれたらバックパックの中も濡れてしまうからだ。こうすれば安心できる。
篠突く雨の中、今日も南に向けて歩き出した。

雨は視界を狭くする。フードを被り、顔に雨が当たらないよううつむいて歩くものだから、見えるのは自分の両足だけだ。中途半端に暖かくて雨が降るよりまだマイナスで雪の方が断然いい。

9時30分。雨が上がった。雲が切れ、薄日が差した。このまま1日保ってくれればいいのだが。

一度は止んだ雨だったが、2時間と我慢出来なかったようだ。国道279号から国道4号に入る頃にはまたも自分の両足を見るはめになった。

国道4号線。この道は東京まで続いている。道路脇の標識には、東京まで694kmの文字。なかなかに遠い数字だ。

14時30分。雨は雪に変わった。気温は変わらずだが、上空の気温が下がったのだろう。雨よりはいい。

道を歩いていると、よく工事の現場に出くわす。小規模であれば問題ないが、大規模になると厄介だ。特に幹線道路だと交通量も多く、危ない。そういうときは決まって現場のガードマンが付き添ってくれる。わざわざ車を止めてくれたり、現場の中を通してくれたりする。なかなか楽しい。しかし仕事とはいえ現場の人は雪の中大変だ。ご苦労様である。

17時50分。七戸の道の駅に到着。今日はここにテントを張ろうと思う。そしてありがたいことにここから歩いて5分の場所に温泉がある。東八甲田温泉。本州第1湯目である。ゆっくり浸かって疲れを癒したい。

東八甲田温泉という魅力的な名前の温泉は、実際なかなかによかった。300円という値段もいい。
ひばの香りだろうか。かすかに香りる湯船に肩までどっぷりと浸かると、自然とため息が漏れた。たっぷり1時間入り、湯上がりに缶チューハイで2ndステージ突入と下北半島制覇をひとり祝った。

21時00分。道の駅に戻りテント設営。温泉ですっかり長居してしまった。外はかなりの雪が降っているが、建物脇の広い軒下は雪が入って来ない。この旅始まって以来、初めて雪の上ではないテント泊となった。

夕食はコロッケカレーと白菜とベーコンのサラダ。サラダは切った白菜とベーコンを袋に入れ、塩、胡椒、ごま油(あればごまも)を加え、袋の口を押さえて振れば完成。これまた乱暴な一品。
ごま油の代わりにオリーブ油を使い、最後にレモンを搾ればさっぱりと仕上がる。またベーコンではなくハムやソーセージなど塩気のあるものならなんでもいい。ミミガーを使うと、こりこりした食感がおいしいし、沖縄気分も一緒に味わえる。

いつになく豪華な食事なのは、温泉で体重を計ったらさらに500gほど痩せていたからだ。体つきも明らかに細くなってしまった。
これからまた少し山道を歩こうとしているので、今のうちに食べておかなければと思ったのだ。

ゆっくり夕食を楽しんでいたら23時を過ぎてしまった。目はすでに半分閉じかかっている。
4時に鳴る時計のアラームを消した。明日の朝は少しゆっくり寝よう。

今日の歩行距離約35km。

写真1
下北半島もあと少し。野辺地の町が見えた。

写真2
国道4号に入った。東京まで694km。かなりある。

写真3
ガードマンに連れられて。寒い中ご苦労様。

2010年1月25日月曜日

歩24日目 青森県上北郡横浜町

天候 曇り後晴れ
気温 5時 -0.2度
   15時 2.1度

天使のリュック。そう呼ばれていた。

いくつかの山を友人たちと登ったことがある。ある時こう言われた。
「なかちゃんのリュックにはきっと羽が生えてるんだよ」

僕はなぜか山が好きだ。いつからか好きになってしまった。まだ二十歳そこそこの時などは山などまったく感心がなかった。本屋で山の雑誌を見かけても、一体誰がこれを買うのだろうと思っていたほどなのに。

だけど最近は山に登っている。もちろん初心者だし、全て独学だし、山に精通した人からすればそれはままごとみたいなものだけど、好きなのだか仕方ない。
バイクで旅していた頃も山に登った。旅で知り合った仲間とも登った。その時に言われた言葉が天使のリュックだった。

それはいつも決まって景色の良いところで起きる。特にピーク手前、これから最後の詰めという時が多かった。一番しんどい時。だけどその頂きを目にした途端、僕は一気にテンションが上がる。自動的に早足になる。一番しんどい時に突然加速するものだから、仲間たちからは呆れられた。どこにそんな元気があったのかと。

それで前出の言葉である。仲間が言う。あいつはね、天使のリュックが羽ばたいて、あっという間に登って行ってしまったよ。

4時10分。起床。昨日スーパーで買ったくるみ団子で朝食。くるみ団子やくるみ餅は好物なのだけど、なかなか売っていないのが悲しい。

6時30分。出発。歩き始めていきなり転ぶ。雪に足を滑らせた。滑ってもなんとか立て直せれば問題ないのだが、重い荷物に振られてしまうとどうしようもない。しりもちをつくように転んでしまった。北海道でも2度転んだ。

8時20分。小学校で休憩。校舎のカーテンが締め切られ、人影はない。そうか、今日は週末か。旅をしていると、日にちと曜日の感覚が薄れていく。そして、やがて無くなる。必要ないのだ。それが旅の日常。自由な日常。

むつはまなす街道はひたすら真っ直ぐ続いた。地図で見るとそれは陸奥湾添いの道のように見えるが、実は微妙に海から離れている。しかもその間に防風林があるため眺望は良くない。
海が見えなくてがっかりだと思ったが、いざ林が切れて海が見えると強い風が体を叩き踏張って歩かなければならず、これなら見えなくてもいいやなんて自分勝手に考えるのだった。

13時30分。横浜の道の駅到着。バナナと食パンにあんこを挟んだ即席あんパンで昼食。昨日の夕食はおしるこで(どうしても餅が食べたくなった)、あんこが余っているのだ。もっとも餅も余っているから今日の夕食もおしるこなのだけど。

道の駅には農家直売の野菜が売っていた。激安。ニンジンなんかた5〜8本も入って100円。最近は体が野菜や果物を欲しているから思わず買いたくなるけど、いくらなんでも多すぎる。ばら売りしてほしいくらいだ。

15時00分。空を一面覆っていた重い雲が途切れ、目の前に太陽に照らされた津軽の山々が見えた。きれいだ。一気にテンションが上がった。気付けば自動的に早足になっていた。
30分後、ついに太陽が顔を出した。まぶしいくらいの陽の光に、それがいつぶりなのか思い出せない。

17時20分。右手を見ると、林の切れ間からたくさんの鉄塔らしき明かりが見えた。六ヶ所村だろうか。下北半島の小さな村は、その名前が全国的になった。なってしまった。
さらに進むと左手前方に夜景が見え、それは間もなく下北半島が終わることを教えてくれた。

18時00分。いつものように国道から脇道に入る。海からの風を避けるために、海とは反対側の脇道。しかし防風林は木の密度が高く、テントを張れそうにない。どこかないかと奥へと進むと、広大な雪原を見つけた。広い。野球場なら5つ分くらいあるのではないだろうか。なんだろうと思ったが、どうやら砂利の採取場らしい。とにかく今日はここに決定。

弦月だけど月明かりが明るくて、雪の上に自分の影が落ちた。テントさえトーチなしでも建てられる。北の空には低い位置に北斗七星があった。しばらくテントの中から空を眺めていた。

今日の歩行距離約36km。

写真1
とある家の前で見つけた。この大根はどうなるの?

写真2
道の駅にはこんな物も。750円。

写真3
浮かび上がる津軽の山々。羽が生える瞬間。

2010年1月24日日曜日

歩23日目 青森県むつ市

天候 雪
気温 6時 0.0度
   15時 -0.5度

北海道には、北海道の言葉があった。訛りとか方言とかそういうものだ。北海道の中でもいくつか言葉の種類はあるのだろうが、僕にその違いはわからなかった。
もちろん青森には青森の言葉がある。その土地の言葉を、その土地で直に耳にする。それは旅の大きな楽しみのひとつでもある。

コンビニの店内にあるテーブルでご飯を食べていると、向かいのテーブルでは中学生の女の子たちが同じように昼食を楽しんでいた。どこの女の子もよくしゃべる。でもその会話の方言が良かった。僕も東北育ち。なんとなく似た言葉にちょっと嬉しくなってしまった。そして同時に、あぁ東北に入ったこんだなぁ、そう実感した。

3時30分。起床。風は治まるどころかさらに強さを増し、テントを激しく揺さ振った。少しでも風をかわせる場所にテントを張ったのは懸命だったようだ。
風が強いとテントをきれいに畳めない。あっちを押さえ、こっちに物を置き、ひとりでてんやわんや。

6時00分。出発。最近は明るくなるのも幾分早まった。6時半にはヘッドライトも要らないほどになる。出発したての頃、6時と言えばまだ星が見えていたのだけど。

7時30分。下風呂通過。温泉街のようだがまだ朝早いからスルー。

8時50分。これからちょっとした峠。その前にバス停で休憩。体力を回復してから出発。峠の頂上付近にで猿を発見。木に登りわずかに残った芽を食べているよう。かわいい子猿を連れた親子もいる。カメラに収めようとするが、近寄るとすぐに逃げてしまう。完全に野生。日光辺りの猿とはえらい違い。

10時00分。峠を下りて小さな漁村で休憩。

11時30分。大畑のコンビニで休憩&昼食。今日は店内に椅子とテーブルがあって温かく食べられた。幸せ。

休憩中にブーツの修理。左右とも親指の付け根部分のゴムが割れ、そこから雪が入ってくるようになってしまった。最初はガムテープを張ったのだけど、濡れているとすぐに剥がれるので瞬間接着剤でふさいだ。これからまだまだ雪の歩き。せめて盛岡辺りまで使いたいのだけど。

コンビニを出ると、ものすごい雪が降っていた。道路にはあっという間に雪が積もり、足首まで埋まるほどだ。しかも歩道はまったく除雪されておらず雪の山。車道の隅を小さくなりながら歩く。

途中、自宅前を雪かきしていたおじいさんと会話。訛りがひどく、僕でさえ何度も聞き返さなければならなかった。それでも何を言っているのかわからないときは、適当に相づちを打つしかなかった。顔をしわくちゃにして笑うかわいいおじいさんだった。

雪は降り続け、もうすねまでもある。歩くのも大変な作業。辺りは一気に雪化粧でそれはそれで嬉しいのだけど、こっちは汗だくだ。車の来ない隙を見て車道を歩いた。雪がないだけでとても歩きやすい。

17時30分。やっとの思いでむつ市街地へ到着。予定よりかなり遅れた。
スーパーへ行って買い物と思っていたのだけど、1本手前の道を曲がってしまったらしく、迷ってしまった。30分くらい歩いてやっとスーパーにたどり着いたが、目的の店ではなかった。早く市街地を抜けたかったのに痛恨のミス。焦ったのがいけなかったか。
買い物を済ませ、片手にバナナ(バックパックに入らなかった)を持ち、再び夜の町をさ迷った。またも30分以上。たどり着いた先は、なぜか下北駅だった。
現在地を把握できたので一安心だが、すでに時刻は19時半を過ぎている。まだ市街地さえ抜けていないし寝床も未定。焦る気持ちを押さえるようにバナナを食べた。

下北駅から横浜方面に向かっていると、1本の川を発見。もうここの川岸でいいかと思ったが、護岸されていてテントは張れそうにない。しかし少し奥に水門を見つけ、その脇になんとかテントを張れそうなスペースがあったので、素早くテント設営。荷物を所定の場所に置き、マットを敷いてその上に座る。テントに入ると本当にほっとするから不思議だ。

夕食を食べ、一息ついたらもう22時近かった。今日はなかなかうまくいかない日だった。急がば回れ。そんな言葉が似合う1日だった。

今日の歩行距離約38km。

写真1
海岸添いの家の庭には石が敷き詰められている。夏は昆布干場に早変わり。

写真2
峠の猿。これ以上は近付けない。子猿は逃げた。

写真3
峠から見た小さな漁村。こういう風景が好き。

2010年1月23日土曜日

北海道編 あれこれ

元旦に宗谷岬を出発した北海道。寒さに凍えながらもなんとか無事に歩き切ることができました。
そこで簡単にデータをまとめてみました。
まぁ後で自分が見てわかりやすくするためなんですけどね…笑


・日数 21日

テント泊 10
バス停泊 4
道の駅休憩所泊 1
知人宅泊 6

北海道ではトレーニングのためになるべくテント泊にこだわりました。この数字はその結果だと思います。
これからは距離も稼ぎたいし、雪もないので道の駅なんかの施設を存分に利用していきたいと思います。テントの設営と撤収がないだけでもかなりの時間短縮につながりますので。
意外に知人宅が多かったです。温かな布団で寝られる夜は幸せでした。お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。僕は幸せ者です。


・歩行距離 600km強

これはインターネットで僕の歩いた道の距離を調べて、さらにそこへ寄り道分をプラスした数字です。大体合っているのかな?
歩きなのでどうしてもはっきりした距離を出せませんが、自分自身あまり距離にはこだわってないのでこれでよしとします。笑


・費用 3万数百円

僕は細かいメモを取ったりするのが大の苦手なので、何にいくら使ったのか記録していません。なので記憶を頼りに大体の話しななります。
当然食費が一番かかっていて13000円くらい。朝昼晩の食事、行動食、飲み物全て含みます。
知人宅にお邪魔した時のお土産代と飲み代が11000円くらい。
大間へのフェリー代が2200円(知らない内に値上がった。高い!)。風呂代が1300円(3回分)。地図が1000円。その他雑費が1000円くらい。あとはすごいお坊さんへのお布施が1000円となっています。

少し予算オーバー気味ですが、まぁこんなもんでしょう。ただ、体重がかなり痩せてきているので、もう少し食事に気を使っていこうかと。


ちなみに、最高到達地点は毛無峠の650mで、最低気温は赤井川でのマイナス12度でした。


次は青森〜東京間の奥州北関東編です。ここが一番距離があるので頑張って歩きたいと思います。

歩22日目 青森県?郡風間浦村

天候 雪(北海道)後曇り(青森)
気温 6時 6.3度(室内)   15時 -1.5度

ついに厳冬の北海道を脱出した。長く辛い道のりだった。毎日が戦いだった。僕は、少しくらい成長出来ただろうか。旅は、今日から次のステージに突入する。

僕はこの日本縦断をいくつかのステージに分けて考えている。まずは東京を分岐とする東日本と西日本。そしてさらにそれを細分化して、5つのステージを設けている。

1stステージ 稚内〜函館 北海道編
2ndステージ 青森〜東京 奥州北関東編
3rdステージ 東京〜京都 東海道編
4thステージ 京都〜山口 山陰編
5thステージ 福岡〜鹿児島 九州編

寒さはダントツに北海道だが、距離は青森〜東京間が一番長い。今日からその奥州北関東編に突入するのだ

6時20分。起床。7時前には仕事に出る友人はもう起きているようで、部屋には居なかった。僕も出発できるように荷物をまとめる。

6時45分。出発。友人と握手をして別れた。今度はいつどこで会えるだろう。
雪が降っている。北海道の最後にふさわしい。ここからフェリーターミナルまでは近い。ジャケットのフードを深く被り、歩き始めた。

フェリーターミナルに到着し、受付けを済ませる。待ち合い室で待っていると、9時10分に乗船のアナウンス。係員にチケットを見せ、隣に停泊している青森行きのフェリーよりも一回り小柄な大間行きのフェリーに乗り込んだ。その瞬間、僕の足はついに北海道の大地から足が離れた。稚内から一歩づつ進んできた道も、ここで終わった。宗谷岬を発ってから22日目のことだった。

大きな汽笛を鳴らした船は、ゆっくりと函館港を離れた。雪の函館が白くぼやけて、小さくなった。少し感傷的になるのも仕方ないだろう。

雑魚寝タイプの2等客室に戻り、携帯電話で日記を書いていたが、どうにも揺れるフェリーに気分は最悪。かなり海が荒れているみたいだ。僕は、船の揺れに弱い。これだけ揺れると目を閉じて横になっているのが精一杯だった。

11時10分。フェリーは大間港に着岸した。結局到着まで横になったままだった。しかも少し酔っている。頭が痛い。フェリーを降りてターミナルの待ち合い室のベンチに座ると、しばらくぐったりしてしまった。本州に降り立った感慨など欠片もなかった。我ながら情けない。

13時45分。日記も書き終え、気分も晴れてきたので改めて出発。第2ステージの始まりだ。
港からすぐに国道279号には乗れるのだが、せっかくの大間なので大間崎まで歩いた。そこは本州最北端の地だ。

14時30分。大間崎到着。懐かしい景色。数年前ここのキャンプ場にテントを張った。その時はバイクで、北海道に上がる途中だった。今日はその逆。北海道から歩きで下りてきた。
夏には観光客もキャンパーもたくさん居るのだろうが、この時期の大間崎にはひとっこひとり居なかった。ただ激しい風だけが吹き荒れていた。空から聞こえるうなり声のような風音が、余計に寂しさを感じさせた。写真を数枚撮ってその場を後にした。

国道279号はしばらく海沿いを走る。左手には津軽海峡。海の先には北海道が見える。あれは恵山だろうか。ここから距離にして20kmもない。たったそれだけの距離なのに、ついさっきまでそこに居たのに、すでに北海道は淡い思い出となっていた。

さすが本州と言うべきか。雪はほとんどない。もちろん山に入れば豪雪なのだろうけど、海沿いにはない。歩きやすいが気温は-2度とまだまだ低い。

16時30分。道の隣にレストハウスを発見。冬期間は閉鎖されていたが、くの字型の建物の作りをしていて、絶好の風よけになる。風が強く、テントを張る場所が限られているのでこれにはかなり悩んだが、まだ明るくあと1時間は歩けるので泣く泣く諦めた。4km先に欲しかった。

17時30分。小さな漁港に到着した。この漁港を過ぎるとまたしばらく何もないだろうから、そろそろテント設営といきたい。少し辺りを偵察し、波堤を背にプレハブ小屋の脇にテントを張った。これで少しは風よけになるだろう。
本州初日の夜は、荒れた海の音を聞きながらのテント泊となった。

今日の夕食はカレーパスタ。作り方は至って乱暴で、まずは少なめのお湯でパスタを茹で始める。適当な頃合いで玉ねぎと乾燥にんにくを投入。パスタが茹であがったら茹で汁は捨てずに直接カレールーを投入。よく混ぜれば出来上がり。コツは茹で汁を少なめにすること。そうすると程よい感じでルーが混ざる。多くてもスープパスタみたいでおいしいのだけど。ちなみに具材はなんでもいい。

しかしたまにこうやって僕の貧乏野宿レシピを書いているけど、果たしてこれを読んで面白いのかが疑問。出発前に友人がどんなものを食べているのか気になるから、たまにブログに書いてと言っていた。女の子らしいお願いだと思ったけど、実際書いてみるとなんの華もない気がする。でもまぁお願いされたので、また懲りずに書いてしまうのだろうけど。

今日の歩行距離約15km。

写真1
海峡フェリーで脱北。ちなみにこれは青森行き。大間行きは一回り小さい。

写真2
さよなら北の大地。ありがとう皆。少しは成長できたかな?

写真3
なんだかさみしい大間崎。マグロが有名。海の向こうに北海道があるのだけど…。

2010年1月22日金曜日

歩21日目 北海道函館市

天候 曇り後雪
気温 6時 -4.2度
   15時 -3.8度

情けは人のためならず。
北海道最後の夜は、その言葉の温かさを実感することとなった。

3時30分。起床。昨日までとは打って変わり、今日はまた真冬日。気温もマイナスに逆戻り。

昨日の夜中は一度トイレに起きてしまった。寝る直前に朝まで起きなくてもいいようにと、歯磨きと一緒にトイレも済ませておくのだけど、夕食後に飲んだコーヒーがいけなかったみたいだ。夜中、暖かい寝袋から出て外で用を足すのは、なかなかに辛い。
しかしその時にふと思いたった。エアマットと銀マットの上下を入れ替えてみようかと。
僕は寝るときに、薄手の銀マットを敷き、さらにその上に空気で膨らませるエアマットを敷いている。下からの冷気を銀マットで遮断して、エアマットで寝心地を良くしようと考えていたのだ。しかしそれでもかなり冷たい。寝ていると、体の接地しているところが凍てついてしまう。寝るときの一番の悩みだ。そこで試しにマットの上下を入れ替えてみようと思った。エアマットは中の空気が冷えれば寒いだけだし、銀マットは熱を反射させるので、自分の体温の輻射熱を利用しようと思ったのだ。
果たしてそれは正確だった。暖かいとまではいなかいが、以前に比べると冷えが少ない。なんでもっと早く気付かなかったのかと思うのだが、きっとテント泊を続けてこなかったら分からなかったことで、こうやって経験を積んむことでひとつひとつ学んで行くのだなぁと考えると、今までの寒さも無駄ではなかったのだろう。僕は寝袋の中でいつものように小さく丸まりながらそんなことを考えていた。

テントから出ると星が見えた。冬の星座だ。風があるが雨はやんでいる。夜に降った雨が凍ってフライシートに無数の氷の粒を作っていた。

6時00分。出発。昨日の峠の続きから。ゆるい登り坂ではあるが、それでもやはり体はそれを敏感に察知する。朝はまだまだ体力があるので、足は出る。

今日は駒ヶ岳が見える。左手にそれを確認しながら進む。一面氷の大沼を抜け、峠を下ると七飯の町があった。函館山が道の向こうにあった。

11時00分。七飯のコンビニで弁当を買って食べる。今日はレンジて温めてもらう。しかし、氷点下の寒風吹きすさぶ中で食べていると、最初は温かくても半分くらい食べたところで結局冷めきってしまう。温かな弁当の小さな幸せを奪う冷たい風が恨めしい。

七飯から函館まで、国道5号線は函館新道という自動車専用道路になる。歩きの僕は旧5号線、通称赤松街道を歩いた。そこはその名の通り、道の両脇に赤松がずらりと並び、なかなか風情のある通りだった。

14時00分。赤松街道を抜けると函館市に入った。ついに北海道最終地点だ。稚内から3週間かかった。ここから一旦フェリーに乗り、海を渡って本州に入る。旅も第2ステージだ。

今日は函館で風呂に入ってゆっくりしようと思っている。函館の知り合い(現在旅中で函館には不在)にメールでフェリーターミナル近くに銭湯か温泉がないか聞いてみると、いくつかの候補を細かく教えてくれた。そして最後に今日はどこに泊まるのかと聞いてきた。僕は風呂に入った後はフェリーターミナルの隅にでもテントを張ろうかと思う、と答えた。しばらく返事は来なかった。次にきたメールは、函館に住む別の友人からだった。
「話は聞きました。良かったら家に泊まって下さい」そう書いてあった。

嬉しかった。
知り合いは、わざわざ連絡をして、宿無しの僕のためにお願いをしてくれたのだ。そしてそのお願いを、友人は心よく引き受けてくれたのだ。
以前、知り合いは僕の家に1日だけ泊まったことがある。もしかしたらそのお返しだったのかもしれない。もしそうだとしても、例えそうでなくても、どちらにしても今の僕にはとても嬉しいことだった。

17時30分。フェリーターミナルで友人と合流した。1ヶ月前に千葉で会っていたが、函館でまた会えるとは思わなかった。嬉しい再会。お互い元気にやっていたと、握手でそれを確認するのが旅人流だ。

友人の車で温泉へ行き、しっかり疲れを癒した。5日ぶりの風呂だった。全身が温まり、心臓が大きく脈打つのを感じる。体の中を血液が巡り、まるで隅々に溜まった疲労を吸収していくようだった。
体は、さらに細くなっていた。太ももだけならず、ウエストまでも痩せていた。風呂上がりに体重を計ると、出発前に比べて2.4kg減っていた。

夕食はうまいホルモン焼きがあると、友人が焼き肉をおごってくれた。遠慮なくの言葉をありがたく受け止め、腹一杯食べ体力を蓄えた。もしこれがテントだったら、きっとインスタントラーメンをすすっていた頃だろう。えらい違いだ。

部屋に戻ると、今度は暖かい布団を運んで来てくれた。そういえば車での移動途中、これからの行動食にと函館名物の五勝手屋の羊羮まで買ってくれた。突然の訪問だったにも関わらず、こんな至れり尽くせりには涙が出る。ありがとうを何度も言ったけど、いくら言葉にしても足りない気がした。

その夜はいろいろと話しをした。友人は仕事で朝早いため12時に布団に入ったが、僕はとても幸せな気分で北海道最終の夜を過ごすことができた。

ひとりで旅をしているように見えて、その実、決してひとりでは旅ができないものだ。たくさんの人の親切を、ひとつひとつ紡ぐように、僕の旅は続いて行くのであった。

今日の歩行距離約35km。

写真1
一面氷の大沼と駒ヶ岳。氷上にはたくさんの動物の足跡があった。

写真2
旧5号線の通称は赤松街道。ふたつ名通りの素敵な街道。よく見ると電信柱も赤松色。

写真3
友人の部屋で。温泉、焼き肉後の幸せな時間。なんちゃってコンサドーレサポーターが約1名。

2010年1月21日木曜日

歩20日目 北海道?郡森町

天候 曇り時々雨
気温 6時 3.5度
   15時 8.0度

今日はあまりスピードが出なかった。稼働時間は長いのに、昨日までの距離が出ない。やはり疲れが溜まっているのか。
予定では明日の夕方5時のフェリーに乗って青森に渡るつもりだったのだけど、半日ずらして明日は函館でゆっくり温泉でも入ろうと思う。
毎日暗い内に歩き始め、暗くなるまで歩いて、へとへとになってテントを張るを繰り返しているので、風呂に入る時間もない。明日は温泉でゆっくり温まって疲れを癒そう。そう思ったらなんだか嬉しくなってしまった。たまにはリフレッシュも必要ということか。

3時40分。起床。暖かい。というよりは寒くないと言った方が妥当か。気温がマイナスではない朝は久しぶりのような気がする。
昨日全て水を使いきったので、スープもコーヒーもなし。りんごジュースはある。
しかし4時前に起きると、朝というよりはまだ夜中だ。

5時20分。出発。いつもよりかなり早い。
生暖かい風が気持ち悪い。天気図を見ると北に低気圧がある。そのせいで南からの暖かい空気が流れ込んできたのだろう。

時折雨がぱらついた。この暖かさなら雪ではなく雨にもなるだろう。北海道で雨に打たれるとは。
気にならない程度の雨なのだが、それよりも路面が濡れて、大型トラックの巻き上げるしぶきの方がいやらしい。

9時30分。落部到着。バス停で休憩していると雨。しばらく雨宿り。雨足が弱まったら出発。雨は、降ったり止んだりわ繰り返している。

12時30分。バス停で昼寝。ベンチの上に座布団が置いてあって、ちょっと横になったと思ったら30分経っていた。朝早かったからか、疲れているのか。たぶんその両方だ。

再び歩き始めると目の前に駒ヶ岳。白く薄い膜が視界をさえぎっているようで、うっすらとしか見えない。山頂付近の積雪部分は空と同化して奥行きがない。いつか登ってみたい山だ。
雨は、ほぼ上がったようだ。

15時00分。森の道の駅着。トイレ休憩と2回目の昼食。ここから函館まであと40kmちょっと。もう少し進んでおきたいところ。

今日もまた夜がやってきた。森から七飯に抜ける峠の途中だが、途切れることのない交通量にこの辺が限界だ。
18時00分。脇道に入っていき、たぶん農場と思われる片隅にテントを張った。この辺はもう雪が少なすぎて、林の中にはテントを張れそうもなかったのだ。
夕食のラーメンを食べて、寝袋に入ったらあっという間に寝てしまった。

今日の歩行距離約38km。

写真1
駒ヶ岳。うっすらと。

写真2
コンビニで見つけた夢の共演。大自然とおやっとさぁ。

写真3
今日のありえない。逃げ場なし。命懸けなのだった。

2010年1月20日水曜日

歩19日目 北海道?郡八雲町

天候 曇り
気温 6時 -1.5度
   15時 3度

***

お知らせです。
歌が届きました。

このブログを読んでくれている友人から、ブログ中の言葉にメロディをのせて短い曲を作ってくれました。
まさか曲が送られるなんて思ってもいなかったので、すっげーうれしいです。しかも動画付きです。

以下のアドレスから聞けますので、ぜひ聞いてみせください。

http://www.youtube.com/watch?v=yLHBNQuqpIM

# メール投稿でブログ更新してるので、リンクになってないと思いますが…

すごくほっとする感じの曲です。明日も楽しく歩くぞ〜みたいな。

送ってくれたKXさんに感謝です!ららら〜♪

***

春だった。
別に春が二階から降ってきた訳ではないが、太平洋側に出ると、春が僕を迎えてくれた。

今日は高気圧に覆われて全国的に穏やかな日のようだ。もちろん北海道も例外ではなく、もうすっかりその感触を忘れてしまった柔らかな日差しを全身に浴びることができた。
長万部まで南下すると、さすがに道北や道東の寒さとは違う。太陽が一番高くにいる時など気温が4度まで上がった。

道路は完全に乾いていた。それは宗谷岬を発ってから初めてのことだった。歩いていると暖かくて、ついにはグローブ、ビーニー、ネックウォーマー、カッパの下まで全部脱ぎ捨てた。

本州に入って南下を続ければ、きっとこんな気候が当たり前になってしまうのだろう。
吹雪でネックウォーマーが凍り付くことも、寒さで夜中に目が覚めることも、朝起きるとブーツがガチガチになっていることも、ミソパンがパキンという音をたてることも、きっとなくなってしまうのだろう。
なんだかちょっとさみしい気もする。

4時00分。起床。昨日書き上げる前に寝てしまったブログの更新。朝食はビスケットとかぼちゃのスープ。食後にコーヒー。これじゃたぶんすぐに腹が減る。

テントから出ると空にはまだ星があって、一面の雪原には音がなかった。自分の息をする音以外何もない。吸い込まてしまいそうだ。まるで真っ白な雪が全ての音を奪ってしまったかのよう。

6時00分。出発。長万部まで約10kmといったところ。道路右手には線路がのびていたけど、線路の上に電線がないということは電車ではなく汽車なのだ。雪深いからなのだろうか。

8時30分。長万部市街地到着。跨線橋を登りきったところで、目の前に海が見えた。太平洋だった。いくつもの峠を繰り返し越えて、登り坂でつらくなっては何度となく空に向かって叫んで、やっと日本海側から太平洋側に移動した。歩いて5日の横断だった。

セイコマでパンとカップ麺。お腹を満たし、中ノ沢の国道沿いにある除雪ステーションで休憩。
その後は海沿いの国道をひたすら歩く。道はまっすぐで平坦で歩きやすいのだが、大型トラックがひっきりなしに行き交いちょっと辟易する。たまに風圧でよろけることも。

14時00分。国道脇にあった神社で海を見ながら休憩と昼食。

16時30分。八雲到着。久しぶりの買い物。スーパーに100均にコンビニとなんでもある。うれしくなってつい買いすぎてしまった。でも悲しいかな、全て食料品だった。
きっと日頃買いたくても何もなくて買えない鬱憤が溜まっていたのかも知れない。ストレス発散。おかけでなんだか嬉しくなったのと、北海道も残すところあと僅かという思いとで久しぶりにワインも買ってみた。

18時30分。八雲港近く、港の見える公園に不時着。テント設営。今日は日が差して暖かかったせいか、雪がしまっていてならしやすい。
3日続いたうどんの夕食も今日で最後。明日は何を食べようかな?

今日の歩行距離約41km。

写真1
冬のスタンドバイミー。

写真2
海だぁ。やったぞー!

写真3
今日のありえない。受話器を取るまで1時間はかかるのだった。

2010年1月19日火曜日

歩18日目 北海道?郡長万部町

天候 雲後晴れ、時々雪
気温 5時 -5.6度
   16時 -0.4度

今日はたくさんの人と会話をした気がする。そしてそのどれもが心温まるものだった。
誰とも会わず、一言も話をしない日もあるけれど、笑顔になる会話ならいつだって大歓迎だ。

4時20分。起床。寒気が去ったのか、軒下にテントを張ったからか、少し暖かく感じる。もっとも気温は-5度なのだけど。

6時00分。出発。せわしなく走る除雪車の間隙を縫うかのように昆布の町から遠ざかった。

7時30分。蘭越の市街地到着。セイコマで弁当を買う。昼用だ。この先黒松内まで30km。ここを逃すと道の駅以外何もない。どうせ冷たくなるのだから、レンジでの温めはしない。

気付けばもう学校が始まっているよう。蘭越の小学校前を通ると、小いさな子供たちが元気に登校している。ひとりの女の子がすれ違いざまあいさつをしてくれた。おはようございます、と少し照れたようなその言葉に僕は元気をもらった。そして、すごく澄んだ気持ちになった。
以前も同じような気持ちになったことがある。加計呂間島でのことだった。奄美諸島にあるその小さな島を訪れた時、出会った小学校たちは誰もが気持ちのよいあいさつをしてくれた。そしてそれは小学校だけでなく、中学生も、大人ちもだったのだ。僕は、なんだかその島に受け入れられたような気持ちになった。うれしかった。そのことは今でもよく覚えている。

10時00分。蘭越の道の駅到着。玉ねぎを買う。70円。
冷たい弁当を駐車場に座って食べる。朝の6時から歩いていると、この時間にはもう腹ペコだ。なので今日から1日4食にしようと思う。朝夕の他に、昼前と昼後にそれぞれ。食べないとパワーが出ない。ガソリンみたいなものだ。

これからちょっとした峠に入ろうとした時、1台の軽トラックが止まった。地元の農家だろうか。頭に手拭いを巻いたおじさんが手招きをして、
「峠越えるんだべ?乗れ」
ぶっきらぼうに、だけど人の良さそうな声でそう言った。とてもありがたかったけど丁寧に断った。おじさんはがははは、と銀歯丸見えで豪快に笑った。
先に登り坂に入ったおじさんの非力な軽トラックは、後ろから猛烈なスピードで来た大型ダンプにあおられてかわいそうだったけど、きっとそんなに焦るなよと運転席で銀歯を見せているに違いない、そう思えた。

14時30分。黒松内の道の駅到着。2度目の昼食はサンドイッチにコーヒー。
この先国道沿いで何か買い物ができないかとカウンターにいたお姉さんに聞いてみたが、市街に入らないと店はないですよと地図まで使って丁寧に教えてくれた。だけど今日の僕に寄り道している暇はない。昨日の遅れを取り戻したいのだ。仕方なく食糧補給を諦める。明日の朝はビスケットしかない。

16時00分。久しぶりに夕日を見た。赤い太陽もオレンジ色の雲も、いつだって大歓迎。夕日を見ていると清々しい気持ちになる。

そんな夕日に元気をもらって、今日は18時まで歩いた。蕨だい駅を越え、もう限界と国道から踏み切りを渡った先の雪原にテントを設営。さすがに12時間稼働は足にくる。テントに入って足を伸ばしてほっと一息。見上げた空にはもはや星座が分からないくらいの星が浮かんでいた。

今日の歩行距離約44km。

写真1
牧草ロールもおいしそうにデコレート。

写真2
久しぶりの夕日。清々しい。

写真3
今日のありえない。積もりすぎなのだった。

2010年1月17日日曜日

歩17日目 北海道磯谷郡蘭越町

天候 晴れ後雪
気温 8時 -18.1度
   15時 -3.4度

北海道ではほとんどの家庭(アパートでも)に備え付けの石油ストーブがある。タンクは別体式で基本屋外。そしてその火力は一般的に売られているストーブの比ではない。最大火力だと熱くてそばにいられないほどだ。そんなストーブがこうこうと燃えていれば、それはそれは暖かいはずである。

8時00分。起床。起きると部屋が暖まっていて嬉しい。ストーブのおかげだ。朝食のトーストを食べ、荷物をまとめる。昨日食糧を買い込んだため、荷物の重量がかなり増している。

9時30分。2日間お世話になったお礼を言って、後ろ髪を引かれながら出発。空は青空で、朝日がまぶしい。気温が低いため、小さな雪の結晶がきらきらと空中を舞い、とてもきれいだ。

11時20分。スキー場近くの知り合いのペンションに挨拶。すぐに出る予定がなぜか昼食までご馳走になってしまった。かなりゆっくりしてから出発。

12時40分。ひらふスキー場で友人に会う。少し立ち話をして、また来シーズンと言って別れた。

ここからしばらく道道343号を歩き、蘭越町の昆布駅で国道5号に突き当たる。そこで右に曲がればあとは函館まで一本道だ。

気温は低いが風もなく日が差しているため、歩いていると結構暑い。ネックウォーマーとビーニーを外して歩く。かわりに今日の朝出掛けに知人がくれたサングラスをかける。日差しが雪に反射してまぶしいのだ。それを長時間見続けると、目が炎症を起こし熱を持つ。俗に言う雪目だ。だからサングラスはありがたかった。

札幌に引き続き、ここ倶知安でも楽しい時間を過ごした。それはとても幸せなことなのだけど、またこうしてひとりで歩き始めるとどうしてもさみしさを感じてしまう。
それは例えば夜中に見ていたテレビを消した時、ふっと現れるあの感覚に似ていて、心の中に穴があいたようになる。

ひとり旅をしていると、夜とかひとりでさみしくないの?ってよく聞かれるけど、そりゃあ僕だってさみしい時もある。特に今回みたいに楽しかった後はどうしてもだ。それは人間ならば仕方のないこと。でもここで頑張らないといけない。明日になれば、また元気に歩くことができる。

17時00分。国道5号に突き当たる。昆布駅に到着した。雪がしんしんと降っていて、駅の待合室に一時避難。しかしもう辺りは真っ暗。荷物を背負い、もう少し先に進もうとしたが、歩道も街灯もない国道は危険すぎるので引き返す。結局今日はここまでとなってしまった。

雪を避けて、駅の隣にある観光案内所の軒下にテントを張らせてもらう。なるべく人目につかない場所を選び、軽く除雪をし、雪を踏み固めて設営。案内所は冬期間閉鎖されているのだろうか。現在使用されているのか分からない感じ。しかし町の中にテントを張るとどうも落ち着かない。雑木林の方が安心できる。
何はともあれ、今日からまた雪上生活の始まりだ。

今日の歩行距離約25km。

写真1
ひらふスキー場。いい雪降った。日曜とあって賑わう。

写真2
ニセコアンヌプリ。知識と装備があれば、ひと山まるごと遊べてしまう。

2010年1月16日土曜日

歩16日目 北海道虻田郡倶知安

天候 雪時々晴れ
気温 6時 4.8度(室内)
   15時 14.9度(室内)

初の休息日。今日はまったく歩かない日。
本当は毎日少しでも歩くつもりだったのだけど、今日はやめ。理由は友人に会うから。人に再会するというのは旅を楽しむための大きな要素でもあるので、きっとそれもありなんだと思う。

10時00分。起床。かなりゆっくりと寝た。いつものくせでまだ夜が明ける前に目が覚めたのだけど、今日はその必要もないと温かい布団の中で安心してまぶたを閉じた。幸せの二度寝。

14時00分。遅い昼食も兼ねて温泉に出かける。今日もかなり雪が降っている。辺り一面真っ白。道の脇は雪の山で、町の至るところで人々が除雪をしている。
町のどこからでも眺められるはずの羊蹄山も、今は姿を現さず。

スキー場があるひらふ地区まで車で移動してラーメンの昼食。久しぶりのラーメン(インスタントは食べているが)に満足。食べたあとは温泉。ゆっくり浸かって疲れを癒す。幸せ。その頃には青空が垣間見え、羊蹄山も姿を現した。しかしその山頂には笠雲が。まだまだ雪は降りそうだ。

帰り道に買い物。2泊3日の工程を終え、食糧が底をついたのだ。とりあえず2日分の食糧とビスケットなどのお菓子、それと練乳を。
これで長万部までは歩けるだろう。その後は噴火湾をなぞり、森から函館へと抜ける予定だ。

夜は再度ひらふへ行き、友人たちと再会した。僕が初めてニセコに籠もった時からの知り合いで、もう5年になる仲だ。冬だけの付き合いだが、その関係は深い。
馴染みの居酒屋(僕が先シーズン働いていた)で乾杯。楽しい時間は瞬く間で、時計の針はあっという間に進んでいった。

今日の夜もかなりの冷え込み。夕方18時の外気温は-12度だった。朝方はさらに寒いだろう。テントだったらさぞ寒かっただろうが、今日も温かい布団で寝られる幸せを噛みしめて。

今日の歩行距離0km。

写真1
姿を現した羊蹄山。美しい。

写真2
雪山仲間と。いい顔2。

歩15日目 北海道虻田郡倶知安

天候 晴れ後雪
気温 7時 -4.1度
   14時 -7.2度

この旅は、僕の中でふたつの意味を持っている。楽しむべきものであると同時に、ある意味実験的位置付けもある。

実験的側面から望んでいることは、自分のスキルが上がること、無事に達成されることによってさらに次なるステップに進むこと、だ。
そして全体の工程の中でも、いくつかの小さな実験を繰り返している。

例えば。
稚内〜天塩間や札幌〜倶知安間。どちらも2泊3日の工程。そして途中には(札幌〜倶知安間は小樽まで町が続いているが)何もない。この区間を以下の条件で歩ききることが目標だ。

・食糧は補給しない
・水も補給しない
・必ずテントで寝ること

3日分の食糧を背負い、水がなくなったら雪から作る。寝るのはテントにこだわり、歩ききることだ。

早い話が雪山のシミュレーションである。一旦山に入れば何もない。それを想定しての実験だ。

5時40分。起床。今日は25km進めばいいだけなので、朝の準備はゆっくりだ。
今日も一段と冷え込んでいる。上空に寒波があるのだと思う。今朝のテント内もたくさん雪が降った。

8時00分。出発。歩き始めは晴れていたが、しばらく進むと雪が降り始めた。またしても大量の降雪。今日もゴーグルが手放せない1日になりそうだ。

それにしても気温が低い。日が高くなっても-7度から-9度の間を保っている。昨日に引き続き汗をかくどころか、鼻まで上げたネックウォーマーがガチガチに凍り付いている。

10時30分。赤井川村を抜け、倶知安町に入る。が、まだまだ人家さえない山間部を歩かなければならない。しかしずっと海沿いを歩いてきたから山あいを歩くと言うのも楽しい。

やっとのことで平地に出る。ぽつりぽつりと農家が現れ始めた。倶知安町はじゃがいもの名産地として有名。この辺りの農家もきっと秋は収穫で大忙しだろう。

12時00分。サンドイッチの昼食。風が吹いているのだが何もない国道のため、道の脇の雪を少し掘り、風よけにして休憩。そんな場所に座り込んでの食事のため、行き交う車から奇異の目で見られながらの昼食となった。恥ずかしがっては旅も続けられない。

国道393号から276号に入ると、突然町になった。道の両側に店がある。ここまで来ればもう目的地は近い。2泊3日の実験も無事に終了ということだ。

今日は倶知安に住む知人宅にお世話になる。去年稚内へ移動する前にもお世話になった場所で、無事に歩いてきた帰ってきたことを報告したい。

14時00分。知人宅到着。約半月の工程を経てまた帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
嬉しい挨拶だった。

夜は知り合いを呼んでの楽しい時間を過ごした。ご馳走は、酒粕をたくさん入れた石狩鍋。じゃがいもと玉ねぎを入れるのが北海道流。鱒をまるまる1尾買ってきたから食べ応え抜群だ。たくさん食べて飲んで、心も体も温まった。

夜に見たテレビの天気予報が言うには、昨日からこの冬一番の冷え込みが続いているらしい。寒いはずである。まぁそれはそれできっといいトレーニングになったと思うのだが。

今日の歩行距離約25km。

写真1
見晴らしのいい庭付き一戸建て。今朝はかなり冷え込んだ。

写真2
ものすごい降りっぷり。

写真3
楽しい一時。みんないい顔。

2010年1月15日金曜日

歩14日目 北海道?郡赤井川村

天候 晴れ後雪
気温 6時 -7.1度
   15時 -6.8度

それはやっと眠りにつきそうな時にやってきた。突然ものすごい勢いで降ってきた。雪だ。

9時には寝袋に包まったのだけど、うとうとし始めた頃、それは始まった。テントのフライシートに大量の雪が当たる音。最初は知らんぷりをしていたが、あまりものどか雪ぶりに少し心配になる。まさかテントが埋まるほどは降らないだろうが、50cmも降られたらかなり厄介ななことになる。

そんな僕の心配をよそに、雪は1時間に10cmのペースで降り続け、次第にテントを囲うようになった。すでに寝ている頭よりも高い位置まで来ている。
どうしようか?どうしようもない。
寝るしかなかった。朝にさえなれば、なんとかなると思った。

結局雪は30cmちょっとで止んでいた。それでも朝の除雪(そのままではフライシートが開けられない)は楽ではなかった。
まぁ一晩中降り続く雪なんてのはかなり稀ではあるのだけど、それでもあの降り方は普通ではなかった。

5時00分。起床。とりあえずテント周りの雪はないものとして、いつも通りに朝の作業。サンドイッチにコーヒーの朝食。
ブーツで出入口の雪を少しずつ踏み固めながらテントから出た。見事な積もりっぷりだった。

6時30分。出発。晴れているせいか気温が低い。1時間歩いても体が温まらない。温度計を見ると-9.1度。
国道393号に乗る。峠が始まる。ひらすら登り。九十九折り。歩くスピードは遅く、一歩一歩確実に。
夜が明けて太陽が登っても気温は上がらず。ついには-10度を下回る。まばたきでまつ毛が凍り始めた。

11時20分。頂上到着。標高650m。看板の前で昼食のおにぎり。
ここからは下り坂。膝に負担をかけないようにあまりスピードを出さずに歩く。気温が低いため、歩けど歩けど体は温まらず、5分の休憩ですぐ体が冷えてしまう。

12時30分。キロロスキー場入り口通過。見覚えのある景色。懐かしい。
雪が降り始める。またも大量の雪。目に当たる雪がまつ毛を凍らせて、非常に前が見にくい。今日もゴーグル装着。気温が低いため雪が軽く、車が過ぎたあとは舞い上がった雪であたりが真っ白になる。大型車ならなおさら。

15時00分。やっと雪が止んだ。2時間降り続いた。しかし少し山に入るだけで雪の多さは歴然だ。やはり海沿いとは比べ物にならない。が、海沿いは海沿いで風が強くて大変なので、どちらとも言えない。

明日までに倶知安に到着すれば良いので、距離的には楽。2日で60km進めばいい。15時少し前の時点で半分の30kmを突破しているから、今日は明るいうちにテントを張ることにした。
しかしなかなかいい場所がない。国道脇には良さそうな雑木林があるものの、膝上まで埋まる雪に侵入を拒まれている。

16時00分。国道からわき道に入るといい場所を発見。松の木の間に程よいスペースがある。相変わらず雪は膝まであるが、スコップでかきわけて行く。
まずは雪を平らに踏み固めるのだが、上に積もった新雪はさらさらで、いくら踏んでも締まらない。スコップでかき出す。その後丹念に踏み固めるが、ここで今日の寝心地が決まるのでなるべく平らに。スペースができたらテント設営。張り綱を周りに生えた笹に括り付ければ今日の寝床の完成だ。

テントの中に入ったらまずは雪から水を作った。ペットボトルの中はすでに氷だし、今日もパスタなので結構水を使う。雪は、横着して大量に鍋に入れるとかえって時間がかかるので、こまめに足しながら。一度目のお湯は魔法瓶に。二度目のお湯でパスタを茹でた。
最近はとにかくいつでも腹が減っているの状態なので、200gちょっとのパスタもあっという間に完食した。

今日の歩行距離約35km。

以下は昨日のデータ。書き忘れ。
天候 曇り
気温 6時 14.8度
   15時 -1.0度

写真1
青空に白樺は映える。北海道的。

写真2
毛無峠のピークで男メシ。

写真3
山里はやはり雪深かった。

2010年1月13日水曜日

歩13日目 北海道小樽市

僕の体を内燃機関に例えるとしたら、食べ物がガソリンにあたるだろう。歩くためには食べなければならない。カロリーの話だ。

前回の日記に足が細くなったと書いた。細くなったのは決して筋肉質になったわけではない。もちろん歩いて筋肉量は少しくらい増えたと思うが、一番の原因はカロリー不足だ。

旅を始めて数日目、歩いた時の消費カロリーが気になって友人に聞いてみた。返ってきた答えは、成人男性が1時間ゆっくり歩くと約180kcal消費する、というものだった。予想より高い数値だった。僕の場合荷物を背負っているから、きっと200kcalは越えているはずだ。

1日に10時間は歩いているから、それだけで2000kcalが必要。僕は基礎代謝が約1500kcalあるので、合わせると3500kcal。さらに寒いと多くのエネルギーが必要なので、きっと1日に必要なカロリーはそれ以上ということになる。

1日3500kcal!?

とてもじゃないが今の食生活では追い付かない。この旅のために出発2ヶ月前から食を太くし、約2kg体重を増やしてきた。特にトレーニングをしたわけでないからほとんどが脂肪のはず。脂肪1kgは約7000kcalあるから、14000kcal蓄えた計算になる。しかしきっとそれとて長くは保たないだろう。

単純な足し算引き算で済む話ではないかもしれない。それでもそう的外れな数値ではないと思う。
この旅が終わる頃、僕の体はどうなっているだろう?

7時30分。起床。ドーナツとコーヒーの朝食。豆からいれたレギュラーコーヒーはやっぱりうまい。インスタントとは比べられない。
8時15分。出発。表通りまで車で伴走してもらい、そこで友人と別れた。
「いってらっしゃい!佐多まで!!」
佐多、という言葉が僕の中で急に現実味を帯びた瞬間だった。
しばらく歩くと国道5号に乗った。小樽までこのまままっすぐだ。

12時40分。小樽市内に入る。右手には日本海が見える。それは稚内を発ってから常に右手にあった。しかしそれも今日で見納め。これから僕は山に入り、太平洋側に出ていく。次に日本海を拝めるのは約1ヶ月後。場所は京都となる予定だ。

16時30分。朝里から国道5号を外れる。ここからは毛無峠を越えて倶知安まで進む。5号の方が歩きやすく町もあるだろうが、あえて峠を選んだ。そこは2年前一度歩いた事がある道だからだ。今回はあの時とは逆の方向で、記憶をなぞるように歩いてみたい。

17時20分。すっかり暗くなってしまった。本当は住宅街を抜けて静かな場所まで行きたかったのだが、もういい時間。見つけた公園にテントを張る。

今日の夕食はパスタ。茹でたパスタにバターを溶かし、お茶漬けの素をふりかければ出来上がり。バターの代わりにマヨネーズでもいい。意表をつく組み合わせだが、これがなかなかいける。

明日は毛無の峠越えだ。標高は600m台とあまり高くはないが、小樽側からは一気に標高を稼ぐため、午前中はかなり大変な工程になるだろう。

今日の歩行距離約30km。

写真1
ついに函館の表示。北海道最終到達地点。

写真2
今日でしばらくお別れ。また会う日まで。

写真3
今日の寝床。高台にあるから夜景がきれい。