2016年12月10日土曜日

ならぬキト日記 母国語編

スクレという安宿に入った初日のことだった。簡単な手続きで受付を済ませると、バイクから荷物を解き、それを部屋に入れた。3階までの2往復は、いくら荷物は極力少なくしているといえど、結構な労力だ。

あてがわれた部屋は4.5畳ほどの広さ。ベッドがひとつと、小さなテーブル、それにプラスチック製の椅子がそれぞれ置かれている。この上なく簡素。だけど十分。これ以上は望まない。テレビも、冷蔵庫もいらない。それよりも、正面の壁にある木枠の窓を開け放てば、路地を挟んだ向かいの屋根の上に、大聖堂の塔がその頭をのぞかせていた。テレビなんかより、この眺めの方が断然いい。

簡素だけどいい感じ。

テレビより。

(路地側の部屋をあてがわれたのは、ラッキーだったな)

満足した僕は、バックパックを開け、洗面用具を取り出した。

(とりあえず、汗を流すか)

階段の往復ですっかり疲れてしまったのだ。洗面用具は、カッパの次にしまってある。どの荷物がどこにあるのかは、長い旅の間に決まってくるものだ。それは必然的に自分が使いやすいようになるし、一度決まってしまえば、テントの暗闇の中でさえ、明かりをつけずに探すことができるようになる。不意の雨に対するカッパの次に、洗面用具はある。

とは思ったものの、他の客によってシャワーが使用されているのではどうしようもなかった。さらには待ち客もいるようで、すぐには浴びられそうにはなかった。共同のシャワーなのだから仕方ない。それが嫌なら、部屋にシャワーが備え付けの宿に泊まるしかない。

(まぁのんびり待つとするか)

不意に日本語で話しかけられたのは、その時だった。
海外を旅していて、日本人に会うとほっとすることがある。それは、同郷の人間だから。そんな当たり前の考えで納得していた。スクレという安宿に入るまでは。


僕の前にシャワー待ちをしていた女性は、韓国人であった。僕が一目で彼女を韓国人だと思ったのと同様に、彼女の方も僕を一目で日本人とだ思ったはずだ。でなければ、僕に日本語で声をかけてきたりはしなかっただろう。

シャワーを待つあいだの会話を、日本語でした。普段、日本語が話せる外国人と会話をするときは、難しい単語、言い回しなどを避けるようにしている。ゆっくり話をしたりもする。しかし、彼女にはそのどれもが必要なかった。なんの気を使うことなく、いつも通りの(日本人同士がするような)会話を楽しむことができた。よくまぁこれだけ他国の言葉を操れるものだと感心をするのと同時に、僕は、日本語に飢えていたのだ、と、実感した。


陸路で、いちにち200㎞ほどの移動を繰り返していると、日本人どころかバックっパッカーにさえ出会わないなんてことは、ざらだ。ブログで書いていない大部分は、単調な移動の日々である。朝起きて、日中移動して、夜眠る。そんな日々の繰り返し。そんな日々を1ヶ月も続けるときがある。来る日も来る日も、スペイン語。異国を旅しているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、言葉の壁は、常にある。以前よりもスペイン語に慣れたといっても、所詮は片言レベル。会話をするときは、まず自分の思考を変換してから口に出し、次に耳に入ってくる言葉を変換してから、理解する。頭を使う。使うから、疲れる。

(あぁ、母国語は、これほどまでに楽なのだ)

言いたいことが、そのまま口から出てくる。耳に届いた言葉は、そのまま理解できる。まったく頭を使わない。どうやらその差は思った以上に大きいようであった。

彼女と話をすることで、日々のスペイン語の呪縛から解き放たれた。僕は、日本人に会いたいのではなく、日本語で会話がしたかったのだ。相手が日本人かどうかは問題ではない。それに気づいてしまった。それは、スクレという安宿に入った初日のことだった。

つづく。

2016年12月6日火曜日

ならぬキト日記 登城編

道は、いつの間にか首都に入ろうとしていたのだけど、僕はそのことに気付かずにいた。
赤道を越えた途端、なぜか死んでしまったメーターのおかげで、自分がどれだけの距離を進んだのかわからなかったのだ。あたりを見回しても、未だアンデスの山道を走っている。

(地図上ではそろそろのはずだけど)

そんなことを考えながら走っていると、途端、煉瓦造りの民家や商店が雑多になり、いっきに町中に入っていった。

キトは、エクアドルの首都だ。アンデスの山々に囲まれた標高2850mの盆地にある。町の中心は、旧市街と新市街に分かれていて、どちらもその名の通りの雰囲気を保っている。僕は、旧市街にハンドルを向けた。そこは細い石畳の路地が迷路のようで、新市街の陽光溢れる目抜き通りとは対照的だったが、陰鬱と重厚な歴史を感じさせてくれる雰囲気は、この上なく素敵だ。小回りの利く小さなバイクはこういう路地には好都合とはいえ、坂道と一方通行の多さには、さすがにうんざりさせられる。

修道院前の広場に出たのは、旧市街に迷い込んで1時間も経ってからだった。ふたつの塔が天にそびえる修道院の前に、サッカー場ほどの広場があった。やわらかな陽があふれ、ハトが群れを成していた。ぎちぎちとした街並みに突如現れる空間の広がりに驚かされると同時に、いかにこの修道院が歴史あるものかがわかる。見上げる空は、青かった。

(いいところだな)

スクレは、その広場のすぐ脇に門を構えていた。安宿にしては、大きな扉が不釣り合いに感じられる。扉を開けると、目の前に階段があった。

長期旅行者の中で、有名な宿だった。シングルで4.5ドルという安さはもちろんある。しかし、盗難が後を絶たない、という噂で有名であった。シングルルームなのだが、宿の従業員は合鍵でいつでも部屋に入られるわけで、そんな中で盗難があっても、宿側がなにも知らないと言えば、宿泊者は泣き寝入りするしかない。宿泊者が取れる対策と言えば、自分が持っている南京錠をドアの施錠に使うか、貴重品を部屋に置いておかないということくらいだ。もっとも、盗難はどの国のどの宿に泊まっても100%安全とは言えない。結局は自己責任という言葉で、旅を続けるしかない。

もちろん僕はスクレを選んだ。盗難よりも、4.5ドルという安さを選んだのだ。建物の2階から4階がホテルと聞いていたので駐車場を心配していたが、1階入り口の階段脇のスペースにバイクを停めていいということだった。ありがたい。
新市街に行けば、ここよりもきれいな宿に泊まれるのだろうが、倍の金額を出しても足りないだろう。すこしキトでゆっくりするつもりだったから、滞在費は安いに越したことない。それに、今までの経験上、新市街よりも旧市街の方が、好きだった。単純に、面白いという表現もできる。
治安という点からいえば、もちろん旧市街を避けた方が賢明なのだろうが、それ以上に心くすぐるものが、そこにはある。その国の、その土地の、そこに暮らす人々の、隠すことのできない息づかいを感じられる。上っ面じゃない、本当の部分。そういう部分に、新市街よりも旧市街の方が、圧倒的に近い。

 サンフランシスコ大聖堂。
キトっ子の憩いの場。

 こちらは独立記念広場。
修道院からもほど近い。

結局スクレには2週間ほど滞在した。エクアドルは物価も安く、長期滞在に適していた。それに、キトはそれなりに見るところもあった。宿には世界中から様々な旅行者がやって来たし、足しげく通った食堂のおばちゃんとも仲良くなった。なにより、目の前が南米最古と言われる修道院という、大変恵まれた環境が素敵だった。

つづく。