2015年8月18日火曜日

サウンド オブ サレント vol.2

サレントには、わりと早い時間に到着できた。国道29号から30分ほど山道を走った先に、それはあった。落ち着いた雰囲気の小さな町で、周りには山しかない。不便な場所であるのに、コーヒーの産地として、またココラ渓谷という景勝地があるため、近年訪れる観光客は多いという。

町に入ると、協会の塔がすぐに目に入った。小さな町には大きな建物が他になく、どこからでも見つけることができる。山からの道がそのまま塔に向かって延びていて、緩やかな坂を登りきるとソカロ(中央広場)に出た。ソカロから北東にメインストリートがあるが、それはわずか200mほどしかない。道は碁盤の目にできているのでわかりやすく、小さな町だから、バイクで走ればあっという間だ。

町のどこからでも協会が望める。

カラフルな建物が立ち並ぶメインストリートの途中、目にもまぶしい朱色に染められた扉を叩いた。ボゴタで教えてもらった宿だった。何度かノックをすると、頭上のバルコニーからオーナーらしき人物が顔を出した。扉にはしっかりと錠がかけられていたから、もしかしたら泊まれないかも、なんて思ったが、頭上のオーナーはふたつ返事で迎え入れてくれた。

宿はとても清潔だった。どの部屋も掃除が行き届いていて、ベッドのシーツにはしわひとつなかった。オーナーはフェルナンドと言い、どうやら最近宿を始めたらしい。朱色の扉の奥の小さなスペースを、僕のバイク用に空けてくれた。
どのベッドも空いているようだったが、庭にテントを張ると1泊10,000ペソでよかった(ドミトリーは15,000ペソ)。安い。庭にテントといっても、施設内はどれも自由に使えるし、寝るときだけテントに潜り込めばいい。しわひとつないベッドも魅力的だったが、すっかり節約が身に沁みこんだ僕は、迷うことなくテントを選んだ。「節約=長く旅を続けられる」という考えは、行き過ぎると強迫観念になるらしい。

一通りの作業を終え、シャワーを浴びたら、メインストリートのどん詰まりにある階段を登ってみた。登り切った先には展望台があり、振り返ると町が一望できた。
数日前には、同じように丘の上からボゴタの町を一望していた。ビルが立ち並び、広大な盆地にどこまでも広がるそれとはまったく比較にもならないけど、ここには往来にあふれかえる車のクラクションも、雑踏もない。凪いだ海のような、寂たる町並みがあるだけだった。

メインストリートは鮮やか。
突き当りの階段の上には展望台。

一望。

宿に帰り、コーヒーをいれ、一休み。キッチンの前には誘うように吊り下げ式の椅子が用意されていて、その向こうには緑豊かな山並みがあった。ふわりとした心地の椅子に身を預け、熱いコーヒーをひとくち飲む。ふぅ、とため息がもれる。同時に、すでにこの町の雰囲気に溶け込んでしまった自分がいることに気付く。

「あ、これはやばいな」

グアテマラのサン・ペドロや、パナマのボケテに似ている。この雰囲気。気を抜くと、あっという間に1週間くらい過ぎてしまいそうだ。

「ま、それもいいか」

大都会の喧騒がいまだ耳に残る身としては、凪いだ海のような町で安らかに日々を過ごすことが、なにより贅沢に思えた。

ま、いっか。

つづく。

2015年8月17日月曜日

サウンド オブ サレント vol.1

思いがけずボゴタで野外フェスに参加した僕。人生初の野外フェスが、まさかコロンビアとは思いもよらなかったが、それも旅の魅力のひとつということか。
入場口ではアメリカの入国審査よろしく、靴の中までも調べられるという厳重なセキュリティーチェックを余儀なくされたにもかかわらず、会場内ではマリファナの匂いがプンプンするという、いかにもコロンビアを思わせる野外フェスだったが、入場が無料ということもあり、銀色に輝く満月が空に浮かぶまで、大音量のライブを楽しむことができた。


翌朝、ボゴタを出た。大きな町だけに抜け出すのに骨を折るかと思ったが、アウトピスタ・スルというフリーウェイを見つけると、すんなり郊外へ向かうことができた。南へと向かう道で、セントロのビル群が、バックミラーのなかで小さくなる。並ぶ家々が、低く、粗末になっていく。
「ボゴタか。いい町だったなぁ」
細く座り慣れたシートの上でつぶやく。永遠の秋を感じさせてくれた町。心に残る素敵な町だった。
 
 出発の朝。宿ファティマの前で。

その日はイバゲという町に腰を下ろした。目的地サレントとのちょうど中間にある。小さなバイクでの半日移動だったにもかかわらず、その季節はすっかり夏だった。またしてもマグダレナ川が流れる低地帯に降りてきたのだ。ボゴタでは忘れていた汗が、じっとりと肌にまとわりついてくる。こうなると、あの寒さがすでに懐かしい。

頃合をみて、宿の値段を聞きながら道を進んだ。予算は15,000ペソに決める。いくつめかの、セントロ手前の宿がぴたりと15,000ペソであった。空いている部屋はいくつかあったのに、一番いい部屋をあてがってくれたらしい。2階の角部屋で窓も広く、ベッド大きい。トイレとシャワーも分かれている。部屋にはなかった机も、いやな顔ひとつせずに貸してくれた。旅先でうける小さな気遣いは、本当にうれしいものだ。

シャワーの後は散歩がてらに夕食。レストランには入らず。エンパナーダの屋台をはしごした。あてもなく町を歩いていれば、至る所に屋台を見つけることができる。ふらふらとさまよいながら、見つけた屋台で小さなエンパナーダをひとつふたつと食べていく。なんだか祭りの夜店を思い出す。屋台ごとに味が違うのが楽しい。シラントロ(パクチー)たっぷりのサルサをかけると、尚おいしかった。
 
 夕暮れ散歩。

翌朝は6時半に起き、7時を少し過ぎたところで朝食を食べに出た。近くのパン屋に入ってみる。コロンビアは、パン屋が多いと思う。しかも大抵テーブルが置いてあり、買ったパンをその場で食べることができた。もちろんティント(コーヒー)だって飲める。朝早くからやっているから、どの町でも朝食には困らない。

ハム入りパンと、ティントのふたつで約1ドルの安さ。小さなカップながら、20円でコーヒーが飲めるのだからありがたい。朝の時間とあってコーヒーを飲みに来る人も多く、それだけコロンビアの人たちにコーヒーが愛されている証拠だろう。

荷物をまとめ、8時過ぎに出発。道は東へと進む。出発してすぐに驚いたのは、次に現れたカハマルカという町だった。目の前の崖の上に、突如として町が現れたのだ。深く切り立った渓谷に橋が架かっていて、それを渡った先にその町はあった。橋の上から眺めると、町がすっぱりと切り落とされてしまったようにも見える。なぜこんなところに。そう思わずにはいられない不思議な町だ。

不思議な町カハマルカ。

カハマルカを通過した道は、山へと入っていった。景色は、ダイナミックに移り変わる。しかし移り変わるのは景色だけではなく、標高を上げるにしたがい寒さも増していく。いつまで登るのだろうか。ボゴタの寒さが懐かしいなんて言ったのは誰だよ。実に自分勝手な悪態をつきながら、終わりの見えない峠道に震えを辛抱して走るが、ついに道は雲の中に突入してしまう。気温は一気にさがった。指先の感覚がなくなる。視界もきかず、もはや限界かと心が折れかけた時、やっと道は下りになってくれた。垂れる鼻水をすすり上げながら、暖かさを取り戻すべくぐんぐん下る。目指すはサレントだ。

心が折れかけた山頂はすっかり雲の中。

つづく。

2015年8月5日水曜日

永遠の秋 ~心に響く町~ vol.3

「そろそろこの町を出るかな」

すべての荷物をバイクに積み込んだ朝。あとはレセプションでチェックアウトをするだけだった僕は、パティオのテーブルにぼんやりと座っていた。いつもならとっくに食べられるはずの朝食が、今日に限って遅れていたのだ。他の宿泊者も同じようにテーブルにつき、とりとめのない話をしている。耳には静かなトーンの英語やスペイン語が響き、広いパティオに、ゆったりとした時間が流れていた。

特に急いではいなかった。次の目的地はサレントという町に決めていたからだ。今いるボゴタとは比較にはならないほど小さな町。いや、むしろ村といった方がいいかもしれない。地図で距離を読む限りでは、2日に刻んで走る結論だった。ならば急いで出発する必要もなし。ゆっくり朝食を取ってからでもいいか、そう思ったのだ。

パティオにはひとりの日本人が、同じように朝食を待っていた。少し話しをする。どうやら昨日他のホステルから移ってきたらしい。そうこうするうちにもうひとり日本人の女の子もやってきて、3人で朝食を待ちながら旅の話を楽しんだ。


女の子とは、2日前に会っていた。朝のロビーで初めて会ったのだけど、やけに浮かない顔をしていたのが印象的だった。聞くと、ついさっき荷物を盗まれたのだ、と言った。
早朝ボゴタのバスターミナルに到着し、そこから宿へ向かう途中のこと。詳しくは知らないが、20kgはあろうかというメインのバックパックを持っていかれたらしい。気の毒に思ったが、どうすることもできない。盗まれたのが、貴重品やパソコンが入ったサブバッグでないのが不幸中の幸いか。かなり落胆した様子だったが、その日の夕方、もう一度ロビーで会ったときには少し落ち着きを取り戻していた。警察で盗難証明をもらい、取り急ぎ必要なものは買ってきたと言う。さらに次の日には、ぴったりのジーンズを見つけてきたと、笑顔を見せた。
「強いなぁ」
率直な感想だった。海外で盗難にあい、それでもその日のうちにやるべきことをひとりでこなす。なんともタフだ。そうでなければ、女の子がひとりで海外の長旅なんか出来ないのかもしれない。さらには驚いたというか、感心させられたというか、彼女はこんなことも言った。
「盗まれたのは主に着替えとか、タオルとか。ジーンズなんて3本あったの。20kgもあるバックパックだったのに、本当に必要なものなんてあんまり入ってなかったみたい。盗まれたことは許せないけど、今はすごく身軽になった気がする」


もう一人の旅人は僕と同じくらいの年の男性だった。彼は、南米を旅しながらスペイン語を勉強していると言った。その言葉は、僕にとって青天の霹靂だった。なぜなら彼は旅をしながら、出会った人々との会話の中でスペイン語を学んでいたからだ。そしてかなりの語学力を身につけていた。勉強するには学校に入らなければ。そう思って疑わなかった僕は、事実グアテマラで学校に入ってスペイン語を勉強したものの、その後の語学力は大して変わり映えしなかった。
「なんだって気持ちひとつなんだ」
その気づきは、確実に僕の目を開かせてくれた。(おかげでこの出会いから、僕も旅をしながらスペイン語を(ゆっくりとだけど)勉強していくことになる)


結局3人で朝食を取り、そのまま10時過ぎまで話をしてしまった。そして、なぜか「野外フェス」に行くことになってしまった。

ちょうど今、ボゴタでは大規模な野外フェスが開かれていて、今日がその最終日らしかった。僕はそのことをまったく知らなかったのだけど、男性が昨日すでに行ってきたらしく、すごく良かったから一緒にどうか?ということになったのだ。しかしすでに荷物はバイクの上。逡巡する僕に、

「荷物なんて、解いちゃえばいいじゃん」

と、ふたりは言った。
その言葉に押されたのか、魅力的なふたりともう少し同じ時間を共有したかったからか。チェックアウトをしに行くはずだったレセプションに、挙げ句連泊の申し出をしに行くといういかにも旅らしい行為に甘んじてしまうのだった。

おわり。