2010年12月25日土曜日

モーターサイクルは大陸の夢を見るか? vol.2

グランドサークルはいったいどれほどグランドなのか?
鼻息荒くした僕はサンフランシスコから一路東へ進路を取ったのでした。

いよいよグランドサークル・ツアー(僕が勝手にそう呼んでいるだけだけど)が幕を開けました。これまでのアメリカはずっと西海岸を沿うように走ってきたので、いよいよ内陸部を走ることになります。州で言えば、カリフォルニア州からネバダ州、ユタ州、アリゾナ州。山あり、谷あり、乾燥地帯あり。モニュメントバレーを東の折り返し地点とし、意欲的にいろいろなところへ足を運びました。それはどの場所も本当にグランドで、底なしに湧き出る好奇心が僕をどこまでも突き動かしたからです。


そんなこんなで到着したヨセミテナショナルパーク。誰でもその名前を一度は耳にしたことがあるでしょう。広く知られた名前です。僕の中でもヨセミテはイエローストーンと並んで行ってみたいアメリカの2大ナショナルパークでした。もちろん世界遺産に登録されているというだけで魅力的なのですが、そこにはハーフドームと呼ばれる芸術的に(神様がいたずらに切り落としたのではないかと思えるような)垂直な壁を持った大きな花崗岩があるからです。
写真でしか見たことのないハーフドーム。それを、自分の目で見られるんだ。朝からわくわくは止まりません。ツアー最初にしていきなりのメインイベント。それは例えるならレストランに入りいきなり前菜にステーキが出てくるような感じです(?)。

ゲートで入園料を払い、いざ園内へ。公園自体とてつもなく広いのですが、メインとなるのはやはりヨセミテバレーでしょう。渓谷へ向けて道はずんずん下っていきますが、ハンドルを握る僕の胸はどんどん高鳴ります。
きれいに落ち込んだU字型の谷間の先に、小さく、だけどはっきりそれとわかるヨセミテのランドマークを見つけのはまだ完全に谷底に降りる前でした。

あ、あれか!あれがハーフドームか!?

一気にテンションが上がりました。思えばこの瞬間から、大陸熱の病に感染していたのかも知れません。

いざヨセミテへ。いきなりメインディッシュ。

きれいなU字谷。氷河によって削られた。

渓谷へ降りる途中のビューポイント。遠くにはハーフドーム。
カップルも見とれる。

当初、せっかくなのでヨセミテ内のキャンプ場に1泊するのもありかななんて思っていました。が、ヨセミテはかなり人気の国立公園で、キャンプ場は予約しないと泊まれないかもなんて話を聞いたことがあります。さてどうしたものか。とりあえずはインフォメーションへ向かってみます。

すると今はもうシーズン終盤で来園者が少なく、予約がなくても泊まれるよとのことでした。しかしその値段を聞いて驚きました。なんと、1泊20ドルだと言うのです。

え?20ドル!?高っけぇ。

その日は夜半から天候が崩れるという予報でした。明日も雨のようです。怠け者の僕はきっと雨の撤収なんてことはしませんから、当然連泊する可能性大です。となると2日テントを張るだけで40ドル。他のアメリカ人のようにバスのように馬鹿でかいキャンピングカーでやってきてというならその値段もわかりますが、僕はバイクの脇にテントを張って寝袋で眠るだけです。それで1泊20ドルというのはちょっと考えてしまいます。というかあきらめました。
まだまだ10時半。昼食を食べ、短いトレイルをのんびりこなし、まったりするくらいの時間は悠にあるのです。

ビレッジには大型スーパーもあり、
およそ生活に必要なものは手に入る。

ハロウィンやってた。
trick or treat.

これがハーフドーム。すんげぇいいデザインだ。

気になる天気もなんとかもってくれ、夕方までゆっくりすることができました。しかし残念なことがひとつだけ。それはヨセミテに来てみてわかったのですが、夏季はハーフドームの頂上へ登るトレイルが開通している(往復10時間かかるらしいけど)ということでした。なんて魅力的な!もし次回があるとすればぜひとも登ってみて、その頂からの景色を独り占めしたいところです。

まったりするには最高に贅沢な場所だ。

後ろ髪を引かれつつヨセミテバレーを後にして、園内を東西に貫く120号線を東に向かいます。タイオガロードと呼ばれるそれは結構な峠で、海沿いから上げてきた標高をさらに上げることになりました。景色はいいのですが、いかんせんきつい登りにスピードが出ません。4速40kmでトコトコ行きます。
さんざん登ったおかげで気温は一気に下がり、公園出口ではついに雪が積もっていました。それもそのはず。高度は10000フィート。約3000mもあるのです。

公園を出ると今度はひたすら下りになりました。高度を7000フィートまで下げたところで休憩がてらバイクの給油。だいぶ暖かくはなったのはいいのですが、もう17時を過ぎていました。そろそろ寝床を決めたいところです。
そこへ一台のパトカーが。ちょっと身構えつつも簡単なパスポートチェックだけで済みほっとしていると、警官のひとりが今日の夜は雨だぞ、もしかしたら雪かもしれない、と言いました。

え?雪?そんなまさか。
その時の僕は思いました。きっと僕の聞き間違いだろうと。

結局ガソリンスタンドから少し進んだ場所にテントを張ったのですが、翌朝を迎えた僕は自分の耳が正しかったと正直には喜べない複雑な気持ちでした。警官の言ったとおり、果たして本当に雪が降っていたからです。カナダでさえ雪に降られた夜はなかったのに…。そうは言っても仕方ありません。今はもう止んでいて、かろうじて道路の雪がとけているのが救いです。

指先を痛めながら凍りついたテントをなんとか押し込んで出発。最初の2時間は凍えながらの走行でしたが、高度を下げるにつれ気温は上がり、昼すぎには寒さを感じなくなりました。午後に立ち寄った街では気温が20度にもなり、公園のベンチで陽射しを浴びながら昼寝を楽しめるほど。
その日はその街から10kmほど進んだ砂漠地帯にテントを張りました。両側を連なる山々に囲まれ、前方は見渡す限り何もなく、壮観。気温も24度。作業をしていると汗ばむほどです。朝は雪が降っていたと思えば、今は裸で日光浴。距離にして高々200kmも進んでいないのにこの差はすごい。こんなに暖かく、しかも壮大な景色ならビールもうまいというものです(笑)。

まさかの降雪。そりゃ夜中に寒さで目も覚める。

山を越えたら晴れていた。砂漠地帯突入。

夏か?
見渡す限りの砂漠地帯にて。今日のキャンプ地。

それにしてもこれだけ広大な場所でテントを張ったのは生まれて初めてかもしれません。気分はもう最高。真っ赤な夕焼けを見ながらの夕食も、食後の紅茶も、実に有意義な時間でした。夜は夜で満天の星空が楽しませてくれ、そこにはオリオン座がひときわ明るく光っていました。

零れ落ちんばかりの星空だった。
乾燥しているだけあってめちゃくちゃきれい。

明日はデスバレーナショナルパーク。天候の心配は、いりません。

つづく。

2010年12月21日火曜日

モーターサイクルは大陸の夢を見るか? vol.1

さてさて。

えー。

さてさてさてさて。

気がつけば今年も残すところわずかとなりましたね。いささか寒さも厳しくなってきた頃と思います。みなさんいかがお過ごしでしょうか?風邪などひかぬようご自愛ください。

僕はと言うと…。

未だロサンゼルスに居たりします。ロサンゼルス。アメーリカです。

おいおい!?
旅はどうしたコノヤロウ!!

なんてつっこみはなしですよ。お静まりください。あ、やめてください、物を投げるのは。危険です、たいへん。

なんというかですね、行きたいところに行って、居たい所に居たいだけいるのが僕の旅のスタイル -もちろんそれは言い訳なのだけどー なのです。あ、おやめください。お静まりください。で、なぜロサンゼルスにいるかというと、ちょっくら英語の勉強でもしてみっかと思ったからです。あ、危険ですよ、たいへん。


冗談はさておき。せっかくの英語環境だし、アメリカを抜けてメキシコに入ってしまうともうそこからはしばらくスペイン語だし、宿を取ったホテルが月借りすると破格の値段だったし、バイクを置ける駐車場も近くに見つけられたし、なんだとか、かんだとか、いろんな事情が絡み合って、まぁこれもいい機会かと。そんなこんなで年の瀬も迫った世間の気ぜわしさとは裏腹に、のんびり英語生活を満喫しているわけであります。

ということで、さし当たってブログに書くような目新しいことはないのですが -アメリカにどっかり根を下ろして生活している時点で目に映ることは新しいことだらけなのですが- 、サンフランシスコを出てからロサンゼルスまでの道中なんかをぼちぼちと載せてみようかと思います。


グランドサークル・ツアー。

まずサンフランシスコから向かった先はヨセミテナショナルパークでした(すでに過去形…笑)。普通乗用車ならサンフランシスコからフリーウエイに乗って東へ3時間、ということになっているのですが、そんなものは僕のモーターサイクルには関係ないのです。ちゃんちゃらおかしいのです。それでもなんとかその日の夕方に到着しようと9時過ぎにはホステルを出発しました。

ホステルから見上げた出発の空。雲が筆で書きなぐったようだった。

しかーし。サンフランシスコから抜けるベイブリッジは片道何車線もあるようなフリーウェイで、左から右から車が合流するたび僕は行き場を失った子羊然とおびえ、渡りきった先のオークランドでは1時間も道に迷うし、ヨセミテ手前の湖の見下ろせる小高い丘の上にキャンプに絶好の場所をうっかり見つけてしまい、さらに悪いことになぜかサイドバッグにはビールが入っていて、ということで自分にあまあまな僕は日が傾くにつれ刻々と姿を変えいく湖を見ながらおいしいビールを飲むという行為に甘んじてしまい、結局のんびり1泊2日の工程で走ったのでした。

フリーウェイではさ迷える子羊だ。

きれいな湖が見下ろせる場所で。名前は覚えていない。

ちなみにサンフランシスコからロサンゼルスまでは直線距離で500kmほどであります。本当ですよ。それしかないのです。グーグルマップなんかで見てもらえばわかります。どうです?えぇそうでしょう?なのでいくら僕がのんびりペースだといっても、まっすぐ下れば2日で到着できる距離なのです。だけどそのときの僕はそうしませんでした。なぜかって?そりゃぁあなたグランドサークルですよ。グランドサークル。それっぽく言えば、グランサーコー。アメリカ南西部には国立、国定公園や州立公園などが多く存在していて、それらをまとめて通称グランドサークルなんて呼んでいるらしいのですよ。そんな魅惑的なところを無情にも全部すっとばしてなかったことにしてしまうなんて、僕の人生における文化的損失と言っても過言ではないのです。ということでシスコからロスへ抜けるまでの寄り道 de グランドサークルが幕を開けたのでした。

つづく。

ということでLAまでの道のりを数回に分けてアップしたいと思います。本当は2回くらいでざっくりと、なんて思っていたのですが、遊んで書いていたらどうにも収集がつかなくなってしまったのでこの辺で一旦締めたいと思います。
次回からは写真とともに立ち寄った先々をいろいろ紹介できたらなーなんて思っているのですが、果たしていかに。

2010年11月19日金曜日

ロサンゼルス CA アメリカ

お久しぶりです。
僕は今ロサンゼルスに居ます。

ギラギラと真夏のような太陽が照りつける街ロサンゼルス。サンフランシスコからロサンゼルスまで直線距離では500kmほどですが、一旦カリフォルニア州を離れ、ネバダ州、ユタ州、アリゾナ州と17日間も駆けずり回り、やっとロサンゼルスに到着しました。

夕焼けに染まるロサンゼルス。夜景もきれいだった。

やっとロサンゼルス到着。夕焼けに染まった摩天楼がすぐ近くだ。

そしてどうやら僕はすっかり大陸熱病(僕が勝手にそう呼んでいる)に侵されてしまったようです。やばいです。完全にノックアウト。

サンフランシスコから一路東へ進路を取り、モニュメントバレーを折り返し地点とし、いろいろなところへ足を運びました。当初予定にはなかったザイオンやグレンキャニオンなども。なぜならアメリカ南西部にはグランドサークルと言われるほど国立、国定公園や州立公園などが多く存在し、そしてどの場所も想像以上に素晴らしく、すっかりその魅力にメロメロだったからです。なんといってもスケールが違いました。スケールが。

日本でも各地の雄大、壮大と言われる景色を見てきましたが、なんだかいちいち比較するのが馬鹿らしく思えるほどでした。というかモニュメントバレーに到着した頃には完全に頭がとんでしまって、とても僕のポンコツ脳みそではそのすべてを理解することは不能でした。もう言葉も出ませんでした。ただ馬鹿みたいにぽかんと口を開けるばかり。まるで病気です。大陸熱病。特効薬はありません。

さてそんな17日間ですが、とても1回の日記には書ききれないので数回に分けてアップしようと思います。立ち寄った主な場所だけでも

ヨセミテ・ナショナルパーク
デスバレー・ナショナルパーク
ラスベガス
ザイオン・ナショナルパーク
グレンキャニオン・ナショナルレクリエーションエリア
モニュメントバレー・ナバホトライバルパーク
グランドキャニオン・ナショナルパーク
セドナ

とたくさんありすぎるのです。
そしてそれはとても充実した、そして満足のいく17日間でした。

出国以来の故郷の味。うまい。やはり口に合う。

つづく…

2010年10月28日木曜日

サンフランシスコ CA アメリカ

カナダを脱出し、アメリカに入りました。

やはり先進国同士といえど、国境をまたげば雰囲気は変わるものですね。しかも南に下れば下るほどそれを如実に感じます。カリフォルニアに入ってから、メキシコ系の人種が増えたように思います。心なしか英語の発音も変わったような?白人の早口英語よりも聞き取りやすいような気もします。
それと!
なんといっても物価が下がったことが一番うれしかったですね。食料品はもちろん、特にアルコールが格段に下がりました。普通にスーパーやコンビニでも売っていますし。というかカナダが高すぎなのです。酒好きの僕には厳しい国です。

さてさて、前回のブログはバンクーバーでしたね。
バンクーバーを出発し、その日のうちにアメリカに入国。シアトルからサンフランシスコまで。ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州と海岸線をなぞるように南下してきました。

アメリカ入国で1時間のすったもんだがありつつも、
途中でまさかのパンク事件が発生しながらも(多くの人の親切に助けられた)、
中2日間を横殴りの雨で行く手を阻まれるも、
最終日は太平洋に沈むきれいな夕陽を眺めつつ、
予定より2日遅れのペースで無事にサンフランシスコまで到着しました。
遠くにサンフランシスコの街並みが見え、ゴールデンゲートブリッジを渡った時はちょっと感動しましたよ。

アメリカのボーダー。執拗なまでの取調べに辟易した。

アストリアにかかる橋。まるで海の上を飛んでいるかのようだった。

 まさかのパンク。もうすでにスペアチューブを使ってしまった。

 大荒れのオレゴンコースト。まるで冬の日本海。こんな日もあるよ。

レッドウッド国立公園にて。巨大なレッドウッド達は壮観。

同じくレッドウッド国立公園。天気が悪いがゆえに神秘的だった。

 天候が回復した!やはり海沿いの道はよく晴れた日に限る。

太平洋に沈む夕陽。贅沢なショー。

朝晩はまだ結構冷え込みますが、テントが凍ることもなく、カナダでの寒さを思えばなんてことありません。そして今日は久々のホステルにて気持ちのいいシャワーと、暖かいベッドと、冷えたビールとおいしい食事にありついております。うん贅沢!笑

オレゴンコーストではたくさんのサイクリストたちに出会いました。サイクリストにとって定番のルートのようです。中には60歳にもなろうかという女性が荷物満載の自転車で一人旅しているのにはかなり勇気をもらいました。夢があふれています。

今日はサンフランシスコをのんびり散歩しました。久々の観光らしい観光。しかし。フィッシャーマンズワーフよりも、ユニオンスクエアよりも、アメリカ最大といわれる中華街にわくわくしてしまう僕はやっぱりアジア人なんだなーと再確認した次第です。なんというか、あの混沌とした雰囲気というか、ほとばしるパワーというか、カナダやアメリカなんかにはない雑多な感じが好きです。ビバ第三世界。中国人パワー恐るべし。笑

 ゴールデンゲートブリッジが金色ではないと、今日始めて知った。

 フィッシャーマンズワーフよりも、

 ユニオンスクエアよりも、

この雰囲気に血が騒ぐ。

この後は東へ進路を取ります。ヨセミテ、デスバレー、グランドキャニオンなどの国立公園が目白押し。これまでずっと海沿いだったので、半月ほどかけて内陸を攻めていきます。

アメリカを抜けるまでにまたブログ更新できると思いますので、気長に待っていてください。

2010年10月18日月曜日

バンクーバー B.C. カナダ

バンクーバーアゲイン。

先月の末にバンクーバーを発ち、17日ぶりにバンクーバーに帰ってきました。
東はアルバータ州のカルガリーまでとそれほど遠くまでは行ってませんが、クランブルックには5日滞在し、鏡のような湖にカヌーを浮かべたり、暖炉用の薪割りをしたり、夜は焚き火でホットドッグを作ったり、近所の家にみんなで集まりビッグディナーを楽しんだりと、秋が深まり行く(というか冬の訪れ?)カナダライフを満喫しました。
お世話になったクランブルックを出てからは、いくつかの峠(もうすでに雪が降っていた!)を指先の感覚を失いながらもなんとか越えて、1週間かけてバンクーバーに戻ってきました。

走行距離はざっと3000kmくらいでしょうか。地図でみるとカナダの端っこをちょこちょこっと走ったかなーなんて感じですが、それでも日本にしたら北から南まで縦断している計算な訳で、やはり大陸のスケールを実感します。

世界一大きい(らしい)ダンプがあった。でかすぎ。

カナダの国道標識はさまざま。カラスもあり。

南北に長い湖はフェリーで横切る。一応国道?しかも無料。

とある湖畔でキャンプした日。朝日がめちゃくちゃ綺麗だった。

これからいよいよ南下します。なんたってカナダはもう寒いので…。今日の朝、ウィスラーではマイナス2度まで落ち込みました。テントもバイクも真っ白です。
残り少なくなってしまったバイク保険を延長しようと思ったのですが、今日が日曜だということをすっかり忘れていました。その作業は明日に持ち越されましたが、いよいよ国境を越えてアメリカに入ります。今のところ西海岸をなぞりながら海を眺めつつサンフランシスコまで行こうと考えています。できれば1週間くらいで到着したいのですが、僕のバイクではどうなることやら。

こっちのトラックはもちろん巨大。
僕は密かに「コンボイ」と呼んでいる。

きついコーナー手前でよく見かける速度標識。
僕は密かに「ライオンキング」と呼んでいる。

カナダのスクールバスはなかなかレトロ。
僕は密かに「ネコバス」と呼んでいる。

とにかく、カリフォルニアまで行けば暖かいはず。テントはもう凍らせないぜ!

2010年10月8日金曜日

クランブルック B.C. カナダ

お久しぶりです。

日本を出てからすでに半月が経ちました。
もう10月なんですね。
みなさんいかがお過ごしですか?

僕はというと、先月22日にカナダのバンクーバーに到着し、8日ほど安宿に滞在していました。

成田から大韓航空で。バイバイ日本。

バンクーバーの町並み。都会。バスは電気仕掛け。

バイクを載せた船が2日遅れたのと、土日をはさんだこと、さらに積み下ろしに1日、通関に1日、倉庫への引き取りで1日と、なんだかんだ日数が必要だったからです。

その間ネット環境はあったのですが、心に余裕がなくブログのアップができませんでした。日本から安く輸送したため、こちらの小さな混載業者といろいろやり取りをしなければならず、書類をそろえての通関、倉庫での開梱と、つたない英語を駆使して作業していたためかなり疲れていたのです…(笑)

感動の対面!が、バールを渡され「アンパッキングはマイセルフだ」と言われ、バキバキ壊す。

まぁ無事にバイクを引き取れたし、終わってしまえばなんてことなかった気もしますが、旅のはじめにつきものの心細さが手伝っていたのでしょう。夜ベッドの中で眠れず(完全に時差ぼけでした)、ちょっぴりホームシックにもなったりして…(笑)

そんなこんなで30日からバイク旅がスタートしました。

バンクーバー~ウィスラー~カムループス~リベルストック~バンフ~カルガリー~クランブルック(現在)

 
99号線の終点。ここからトランスカナダハイウェイへ。

 
壮大な山並みを走る。超感動。でも3日目からは普通に…。なる

 
ブリティッシュコロンビア州からアルバータ州へ。野薔薇の国?

ロッキー山脈の懐、バンフ。山好きにはたまらない!?

 
アルバータ州の何にもない道。ひたすら走るのみ。

と7日で1600kmを走りました。だいたい1日250kmから300kmと、小さなバイクながらよく走っています。

バンフで安宿に泊まった以外はすべてキャンプアウトですが、内陸に入るほどに気温は低く、カルガリー近くでは朝マイナスまで下がり、テントが真っ白になっていました。それでも連日天候に恵まれ雨に当たらず、日中になれば15度にはなるのでなんとか走っています。

とにかくカナダの自然はスケールが違いますね。山も平原も、日本の何倍もの規模で圧倒されます。しかも走っても走っても景色が変わりません!(笑)とくにカナディアンロッキーは素晴らしかったです。

ほとんどの移動は大陸を横断している1号線、通称トランスカナダハイウェイを使ったのですが、僕の非力なバイクではとても大変。それでもすれ違うバイク乗りたちと交わすピースサインに勇気をもらっています。

今はクランブルックで知り合いの知り合いの家に滞在させてもらっています。久しぶりのネット環境。で、重い腰を上げてブログアップというわけです。

さて、これからアメリカとの国境沿いを西へ進みバンクーバーに戻ろうかと思っていますが、まだどうなるかわかりません。まぁそれが旅ということで…(笑)

それではまた!

2010年9月22日水曜日

旅立ち

ついに成田到着。
いよいよ出発です。

これからソウル乗り換えでバンクーバーまで、18時間。

到着はなぜか22日の正午…

でわでわ、行ってきます。

2010年9月21日火曜日

ドナドナ

去年の暮れからはじめた準備の中で、一番てこずったのがバイクを輸送する船の手配です。

そもそも個人が中古のバイクを他国に輸入すること自体が厄介な作業であるのに、アメリカの同時多発テロ以降、北米ではそれがとても厳しくなったようです。ご多分に漏れず、僕もその洗礼を受けました。

まだ梅雨にもなる前です。僕はいくつかの運送会社に問い合わせをしました。誰もが耳にしたことがある大手企業もあれば、個人でやっている小さな会社もありました。メールで問い合わせをしたり、電話で問い合わせをしたり。

「北米は今とても厳しい状態ですので、そのようなご依頼はお取り扱いできません」

そんな返答も多々ありました。それでもメールを出した大手企業のひとつから、僕の携帯電話に連絡がきました。対応は早かったです。
しかしスケジュール表はもらったものの、見積もりはいつになっても送られてきませんでした。もうひとつの大手企業とも、平行でメールのやり取りをしていましたが、こちらはガス抜き証明や該非証明が必要(そんな話は聞いたこと無い)だと言い、やはり見積もり依頼に対する返事はなかなか来ませんでした。小さな会社に到っては、のれんに腕押しでした。

そんな状態だったので、梅雨に入る頃には徐々に雲行きが怪しくなってきました。

それでもなんとか先の会社から見積もりが送られてきました。やっとです。やっと。よし、これで先に進むことができるぞ。
安心したのも束の間、その見積もりを見てさらに肩を落とすことになりました。なぜなら金額欄に30万円という途方も無い数字が並んでいたからです。

なんだよこの金額は!

憤慨しました。とはいっても他社はもはや見込みがありません。僕はバイクのハンドルやフロントタイヤを外して梱包サイズを小さくするから、なんとか安く送れないか?と聞いてみました。しかしいくら小さくしても安くなるのは数万円。
どうしよう。このまま30万を払うか、新しく他の会社を探すか。どちらかを選択しなければなりませんでした。しかも他の会社を探すとなると、予定していた出国日を延ばさなければなりません。
それでも、僕は他を探しました。やはり30万円は払いたくなかったのです。

知人の勧めでジャパンエクスプレスという会社に打診しました。電話で直接問い合わせたのですが、拍子抜けするほど対応が早かったです。今までの難航振りがうそのようでした。僕のスケジュールに合わせて輸送可能な船を3つ提案してくれ、その中からひとつを選ぶと、すぐに見積もりが送られてきました。僕はその見積もりを見て、安堵のため息をつきました。先に見積もりをもらった会社と梱包サイズはほとんど変わらないのに、その金額は12万と1/3ほどだったからです。

すぐに話を進めました。出港日や通す税関を決め、梱包業者を教えてもらいました。

8月30日。
バイクを梱包業者に引き渡しました。タンクとキャブレターからガソリンを抜き、バッテリーの端子を外し、ナンバープレートを国際用に付け替え、車に載せて横浜の大黒ふ頭まで持ち込みました。カルネに載せたスペアパーツやテント、寝袋、ヘルメットなども一緒に梱包してもらいます。もちろんハンドルを外し、梱包サイズを抑えたのは言うまでもありません。

8月31日。
出来上がったカルネと他の必要書類を提出しました。これがないと日本の税関を通せないためです。

9月10日。
通関を済ませ(僕は一切ノータッチ)、横浜港から出航。

9月14日。
正式な輸送費用が言い渡されました。最初の見積もりよりもハンドルを外して梱包サイズを小さくしたので、9万円でおつりがきました。30万円とは天と地です。

9月22日。
バンクーバー港に到着予定です。僕もその日にバンクーバーに到着するので、自分が先か、バイクが先かという感じでしょう。もっとも荷物の積み下ろしに時間がかかるため、バイクが保税倉庫に入るまでには数日かかるかもしれません。


現地で税関を通し、保険に入れば晴れてバイクに乗ることができます。到着から乗り出しまで何日かかるかわかりませんが、あせっても仕方ないのでバンクーバーの観光がてら、のんびり構えるとします。

写真1
梱包業者に引き渡し。とてもあっさり。

写真2
横浜港からバンクーバー港に向けて。

2010年9月19日日曜日

今年に入って11人目らしい

カルネカルネってよく出てくるけれど、そもそも一体なんなのさ?

これまでのブログを読んでそう思った人は少なくないと思います。僕も初めてその存在を知ったときは、聞きなれない言葉にとても違和感を感じました。

「自家用自動車の一時輸入に関する通関条約」

これがカルネの本性です。

車やバイクというものは、いくら個人の所有物だとしても、たとえ中古でおんぼろだったとしても、あまつさえ自走であったとしても、国から国へ移動させる場合は「輸出と輸入」という扱いになってしまいます。そうなると必然的に関税が課せられるわけです。国によっては新車価格の200%を課税するなんてとんでもない税率のところもあるようです。そうなると旅行者は国境を越える度にいちいち大変です。というかそんなに払えません。そこで考え出されたのがカルネです。この書類を使用すれば、一時輸入という形で関税なしで通関することができるのです。

もちろん使用できる国とできない国があります。それはかなり流動的で、情勢によって簡単に変わるそうなのでどの国がどうとは断言できないようです。カルネがないと入国できない国もありますし、また使用できない国についてはその国の法律に従う形になります。

さらにカルネを使って一時輸入すると、期限(カルネの有効期限や、滞在国の一時輸入期限など)内に必ず輸出しなければなりません。というか、そういう条件で一時輸入させてもらう、と考えたほうがいいかもしれません。
それは車両本体のみならず、カルネに記載したスペアパーツやパーソナルアイテムもすべて含み、壊れていようがなんだろうが必ず国から持ち出せよ、ということらしいです。やむを得ない場合、という対処方法もあるようなので、大したこと無いだろうと考えてしまいがちですが、実際折れたレバーを捨てられずに持ち歩いたとか、事故で再起不能になったバイクをトラックで港まで運び、そのまま日本に送り返さなければならなかった、なんて話を聞いたことがあります。面倒な話です。

と、いろいろ制約はあるものの、僕にカルネなしでいきなり旅を始めるほどの度胸もお金もないので、当然作成しました。

申請にはバイクを日本のどの税関を通すか、いつ出港するか、輸送費用はいくらかなどの情報も必要になるので、バイクを送るための船の手配と合わせて進めました。しかし船の手配が思いのほか難航し、あわせてカルネの取得もずるずると遅れてしまいました。それでも何度かJAFの関東支部に足を運び、そのたび担当の女性職員に励まされ、必要な書類をすべて揃え、無事に取得することができました。


8月の末でした。オレンジ色したカルネ手帳を手にしたのは。それまでいろいろと準備に忙しくしてきましたが、カルネ手帳を受け取ったあのときが、一番気持ちが高揚した瞬間でした。

海外をバイクで走れるんだ!

口元は自然とゆるみ、喜びと希望が心の底からわいてきました。目の前がぱっと明るくなり、同居していたはずの不安は影を潜め、世界は僕の中にあり、今ならなんでもできる。我ながら単純なもんです。


それにしてもカルネも国際免許同様有効期限が1年なのです。それ以上の旅となると再申請となるため、やっぱり有効期限が3年くらいあると楽なのになぁと思ってしまう僕なのでした。

写真
これがカルネ。隣はJマーク。バイクに貼るらしい。

2010年9月18日土曜日

心ブギウギ冒険宣言

国際免許の取得と黄熱病の予防接種を済ませたのは15日のことです。


日本以外の国で車やバイクを運転するには国際免許が必要になります。その特性について詳しいことは割愛しますが、住民登録している都道府県の運転免許センターに行けば即日発行されます。有効期限は1年です。
必要なものは、

・運転免許証
・パスポート
・顔写真
・申請手数料(2,500円くらい)
・認印

と、特に難しいことはありません。30分もかからずに発行されました。モノは紙製で意外にしょぼい感じです。まぁそんなことはいいとして、有効期限が3年くらいあれば楽なのになぁと思ってしまうのは僕だけではないはずです。


さて、お次は予防接種。
山形からお隣の宮城まで車を走らせます。峠を越えて1時間。仙台医療センターという大きな病院に到着です。郵便局で収入印紙を購入し、受付で必要書類を受け取り、待合室で30分。順番に名前を呼ばれ、医師の話を少し聞き、ぷすっと3秒、はい終わり。イエローカード(黄熱病受けたよの証明書)をもらって完了です。


作業自体はどれも大したことありません。秋のドライブがてらにちょっと用事を済ませたって感じですが、なんとも可笑しかったのが予防接種を受ける際に記入した問診票でした。

受付でもらった書類に中には問診票があり、待合室でそれを記入しました。まぁ至って普通の問診票です。名前や住所などの欄があり、いくつかの質問に答えていきます。

どの予防接種を受けるのか
渡航先
出発予定日
滞在期間

などなど。

しかし「目的」という項目で僕は目を疑いました。そこには

□仕事 □観光 □冒険 □その他

と書かれていたからです。

冒険!?

思わずその場で吹き出してしまいました。だって「目的」が「冒険」ですよ。素敵過ぎます。検疫所といえば国の機関であるわけで、まさかそんな洒落が効いてるとは思いもよらなかったのです。いったい誰がこれにチェックするのだろう?なんて首をかしげながら、僕が「冒険」にチェックしたのは言うまでもありません。

2010年9月16日木曜日

本当はこわい事勿れ主義

さてさて。なんとなくのんびりと構えていますが、実は出国まで10日をきったわけで。今のペースでブログを書いていたら、出国後もまだ出国前のことを書かなければいけなくなりそうです。なので、バイクのメンテナンスとスペアパーツについては全部まとめて書いちゃいます。
話の流れも落ちもありません。まぁ記録として。


■作業内容

・エンジンオイル交換
・プラグ交換
・エアクリーナー交換
・前タイヤ交換
・チェーン交換
・前後スプロケット交換
・前後ブレーキシュー交換

・予備ワイヤー装着
・予備バルブ装着
・予備レバー&ホルダー装着


真夏のくそ暑い中、汗を滝のようにし、爪の奥までオイルで真っ黒にしながら済ませました。


スペアのワイヤー、バルブ、レバー&ホルダーについて。
ワイヤーは末端の太鼓部分をガムテープで巻き、クラッチ、ブレーキ、アクセルのそれぞれ今付いているワイヤーに沿わせてタイラップで、
バルブはヘッドライトの中にスポンジでくるんで、
レバーはタンク下のフレームにタイラップで、
ホルダーはハンドル中央部にそのまま装着させました。

なぜそんな面倒なことをするのか?
カルネのパーツリストに載せないため。カルネ(これについてはまた詳しく書きます)の特性上、リストに書いたパーツはなくす事ができません。出入国の通関時にリストと現物をチェックされるからです。おまけにリストにはパーツの型番まで書かなければいけません。だからバルブを交換したらかといって、切れたバルブをポイと捨てることさえ簡単ではありません。切れたワイヤーや折れたレバーをカルネのために後生大事に持っていても意味がありません。使った分は越境までに補充すればいいかもしれませんが、そうもいかないときもあるでしょう。そもそもがカルネに書かなければ面倒がないのです。

だから装着させました。これでバイクの一部でしょ?というコロンブス的発想です。中にはリストが3枚にもなる人もいると聞きましたが、そうすると消耗品の小さなパーツまでいちいち気をつけなければならないし、通関の度にその量をチェックされると思うとめまいがします。なので僕は極力リストには載せない方向にしました。

もちろんリストに載せたものもあります。

・プラグ
・タイヤチューブ前後
・チェーン
・スプロケット前後
・工具類

プラグ以外バイクに付けることができないですし、だけどもなくすほど小さなものではありません。そうそう交換が必要になるものでもありません。そしてリストに載せたパーツはバイクと一緒に船で送れるので、重い部品は船で送ってしまいたい、ということで。


工具は車載のみでは不安がいっぱいなので、SIGNETの1/4インチをメインに必要最小限で。

・ソケット(8、10、12、14mm)
・ハンドル
・エクステンションバー
・スパナ(8、10、12、14mm)
・モンキーレンチ
・バイスプライヤー
・6角レンチ(4、5、6mm)
・ニッパー
・タイヤレバー2本
・パッチ&ゴムのり
・エアポンプ

車載とあわせてこれだけあれば、とりあえずのメンテナンスはできそうです。あとは針金とガムテープと大量のタイラップ。

カルネに書かず、バイクにも装着しなかった残りのスペアパーツ(エアクリーナーエレメントやフロントフォークのOリングやダストカバーなど小さな物)は手荷物として持っていきます。

以上。

あーすっきりした。

写真1
隠ぺい工作。

写真2
真夏の作業は汗だくだく。