2016年8月31日水曜日

今度はいつ戻ってくるの? vol.3

サン・アグスティンには4泊した。そのうち、雨の降らない日は1度もなかった。
1日中降りっぱなし、ということもなかったけれど、薄日が射しこみ、ぼちぼちやんだかな?と思うと、気まぐれにまた降りだす、そんな降り方をした。

雨が降るということは、必然的に宿で過ごす時間が長くなる。広い部屋。ベッドがふたつに机と椅子は、雨音を聞きながら、のんびりスペイン語の勉強をして過ごすには、すこぶる快適だった。


有名な遺跡に足を向けたのは、滞在3日目だった。その日は珍しく朝から晴れていた。この機を逃してはならないと、急いで支度をする。またいつ雨が降りだすとも限らない。
バイクにまたがり、9時には遺跡のある公園「パルケ・アルケオロヒコ」に到着した。緑豊かな園内をたっぷり3時間歩く。3時間も歩くのは結構な労力だったが、それだけ大きな公園ということだ。園内には古代インディヘナたちが彫った石像が、至るとことに(ちょっとやりすぎた感も否めないくらいに)あった。なかなかかわいらしい石像なので、眺めているだけで楽しい。
しかし、これだけ大きな公園なのに、朝早いせいか他の観光客はほとんどおらず、作業をしている職員も、園内にひとりしか見かけなかった。ほぼ貸し切りで楽しめたのだが、どこかもの寂しさも感ずにはいられなかった。

不思議な石造がたくさん。

 作業していた唯一の人。
いろいろ説明してくれた。

昼を少し過ぎたところで、公園を後にした。雲は多いものの、空は青い。雨はまだ先のようだ。せっかくだから町はずれの、少し山を登ったところにある滝までバイクを走らせた。
時間があれば行こうかな?くらいに考えていた場所だったが、よく考えれば時間はたっぷりあるわけで。行かない、という選択肢は前向きな消去法により棄却する。まさか滝を見るのにお金を取られるとは思わなかったが(1000ペソ。約50円)、たまの晴れ間には動いている方が気持ちがいい。

金を取るだけあって、一応展望用のデッキらしきが切り立った崖の上に設けられていた。が、手作りで木製のそれはあまりにも頼りなく、長いことそこから滝を見ていたいとは到底思えなかった。それよりも、滝が落ちる場所まで歩いて行けるのがよかった。勝手にそこまで行って良いのかな?という疑問もあったが、柵も何もないので誰でも好きに行けてしまう。万一足を滑らせても自己責任ということだ。

 展望デッキから。結構な落差。

翌日には、「ラ・チャキーラ」と呼ばれる、渓谷の玄武岩に刻まれた彫刻を見に出かけた。入口の道端にバイクを止め、ぽつりぽつりとある土産屋で通り雨をやりすごし、上品に馬を乗りこなすツアーの欧米人たちに追い越され、見晴らしの良い渓谷を歩くこと2時間。お目当てのそれは思ったほど大きくはなかったが、そこからの眺めは大変良かった。雨でぬかるんだ道にもめげず、来た甲斐があった。

ラ・チャキーラと。
名前からして女性の神様だろうか。

サン・アグスティンでの主な観光はそのみっつ。どれもそれなりに良い観光だった。
だけど僕のサン・アグスティンでの思い出といえば、毎日雨の中、買いに行くようになったパン屋のおかあさんが、10個注文しているのに、二日目からさりげなく袋に11個入れてくれるようになったこと。
それに5日目の朝、宿を出る際、バイクにまたがった僕のありがとうという言葉に、

「今度はいつ戻ってくるの?」

と女将が冗談交じりで、だけどやさしく言ってくれたことだった。

おわり。

2016年8月25日木曜日

今度はいつ戻ってくるの? vol.2

客引きに捕まったのは、いつぶりだろうか。
サン・アグスティンに到着し、サレントで教えてもらったエル・マコという宿を探そうとしていた時、ふいに一人の客引きに声をかけられた。バイクにまたがった客引きだった。

(客引き?なんか久しぶりだな)

僕が移動中に立ち寄る田舎町で、客引きに遭遇することはあまりなかった。そもそも僕が立ち寄るような田舎町には観光客がいないので、当然それを目当てにした客引きも居ない。大きな都市に行く場合には、あらかじめ宿の情報を仕入れていくので、やはりあまり関係がない。しかも、バイクで移動している手前、バス停や空港など、彼らがいそうな場所に立ち入らない、というのも大きな理由だった。

そのバイクの客引きは、僕が何度も「エル・マコ、探しているのはエル・マコだよ」と口にしてもどこ吹く風だった。あげく自らのバイクで先導をはじめ、町から少し離れたひとつの宿に僕を連れて行った。もちろんその前に断ることもできたのだけど、その時はそうしなかった。なんだかあまり客引き然としていなかったことと、どこか憎めない感じが、そうさせたのかもしれない。


到着した宿は、果たして良かった。値段は15000ペソ。すこぶる安い。通された部屋にはベッドがふたつもあり、バーニョがプリバードで(シャワーとトイレが別なのは、安宿ではめずらしい)、大きな机と椅子があり、なんとテレビまで付いていた。バイクも、屋根の下に置いて良いという。
何にもまして良かったのが、町外れの緑多き場所にある、ということだった。町の中心部まで距離はあったが、この豊かな静けさは、それ以上の価値があるように思えた。
宿の人たちも大変感じがよく、僕は結局この宿に決めてしまった。値段と質で考えると、コロンビアのこれまで過ごした宿の中で、一番かもしれない。

それにしても、あの客引きは不思議だった。彼は宿の女将らしきに僕を紹介すると、さっさと自分のバイクにまたり、ふいと行ってしまった。なんだったのだろう?もしかしたら、ただのお人よしなコロンビア人だったのかもしれない。

緑の中の静かな宿だった。

 サン・アグスティンのパルケ(中央広場)。

そんな彼のおかげもあり、素敵な部屋に荷物を運び入れる。すべて終えると、時計の針は16時をまわっていた。サン・アグスティンはその遺跡が有名だが、今日はもう疲れてしまった。観光はしないことにして、町に散歩がてら買い出しに出た。
初めての町なので土地勘はない。といっても小さな町だから、帰りの方角だけ気を付けていれば、迷うこともない。気の向くままふらふら歩く。と、ボゴタのファティマという宿で知り合ったコロンビア人に、ばったりと出くわした。こんなところで再会とは珍しい。そう思ったが、さらに驚いたことに、彼はこの町に住んでいるようだった。

(へぇ。そんなこともあるんだな)

などと感心していると、彼の友達(といってもやはり旅のどこかで知り合ったらしい)アメリカ人と、一緒にパブに飲みに行く流れになってしまった。こんなところでアメリカ人とは珍しいと思ったが、さらに驚いたことに、彼はスペイン語を流暢に操るようだった。
まことに偏見なのだけど、アメリカ人が英語以外を好んで話すとは思っていなかったので、僕よりも上手なスペイン語を話すアメリカ人を目の前に、その考えを改めさせられることとなった。
ともあれ、薄暗いパブの丸テーブルに3人落ち着いて、コロンビアのビールで「サルー」と乾杯すれば、ちいさな旅のいちにちが楽しく過ぎていくのは間違いがなかった。

つづく。

2016年8月21日日曜日

今度はいつ戻ってくるの? vol.1

宿近くの小路を右に折れると、それはすでにダートだった。路端の小さな看板に、イバゲ106㎞とあった。

サレントを出た日、僕はアンデスの奥深くを走っていた。それは、地図にさえ載っていない道だった。通る車は、見当たらない。道の状態も、良くない。スピードがまったく出せなかったが、おかげでアンデスのダイナミックな景観をゆっくり楽しむことができた。
ときおり人家が散見されたが、これといった集落もない。すなわち食堂はおろか、売店さえ見当たらないというわけで、なんの準備もしていなかった僕は、手持ちのクラッカーと水のみ、というさみしい昼食を余儀なくされてしまった。


行きと違うルートを選んだのには訳があった。といってもたいした理由でもなく、ジュンペイさんにおすすめのルートを教えてもらった、というだけの話である。サレントは、主要な国道からわき道に入ったどん詰まりにある小さな町だから、そこから出るには当然来た道を戻るしかないと思っていた。事実、僕が持っている地図では、それ以外のルートは見つけられなかった。だけど、その土地に住む人たちは、地図に載っていないことを知っている。

「山の中を行く道だけど、景色はすごくいいし、なによりたくさんのココラが見られますよ」

そんな言葉で勧められたら、行かないわけにはいかない。地図にも載っていない道を走れるのだから、これぞバイク旅冥利に尽きる。という訳で、僕は目の前いっぱいに広がる山々を眺めながら、何の味もしないクラッカーを水で流し込んでいる、という訳だ。

群生するココラ。自然の力強さを感じる。

アンデスの山道。

こんな山奥にも人々の営みがある。

次の目的地は、サン・アグスティンだった。これまたサレントに負けず劣らず小さな町。小さな町ではあるが、遺跡群が有名で、ツーリストの多くが、そこを訪れているようだった。まさかその遺跡群が世界遺産だったとは、クラッカーをのどに詰まらせている時点では、まったく知る由もなかったのだけど。


イバゲ。カンポアレグレ。それぞれの町で、それぞれ一晩を過ごした。イバゲでは以前立ち寄った宿に入ったのだが、宿の親父は僕のことを思えていてくれて、なんだかうれしかった。しかも前回と同じ2階の角部屋の鍵を渡してくれた。

コロンビアも、だいぶ南部まで進んできたせいか、ごちゃりとした雰囲気が町に戻ってきたように思う。北部では大きな都市ばかり見てきたからかもしれないが、すでに大型スーパーに取って代わられていたメルカド(市場)も、南部の町にはきちんとあった。どこも同じ匂いで、このすえたような何とも言えない匂いが、なんだかちょっとうれしく思う。

カンポアレグレの安宿。
ベッドひとつだけの簡素な部屋だ。

涼しい山岳地帯から抜け出し、赤茶の水をたたえた川に沿って南に走る。サンアグスティンに到着したのは、サレントを出て3日後の夕方だった。

つづく。