昨晩からめっきり寒くなり、朝にはバイクに雪が積もるほどだったのですが、それは日が高くなっても変わることはなく、風を切って走る僕に容赦なく襲いかかりました。本当ならグランドキャニオンからフラッグスタッフを抜けセドナまで一気に走る予定でした。しかしあまりの寒さにあっさりそれを放棄。真冬の装備をしているならまだしも、こっちは冬に走ることなど想定していないのです。装備はいたって貧弱なのです。しかも地図を見ると、この先180号線は3000メートルと3600メートルのそれぞれの山の間を抜けています。そこは明らかに峠でしょう。それも結構な標高になるはず。
きっと2000メートルは下らないな。
そう思った瞬間、乾いた音とともに心が折れました。今はまだ太陽は高い位置にありますが、そんな峠で日が傾きでもしようものなら目も当てられません。今でさえすでに指先の感覚はないのです。
そうと決まれば話は早いのです。すぐにテントの設営。フライシートいっぱいに陽光を浴びたテントの内はぽかぽかと暖かく、寝袋のぬくもりがさらに体の筋肉をひとつづつほぐしてくれます。しかしそれも一時。陽が沈むまでのこと。夜になるにつれ太陽の恵みはしだいに薄れ、気温は一気に冷え込みます。そして夜中の3時時点でついにマイナス10度を下回りました。
確かにもっと寒いキャンプの夜を過ごしたことだってあります。しかしそれはきとんとした装備を使ってのことです。いくらダウンといえど3シーズン用の、それも10年以上も昔に買いすっかりロフトをなくしたそれではマイナス10度の夜は厳しすぎます。寒さのあまり目を閉じても、ひざを抱え胎児のように丸くなっても眠ることができません。仕方なくテントの全室でストーブを焚き、お湯を沸かし、熱い紅茶で体を温めました。
その後も結局眠ることができず、ただひたすら遠い朝を待ちわびる夜となりました。どこからか一番鶏の鳴き声が聞こえ空が白み始めたときは、やっとこの夜が終わるとほっとしたものです。
翌日は気合を入れなおし峠(結局標高は2400メートルもあった)に挑むもやはり寒さに凍え、それでも何とかフラッグスタッフからセドナへと到着することができました。
セドナと言えばパワースポットとして世界的に有名な街ですが、まぁあまりそういう方面に興味がない僕は観光地化されたきれいな街並みと、それを取り囲む奇妙な形をした岩山をさらりと眺め、もちろんなんのパワーを感じることもなく、結局街の酒屋でビールを買ってそこを後にしました。一応セドナでのT夫妻が泊まるホテルの住所は聞いていたのですが、グランドキャニオンから1日刻んで走ったために再会することはかなわずに終わりました。それはとても残念でしたが、この広いアメリカで偶然にも夫妻に出会い楽しい時間を過ごせたことはとてもいい思い出になりました。
セドナの街。すっかり観光地。
スヌーピー。らしい。
セドナ屈指のパワースポット。
なんだけど…。
その後は山の寒さから逃れるように西へ西へと突き進み、3日後の夕方には目指すロサンゼルスの街並みを見つけることができました。
バイクは寒いでしょ?とカイロをくれた。
あたたかい。
いったい僕はどこへ行けばいいのだろう?
ルート66。今はもうない。
最後の夜。
明日になればサンフランシスコから始めたグランドサークルツアーも無事に終わります。もちろんロサンゼルスですべての旅が終わるわけではなく、それは長い長い旅路の中に打たれる一種の句読点のようなものなのですが、夕陽の沈む方向にはダウンタウンの高層ビルが影となり、灯り始めた街の明かりは僕の胸を静かに締め付けるのでした。
おわり。
ということで、長かった「大陸の夢」シリーズも今回で終わりです。話自体はもう去年のことなのですが、のんびり書いていたらこんなことになってしまいました。
今の僕はと言うと、長かったロサンゼルスでの生活をついに終え、フレズノという街に来ています。日本の友達が偶然フレズノに移り住んでいて、異国での再会を果たすために訪れたのでした。
ロサンゼルスは今月の14日に出ました。結局なんだかんだと5ヶ月も滞在したことになります。その間移動はしていませんがもちろんたくさんの出来事があったわけで、でもそれをこの場で書こうかどうか今は悩んでいます。いずれ折りをみつけて書けたらと思っています。
とにかく、また旅が動き始めました。フレズノの後はメキシコへ向かいます。ついにラテンの世界へ突入です。カナダ、アメリカと続いた先進国ともおさらばで、この先続く第三世界に期待と不安で胸がいっぱいです。そしてこれからが本当の旅と言えるのかもしれません。
冬が終わったカリフォルニアはもう夏に向けてまっしぐらで、雨など降らず照りつける太陽が容赦ありません。それはまるでこれから起こるであろうさまざまな出来事に胸を熱くしている僕を象徴しているかのように。