荒れた海での戦いも、真夜中の航海も、大変なことは枚挙に暇がないが、それ以上にすばらしく価値のある旅だったと述懐した。その話しはどこか現実味を欠いていて、まるでおとぎの国の話しでも聞いているような感覚だったけど、同時に僕の胸を熱くするものだった。
やっとその言葉の意味が分かった気がした。実際に自分が海の上に出てみると、果てまで続く水平線を目の前にすると、あのときの言葉をすんなりと飲み下すことが出来た。その感覚はバイク旅で味わうものとはまた一味違うものだった。
ココ・バンデロでの時間は本当にゆったりしたものだった。
周りには海と、無人島しかない。天然のリーフに囲まれているおかげで外洋の波も僕たちのいるところまでたどり着くことは出来ない。碇を下ろしたボートは透明な海の上にぽっかりと浮かび、その下を大きなエイが2匹、ゆったりと横切っていった。
風がやむと音さえも消え、肌を刺す日差しだけが残った。何もないが、すべてが満たされていた。今が何日かも、まして時間さえ気にする必要性がまったくなかった。というよりも、考えることを放棄したと言ったほうが正しいかもしれない。世界中のすべてに等しく時間が流れている、という事実さえ忘れてしまいそうになる。ただ露出した肌だけが、しっかりと日焼けをしていった。
夜はデッキに上がり、潮風に吹かれながら寝た。船室のベッドはあてがわれていたのだけど、船内は裸で寝ていても汗をかくほど暑く、逃れるようにデッキに上がった。
まるで絵に描いたよう。
今日の晩飯はランゴスター(ロブスター)。
ラム酒のココナッツジュース割り。
南国の味。
クナ族のおばちゃんと。
ビーズの装飾がすてき。
早朝のまだ目を覚まさぬうちにボートはコロンビアに向けて出航した。
ベッドに横たわり目を閉じたまま、にわかな騒がしさを耳にしていた。低いエンジン音がとどろき、ゆっくりとボートは動き出した。
(あぁ。これでついに南米大陸へ降り立つことが出来る)
なんて感慨も束の間だった。リーフに囲まれた場所から外洋に出たとたんボートは盛大にゆれ始めた。その揺れはまるでなにかに八つ当たりでもしているかのようで、これが本当の船旅だと言わんばかりだ。
ついにきたか。何度となく聞かされていた。大型の船ならまだしも、小型のセイルボートでの航海は波との戦いだということを。
ここまで揺れられるともう僕にはどうしようもなかった。ただでさえ船には酔いやすいのだ。あらかじめ夜のうちに飲んでおいた酔い止めの薬が唯一の救いだ。
結局終始ベッドに横になったままだった。横になってさえいればなんとか落ち着くことができるが、トイレに行くために立つだけでも気分が悪くなる。胸の中を誰かが無造作にかき回されているようだ。まともに食事なんてできるはずもなく、空腹感を抱えながらも朝食も夕食も普段の半分も口にできなかった。
そんな僕とは裏腹に船に強い奴らはいたって元気で、デッキに上がりビールなんかを飲んでいた。いったいどこがどう違えばこの揺れの中でビールを飲むことが出来るのか微塵も理解できなかった。
小さな窓からは空と海が交互に見えた。ひたすら寝ているので時間の感覚がなくなる。とにかくはやく明日の朝になってくれることを祈るばかりだった。
浅い睡眠から目を覚ますとボートが揺れていないことに気がついた。ボートはコロンビア沖を巡航しているようだ。重い体をベッドから起こし、デッキへ上がる。目の前に陸が見え、その先に町が見えた。それがコロンビアのカルタヘナだった。南米大陸が、僕の目の前にあった。
おわり。