2011年1月27日木曜日

モーターサイクルは大陸の夢を見るか? vol.5

急遽ザイオンナショナルパークへ向かうことにした僕は、たっぷりとフリーウェイと格闘したあとマウンテンタイムのおかげで朝7時をまわってもまだ星のまたたく丘の上で、ちょぴり寒い朝をむかえるのでした。


乾燥した気候のためか、昼間には25度にもなるこのあたりも朝晩は結構冷えます。寝起きですぐにネックウォーマーがほしくなるくらい。そして今日も天気がいいです。空には雲というものが存在しないかのようで、いったいこのあたりで雨が降る日はあるのだろうかと思ってしまいますが、それでもバイクで旅をする僕としては晴れてくれるにこしたことはなく、なのでそんな思いもどこか他人事だったりします。

テントをたたんで出発。遠くに赤く荒涼とした山々が見えてきたと思ったら、それがザイオンナショナルパークでした。12ドルの入園料でチケットを手に入れ向かうはインフォメーション。まずはザイオンとはなんたるかを知らなければなりません。園内の地図をもらい、いくつかの情報を仕入れ、ベンチに座って作戦会議。なるほどザイオンナショナルパークとは、コロラド高原の隆起とそこを流れる河川によってナバホ・サンドストーン(砂岩)が侵食されたできた渓谷であるらしいです。ナバホ?

アイアン ライオン ザイオン

絵を書く人。
が、絵になる。

ザイオンはもともと予定になかった場所なので、まぁ1日見れればいいかな?と思っていました。しかしというか、やはりというか、その見ごたえは僕の予想をはるかに超えていて、予定なんて手のひらを返すがのごとくあっさり変更になりました。気の遠くなるような歳月によって侵食された渓谷を、それになぞるように見て周ることができるのです。数百メートルの断崖が、両脇からまるで襲い掛かるかのようなのです。えてして渓谷といえば上から眺めるものですが、ここは一番下からそれを見上げることができるのです。

しかも季節はずれの今はマイカー規制が解除されている(4月から10月までは園内を走るシャトルバスに乗らなければならない)ようで、自分のバイクで時間を気にすることなく自由に走り周れるというのもうれしいじゃありませんか。どうせ12ドルのチケットは7日間有効(その間は出入り自由)なのです。ただ通り過ぎるだけではもったいないのです。

そうと決まれば本腰をいれて観光です。ジャケットを脱ぎ、バイクにつんでいる荷物をほどき、サブバッグをとり出すと、そこに地図と水とカメラをつめ込んで、トレッキングルート(公園内には大小実にたくさんのルートがある)を2本歩きました。
木々はちょうど紅葉で、そそり立つ岩肌の赤と重なり、青空とのコントラストが素晴らしく、流れる川の水は穏やかです。そんな圧巻の大自然をのんびり歩くのだから気持ちがいいに決まっています。その谷間をバイクで走り抜けるだけでも最高の気分なのですから。

ザイオン渓谷。大自然。

迫り来る岩山。
もはや走る車は小さすぎて見えない。

のんびりトレッキング。

紅葉がまたよかった。

岩のトンネル。わくわくする。

彫刻のような岩肌。

圧巻。

翌日はみじかいトレイルの2本ほどやっつけて昼には出発しようと思っていたのですが、1本終わったところであまりにも短くて物足りず、結局ロングトレイルを歩くことにしました。地図を見るかぎりでは山の頂上に出るようだったので、それならきっと景色も最高だろうと思ったのです。せっかくのザイオン。そうそう訪れることもできませんからやれるだけやってみようということで。そうと決まれば早速準備です。昼食用にサンドイッチをつくり、バナナと紅茶と地図とカメラをバッグに詰め込んだら、靴紐を固く結んで出発です。

岩肌に取り付くようなのぼりから、谷間を縫うように徐々に高度を上げ、平坦な道をつないで頂上を目指します。日が高くなるにつれ陽射しが肌を刺し、きつい登りでは何度か休憩しないと汗が吹き出るほどでした。それでも景色のよさに助けられ、2時間ほどで頂上に到着です。
そこはまさに断崖絶壁の頂上で、僕なんかは足が勝手にすくんでしまいました。そしてあまりにも絶景です。感嘆の声が自然と口から漏れます。そんな頂上でランチをし、ゆっくり休憩して下山。駐車場に到着したとき時計の針は14時を少し周っていました。約4時間のトレイルは運動不足の体にはこたえるものでしたが、結果欲張ってよかったと思います。

登る。登る。空に向かって。

絶景。

くつろぐ その1。

くつろぐ その2。

その後は渓谷沿いの終点テンプル・オブ・シナワヴァまでバイクを走らせ、川沿いのトレイルで少し休憩し、ぞろぞろとカメラ片手にあるく日本人ツアー客を遠目で眺め、垂直の壁に挑むクライマーたちに度肝を抜かれ、そしてやっぱり後ろ髪を引かれながらザイオンナショナルパークを後にしました。

日本人はみんなカメラ好き。

ただの岩山。
ですが、この中にクライマーが。

中央下部のクラックにとりついているのがわかりますか?
なんてこった!

ザイオンを後にし、赤ちゃけた山々の峠道が消えるとまたしても広大な乾燥地帯に突入しました。9号線から89号線へ乗り換えれば、道はグレンキャニオンナショナルレクリエーションパークを抜け、モニュメントバレーへと近づきます。そこはグランドサークルツアーの東の折り返し地点です。

明日にはきっと(やっと)到着できるな…。

今日も地平線まで星が光る夜空を眺めながら、何もない大地で1日を終えるのでした。

つづく。

2011年1月16日日曜日

閑話 日帰りメヒコ

大陸の夢の最中ではありますが、先日ロサンゼルスからメキシコへと日帰りで行ってきたので、閑話としてそのときの話でもしたいと思います。アメリカ滞在期間中なら、国境近郊の町で72時間以内であれば特に審査を受けることなくメキシコへ出入国ができるよう(あんまり詳しくは知らない)なので、それじゃぁということで。

ロスから国境の町サンディエゴへは電車で行こうと思ったのですが、あやしい乗り合いバス(バスというかシボレーの15人乗りバンだった)だと往復で30ドルと電車の半値だったためそれで行きました。利用客はもちろん、乗務員までも全員メキシカンで、バスの中も外も理解不能なスペイン語が飛びかい一瞬たじろぎましたが、なんとか片言の英語で乗り込むことができました。

古めのシボレー。スペイン語が飛び交う。

丸太のような腕をした乗務員はロスから南へのびるフリーウェイをカーチェイスさながらぶっ飛ばすし、サスペンションが少しいかれたシボレーは急な車線変更のたびに大げさに揺れ、僕はなかなか寝付くことさえできず、気づいたら3時間。国境目の前に到着していました。

そこはサンイシドロという路面電車の終着駅でもあって、電車が到着するたびにたくさんの人(ほぼメキシカンだった)がゲートへと吸い込まれていきます。僕もそれに従いゲートへ。そこは(うわさどおり)心配になるくらい何事もなく、歩道橋をこえて鉄の回転扉を2回くぐるともうそこはメキシコでした。途中自動小銃をもった国境警備員がふたりいただけで、誰と話すこともなく、険しい顔の入国審査官に「サイトシーイング」なんていうこともなく、歩いていれば自動的にメキシコに出られる仕組みでした。こんなんで大丈夫なのかな?といらぬ心配をしてしまうくらいです。

サンイシドロの駅。走っているのはトローリーだ。

電車が到着するたびに吸い込まれる人々。

車両用ゲート。もちろんバイクもここで審査。

回転扉をふたつ。それだけでメキシコ。

そんなこんなで初めて足を踏み入れたメキシコ。それはとても衝撃的でした。日本から飛行機で飛んできたのならこれほどの驚きはなかったと思います。しかし陸続きでありながら、ひとつ壁を越えただけでがらりと変わる世界を目の当たりにしてしまうと、驚きというよりも戸惑いのほうが大きくて、しばらくぽかんとしてしまいました。

そんなティファナの街をぶらぶらと散歩。目抜き通りへ出て、屋台を眺め、土産屋を冷やかし、特になにをするわけでもありませんが、夕暮れになってアメリカへと戻ることにしました。

ようこそメヒコへ!てな感じでもない。

ティファナの中心地にあるオブジェ。国境からでも見える。

ティファナの街並み。メインストリート。

通りには雑多な土産屋が並ぶ。

メキシコのプロレス。ルチャリブレ。

帰り道。オブジェに夕やけが重なる。

アメリカへの帰りは一応入国審査がありました。しかしそれもアメリカの入国スタンプをチェックされて、二言三言話をしただけで

「ふん、行ってよし」

てな感じです。とてもあっさり。審査はあっという間ですが、しかしそれを受けるために長蛇の列に並ばなければなりません。話によると最後尾が見えないほどの列で2時間は覚悟したほうがいいよといわれていましたが、日が暮れはじめたこともあってか、僕は30分ほどで入国できました。

メキシコからアメリカへの入国待ち。練馬インターか?

とぼとぼとバスの発着所へ行くとバスは今まさに出発しようとしているところで、あわてて飛び乗ると車内はすでにぎゅうぎゅう。僕はメキシカンらしくちょいメタボなオヤジたちの間に押し込められると、もう身動きさえでない状態でした。そして体勢を立て直す間もなくバスは無情にも出発。左側のオヤジは気持ち良さそうに寝ているし(よく寝られるものだ!)、右側のオヤジはずっと何かを食ってるし、僕はまるきり身動きできないしで、結局フリーウェイを右へ左へ縫うように走る車のフロントガラスから赤いランプをただ見つめているしかありませんでした。

ロスに到着したのはもう9時近くでした。あたりは真っ暗。

ホテルまでは歩いて15分ほどですが、このあたりはあまり治安のいい場所ではなく、案の定酔っ払いの黒人に散々話しかけられ、ドキドキしながら足早にホテルへと戻りました。

部屋に戻り、熱いシャワーをあび、ビールをあけたところでやっと一息つくことができました。

往復のバスも、ティファナの街も、酔っ払いの黒人も、とても今日の出来事だったとは思えないほど長く感じる1日でした。

ホテルから眺めるロスの夜景。都会だ。

2011年1月5日水曜日

モーターサイクルは大陸の夢を見るか? vol.4

さて、どうしたものか。
ラスベガスの街を見下ろす丘の上で朝を迎えた僕は、地図を広げ今日について考えているのでした。

当初の予定ではこのまま東へ進み、ラスベガスを通過しつつグランドキャニオンナショナルパークへ向かうつもりでした。しかし地図を眺めると、グランドキャニオンから70マイルほど北にはザイオンナショナルパークなるものがあるではありませんか。

嗚呼ザイオン。どんなところだろう?

なんとなく名前くらいは聞いたことがありますが、実際なにがあるのかは知りません。これまでのナショナルパークのように予備知識が皆無なのです。

そうか。ならば行ってみようじゃないか。

はからずもヨセミテ、デスバレーのワンツーパンチですっかり頭の中がグランドサークル色に染まってしまった僕は、期待にふくらんだ胸のおかげでフットワークが軽くなり、もうどうせなら気の赴くままに走ってみようという考えになっていました。今にして思えばこの頃からすでに大陸熱病(大陸のスケールのでかさにすっかり思考回路がおかしくなること。僕が勝手にそうよんでいる)が発病していたのですが、それを自覚するのはもうちょっと先の話になります。

しかしそこに懸念点がひとつ。僕の地図(ミシュランのロードアトラスというやつだ)ではラスベガスからザイオン手前のセントジョージという街まで、道は15号線ひとつだけということになっています。そしてそれはしっかりとしたブルーの二重線で、疑う余地さえあたえず自分がフリーウェイであることを主張しています。その名もラスベガスフリーウェイ。距離約100マイル(160km以上)。考えるだけでめまいがします。

これまでの僕は極力フリーウェイを避けてきました。間違ってのってしまったり、サンフランシスコへの出入り(ゴールデンゲートブリッジやベイブリッジ)のようにそれ以外選択肢がない場合はすこしだけ使いましたが、以外は多少遠回りでも(えてして遠回りになるのだけど)一般道を走ってきました。
125ccのトライアルでフリーウェイを走ることは自殺行為です。いわずもがなまわりの流れにはついていけず、バックミラーに次から次へとあらわれる後続車に意味もなくあやまりながら、身をよじるようにして走らなければなりません。半ば捨て鉢で、とても生きた心地がしないのです。きっと背中は煤けていたはずです。

そんなフリーウェイを100マイル?冗談だろ?

さて、どうしたものか。
ラスベガスの街を見下ろす丘の上で地図を広げ考えてしまうのです。が、結局それも長くは続きません。ま、なんとかなるでしょ。これが僕です。笑

ということでますはラスベガスへ到着。街を南北にのびる604号線には豪華なホテルが乱立し、そこには自由の女神やらエッフェル塔やら、さらにスフィンクスまでも見つけることができます。大きな金のライオンもいたし、ハーレーが壁から突き出ていたし、しまいにはエレベーターがコカコーラのビンだったりしました、世界の規則性というものがまるで存在しない感じで、ここはいったい何なんだ?バイクでちんたら走り抜けるだけでもじゅうぶんその不思議な雰囲気は味わえます。とてもここが砂漠地帯であるとは思えません。そりゃオレンジの炎も燃えるというものです。

ラスベガスだぞぉ。水曜どうでしょうです。

我さきにと巨大なホテルが乱立。

ここはどこだ?

エッフェル塔は完成してた。

しかし夢とは儚いもの。やりたい放題だった街並みさえ、それを抜けるとあっけなく砂漠地帯に戻ってしまいました。それはまさに夢からさめるかのよう。あれは砂漠の蜃気楼か?街を抜けてなおラスベガスは不思議を残してくれました。

さて、ラスベガスを抜けたらいよいよ15号線に挑まなければなりません。腹を据えてランプウェイを駆け上がると、路側帯へとまっしぐらです。いちもくさん。とてもじゃないけど走行車線は走れないのです。フリーウェイの路側帯は十分に広く、そこを走っていれば本線の流れからは逃れることはできるのですが(何度かパトカーが僕を追い抜いていったが特に停められることはなかった)、そこには石ころやらバーストしたタイヤ(これが実に多い)やらがあちこちで、それをよけながら走るのに一生懸命にならなければなりません。それはそれで楽ではないのです。さらにガラス片なども多く、こんなところでのパンクはごめんです。

そんなフリーウェイをひたすら北上。1時間おきにフリーウェイをおりて休憩をし、ガソリンも給油し、セントジョージの町まで一気走りです。4時間以上の死闘のすえ、ぶじに一般道の9号線にのり換えたときはほんとうに安心しました。一般道でも結局右端が定位置であることには変わりませんが、それでもフリーウェイのようにドライバーの目が逆三角形ではない(右によって車を先に行かせると、手をあげて挨拶してくれる人が結構いる。日本ではあまりいない)ので心に余裕が生まれます。

フリーウェイ15。その名もラスベガスフリーウェイ。そのままか!

途中の街で休憩&給油。

あれ?場違いですか?

戦いつかれた僕は、ザイオン手前約20マイルの小さな街が見下ろせる丘の上でキャンプにしました。フリーウェイを走るのでもしかしたら今日中にザイオンか?なんて思いも朝にはありましたが、フリーウェイでも一般道でも最高速は変わらない僕のバイクでは、とどのつまりどこを走ろうと到着時刻にさしたる変化はないようです。

眺めの良い丘の上で、夕陽を眺めながら、せっせとワインを飲み、米をたき、チリビーンズを温め、街の明かりが灯りはじめると同時に空には星が浮かび、今日もまたゆっくりといちにちが終わるなぁなんて良い気分になって寝袋に包まるのは、きっと幸せ以外のなにものでもありません。

眺めの良い今日の寝床。ドカシーが泣かせるね。

今日も日が暮れる。灯る街明かりと宵の明星。

寝るときに気づいたのだけど、だいぶ東に来たおかげでなにげにマウンテンタイムゾーンに突入していました。メスキートという街あたりでその境を越えたようです。州もネバダ州からアリゾナ州のすみを一瞬かすめ、ユタ州へと入っています。自分にはなんの変わりもないのだけど、自動的に時計の針は1時間進んでしまうわけで(たかだか1時間なのだけど)どうにも調子が狂ってしまうのです。それでも気づかずに眠っていたら明日は1時間遅れで行動し始めるところでした。あぶないあぶない。

というかこのシリーズ(大陸の夢)も年をまたいでもう4話目です。いつまで続くんでしょうね?まったくロサンゼルスが近づきません。今回なんかザイオンさえ到着できていません。どーでもいーことにページを使いすぎなのです。というかアメリカがでかすぎなのです。僕のせいではないのです。と、責任を放擲しておきます。おやすみなさい。


つづく。

2011年1月2日日曜日

モーターサイクルは大陸の夢を見るか? vol.3

朝には冬を。昼には夏を。
いちにちの、それもたった数時間で味わった僕。東の空に浮かぶ雲が紅に染まり連なる山々の尾根から朝日が顔を出すと、広大な砂漠地帯で気持ちの良い朝を迎えるのでした。

あの太陽の出た山並みをこえれば、そこがデスバレーつまりは死の谷とよばれる場所です。アメリカに数あるナショナルパークの中でもその面積は最大で、さらには最も乾燥している死の谷。夏季はその暑さのために閉鎖するキャンプ場もあるとかないとか。

気持ちのいい朝。あの山を超えれば。

今日はそのデスバレーに向けて走ります。帯状にひろがる山が近づき、やがてそこへ入ると道は九十九折りになりました。しかしデスバレーとはよくいったもので、乾燥しきった一帯は本当に死の谷というにふさわしい感じです。赤ちゃけた山と、背の低い木ともよべない植物以外、何も見つけることができません。そんな景色の中を標高差3000フィートを登り、降り、砂漠地帯を抜け、また登り、また降りる途中で、ひとつめのキャンプ場をみつけました。

休憩のつもりで立ち寄ったキャンプ場ですが、なんとそこはフリーの(つまりは無料の)サイトでした。本来もっと先にあるキャンプ場にテントを張ろうと思っていたのですが、そこは18ドルもします。逡巡することもなく僕はテントを設営しました。さすがにフリーなだけあって設備と呼べるようなものはありませんが、ピットトイレと水道がひとつだけあります。しかしそれで十分。それ以上は望みません。なんといってもさえぎるもののないデスバレーがそこから望めるのですから。

デスバレーの中をひた走る。また山越えだ。

今日の寝床。なにもない、がある。

テントを張り終わってもまだ12時。空は雲ひとつない快晴で、太陽はたかい位置からギラギラと容赦ありません。キャンプ場周辺は見渡すかぎりなにもありませんが、13kmほどすすんだ場所に売店があり、まだまだ時間はたっぷりあることだし、観光がてら空荷のバイクで走り出しました。

まずは園内をのんびり2時間ほどループで走ります。砂丘が波打つ砂漠があったり、マッドキャニオンと呼ばれる奇妙な小山があったり、途中老夫婦に手招きで呼び止められ、ごつい双眼鏡で一緒に鹿を観察したり。ひとしきりデスバレーを満喫し、売店で冷えたビールを2本買ってキャンプ場へ戻っても、夕暮れにはまだ少し時間がありました。

ベンチにすわり日本から持ってきた本を読みながらビールをあけます。空は夜を急ぐかのように明るさを失っていきますが、同時にきれいな夕焼けも届けてくれます。

なんて理想的な1日の使い方なのだろう?

キャンプ場の住人はひとり、またひとりと好きなペースで夕食を楽しみ、空に星が浮かぶ頃、静かにテントに入っていきます。僕もそれに倣い寝袋にもぐりこみましたが、テントの入り口は開け放して満天の星空を眺めました。今日もいい日だった、単純にそう思えることが幸せなのかもしれません。

谷に向かってまっすぐにのびる道。目指すはビールだ!笑

海抜0m地点。最低地点は-86m。

黒い小山がマッドキャニオン。白い場所は砂丘。
それにしても広大。

これでもかといわんばかりに容赦ない太陽。

ほら、あそこにいるよ!
親切にも双眼鏡をかしてくれたご夫婦。

ぼちぼちディナータイム。ゆったりした時が流れる。

翌朝テントをたたみ、8時にキャンプ場を後にしました。出口付近にテントを張っていたご夫婦から手を振ってもらうと、たったそれだけで今日もいい日だと思えてしまいます。道すがらまだ見ていないポイントを見つつ、大音量のハーレー軍団にピースサインをもらいつつ、東へ抜ける190号線は思ったほどの峠ではなく、すんなり公園を後にしました。

自然の造形はいつも不思議だ。

メインの(18ドルの)キャンプ場。
これをキャンピングカーと呼んでいいものだろうか?

その後は頼りない看板を頼りに、地図では番号さえふられていない田舎道を通ってラスベガスを目指しました。途中カリフォルニア州からネバダ州へと、定規で一思いに引いたような実にアメリカ大陸らしい州境をまたぎましたが、そこにはなんの看板さえなく、ただアスファルトに「NEVADA」の文字が。たったそれだけ。なんとものどかでいい感じです。フリーウェイなんかに乗って移動していたらこの感覚は味わえません。

ここからネバダ。なにもない。だれもいない。

手持ちの食材がほとんどなかったので食料とワインを買い込み、この日はラスベガスまで行かずその手前でキャンプにしました。目の前にある小さな山に登るとラスベガスの摩天楼を一望できましたが、それは砂漠の中に突如として現れ、まるで切り絵でも見ているような、どこか無機質な印象を受けました。

夕食に野菜炒めを食べ、ワインを飲み、一眠りした23時。寒さをしのんで外に出ると、遠くにラスベガスの夜景がまるで暗闇に立ち向かう戦士のようにオレンジの炎を燃やしていました。それはあまりに明るく、おかげで空にある星達も身を潜めるほどです。あの煌びやかな炎の中で、いったいどれだけの人がどんな思いでいるのだろう。ひとり遠く離れた場所からそれを眺めていると、人間というのは不思議な生き物だなと思わずにはいられないのでした。

砂漠の中に突如として現れた欲望の街ラスベガス。

星をもかき消すオレンジの炎。燃え尽きることはない。

さて、明日はラスベガスを抜け、グランドキャニオンナショナルパークへと向かう予定。
だったのですが…。

つづく。