2013年10月27日日曜日

グラン・コロンビアへようこそ vol.3

朝目覚めたらパティオにイクちゃんがいたのは、彼女がサンタマルタから少し離れた小さな街へ移動する日のことだった。どうやら最後の挨拶に来てくれたらしい。彼女はこれから中米へ上がり、僕はこれから南米を下る。この先もうお互いの旅路が交差することはない。

パティオに置かれたテーブルを囲んで、チェコ人のバイク乗りピーターと談笑していた。イクちゃんは壁を作らない人だ、と僕は思う。誰とでも(たとえそれが日本人でなくても)すぐに打ち解けてしまう。それは特技と言ってもいいほどだ。旅を楽しんでいるな、と僕は思う。ヘンスも起きてきて4人で1時間ほどおしゃべりを楽しみ、見送った。

朝のパティオで。

彼女を見送ったからという訳ではないけれど、僕もそろそろ走ろうかと考え始めていた。ここカルタヘナに到着して数日が経っていた。宿には一緒に中米からボートで渡ってきた仲間がいて、2分と歩けば汗が噴出す暑いカルタヘナの街並みは美しかったけれど、地図を眺めるたび喜びと憂いが等しく混ざり合ったため息がでるほど、南米大陸は大きかったのだ。

2日も走れば次の国境がやってくる国土の小さな中米とは訳が違う。中米すべての国をひとつにまとめたってコロンビアの国土にかなわないんじゃないか、とさえ思えるほどだ。はやくその広大な南米大陸を走ってみたい。気持ちがはやった。

それから2日間、僕はバイクのメンテナンスをし、ピーターが持っていた南米の地図をコピーさせてもらい、銀行で手持ちのドルをコロンビア・ペソに替え、次の目的地メデジンの情報を仕入れた。
連日の晴天続きで陽射しは容赦なく街を歩くとやたらとのどが渇いたが、街角にはジューススタンドがたくさんあり、よく冷えたライムジュースが数十円で飲めるから干からびることはなかった。宿に戻って浴びる水シャワーも最高に気持ちよかった。これほど水シャワーが気持ちいいと感じたのはこの旅初めてのことだ。

各自メンテナンスをした日。
暑いので皆はだか。

街中のジューススタンド。
冷たいフレッシュジュースがうれしい。

最後の夜、一緒にボートに乗っていた仲間たちの多くが集まり、小さな教会の前にある広場で酒を飲んだ。ビールとコロンビア産のロンのボトルとコーラを買い、長く緩やかに弧を描く石造りのベンチに座り、とりとめのない話をした。ひとりの女の子が誕生日だと言い、皆で祝福した。

誰が言い出して集まったのか分からなかったけど、皆ぼちぼち次の街を目指しているようだった。サンタマルタへ行くやつもいたし、首都ボゴタへ行くやつもいた。皆で集まれるのも今日が最後というわけだ。

楽しかったのは、ボート仲間だけでなく他のバックパッカーたちがどんどん輪に加わっていったことだ。カルタヘナの旧市街、それも安宿が集中している地域だっただけに、誰かの友達とか、その友達の友達とか、もうどういうつながりなのか分からない旅人たちも集まってきた。オープンな雰囲気がいい。

その中に、ベッツィーがいた。彼女はヨーロッパ(確かオーストリアだったと思う)からのバックパッカーで、パナマ・シティーで同じホステルだった。何度か軽いおしゃべりをしただけだったけど、彼女は僕のことを覚えていて声をかけてくれたのだ。嬉しかった。なぜなら僕はすっかり彼女のことを忘れていたのだ。言われて初めて気がついた。だから正直に

「ごめん。言われるまで気づかなかったよ」

と話すと、彼女は怒るどころか笑顔で

「たくさんの旅人がいたからね」

と言い、そして再会の乾杯をした。オープンな雰囲気がいい。

彼女はこれからどこかの農場へ行き、しばらくボランティアをすると言っていた。バックパッカーの中には案外そういう人たちを見かける。僕はただバイクで走っていくだけの旅だけど、いろんな人がいて、いろんな旅を楽しんでいるのだな、と思った。

そのうちに誰かが買ってきた屋台の食べ物なんかが回ってきて、さらにもはや飲んでいる酒は誰が買ってきたものなのかも分からなくなった。ぼちぼち宿に戻るころにはもう夜中の1時を過ぎていて、シャワーを浴びてベッドにもぐりこんだらあっという間に眠りに落ちていた。

大きなコロンビア国旗と夜の街。

おわり。

2013年10月12日土曜日

グラン・コロンビアへようこそ vol.2

早朝の桟橋に集まったのは5人のバイク乗り。ボートでコロンビアに入国したその翌日で、バイクの通関作業を行うためだった。

集合時間の7時には全員が揃っていた。幾分早い集合時間だなと思ったが、いよいよバイクを陸に上げるという段階なのに、やはりボートは沖に停泊させたままなのがその理由のようだった。コロンビアの港は基本的に軍の支配下にあるようで、簡単にボートを桟橋につけられないらしい。

いったいどうするのかと思ったら、ゴムボートで1台づつバイクを渡すようだった。ウインチでバイクを吊り上げてゴムボートに乗せたら、バイクの持ち主がそれにまたがって押さえ、そのまま桟橋まで移動し、あとは数人の男たちが人力で桟橋まで持ち上げる、というなんとも力技だ。確かにそれはでは時間がかかる。

きっと今までもこの方法でやってきたのだろうが、万が一がないとも言えず、もしバイクが海に落ちでもしたら大変なことだ。考えただけでぞっとするので、そのことを考えないようにして作業を進める。僕の愛車は乾燥重量で100kgを切るほど軽量なので、作業は至って簡単だったのだけど、他のビッグバイクはその倍以上の重さがあるため、一連の作業にかなり骨を折っていた。

ゴムボートにバイクを乗せて、

そのまま桟橋まで。

桟橋近くの税関に全員が集合したのは9時にもなっていたのだけど、そこからさらに3時間、すべての通関作業が終わるまで待合室でひたすら待つこととなった。太陽が高くなるにつれ気温も上がる一方だったので、空調の効いた待合室は非常に過ごしやすいとはいえ、何もない待合室での3時間はその倍以上にも感じられた。

通関作業が終わり、ペルミソ(一時輸入許可証)を受け取ったら昼食をはさんで近くの保険屋へ出向いた。
しかしその保険屋では1年間からの保険しか扱っておらず、おかげで保険料が高かった。僕を含め他のバイク乗りたちもそんなに長い期間は必要としない(そもそも人間が90日の滞在しかできない)。一旦宿へ戻り、バイクを駐車場へ入れ、皆で歩いて街中の保険屋を探すことにした。

やっと通関を終えて。

午後の一番暑いさかりの中、汗だくになりながら街を歩き回り、何件目かの保険屋でやっと3ヶ月間の保険を取り扱っている店を見つけることができた。しかしドルでの支払いが出来ず、コロンビアペソを多く持っていなかった僕はその場で加入することが出来なかった。
結局手続きは明日に持ち越しとなり、手続きを進める皆を横目にひとり宿に帰ることにした。朝早くから行動していたにもかかわらず、時計を見るともうすでに16時をまわっていた。

翌日、宿を移ることにした。新しい宿は今居る宿から角をひとつ曲がった場所にあるホステルだったのだけど、同じ値段でありながら部屋が広く、なによりパティオ(中庭)にバイクを入れることが出来た。駐車場は宿代とは別に1日5000ペソ必要だっただけにこれはありがたい。同じボートに乗っていた他のバイク乗りも皆この宿に居るようだった。

部屋に荷物を運び、パティオにバイクを入れたら保険屋に向かった。途中銀行でトラベラーズ・チェックをコロンビアペソに両替すると、銀行の前でイクちゃんにばったり出会った。散歩中だという彼女とふたりで保険屋まで歩く。
保険は90日分で81000ペソ(約45ドル)だった。いささか高い気はするが、コロンビアは保険の加入が必須。手にした保険証はなんとも頼りない紙切れ一枚だったが、これで晴れてコロンビアを走れることは喜ばしいことだった。

つづく。

2013年10月11日金曜日

グラン・コロンビアへようこそ vol.1

ボートはゆっくりとカルタヘナの港へ滑り込んだ。水平線にうっすらと見えていた街の影は今やもう目の前で、立ち並ぶビルがこの街の大きさを物語ってた。港沖にはいくつものボートが停泊し、岸壁に張り付いている大型のタンカーからはコンテナが次々と下ろされ、山と積まれていた。

南米大陸だった。今、僕の前には南米大陸がある。果てしなく広い大陸が、手を伸ばせば届きそうなところに。
これから始まる新しい旅に胸がおどった。やはり船で渡ってきたことは正解だった。もし飛行機で空港へ降り立っていたなら、これほど心が昂揚することもなかっただろう。

ボートは港沖に碇を下ろした。てっきり着岸するものと思っていたがそうではないらしい。カルタヘナの街並みを見ながら最後の朝食をデッキでいただくと、クルーが小型のゴムボートを運転し、乗客全員を桟橋へと渡した。僕の足は、初めて南米大陸を踏んだ。

ボートでの最後の食事。

そして上陸。

イミグレーションまでは数台のタクシーに分乗して移動した。入国カードを記入するだけで、どこかの部屋に入るわけでもなく、役人のいるカウンターに並ぶわけでもなく、そのへんをぶらぶらしているだけでほどなくしてボートに乗っていた全員のパスポートにコロンビアの入国スタンプが無事に押された。

船に戻る。バイク乗り以外の乗客はこれで解散のようだった。が、バイクの通関作業は明日ということなので、僕らバイク組みはまた明日の朝桟橋に集合ということだった。
とりあえず一日過ごせるだけの荷物を持って陸へあがる。他の乗客たちはタクシーだったり歩きだったり、皆思い思いの場所へ散っていく。僕は、ドイツ人の自転車乗りヘンスと一緒にカルタヘナの旧市街へと足を向けた。

明日の通関作業ももちろんだが、数日はカルタヘナに滞在しようと思っていた。
これからのルートを考えたかったし、コロンビアの通貨も必要だった。カリブ海に面したこの港町は、古びた要塞と、歴史的建造物が世界遺産にも登録されている。さらに国内きっての観光地だとも聞く。

ヘンスもそのつもりらしく、それならふたりで宿の個室をシェアした方が良いだろうという話になったのだ。個室をふたりで使えるなら気兼ねがないし、部屋代も折半すればドミトリーに泊まるより安い場合が多い。普段ひとりで動いていると難しいことなのだけど、船の上で知り合えたのはラッキーなことだった。

港から歩き出すと、すぐに汗がふきだた。暑さにのどが渇く。コロンビアのカルタヘナは暑いところだと聞いていたのだけど、これはかなり暑いと形容しても足りないほどだ。
旧市街まで歩き、ヘンスが調べていたホステルに部屋を取った。ツインルームでひとり20000ペソ(約11ドル)は妥当な値段だったが、あいにく駐車場はなかった。明日バイクを引き取ったらどこか駐車場を見つけないといけないな、そんなことを考えていると、ホステルのロビーにひとりの日本人が入ってきた。

(あれ?どこかで見たことがあるな)

それは相手にしても同じだったようで、まるで時間が止まったかのように、ふたりの動きも止まってしまった。

イクちゃんだった。それは本当に偶然の再会だった。彼女とはグアテマラのアンティグアで会っていた。僕が走行中に転倒してしまい、怪我のために1ヶ月ほど停滞していたときに同じ宿だった。毎日一緒にシェア飯(食費を出し合い共同で食事をすること)をしていた仲間で、コロンビアに入ったとは聞いていたが、この広い国で、まさか僕が入国したその日に出会うとは。

「なんでこんなところに?」

可笑しかったのは、お互いの言い分が一緒だったことだ。

彼女はコロンビアからパナマへ向かうため、ここカルタヘナでパナマ行きのボートを探しているところだと言った。なるほどそうか。やはり中南米の間を空路を使わず移動しようとすれば、必然的にパナマ・シティー、カルタヘナ両都市に集まるというわけだ。

うれしい再会を祝して3人で出かけることにした。宿の前の食堂で昼食をとり、カルタヘナの旧市街を散歩した。街並みはとても美しく、多彩な建造物はどれもすてきだった。街を抜けて海に出ると一面のカリブ海を見渡せた。海岸に沿って城壁が作られ、いくつかの砲台が無造作に海に向かって置かれていた。
まさに今日、この海を越えて南米に降り立ったのかと思うと、長かった北中米の日々がすでに懐かしく思えてしまった。

まさかの再会。


要塞の砲台はいまでも海に向かっていた。

通りに立つ両替商に手を出したのが失敗だった。ATMでカードが使えなかったので、つい通りで声をかけてきた両替商にお願いしてしまった。レートは1ドル2000ペソとかなり良かった(銀行は1800ペソ前後)。後から思えばその時点で気づくべきだった。やっと南米大陸に入れたという浮かれた気持ちがあったのかもしれない。

40ドル分両替したつもりなのに、僕のポケットに入っていた金はたったの20000ペソだった。残りの60000ペソはどこへ消えてしまったのか。
最初に勘定したときには79000ペソが確かにあった。でもこれじゃ1000ペソ足りないよと相手にそれを確認させたときに抜かれたのだろう。その場にはヘンスもイクちゃんも居て事の成り行きを見ていたのだけど、誰もまったく気づかなかったのだから、相当手馴れているに違いない。

今までこういった手口をやられたことがなく、また盗難や強盗にも運良く出会っていなかっただけに、旅が長くなるにつれ鈍感になっていたようだ。

「That's Columbia!!」

ため息をつく僕の肩を、イクちゃんは励ますようにポンとひとつ叩いた。

「やれやれまったくコロンビアだね」

南米初日にして洒落た歓迎を受けてしまったけれど、これから続く長い陸路を考えれば今まで以上に気を引き締めて走らなければと、消えた30ドルはいい授業料と思うことにした。

つづく。

2013年10月4日金曜日

バイク輸送情報 アルゼンチン(ブエノスアイレス)~日本(成田)

長い旅を無事に走りきってくれた愛車ですが、帰国前に待ち構えるもう一仕事。それは「バイクを日本に持ち帰る」というものです。

長期で海外ツーリングを楽しむ人は、僕を含め大抵は日本からバイクを持ち出しています。やっぱり自分のバイクで走りたいという気持ちはありますよね。
で、海外に持ち出す際、基本的には「一時輸出」という形をとって持ち出します。旅が終わればいずれ日本に帰国するので、持ち出すとき(輸出)も、持ち込むとき(輸入)も、関税を払わずに済ませたい。それを実現するのが「一時輸出」というわけです。これであれば関税を払わずに済みますが、「一時」という名がつくおかげで、旅が終わったら日本へ「再輸入」をしなければいけません。よく「海外で売ってしまったら?」と言われましたが、輸出時に関税を支払わずに持ち出しているのでそれができないのです。

一度ペルーでバイクが故障したときにJAFのカルネ担当の人に相談したのですが、壊れた状態でもいいのでなるべく現状のまま日本に持ち帰ってくださいと言われました。一瞬旅の中断さえ頭をよぎりました。その後無事にバイクが直ってくれてまた走り出すことが出来ましたが、日本に持ち帰るという制約はよほどのことがない限り守らねばならないようです。

ということで、最終的に到着したアルゼンチンのブエノスアイレスから日本にバイクを輸送することにしました。ブエノスアイレスはご存知の通りアルゼンチンの首都、大都会です。大きな国際空港もあるし、海に面した都市なので港もあります。港があるなら貨物船が出てるだろうし、きっと日本航路もあるだろう。そんな軽い気持ちでいたのですが、なかなか手ごろな貨物船を見つけることが出来ませんでした。なので結局空輸することにしました。

お願いしたのはダカール・モト(www.dakarmotos.com)というところ。オフィスはブエノスアイレス市郊外にあり、ヨーロッパ出身のご夫婦が経営しています。バイクの販売、修理がメインのようですが、宿泊施設もあり、他国への輸送(空輸のみ)も受け付けています。英語対応してくれるし、ヨーロピアンのバイク乗りが多く利用しているようでした。

さて、空輸すると決まれば話しは早かったです。ダカール・モトのオフィスで予約した日から数えて4日目にバイクは空を飛びました。貨物船とはえらい違いです。梱包も簡易梱包(バイクをパレットに載せて巨大なラップでぐるぐる巻きにするだけ)なので、船のように木箱に入れる必要もありませんでした。空港の税関まで走って行きその場で梱包。大変らくちんです。

主な流れはこんな感じでした。

1日目
ダカール・モトのオフィスで受付。空港での作業手順、税関、保税倉庫の場所を詳しく教えてくれます。ダカール・モトへ手付金100USドルもしくは800アルゼンチンペソを支払います。所要時間は1時間くらい。

2日目
空港の指定場所へ10時半までにバイクを持ち込みます。もちろん自走です。一緒に梱包するものも持っていきます。僕はヘルメット、ウェア、スペアパーツ、工具、予備タンク、サイドバッグ、タンクバッグを一緒に同梱しました。ダカール・モトでの説明ではキャンプ道具や個人の持ち物は同梱できないとされていましたが、実際バッグの中身を確認することもなかったので、これらを入れても問題ないと思います。キャンプ道具を持ち帰るのも大変ですからね。
その後は保税倉庫へ移動し、バイクを梱包します。梱包サイズによって運賃が変わるので、僕はハンドルとフロントタイヤ&フェンダーを外しました。面倒ならそのままでも大丈夫です。タンクに入ったガソリンを抜き、バッテリーの端子を外します。梱包は係りの人が行います。作業は1時間半くらいで終わりました。
あとは通関作業が終わるのを待ち、空港からシャトルバスに乗って街へ戻りました。夕方ダカール・モトから輸送の総費用の連絡がきます。

こんな感じで梱包されていきます。

3日目
ブエノスアイレスのセントロにあるNAVICONという会社のオフィスへ行き、輸送費を支払います。オフィスで説明を受けたあと、指定の銀行で支払いをします。僕の場合の総費用は1651.76USドルもしくは8902.99アルゼンチンペソ。このときのアルゼンチンは闇両替(公定レートよりずっとレートが良かった)が出来たので、手持ちのドルを闇両替でペソに変えてから支払うと、1000ドルちょっとで済みました。この差は大きいですね。支払いが済んだら必要な書類(AirWayBill)を受け取ります。

4日目
バイクが日本へ向けて出発。

以上でアルゼンチン側での作業は終了です。貨物船に比べるととてもあっさりですね。

あとは日本側での受け取りですが、こちらも1日で済みました。送り先は成田空港なので、到着連絡を受けたら空港の貨物地区へ出向き、受付(僕の場合はユナイテッドカーゴでした)を済ませ、税関で通関作業をしました。

税関では輸入申告所の書き方が分からずに困ってしまいましたが、税関職員の方が親切に教えてくれたので問題ありませんでした。バイク本体の検査も、
「輸出時と特に違ったところはありませんか?」
「ありません」
あっさり終了です。
といっても検査員は輸出時の状態を知らないので仕方ありません。同梱した荷物も同様にあっさりと検査を通りました。いくらバッグを引っ掻き回したところで、出てくるのは長旅で薄汚れた道具ばかり。個人装備の範囲ならなんら問題なさそうです。
かかった費用は横持ち料や所在地証明書発行手数料(400円分の収入印紙が必要)をあわせて6559円でした。

あとは保税倉庫の片隅を借りてバイクを組み立て、日本のナンバーに付け替えれば一件落着(パレットやその他のゴミはユナイテッドカーゴの職員さんが無料で処分してくれました)。さらに空港内にガソリンスタンドがあるのですぐに走り出せます。

無事に帰国した愛車。組み立て中。

バイクの個人輸送は骨の折れる作業ではありますが、どの大陸間においてもその道が用意されているので、やはり情報収集と自分のやる気次第だと思います。
大雑把な説明でしたが、これから海外ツーリングをしたいと思っている人の役に立てたならうれしいです。