オタバロ族の民族衣装。どこか懐かしい。
村のマーケット。果物は豊富だ。
色鮮やかな土産物がたくさんだ。
アンデスらしい色彩。
ホテルは3件目で落ち着いた。たったの5ドルだ。コロンビアより、格段に物価は下がっている。この値段でありながら、ガスのホットシャワーとは幸せすぎる。途切れることのない暖かい湯に、身も心も癒される。もっとも、そんな物価の安いエクアドルの安宿でさえ、夕食には部屋でインスタントラーメンをすするという節約ぶりは健在だ。
道中、イバラの町の屋台で昼食。
コーヒーをごちそうになった。
小さな村でも、夕暮れのカテドラルは美しい。
翌朝オタバロを出発した僕は、キトを目指した。距離にして約80㎞。エクアドルの首都である。小さな村を出ると、それまでと同じようにアンデスの山々が広がったが、目指す赤道は、もう目の前である。
いったいそれがどういうものかは分からないが、走っていてれば、それと気付くものがあるだろう。そんな気持ちだった。なにせ赤道。軽い気持ちにだってなる。往来の少ない国道だとしても、それなりの目印くらいは出ているはずだ。少し開けた場所で休憩を取り、南へと走り続けた。まさか、その場所が赤道だったとは思いもせず。
結局、ペアへでその言葉を聞くまで、まったく気付きもしなかった。3㎞戻った先が、つい10分前に休憩した場所だと知った時は、驚きだった。
休んだベンチからそれほど離れていない所に、小さな地球を模したモニュメントがあった。そこから、赤いラインがまっすぐに延びている。
これか。
小さな広場に、あまりにも簡単に置かれているので、言われなければわからない。
なんて飾り気のない国なんだ。
赤道をこえるんだ。そう興奮していた僕とは対照的だ。
なんだか拍子抜けしてしまい、ベンチに腰を下ろした。あたりはつい先ほどと変わることなく、実に穏やかな雰囲気につつまれていた。ここが赤道だからといって、観光客が来るわけでもなかった。地元の人々が、いつもと変わらぬ時間を、いつもと変わらぬように過ごしているだけだ。
可笑しかったのは、赤道の真上がバス停になっていたことだ。
バス停と言っても、小さな村に、きちんとしたバス停があるわけではない。道がまっすぐで、見晴らしがよく、路肩が十分ある。それだけの理由なのだろう。人々が集まったと思ったら、北半球からやってきたバスに手を挙げ、赤道上で乗り込み、南半球へと去っていく。逆も、またしかり。
これか。飾り気なし。
まさか赤道上がバス停だったとは!
赤道をまたいで、当たり前に行われるその光景には、まっさらな生活観があった。
赤道だろうがなんだろうが、ここに住む人々には、それが常に日々の生活にあるのだ。
いつもと変わらぬ人々の営み。それを目の当たりにし、旅をする意味というものが、なんだかそこに見え隠れしているような気がした。
おわり。