2015年11月17日火曜日

サウンド オブ サレント vol.4

サレントで、ひとりの日本人と出会った。サレントに到着して2日目のことだった。
その日は朝から小雨がぱらつくあいにくの空模様で、サレントでメインの観光としていたココラ渓谷へはまた改めてかな?なんて、宿で暇を持て余していた。オーナーのフェルナンドに声をかけられたのは、そんなときだった。

「すぐ近くに日本人がいるんだ。ちょっと一緒に行こう」

なぜ僕をその日本人に会わせようと思ったのかは分からなかったけど、客は僕のほかに誰か居るのだろうか?そんなことを考えてしまうほど静かな午前中だったから、宿のオーナーといえど(僕と同じく)退屈していたのかもしれない。

連れていかれたのは、宿からほど近い土産物屋だった。店内はエスニックな雑貨が整然と陳列されていて、鮮明な色彩をふんだんに使っていながらも、どこか落ち着いた雰囲気が感じられた。ラテンの感覚とは明らか一線を画している。ジュンペイさんは、そんな店のオーナーだった。


それからというもの、サレントを出る日まで、僕はすっかりジュンペイさんのお世話になってしまった。町の中をいろいろ案内され、町の外れにある見晴らしのいい場所に連れていってもらい、ジュンペイさんの自宅にまで招かれた。そこでふるまわれた手料理は驚きの日本食で、その時に飲んだ手作り豆腐の味噌汁は忘れられない。
サレントに住んでもう8年になるというジュンペイさんは、なかなかの人気者だった。町を歩けばたくさんの人に声をかけられる。顔が広い。おかげで僕までサレントに住む様々な人と交流することができた。
 
町は山に囲まれている。

トゥロンボで遊ぶ子ども。日本のコマとほぼ同じ。

やらせてもらったけど、僕はうまく回せなかった。

 サレントでの2大目的の一つトルーチャ(マスの一種)。
アヒージョで。とてもおいしかった。

だいたい午後になると、近場のカフェで一緒にコーヒーを飲んだ。それは毎日のことであるらしく、店に入ればいつものように、いつもの人々が集まってきた。その輪の中にはコロンビア人も居れば、他の国からサレントに移り住んだ人も居て、皆この土地でゆったりとした生活を楽しんでいるようだった。会話は早口なスペイン語なので話の半分も理解できないのだけど、僕に話しかけてくるときにはだれもが簡単な言葉を選んでくれるので、ありがたかった。

毎日午後のころ合いを見て、いつものカフェまで歩き(といっても宿から30秒ほどだ)、コーヒーを飲み、とりとめのないおしゃべりを楽しむ。そんなことがたまらなく楽しかった。旅をしていればいろんな町に滞在するのだけど、町の人たちとこういった時間をすごすことは多くないように思う。
数日もすると、顔見知りになった人たちと町で会えば、気軽に挨拶を交わすようになった。それは、すごく気分のいいものだった。僕は、なんだかすっかりこの町の住人になった気分だった。小さな町だけど、サレントには旅人を優しく迎えてくれるだけの包容力があった。

夕照の中央広場。

知らない場所から知らない場所へ。旅はそんなふわふわとした非日常の連続だから、とりわけなにげない日常的な行為に新しい気づきを見つけられるのかもしれない。

おわり。

2015年9月16日水曜日

サウンド オブ サレント vol.3

ココラ渓谷は、サレントのハイライトと言える。
言えるのだけど、実のところボゴタで聞かされるまで、僕はまったくその存在を知らなかった。どうやら最近のツーリストの間では、その渓谷が人気らしい。それは、どちらかといえば知らない僕の方が恥ずかしい、そんな感じだった。

「ていうか、そもそもココラって何?」

という疑問は誰に聞くにも聞ず。いつもの様にのこのこサレントまでやって来てしまったのだけど、果たしてどうしものかと思案する必要は微塵もなかった。町には渓谷へと導く案内板が完備され、ソカロ周辺にはしかるべきツアーを行うエージェントが、やたらひしめいていたのである。どうやらココラ渓谷とは、世界一高いといわれる椰子の木が自生している渓谷のことらしい。


というわけで、サレントに来た2大目的のひとつ(もうひとつはトルーチャという魚を食べること)であるその渓谷へ足を延ばすことにした。落ち着いた雰囲気の町で日々ゆったりとしていると、何をするわけでもなく、時間が足音も立てず足早に過ぎ去っててしまう。

町から渓谷へは結構な距離があった。歩いていける距離ではないので、大抵はソカロから出発するジープに乗るか、ツアー会社の日帰りツアーに参加するということになる。でも僕にはオートバイがある。その必要もない。
宿のオーナーであるフェルナンドに尋ねると、道は一本だから問題ないという。本当かな?ラテンの人々の問題ないはえてして問題があったりするのだけど、現に小川沿いの田舎道が町から渓谷へと延びているだけで、迷いようはなかった。

入口に到着したら適当な場所にバイクを止めて、渓谷を歩いて周った。フェルナンドが渡してくれた簡易的な地図には、渓谷をぐるりと周れるトレッキングルートが載っていて、それをなぞって歩くのが、正しいココラ渓谷の楽しみ方らしかった。

やたら背の高い椰子の木(コロンビアの国樹らしい)が、地表からにょきにょきと生える光景は、なんとも不思議だ。アメリカのレッドウッド国立公園で見た巨木ほどの衝撃はないものの、まるで自分が絵本の世界に迷い込んだような気分にさせてくれる。なるほどこれなら観光客が増えるのもうなづける。などど勝手な解釈をしながら歩いていると、ルートはそこから山へと入っていった。

まぁたいした道でもないだろうと高をくくったのだけど、実際それは結構な山道で、時折雨までぱらつくし、ガスで視界は奪われるし、さらに沢沿いの道はぬかるんで歩きにくいったらない。なんてネガティブな面もあったのだけど、のんびりたっぷり4時間。やはり自然の中を歩くのは気持ちがいい。

世界一高いといわれる椰子の木。

高いものでは50mにもなるらしい。実はつけない。
 
結構本格的なトレッキングルート。

さらに面白かったのは、ひょんなことから相棒ができてしまったことだ。あまり天気の良くない平日とあり、すれ違う人はまばらだったのだけど、なぜか道中で一匹の犬と出会ってしまった。ふと気づくと、僕の少し前を同じ方向に歩いていた。一見して野良犬ではないことはわかったのだけど、こんな山中に飼い犬がいるのも珍しい。

犬の進むスピードは、僕よりも早かった。さっさと行ってしまうので、やがて姿が見えなくなる。だけど、驚いたことにしばらく進んだ場所に立ち止まっている。一定の距離まで近づくと、また歩き始める。まるで僕を待っているかのようだ。そんな馬鹿な。そう思ったのだけど、何度もそんなことが起きた。やがて疲れたからとひらけた場所で小休止を取ると、道の先に消えた犬はなんと引き返してきて、僕を確認できる場所に腰を落ち着けた。


「そうかそうか。じゃぁ一緒に歩こうか」

時間にして1時間ほどだろうか。最終的に、山の出口まで一緒に歩いた。
ふと、このままずっとついて来たらどうしよう。なんて勝手な心配をしてしまったのだけど、犬はどうやら僕よりも利口だったらしい。一軒の農家の前まで来るとするりと門を抜け、少し高い場所から僕を見送ってくれた。自分の役目を果たしたとばかりに少し誇らしげに見えた。僕はひとこと礼を言い、なんだか満たされた気分で町へとバイクを走らせることができた。

つづく。

2015年8月18日火曜日

サウンド オブ サレント vol.2

サレントには、わりと早い時間に到着できた。国道29号から30分ほど山道を走った先に、それはあった。落ち着いた雰囲気の小さな町で、周りには山しかない。不便な場所であるのに、コーヒーの産地として、またココラ渓谷という景勝地があるため、近年訪れる観光客は多いという。

町に入ると、協会の塔がすぐに目に入った。小さな町には大きな建物が他になく、どこからでも見つけることができる。山からの道がそのまま塔に向かって延びていて、緩やかな坂を登りきるとソカロ(中央広場)に出た。ソカロから北東にメインストリートがあるが、それはわずか200mほどしかない。道は碁盤の目にできているのでわかりやすく、小さな町だから、バイクで走ればあっという間だ。

町のどこからでも協会が望める。

カラフルな建物が立ち並ぶメインストリートの途中、目にもまぶしい朱色に染められた扉を叩いた。ボゴタで教えてもらった宿だった。何度かノックをすると、頭上のバルコニーからオーナーらしき人物が顔を出した。扉にはしっかりと錠がかけられていたから、もしかしたら泊まれないかも、なんて思ったが、頭上のオーナーはふたつ返事で迎え入れてくれた。

宿はとても清潔だった。どの部屋も掃除が行き届いていて、ベッドのシーツにはしわひとつなかった。オーナーはフェルナンドと言い、どうやら最近宿を始めたらしい。朱色の扉の奥の小さなスペースを、僕のバイク用に空けてくれた。
どのベッドも空いているようだったが、庭にテントを張ると1泊10,000ペソでよかった(ドミトリーは15,000ペソ)。安い。庭にテントといっても、施設内はどれも自由に使えるし、寝るときだけテントに潜り込めばいい。しわひとつないベッドも魅力的だったが、すっかり節約が身に沁みこんだ僕は、迷うことなくテントを選んだ。「節約=長く旅を続けられる」という考えは、行き過ぎると強迫観念になるらしい。

一通りの作業を終え、シャワーを浴びたら、メインストリートのどん詰まりにある階段を登ってみた。登り切った先には展望台があり、振り返ると町が一望できた。
数日前には、同じように丘の上からボゴタの町を一望していた。ビルが立ち並び、広大な盆地にどこまでも広がるそれとはまったく比較にもならないけど、ここには往来にあふれかえる車のクラクションも、雑踏もない。凪いだ海のような、寂たる町並みがあるだけだった。

メインストリートは鮮やか。
突き当りの階段の上には展望台。

一望。

宿に帰り、コーヒーをいれ、一休み。キッチンの前には誘うように吊り下げ式の椅子が用意されていて、その向こうには緑豊かな山並みがあった。ふわりとした心地の椅子に身を預け、熱いコーヒーをひとくち飲む。ふぅ、とため息がもれる。同時に、すでにこの町の雰囲気に溶け込んでしまった自分がいることに気付く。

「あ、これはやばいな」

グアテマラのサン・ペドロや、パナマのボケテに似ている。この雰囲気。気を抜くと、あっという間に1週間くらい過ぎてしまいそうだ。

「ま、それもいいか」

大都会の喧騒がいまだ耳に残る身としては、凪いだ海のような町で安らかに日々を過ごすことが、なにより贅沢に思えた。

ま、いっか。

つづく。

2015年8月17日月曜日

サウンド オブ サレント vol.1

思いがけずボゴタで野外フェスに参加した僕。人生初の野外フェスが、まさかコロンビアとは思いもよらなかったが、それも旅の魅力のひとつということか。
入場口ではアメリカの入国審査よろしく、靴の中までも調べられるという厳重なセキュリティーチェックを余儀なくされたにもかかわらず、会場内ではマリファナの匂いがプンプンするという、いかにもコロンビアを思わせる野外フェスだったが、入場が無料ということもあり、銀色に輝く満月が空に浮かぶまで、大音量のライブを楽しむことができた。


翌朝、ボゴタを出た。大きな町だけに抜け出すのに骨を折るかと思ったが、アウトピスタ・スルというフリーウェイを見つけると、すんなり郊外へ向かうことができた。南へと向かう道で、セントロのビル群が、バックミラーのなかで小さくなる。並ぶ家々が、低く、粗末になっていく。
「ボゴタか。いい町だったなぁ」
細く座り慣れたシートの上でつぶやく。永遠の秋を感じさせてくれた町。心に残る素敵な町だった。
 
 出発の朝。宿ファティマの前で。

その日はイバゲという町に腰を下ろした。目的地サレントとのちょうど中間にある。小さなバイクでの半日移動だったにもかかわらず、その季節はすっかり夏だった。またしてもマグダレナ川が流れる低地帯に降りてきたのだ。ボゴタでは忘れていた汗が、じっとりと肌にまとわりついてくる。こうなると、あの寒さがすでに懐かしい。

頃合をみて、宿の値段を聞きながら道を進んだ。予算は15,000ペソに決める。いくつめかの、セントロ手前の宿がぴたりと15,000ペソであった。空いている部屋はいくつかあったのに、一番いい部屋をあてがってくれたらしい。2階の角部屋で窓も広く、ベッド大きい。トイレとシャワーも分かれている。部屋にはなかった机も、いやな顔ひとつせずに貸してくれた。旅先でうける小さな気遣いは、本当にうれしいものだ。

シャワーの後は散歩がてらに夕食。レストランには入らず。エンパナーダの屋台をはしごした。あてもなく町を歩いていれば、至る所に屋台を見つけることができる。ふらふらとさまよいながら、見つけた屋台で小さなエンパナーダをひとつふたつと食べていく。なんだか祭りの夜店を思い出す。屋台ごとに味が違うのが楽しい。シラントロ(パクチー)たっぷりのサルサをかけると、尚おいしかった。
 
 夕暮れ散歩。

翌朝は6時半に起き、7時を少し過ぎたところで朝食を食べに出た。近くのパン屋に入ってみる。コロンビアは、パン屋が多いと思う。しかも大抵テーブルが置いてあり、買ったパンをその場で食べることができた。もちろんティント(コーヒー)だって飲める。朝早くからやっているから、どの町でも朝食には困らない。

ハム入りパンと、ティントのふたつで約1ドルの安さ。小さなカップながら、20円でコーヒーが飲めるのだからありがたい。朝の時間とあってコーヒーを飲みに来る人も多く、それだけコロンビアの人たちにコーヒーが愛されている証拠だろう。

荷物をまとめ、8時過ぎに出発。道は東へと進む。出発してすぐに驚いたのは、次に現れたカハマルカという町だった。目の前の崖の上に、突如として町が現れたのだ。深く切り立った渓谷に橋が架かっていて、それを渡った先にその町はあった。橋の上から眺めると、町がすっぱりと切り落とされてしまったようにも見える。なぜこんなところに。そう思わずにはいられない不思議な町だ。

不思議な町カハマルカ。

カハマルカを通過した道は、山へと入っていった。景色は、ダイナミックに移り変わる。しかし移り変わるのは景色だけではなく、標高を上げるにしたがい寒さも増していく。いつまで登るのだろうか。ボゴタの寒さが懐かしいなんて言ったのは誰だよ。実に自分勝手な悪態をつきながら、終わりの見えない峠道に震えを辛抱して走るが、ついに道は雲の中に突入してしまう。気温は一気にさがった。指先の感覚がなくなる。視界もきかず、もはや限界かと心が折れかけた時、やっと道は下りになってくれた。垂れる鼻水をすすり上げながら、暖かさを取り戻すべくぐんぐん下る。目指すはサレントだ。

心が折れかけた山頂はすっかり雲の中。

つづく。

2015年8月5日水曜日

永遠の秋 ~心に響く町~ vol.3

「そろそろこの町を出るかな」

すべての荷物をバイクに積み込んだ朝。あとはレセプションでチェックアウトをするだけだった僕は、パティオのテーブルにぼんやりと座っていた。いつもならとっくに食べられるはずの朝食が、今日に限って遅れていたのだ。他の宿泊者も同じようにテーブルにつき、とりとめのない話をしている。耳には静かなトーンの英語やスペイン語が響き、広いパティオに、ゆったりとした時間が流れていた。

特に急いではいなかった。次の目的地はサレントという町に決めていたからだ。今いるボゴタとは比較にはならないほど小さな町。いや、むしろ村といった方がいいかもしれない。地図で距離を読む限りでは、2日に刻んで走る結論だった。ならば急いで出発する必要もなし。ゆっくり朝食を取ってからでもいいか、そう思ったのだ。

パティオにはひとりの日本人が、同じように朝食を待っていた。少し話しをする。どうやら昨日他のホステルから移ってきたらしい。そうこうするうちにもうひとり日本人の女の子もやってきて、3人で朝食を待ちながら旅の話を楽しんだ。


女の子とは、2日前に会っていた。朝のロビーで初めて会ったのだけど、やけに浮かない顔をしていたのが印象的だった。聞くと、ついさっき荷物を盗まれたのだ、と言った。
早朝ボゴタのバスターミナルに到着し、そこから宿へ向かう途中のこと。詳しくは知らないが、20kgはあろうかというメインのバックパックを持っていかれたらしい。気の毒に思ったが、どうすることもできない。盗まれたのが、貴重品やパソコンが入ったサブバッグでないのが不幸中の幸いか。かなり落胆した様子だったが、その日の夕方、もう一度ロビーで会ったときには少し落ち着きを取り戻していた。警察で盗難証明をもらい、取り急ぎ必要なものは買ってきたと言う。さらに次の日には、ぴったりのジーンズを見つけてきたと、笑顔を見せた。
「強いなぁ」
率直な感想だった。海外で盗難にあい、それでもその日のうちにやるべきことをひとりでこなす。なんともタフだ。そうでなければ、女の子がひとりで海外の長旅なんか出来ないのかもしれない。さらには驚いたというか、感心させられたというか、彼女はこんなことも言った。
「盗まれたのは主に着替えとか、タオルとか。ジーンズなんて3本あったの。20kgもあるバックパックだったのに、本当に必要なものなんてあんまり入ってなかったみたい。盗まれたことは許せないけど、今はすごく身軽になった気がする」


もう一人の旅人は僕と同じくらいの年の男性だった。彼は、南米を旅しながらスペイン語を勉強していると言った。その言葉は、僕にとって青天の霹靂だった。なぜなら彼は旅をしながら、出会った人々との会話の中でスペイン語を学んでいたからだ。そしてかなりの語学力を身につけていた。勉強するには学校に入らなければ。そう思って疑わなかった僕は、事実グアテマラで学校に入ってスペイン語を勉強したものの、その後の語学力は大して変わり映えしなかった。
「なんだって気持ちひとつなんだ」
その気づきは、確実に僕の目を開かせてくれた。(おかげでこの出会いから、僕も旅をしながらスペイン語を(ゆっくりとだけど)勉強していくことになる)


結局3人で朝食を取り、そのまま10時過ぎまで話をしてしまった。そして、なぜか「野外フェス」に行くことになってしまった。

ちょうど今、ボゴタでは大規模な野外フェスが開かれていて、今日がその最終日らしかった。僕はそのことをまったく知らなかったのだけど、男性が昨日すでに行ってきたらしく、すごく良かったから一緒にどうか?ということになったのだ。しかしすでに荷物はバイクの上。逡巡する僕に、

「荷物なんて、解いちゃえばいいじゃん」

と、ふたりは言った。
その言葉に押されたのか、魅力的なふたりともう少し同じ時間を共有したかったからか。チェックアウトをしに行くはずだったレセプションに、挙げ句連泊の申し出をしに行くといういかにも旅らしい行為に甘んじてしまうのだった。

おわり。

2015年7月31日金曜日

永遠の秋 ~心に響く町~ vol.2

ボゴタではファティマという宿にベッドを取った。ドミトリーで18,000ペソ(約10ドル)。最安とは言えないが、朝食付きでこれなら安い。旧市街の好立地にあるおかげで、だいたいどこへでも歩いて行ける。スタッフも感じがよく、バイクも敷地内に入れてもらえてありがたかった。人懐こい飼い猫のファティマもかわいい。ロビーのソファーに座っていると、するりと膝に乗ってくるほど人懐こい。
大型のホステルだから共有スペースが多く、パティオ(中庭)も広くて明るいのだけど、その分宿泊者は多い。多くの欧米人はやっぱり夜型だから、夜はパティオで大ダンスパーティーなんてことも。陽気な雰囲気が好きならいいのだけど、夜ゆっくり寝たい人には向いていないかもしれない。

ボゴタは首都だけあって大きな町だった。通りの往来は多く、蛇腹式の連結バスが縦横無尽。大きな協会がいくつもあって、その前には広いソカロ(公園)がある。町を歩いていてもその大きさがわかるのだけど、モンセラーテの丘に登るとそれが一目で実感できた。

丘は町の東側、旧市街のすぐ裏にあった。山麓から山頂までロープウェイが走っているけど、駅のわきには遊歩道が整備されているので、歩いて登ることもできる。治安がよくないので遊歩道は危険だと聞いたけど、日中なら多くの人が行き来しているので、危険を感じることはなかった。それどころかすれ違いざまに誰もが「オラ」と陽気にあいさつをくれるので、清々しいくらいだ。ただ、なかなかの階段なので、疲れる。

約1時間の登りで頂上へ到着すると、ボゴタの街並みが眼下に開けた。それは大きな盆地に広がっていて、その広大さに、ここが標高2600mにある町だということを忘れてしまう。なんたって富士5合目よりも高い。
さらに頂上には白壁の、天に十字架を掲げた協会があった。
「へぇ、協会まであるんだ」
てっきり展望台があるだけと思っていただけに、驚いた反面、なるほど町を見下ろせる頂きに協会があるというのは自然な感じもする。

登りきったご褒美。
広大な盆地にボゴタの町が広がる。

山頂にあるとは思えないほどの協会。

遊歩道をのんびり下って帰る。

 ロープウェイならあっという間かな?

ボゴタにはいくつかの博物館があって、それらを数日かけて見て回ったりもした。もともと無料の博物館もあるが、ありがたいことに日曜になると無料開放される場所もある。国立博物館や、人気の黄金博物館でさえ、日曜日は無料開放されるという太っ腹ぶり。さすがに日曜日は来場者が多いので、ゆっくり見たいという人は入場料を払って平日に来た方がいいかもしれないが、ボテロ博物館、紙幣博物館、黄金博物館、国立博物館、これだけ回ってもまったくお金がかからないというのだから、旅人にはうれしい限りだ。

黄金博物館。
日曜日は開館前から行列ができていた。

 興味深い展示を楽しめる。

 昔の人はどんな思いでこれを作ったのだろう?

首都は大抵つまらない、なんて思っていたのだけど、何かが僕の心の琴線に触れたのか。ボゴタはとても雰囲気のいい町だった。博物館も見て回ったし、丘に登って景色も楽しんだ。だけど町を歩いているだけで楽しかった、というのが一番だったように思う。
「いい町だったな」
ぼちぼち出発しようと荷物をまとめた日の朝。バイクに荷物を積み終えたはずなのに、その場で荷物をほどくことになろうとは、まさか思ってもみなかった。

つづく。

2015年7月21日火曜日

永遠の秋 ~心に響く町~ vol.1

道は45号線だったはずなのに、標識を盲目に追っていたらいつの間にか50号線になっていた。同時にマグダレナ川沿いからは離れ、ぐんぐんとその標高を上げていく。次の目的地はボゴタ。標高は2600mもある。

道路工事がやたらと多い。どうやら崖崩れらしい。さすがのコロンビアも、道路状況は日本ほど良くはないようだ。片側通行になっているのだが、重機が動いている間は両方向とも通行止めにするので、待ち時間がやたら長い。あまりに長いので、みな車やバイクからおりて木陰で休んでいる。のんびりしたものだ。僕もヘルメットを脱いで一緒に座る。休憩にちょうどいい。いいのだけど、果たしてどれくらい待つのだろう?そんな気持ちにもなる。日本では考えられないな。なんたって赤信号が切り替わる秒数まで表示する国。エレベーターの閉まるボタンを連打する国。ラテンとは程遠い。しばらく待って、やっと対向車が来て、木陰の人たちもやれやれと腰を上げた。

川沿いはジャケットがいらない気温だったのに、山に入ると途端肌寒くなった。さらに標高はぐんぐん上がり、終いには凍えるようになってしまった。ジャケットの下にダウンを重ねる。指先の感覚がなくなる。一体どれだけ気温が下がるのだろう。心配したけど、一番寒かったのはやはり峠の頂で、広大な盆地に入ると少し温かくなった。道は、やがてボゴタに入っていった。

ボゴタ。コロンビアの首都。ほんの20年前までは世界でもっとも暴力的な都市とされていた。が、今の僕の目には永遠の秋を感じさせてくれる郷愁の町に映った

ボゴタ。きれいな町だ。

ボゴタは涼しかった。むしろ肌寒いといった方がしっくりくる。それは、秋が深まり冬の足音がどこからか聞こえ始めた、そんな感じ。そんな気候が僕の胸にささったのか、はたまた町の雰囲気が良かったのか、ボゴタでの滞在はとても心地よいものだった。時間を問わず、場所に関係なく、町の中を歩いているだけで安らいだ。
以前、まったく逆の体験をしたことがある。ホンジュラスのテグシガルパ。どこよりも居心地の悪かった町。まったく心に響かなかった町。歩きながら、ボゴタはその正反対にあるように感じた。




町の至るところにコーヒースタンドがあるのもよかった。暖かいコーヒーがいつでも飲めた。さすがコロンビアだけあってどのスタンドでもおいしく、そんなコーヒーが1ドルでおつりがくるのだから、ありがたい。
燃えるような暑さのカルタヘナでは、乾いたのどを潤すキンキンに冷えたフレッシュジュースがありがたかったけど、肌寒いボゴタでは、冷えた体を温めるコーヒーがうれしい、というわけだ。

町の至るところに、

コーヒースタンドがある。

 なかにはこんなレトロなスタンドも。

古いエスプレッソマシーンを使っているところが多い。

これはカルタヘナのジュース・スタンド。
キンキンのライムジュースがうまかった。

コロンビアは季節を旅する、そんなことがガイドブックに書いてあったのを思い出す。まさにその通りだと思った。カルタヘナは燃えるような夏だった。メデジンは永遠の春で、ボゴタは深い秋。日本から遥か緯度を下げた国は南部に赤道が走るほどなのに、さまざまな季節を感じることが出来た。

つづく。

2015年7月15日水曜日

ラ・ドラダ

メデジンを出発した日、僕はラ・ドラダという小さな町にいた。セントロ(町の中心地)にある安宿に腰を下ろしたときには、もう18時近くになっていて、暗くなる前になんとか間に合ったという感じ。アンデスの山道はアップダウンが多く、小さな排気量のバイクでは走るのが大変というのはあったけど、そもそも朝寝坊をして宿を出たのが10時を過ぎていたのが大きな原因だ。移動日に寝坊するなんて旅人としてあるまじき行為(大げさ)であるが、昨夜遅くまでパティオでおしゃべりをしていたのだから仕方がない。沖融たる時は刹那のごとし。

みんなに見送られる。
いい宿だった。ホスタル・メデジン。
 
一休み中。

今日の宿。
小さく「HOTEL」と書いてある。

それにしても暑い。「なんだよこの暑さは!」すっかりメデジンの快適な気候に慣れきった体では、暑さに毒づきたくもなる。宿のシャワーは久しぶりに水のみだったのだけれど、それすらありがたい。メデジンは山中にあるため標高が高く過ごしやすい気候だったが、コロンビアを東西に分断するように大きく南北に走るマグダレナ川の川べりにあるラ・ドラダは、その標高を一気に下げ、結果気温は一気に上がった。すっかり忘れていたのだけど、赤道は目と鼻の先ということをいやでも再認識させられる。

見つけた宿は町の中心近くにあって、12,000ペソ(約7ドル)と予算内にぴたりと収まる値段(部屋にテレビまで付いていた)。バイクも屋内に入れらせてくれたし、宿の人もみな親切で居心地も良さそうだ。さらにレストランが併設されているので、到着が遅くなった身としてはすべてがここで片付いてしまうのがうれしい。部屋に荷物を入れ、シャワーで汗を流したら、夕闇が迫る藍色の町を散歩した。

宿のマスコット。

町をぶらぶら。
 コロンビアは本当に空がきれいだと思う。

宿に戻り、レストランで食事にする。スープ(前菜)、カルネアサード(牛肉を焼いたの)、フリホーレス(煮豆)、揚げバナナ(好き)に米で3500ペソ(約2ドル)。


味もまずまず。なにより安くていい。いいのだけど、ちょっと物足りなさを感じてしまう。なぜか?トルティーヤがないのだ。
メキシコから中米のニカラグアあたりまでは、完全にトルティーヤ文化だった。それもそのはず。マヤの人々はトウモロコシから人類が生まれたと信じていた(る?)ほどだ。レストランで食事をすれば、ホカホカのトルティーヤが布に包まれて出される。おかわりは自由。というか、なくなると自動的に運ばれてくる。
しかしなんということか。それ以南では主食が米に取って代わってしまった。トルティーヤがすっかり姿を消し、少し残念な気分というわけだ。あのトウモロコシ独特の香りが懐かしい。もっともメキシコに到着したての頃は、その独特がいまいち苦手だったことはご愛嬌。

レストランの調理場に立っていた女性はたいへん話好き。あれこれ質問が飛んできた。が、なにを言っているのかよくわからない。早口なのだ。言葉を聞き取るためにはよく耳を澄ませていなければならず、食事をおいしく頂いている場合ではない。
これはコロンビアに入って思ったことだ。コロンビア人のスペイン語は早口だと思う。他の南米の国は知らないが、中米のそれに対しては間違いなく、早い。特に僕はグアテマラののんびりしたスペイン語で勉強したものだから、彼らのスピードについていくのがもう大変である。好きな揚げバナナの味もわからない。

食べ物にしろ言葉にしろ、色々なことが国や地方によって様々で、様々なことが色々だった。ラテン・アメリカの国はほぼスペイン語が公用語なだけになんとなく同じ文化圏のように感じてしまうが、それはまるで違っていた。陸伝いに少しづつ移動を続けていると日々感じる違いは小さいのだけど、あらためて遠くを思い起こす時、そのコントラストを楽しめるのだった。

おわり。

2015年7月12日日曜日

彩りの街 vol.3

メデジン到着2日目にして体調を崩し、その後3日間を寝て過ごしてしまったのの、それ以外はきちんと旅行者として正しい行動をしていたように思う。

いつものように、街のあちこちを散歩した。メデジンは一年を通して気候がよいので、日々の散歩がとても気持ち良かったのを覚えている。
夜はパティオでビールを飲みながら、コロンビア人たちを交え、日本語、スペイン語がごちゃまぜになった会話に花を咲かせた。旅の話から恋の話まで。楽しい時間はあっという間だった。サムライ・カリエンテ。
メデジンが誇るメトロに乗り込み、街の夜景を見に行ったりもした。メトロはてっきり電車であると思っていたのだけど、街の両側を山に囲まれたメデジンは、山肌に続く郊外へはなんとロープウェイが延びていた。電車ではなくロープウェイを使わなければならないほど山は急こう配というわけで、だから山頂付近の駅からは谷底に広がるきらびやかなメデジンの夜景が一望できた。
また、中心街にある銀行をいくつも歩き渡り、足を棒にしながら少しでもレートの良い銀行を見つけ、手持ちのトラベラーズチェックをコロンビアペソに替えたものの、なぜか表示とは違うレートで両替されてしまい、だけどそれを問いただすだけの勇気も語学力も持ち合わせていなかったため、歩きまわった数時間が徒労に終わったこともあった。

電車から乗り換え。まさかのゴンドラ。

谷にのびる夜景。

そんななかで、特に印象に残っているのがメデジン日本語クラブを知ったことだった。
メデジンではひとりの日本人女性が学生相手に日本語を教えている。それがメデジン日本語クラブで、その活動を少しでも多くの人に知ってもらうため、ふらりとメデジンを訪れた旅人にもその門をひらいていた。

コロンビア人が母国で日本語を学ぶにあたり、ネイティブな日本人との会話がどれだけ有益か。その機会は多ければ多いほどいいのだけど、そもそもコロンビア自体に多くの日本人が住んでいるわけではない。そこで世界中をふらふらと旅しているバックパッカーが出番というわけだ。

講師であるカオリさんはなかなか活動的な人で(コロンビアで日本語を教えようというのだから活動的でなければできない)、学生による日本語でのスピーチコンテストを行ったり、自宅での日本料理教室を開いたり、精力的に活動をしている。そして僕はその日本料理教室に遊びに行ったというわけだ。

同じ宿に泊まっていたユキ君(彼はメデジンに長期でスペイン語の勉強をしにきていて、カオリさんとは面識があり、今回は彼に誘ってもらった)と一緒にでかけた。
約束したスーパーマーケットでカオリさんともうひとりの日本人パッカー、さらに学生3人と落ち合い、必要な食材を買い、カオリさんの自宅へ向かった。その日の料理はお好み焼き。学生たちを交え、あーだこーだとおしゃべりをしつつお好み焼きを作った。出来栄えは、まぁ、置いておくとして、みんなで作れば楽しくいただけるというものだ。

学生たちは全部で5人。日本の文化や習慣、歌やアニメに至るまでどんなことにも興味があった。おかげで質問は絶えなかったけれど、そこにいたほぼ全員が優しい日本語なら問題なく理解し、話すことができたので助かった。伝えたいことがうまく伝えられない、外国語独特のあのもどかしさがどこにもない。同時にコロンビアでこれだけ日本語を熱心に勉強し、話せるようになっている学生たちに驚かされた。日本の学生なんて、何年も英語の勉強をしていながらネイティブ相手に話しをすることなんてできない。

会も終わりに近づいたころ、ひとりの女の子が東日本の震災にむけて書いたというスピーチを、僕らのために聞かせてくれた。長いスピーチだった。すばらしかった。心が温まるものだった。聞きながら、カオリさんはコロンビアの学生たちに単に日本語を教えるだけでなく、日本という国そのものを教えているんだな、と感じることができた。

上手にできるかな?

みんなで。

おわり。

2015年7月10日金曜日

彩りの街 vol.2

お久しぶり過ぎるブログです。
アメリカ大陸縦断旅から帰国して早2年が過ぎようとしています。え?もう!?光陰矢の如し。時間は無情にも過ぎ去ります。だけどブログはすっかりコロンビアで立ち止まったまま。
旅の日々が懐かしい思い出になりつつある今日この頃。当時の日記やら写真を見ながらブログを起こすという作業がちょっと楽しく思えるようになりました。人間変わるもんですね。そしてぼちぼち熱を持ち始めた「旅したい病」が、この作業で少し緩和します。旅は麻薬。お願い。もうちょっと待ってくれ。
そもそも三日坊主な僕なのでどこまで進めるかわかりませんが、書いた分は順次アップしていこうかと思います。長文駄文おそまつさま。相変わらずだらだら感満載でお送りしますが、お腹一杯なんて言わず、気が向いたらのぞいてみてくださいね。では1年前の続きからどうぞ。しょっぱなから長いです。笑

***

「バイク乗りならばね」

ヘルメットを片手に呼び鈴を鳴らした僕は、その言葉の意味をすぐに理解することができた。メキシコから引き連れてきた言葉だけど、やっと溜飲を下げることができた。

仕立て屋の女性の親切によって無事に目的地にたどりつくことができた僕は、実際宿のオーナーが女性だとは微塵も思っていなかった。ましてやバイク乗りで、そんな宿だからこそ世界中のバイク乗りたちがここへ羽根を休めに来るのだということも。


荷物を載せたままのバイクでガレージに通された。宿にガレージが併設されていることはうれしい。それも建物内にある。自分の部屋から外に出ることなく直接愛車のところまで行けるようだ。毎度の宿探しはバイクの保管場所探しも常なので、ガレージがあれば一石二鳥というわけだ。数日は滞在しようと思っている宿だけに、安全なガレージがあることは精神衛生上たいへんよい。

ガレージにはバイクを数台止められるスペースがあって、見渡す壁にはたくさんの写真とメッセージカードが飾られていた。それは国籍や性別を問わないバイク乗りたちのもので、そのひとつひとつを眺めていくだけで楽しかった。見たことのある景色もあれば、まだ見たことのない風景もあった。それぞれの旅が写真を通して僕の目の前に広がっていくようで、オイルのにおいがするガレージに物語を持たせていた。それが、ホステル・メデジンだった。


メデジン。麻薬大国であるコロンビアの中枢。メデジンカルテルが暗躍し、膨大なコカインマネーがもたらされた、と聞いたことがある。もっともそれも一昔前の話で、現在組織は事実上壊滅。今街の中心部をあるいて治安が悪いと感じることはなかった。もちろん個人的な意見だし、スラムと呼ばれる場所を歩いてはいないのだけど、僕としては中米の治安の悪いとされる街の方が怖さを感じた。
街は近年すっかり衛生的に造られていて、モダンな公園や複合的なスポーツスタジアムがあり、その上をメトロと呼ばれる電車が走っていた。反面、雑多で活気のある市場通りがきちんとあり、人影少ない裏通りに薬物中毒者が生気のない目でうずくまるように座っているのを見かけると、あぁやっぱりここはコロンビアなんだなと思わずにはいられなかった。

そんなメデジンには約1週間滞在することになった。
宿のオーナーは大変親切だったし、宿の中は隅々までどこもきれいで、ビリヤード台までもあり自由に遊べた。日本人宿泊者が多く、夕暮れからパティオ(中庭)でゆっくりとビールを飲みながら旅話を語らうのが心地の良い時間であった。しかし実のところ風邪をひいて丸3日間をベッドで過ごす、というなんとも情けない状態でもあった。


というわけで、滞在中にガレージからバイクを出したのは一度きり。メデジンから真東へ、山中にグアタペという村があり、そこを訪れた時だけだ。
グアタペは大きなペニョル貯水池のほとりにある小さな村で、皆が口をそれえてそこは「メルヘン」だと言う。宿の宿泊者ほとんどがグアタペには足を運んでいた。メデジンに来たらグアタペにも行く、というのはほぼ定説となっていたが、とくに「メルヘン」という響きに僕は興味が持てなかったので、なんとなく足が向かないまま1週間が過ぎてしまった。
ふつうはバスを乗り継いで行かなければならないところだけど、バイクがあれば時間に関係なく気ままに行ける。バイク旅の大きな利点ではあるが、この「いつでも行ける」がしばしば「いつでもいいか」という考えにすり替わってしまう。僕の悪い癖だ。

「エル・ペニョールからの眺めは、最近ではいちばん感動したね」

重い腰がついに上がったのは、同じく宿に宿泊していたヨシオさんの一言だった。ラ・ピエドラ・エル・ペニョールという馬鹿でかい一枚岩は、グアタペの近く、やはり湖畔にあり、その頂上からの景色はなんとも素晴らしいということだった。


片道3時間もあれば十分だと計算したのだけど、市街地から抜け出すのが一苦労で、途中の村の屋台で昼を取ることになった。エンパナーダ。ジャガイモと鶏肉たっぷりでうまい。そして安い。
快適な山道を突き進むと、一目でそれとわかる大岩が現れた。あれが目指すエル・ペニュールだと、疑う余地はない。遠くからでも伝わる存在感は、近くに寄るとさらに増す。ふもとの駐輪場にバイクを止めた。天気も良く、ショートツーリングに最適だったのはなにも僕だけではないようで、そこにはたくさんのバイクが並んでいた。もちろん駐車場も同様で、恋人同士、家族連れが多く目についた。なるほどどうやらここはひとりで来るようなところではないらしい。けどもうすっかりそんなことを気にすることもない。

あれ、絶対そうでしょ!

ふもとから頂上まではジグザグに階段が延びていて、あまり深く考えずに岩肌に張り付けただけに思えるそれは、なかなかにスリルがあった。登るために10,000ペソ(約6ドル)必要だったのは予想外だったが、頂上にはきちんとした展望台があり、360度の景観が楽しめた。人造湖らしく山あいの尾根を残して水を張っている湖岸は入り組も、小さな島が湖中いくつも浮かんでいた。なかなかすてきな景色で、展望台をぐるりと2周もしてしまうほど満足するものだった。

階段は700段以上あった。

いい眺め。

次に訪れたグアタペは、前評判通り大変「メルヘン」だった。家々はとりどりの原色に塗られ、一様に壁にタイル画を掲げていた。タイル画はどれも違っていて、色彩あふれた幾何学的な模様は目を楽しませてくれたけど、1時間も歩いていると疲れてしまって、見つけた売店で冷えたビールを買い、湖畔に座って飲んだ。



 
「なんかいい休日だな」毎日が休みなくせにそう思うのはおかしいのだけど、青空の下、ゆらぐ湖面に反射した陽光に目を細めると、なぜだか妥当にそう思えた。ゆっくりとした時間の、ぼんやりとした思考のなかで、

「メルヘンも悪くなかったよ」

宿に帰ったらみんなにそう言おう、そんなことを単純に思うのだった。

つづく。