2011年11月21日月曜日

カリブ海の宝石 vol.5

国境のゲートをくぐり抜け、ついに4カ国目ベリーズに入国した僕。目指すはベリーズ・シティーだ。


いよいよベリーズだ。英連邦王国のひとつであり、ゆえにエリザベス女王が国王ということだが、それよりも僕には「カリブ海の宝石」という響きの方が心の琴線に触れる。果たして美しい海と珊瑚礁が僕を待っているのだろうか。

時折現れる標識を頼りに不案内なベリーズの道を南へ向かって走る。風景は、メキシコとは一変した。とても牧歌的だ。牛や馬がのんびりと草を食み、サトウキビ畑が広がっている。今が刈り入れ時か、サトウキビを満載にしたトラックを何台も見かけた。一面の青空とは言えないが、浮かぶ雲の白さがのどかさを助長しているかのようだ。

目的地のベリーズ・シティーまではほぼ一本道でさほど迷うこともなかった。
途中商店で缶のジュースを買っただけで、ほぼ走りっぱなしだ。国境でBZドルへの両替をしていなかったので、財布の中にあるのはバイク消毒時におつりでもらった5BZドルだけだったのだ。
商店は小さく、周りに牧場しかない場所にあるにもかかわらず、店内はこぎれいで品揃えは十分だった。一通り店内を物色してみる。まだ入国したばかりでこの国の金銭感覚をつかめていないのだが、メキシコに比べて若干物価が高いように感じた。
外のベンチに腰かけジュースを飲む。ジャケットを脱いで走っていても汗ばむ中で飲むよく冷えたジュースはとてもおいしい。僕のとなりでは店の子供らしい少年が、なんとも安らかな顔で昼寝をしていた。

ベリーズは公用語が英語なので、見かける標識も看板もすべて英語表記だ。道すがら話をしたメスティーソさえ英語で答えてくれる。メキシコでの滞在が長かっただけにそれにはちょっと違和感さえ覚えてしまう。そして噂どおり黒人の比率がかなりの割合を占めていたのだ。しかしそれよりも驚いたのは中国人だった。華僑だろうか、こんな小さな国でさえ彼らの数は相当と思われた。

牧歌的。

キビ満載トラック。

どんな夢を見ているのかな。

ベリーズ・シティーに到着した僕は郊外にあるガソリン・スタンドのATMで100BZドルを用意すると、とりあえず町の中心地に向かうことにした。安宿があるのはやはりその辺りだったからだ。少し迷ってしまいバイクで市内をうろついたのだが、ここでまたひとつの違和感を覚えた。

近年首都がベルモパンに移るまでその役割を果たしていたベリーズ・シティーであるはずなのに、大きな建物がひとつもない。しかしそんなことは問題でなかった。問題は、町並みがいたって普通だったことだ。
いったい何を以って普通と言うべきなのかはわからないが、(少なくとも)僕にはそう思えた。メキシコの蹂躙されたスペイン風のコロニアルな町並みにいささか食傷気味だった僕に、この普通な町並みは逆に新鮮に映ったのだ。それはどこかほっとする景観だった。

だからと言ってこの国が植民地でなかったわけではない。町のそこかしこにいる黒人を見るたびに、僕はメキシコでさんざん見てきた美しいカテドラルを思い出した。スペインは、かつての町並みを破壊しその上に自分たちの町を作り上げたが、奴隷政策は取らなかった。しかしイギリスは、奴隷としてアフリカから盛んに黒人を連れてきた。形は違えど、結果感じる胸の重さは同じだった。

中心地にある安宿にチェックインした。径をはさんだ向かい側に割ときれいなゲストハウスがあったのだがベッドに空きがなく、仕方なくあまりきれいとは言えない安宿の方へ入ったのだ。鍵のかかる駐車場はあったのだが、ドミトリーで水シャワーなのに20BZドルもするのだからやはりこの国の物価は高いのだろう。

しかしうれしいことがふたつあった。ひとつはシャワーの水圧が強かったことだ。水周りの弱いメキシコでは壊れたじょうろのようなシャワーである場合が多かったのだが、蛇口をひねると豊富にあふれ出す水にはちょっとした感動を覚えた。
そしてもうひとつはビールの味がしっかりしていたことだ。ずっとメキシコのライトなビールばかり飲んでいたから、味のしっかりとしたBELIKINビールがかなりうまく感じられた。もちろん値段はちょっと張り、小さな瓶で3BZドルもしたのだけど。

夕方、部屋にアメリカ人がひとり入ってきた。大きなバックパックを背負った彼はニューヨーク出身で、南から上がってきたという。お互い旅での出来事を話たあと、空がすっかり暗くなってから、一緒に出かけた。彼は欧米人らしくバーに行こうと言って僕を誘ったのだ。

夜のベリーズ・シティーはどこかうすら寂しいものがあった。道を行く人影はほとんどなく、ぽつりぽつりと灯る街灯を頼りに歩いた。それは異国という言葉がとてもしっくりくる雰囲気だった。
そしてふたりが落ち着いたのは、なぜか海の近くにある別のゲストハウスの談話室だった。なにがどうしてそうなったのか成り行きを説明することが非常に難しいのだが、とにかく気づいたら僕はバーではなくゲストハウスの談話室でビールを飲んでいた。

ベリーズ・シティーの日が暮れる。

談話室には4、5人のツーリストがいて、ビールを飲み、煙草を吸い、会話を楽しんでいた。BELIKINビールはやはりおいしかったのだけど、1時間もしないうちに僕のまぶたはすっかり重くなってしまった。きっと入国のあれこれや朝も早かったことが起因しているのだろう。そっとその場から離れ、バルコニーのハンモックで一眠りすることにした。

陽が沈みいくぶん涼しくなった気温とゆるやかに揺れるハンモックが心地よく、さらにビールの酔いも手伝ってとてもいい気分だった。長い一日だったが、今こうしてベリーズ・シティーにいて、夜風に吹かれながらハンモックに揺られているというのはどこか不思議な感覚だった。

つづく。

2011年11月13日日曜日

カリブ海の宝石 vol.4

ベリーズを目指しメキシコとの国境へやってきた僕。メキシコ側の出国手続きが終わり、いよいよベリーズの入国ゲートへと向かうのだった。


その橋は、ゆるやかな弧を描くように架かっていた。バイクのギヤを低くして、ゆっくりとそれを渡る。もしかしたらこの橋の下に流れる小さな川がふたつの国を別けているのもしれない。だとすれば、僕は今まさにひとつの国から別の国へと移動していることになる。不思議な感覚だ。

橋を渡り終えると右手に小さな箱型の建物があった。保険屋だった。ベリーズ国内に車両を持ち込む場合、必ず保険に加入しなければならない。ベリーズは3日の滞在を予定していたが、1日7USドルの保険料金は1週間で15USドルだということで、迷わず1週間分加入した。

さらに先に進むと、また小さな建物があった。そこでバイクの消毒をしてもらった。保険同様消毒も必須だ。タイヤに消毒薬をスプレーしてもらい、5ベリーズドル(以下BZドル)。USドルでは2.5(ベリーズでは2BZドル=1USドルの固定レートを採用している)。まだBZドルを持っていない僕はUSドルで支払いを済ませた。

保険、消毒と終わり、いよいよ入国ゲートが目の前だ。それはメキシコ側と比べるとかなり簡素な造りに映る。まわりには何もない。
ゲートの前に立っていた職員は僕を見つけると、バイクをゲート脇に止めてオフィスへ行ってこいと指示した。僕はそれに倣い、必要な書類が入ったバッグをもってオフィスへと向かった。

オフィスの中は外にも増して簡素だったが、合理的な造りではあった。入り口から見て一番手前にイミグレーションのカウンターがあり、その奥には税関のカウンター、そして最後に出口があった。つまりひとつずつカウンターを通過していけば事が済むようになっている。

オフィスの中には数人の職員以外誰もいなかった。大きな建物のわりにカウンターがふたつしかない為、がらんとした印象を受ける。
まずは手前にあるイミグレーションのカウンターでパスポートを提出した。聡明そうな顔立ちをした黒人のオフィサーがそれを受け取った。彼はいくつかのページをめくりながら、英語で、君の場合は審査が必要だと言った。さらに申請には100BZドル、もしくは50USドルが必要だとも付け加えた。

僕は彼の言葉を聞いてふっと心が軽くなるのを感じた。と同時に心痛していたビザの問題もなんとかなるだろうという根拠のない自身が沸いてきた。それは、彼が英語を話したからだ。しかもとてもきれいな英語だった。
ベリーズは、中米で唯一英語が共用語の国。僕は英語さえろくに話すことは出来ないけれど、それでもスペイン語に比べればましだ。メキシコ入国以来さんざんスペイン語に悩まされてきたおかげで、英語を耳にしてこれほどまでに安心する自分がいることに驚いた。

審査に必要な書類(これもすべて英語表記だった)の記入が終わり50USドルと一緒に手渡すと、オフィサーはその金をパスポートにはさみ、扉の奥へと消えた。すぐに戻ってはきたがその手にパスポートはなく、かわりに近くの椅子を指差した。そこに座ってまっていろということだ。やはり時間がかかるようだ。いったいどれくらいなのだろう。わからないが待つしかない。

ビザを取るのにこの値段は正直きびしかった。さらにベリーズの場合出国時にも40BZドルほど支払わなければならない。小さな国で、ただ通過するだけなのに、それだけで140BZドルが必要になるのだ。
安宿に泊まり、安食堂で腹を満たすような旅をしている身ながら、ただ通過するためだけに1日の生活費の何倍もの金を財布から出すことは容易ではない。

しかしメキシコのカンクンから中米を南下するためには、もしベリーズを通らなければパレンケまで一旦戻らねばならず、その工程を選ぶと4日はゆうにかかる。宿泊費、食費、ガソリン代、さらに4日分の労力を考えると、多少高くてもベリーズを抜けたほうが楽だった。

国境のゲートにはしばしばバスが到着し、そのたびカウンターには列ができた。その列は実に多様な人種の人々だった。大きなバックパックを背負ったツーリスト。英国貴族風の身なりをした家族。しかし多くは荷物を山と抱えた買出し帰りの人々だった。そして誰もがほんの十秒ほどの手続きで次々にカウンターを通過していった。きっとベリーズ国民もしくはビザの必要ない国のツーリストなのだ。僕はそれをうらやましく思いながら、ぼんやりとビザが下りるのを待った。

1時間半が過ぎた。一度通り雨が降っただけで、蒸し暑いオフィスの中は座っているだけでもじんわり汗をかく。
突然奥の扉が開き、恰幅のいい年配のオフィサーが僕のパスポートを手に現れた。僕の名前が呼ばれ、カウンターの上で重々しくパスポートに入国スタンプが押された。30日間の滞在許可がおりたのだ。

「ありがとう」

安堵の胸をなでおろし、パスポートを受け取った。これで晴れてベリーズに足を踏み入れることが出来る。しかしバイクを持ち込むには税関に申請しなければならない。まだすべて終わっていない。

スタンプの押されたパスポートを手に税関のカウンターへ進む。税関は、イミグレーションとは対照的に拍子抜けしてしまうほどあっさりしたものだった。書類にさっと目を通しただけで、何の質問もなしにいきなりスタンプを押した。

「ありがとう」

なにはともあれこれですべての作業が完了したことになる。時間はまだ13時半だ。これならベリーズ・シティーまで十分走れるだろう。目の前にある出口を抜け外へ出ると、バイクにまたがりゲート前の職員にパスポートを見せた。
職員は軽くうなずくと、無言のままゲートを開けた。

簡素な造り。

がらんとした印象。

やっと。

つづく。

2011年11月12日土曜日

カリブ海の宝石 vol.3

チェトゥマルの町でベリーズ領事館を探すも徒労に終わってしまった僕。ビザもなく、領事館の場所さえわからぬまま入国当日の朝を迎えたのだけど。


7時前に起きたのは理由がある。
それはあわよくば、という悪あがきからだった。もはやビザを持たずにベリーズの国境まで行ってしまおうかとも考えてもいたが、いわゆる最後の望みというやつだ。

昨日の夕方に訪れたイミグレーションは9時からのオープン。一番に乗り込んで話を聞いて(あわよくばビザを取って)戻ってきても、チェックアウトの時間までには十分部屋をきれいにすることができるだろう。それが現在考えうる最善の方法だった。

8時半にバイクにまたがった。イミグレーションには9時少し前に到着した。数人の待ち人と共に扉が開くのを待つ。オフィスは、9時きっかりにオープンした。

せっかく書類一式持ってやってきたと言うのに、カウンターのオフィサーはいともあっさり僕を払いのけた。今朝もまた取り付く島がない。

(おいおい。一体何をどうすればいいんだ!)

なにか情報だけでもと食い下がるが、相手が何を言っているのかさっぱり理解できない。

(なんだよ。やっぱりここじゃだめじゃないか)

そう思っても後の祭りだ。うなだれながら出入り口へ向かう。僕の後ろに並んでいた数人のメキシコ人が慰めの目で僕を見ている。外に出て大きく息を吐く。深呼吸とも、ため息ともいえない。バイクにまたがろうとするがやはり釈然とせず、近くにいた女性職員にもう一度たずねてみた。

「国境に行けばいいのよ」

さらりと答えた。

(それはメキシコ国民の話だ。日本人の僕の場合は違うんだ)

しかしそれを言葉で説明することはできない。

「ありがとう」

気持ちとは裏腹な答えに腹の中は煮え切らない。

さてどうするべきか。
いくら領事館ならすぐにビザが取れるといっても、今から領事館を探し出してと考えると、多少待たされたとしてもこのまま国境へ向かった方が賢いかもしれない。領事館探しに手間取って、まさかチェトゥマルにもう一泊なんてことはごめんだ。仮に半日待たされたとしても、入国できればこっちのもの。国境近くの町ならホテルだってあるだろう。そう考えるとこれ以上見つかる気配のない領事館を探すことがひどく面倒になってしまい、このまま国境に行ってみることにした。

ホテルに戻り、シャワーを浴びる。荷物をまとめて10時少し前にチェックアウトした。近くのガソリンスタンドでガソリンを満タンにし、残った小銭で露天のタコスを買った。これで手持ちのペソはない。もう僕はベリーズに行くしかないんだ。

チェトゥマルから国境は近い。標識どおりに進めば30分で到着だ。国境近くにはいくつかのホテルと食堂、商店があった。それは町と言うほどでもないが、暫時滞在するだけなら問題ないだろう。

コミーダ デ メヒコ。

国境に到着。

まずはメキシコの出国手続きをしなければならない。初めて訪れる国境は、何がどこにあるか分からない。一番手前にあるオフィスでメキシコのツーリストカードと入国税のレシート、パスポートを出すと、あっさりと出国スタンプを押してくれた。

残るはペルミソ(バイクの一時輸入許可証)の返納なのだが、ここで迷う。何人かの係員にペルミソを見せ、返納したいという意思を(身振り手振りで)伝えたはずなのに、なぜか並ばせられたのは入国審査のラインだった。そしてつい数分前に出国したばかりなのに、またもパスポートに入国スタンプを押されてしまった。どうにも話が伝わらない。いや、伝わらないというよりも、誰も話を最後まで聞いてくれないのだ。

「こいつは何を言っているか分からないが、きっと入国スタンプが欲しいのだろう」

などと皆勝手に解釈(早合点!)してしまうのだ。それも僕がまだ事情を説明している最中にだ。
埒が明かず、オフィスの奥にいたボスらしき人を呼んでもらった。その人はいままでの人とは違い、きちんと僕の話を聞いてくれ(しかも英語ができた)、やっと事情を説明することができた。
ボス曰く、

「ペルミソはバイクと一緒にあそこにるカスタム(税関)へ持っていくといい。今受け取ったツーリストカードはさっきの彼に返ぜば問題ない」

実に的確な説明にやっと要領を得た。

ツーリストカードを返し、税関へ行く。実に真面目そうなオフィサーが小さな窓越しに対応してくれた。彼は書類とバイクのシリアルナンバーを見比べ、間違いないことを確認すると、

「まだ有効期限が4ヶ月残っている。返納すると使えなくなるけどいいか?メキシコには戻ってこないのか?」

とたずねてくれた。僕はもう戻るつもりはないと答える。彼はうなずき、コンピューターに何かを打ち込むと、返納証明書(のようなもの)を手渡してくれた。僕はこのとき初めて税関がスペイン語で「ADUANA(アドゥアナ)」と言うのだと知った。

アドゥアナを知っていれば迷わなかったのに。

さぁ、これでメキシコは出国した。次はいよいよベリーズ入国だ。出国手続きに手間取ってしまい少し疲れてしまったが本番はこれからだ。今日中にベリーズ・シティーを目指したいが、審査次第では国境近くの町コロザルになるか。
とにかく無事に入国できればどちらでもいい。

つづく。

2011年11月6日日曜日

カリブ海の宝石 vol.2

メキシコとベリーズの国境に程近い町チェトゥマルへ到着した僕。ベリーズの入国ビザを取得するべく、この町のどこかにある領事館を探すのだけれど。


必要な書類をバッグに入れ、ホテルの部屋に鍵を下ろした。とにかく領事館を探し出さなければならない。情報は、なにひとつ持っていない。
一階に下り、まずはホテルの人に聞いてみる。片言のスペイン語でのやりとりは一苦労だが、ひとりの男性が場所を知っているらしくその道順を教えてくれた。やった。いきなり解決の糸口が見つかってしまった。しかも歩いていける距離にある。お礼を言うと、すぐにホテルを後にした。

今日中にビザが取れれば万々歳だが、今はもう夕方だ。今日が無理でも明日の朝一番でも問題はない。ビザがあればすんなり入国できるはずだ。となれば今日中に領事館の場所だけでも確認しておくべきだろう。

足早に向かった先に、領事館などなかった。教えてもらった角はきちんと曲がったはずだ。しかしそこにそれと思しき建物はなかった。付近も散策してみるが、やはりない。男性はとても親切に教えてくれた。うそをついているとは思えない。きっとうまく話が通じていなかったか、僕の聞き間違いだろう。男性をとがめる気などまったくないが、これで領事館探しはふりだしに戻ってしまった。時間だけが過ぎていく。

とにかく誰かに聞かなければならない。僕ひとりではどうすることも出来ない問題だ。大きな交差点に差し掛かると、そこには警官がふたりいた。迷わずたずねる。やはり警官は親切にもその場所を教えてくれた。少し遠いがそこへも歩いていける距離だった。
しかし、その先にも領事館はなかった。

(なぜだ。なにがいけない?せめて会話がまともに出来れば…)

そうなのだ。うまくコミュニケーションが取れていないのだ。僕は、必死に事情を伝えようとする。彼らは、懸命にそれを汲み取ろうとしてくれる。お互い歩み寄ってはいるのだが、そこにある言葉の壁はなかなか崩すことが出来なかった。
ベリーズ領事館のありかを聞く-
ただそれだけのことが果てしなく困難に感じる。

そもそも「ベリーズ」からして通じなかった。それもそのはず。「ジャパン」が「ハポン」になるように、「ベリーズ」は英語なのだから、スペイン語を話す彼らにはその単語が理解できない。「ベリーズ」がスペイン語で「ベリーセ」(ベリッセという発音に近い)ということを知るまでに、一体何度彼らに訴えかけたことだろう。万事そんな調子だった。

焦燥感が胸を突く。空は夕暮れ色をしていて夜を待ってはくれない。暗い中、見知らぬ町を歩き回って探すわけにもいかない。果たして今日中に探し出すことが出来るだろうか…。

近くにタクシーのドライバーが数人たむろしているのを見つけた。彼らもやはりその場所を親切に教えてくれた。だが今度は歩いていけそうになかった。

(本当にそこにあるのだろうか?)

もはや何を信じていいのか分からなかった。しかしそれを確かめるだけの語力を持ち合わせていない。教えてもらった場所へ行く以外、僕に出来ることはない。
急ぎ足でホテルへ戻ると、鍵とヘルメットを掴み夕暮れの町をバイクで駆け抜けた。

バイクを走らせながら考えた。他の国の領事館がどこにあるかなんて、一般的に考えれば知っているほうが珍しいのかもしれない。僕だって日本にある他の国の大使館や領事館の場所などほとんど知らない。たとえそれが自分の住んでいる町にあったとしても。
チェトゥマルまでくればなんとかなるだろう。それは、少し虫がいい考え方をしていたのかもしれない。

バイクで到着した先には、イミグレーションがあった。

(これはイミグレーション?それもメキシコの…)

やはり話が伝わっていなかったか。ため息が出そうになる。時計はすでに18時を少し過ぎていた。

「お前はいったい何の話をしているんだ?なんだかわからんが今日はもうクローズしたんだ。用事があるなら明日来い」

まるで取り付く島がなかった。
入り口の前で立ち話をしているふたりの職員に声をかけてみたのだ。その期待したものとは程遠い回答に、僕の中で何かが折れてしまった。それ以上領事館を探すことはしなかった。ささやかな挫折感を味わいながらホテルへと戻った。

ホテルの一階には食堂が併設されていた。なんだか外に食事を取りに行く気分にもなれず、バイクを停めるとヘルメットを持ったまま食堂に入っていった。気分が沈んでいても腹は減るものだ。それもそのはず今日は昼食をとっていなかった。

到着時に受付をしてくれた女性が厨房に立ち、馴染みらしい客がふたりテーブルについて食事をしていた。なにか食べたいのだけど、と女性に伝えると、彼女は手招きで僕を厨房に招いた。そして机の上にいくつか置かれた鍋のふたをひとつづつ開け、これは鶏肉、これは牛肉、これは豆を煮込んだスープといった具合に説明してくれた。言葉で説明するのが難しいと判断してのことだろう。僕はそのなかから牛のひき肉とジャガイモの炒め物を指差した。ぱっと見て、いちばん日本食に近かったからだ。

一旦二階の部屋に荷物を置きに行き、食堂に戻ってくると同時に料理が運ばれてきた。そもそもすべて調理済みなのだから時間はかからない。炒め物は塩味の実にシンプルなものだった。そのままでも十分いけるが、テーブルに置かれたチリソースをかけるとうまかった。そもそもそのために味付けが抑えられているのかもしれない。炒め物のほか、米にトルティーヤ、フリホーレスまでついてきて、すべてを食べ終えた僕はとても満腹だった。


こう見えても主食はやはりトルティーヤ。

膨らんだ腹を抱えて部屋に戻り、ベッドの上に身を横たえた。テレビもない部屋では何もすることがない。ビザについてはなんの進展もなかった。
明日できればベリーズに入国し、ベリーズ・シティまで行きたい。ベリーズは小さな国だから距離的には何の問題もない。問題は入国だ。明日の朝もう一度イミグレーションまで行ってみよう。もし要領を得なければ、もはや国境まで行ってしまおう。
満腹感が少し心配事をやわらげてくれたのか、依然ベッドの上で仰向けになりながらもきっとなんとかできるだろうという多少の自信を取り戻すことができた。

つづく。