2011年6月15日水曜日

朝焼けのピコ・デ・オリサバ vol.1

メキシコ・シティーにある居心地のいい日本人宿「ぺんしょん・あみーご」をなんとか抜け出した僕。次なる目的地をオアハカと決め、東に向かってバイクを走らせるのでした。


メキシコ・マジックはやはりここメキシコ・シティーでも健在で、あれほど歩きなれた町並みでさえ、バイクで走るとその表情を一変させました。一方通行やら工事での迂回やらがやたらとあるのです。またしても走り始めて5分で地図とにらめっこ。それでもやはり半月滞在した土地勘というものはすばらしいもので、方角のみをあわせて進んでいたら大きな空港の脇をかすめ、乗りたかった国道に乗ることが出来ました。

今日はポポカテペトルとイスタシュワトルという山の間を走る峠でキャンプをしよう!と決めていました。それはM夫妻に教えてもらった情報で、メキシコ・シティーから東へ進み、プエブラという町との間にある峠でした。ポポカテペトル、イスタシュワトル共に5000mを越す山で、晴れた日にはその雄大さを惜しみなく、そんな山々を眺めながらキャンプできるなんてなんと贅沢なことだとうと思い決めたのでした。よく晴れた今日ならきっとそれは素晴らしいことでしょう。

メキシコ・シティーを抜けるにつれ交通量が見るからに減っていく国道をのんびり走り、アメカメカという小さな町に到着しました。この小さな町からその峠道は延びていて、町のはずれにそれを見つけました。ここから約20kmで峠の頂上。道は木々の間を九十九折りに登り、ゆっくりと着実にその標高を上げていきます。突然、ポポカテペトル山が目に飛び込んできたのはそのときです。

「あ、あれがポポカテペトルだ!」

それは一目でわかる、きれいを絵に描いたような実に女性的な山でした。標高は5465m。さらに進むと峠道をはさんだ反対側にイスタシュワトル。こちらはポポカテペトルとは対照的に長い尾根にいくつものピークを携え、荒々しく男性的。標高は5230m。
そんな双方の山を交互に眺めつつ、到着したのはパソ・デ・コルテスという峠の頂上でした。パソ・デ・コルテスの標高は3680mで、左を見ても、右を見ても、5000mを越す山。その存在感は非凡です。

ポポカテペトル。女性的。

イスタシュワトル。男性的。

「あぁ。きれいな山々だな。どうせなら登ってみたいものだ」

ふとそう思い、そしてよしと決意するまで時間はそれほど必要ではありませんでした。

このままただ見上げるだけで一夜過ごし、通り過ぎるだけなんてもったいない。何の因果かここまできたんだ。どうせならアタックしてみよう。

そんな思いがふつふつと込み上げ、胸に熱いものを感じました。人間やる気が出たときの行動力はすごいもので、あとで思い返しても驚きを隠せない場合があります。そのときの僕もまさにそうで、氷河さえたたえた5000mの山に満足な装備もなく、地図さえ持たず挑もうとするのだから大したものです。

パソ・デ・コルテスから南に見上げるポポカテペトル山は今日こそ噴煙を上げていませんが、普段はもうもうと煙を立ち上がらせるほどの活火山。立ち入りは厳重に禁止されています。片や北にそびえるイスタシュワトル山はこの先に登山道があり、入山手続きと入山料さえ払えば誰でも足を踏み入れることが出来ます。

目標はイスタシュワトル山頂5230m。一旦天候が悪化すれば今の季節でさえすっぽりと雪に覆われる5000m峰ですが、見上げる山頂には雪がなく、これならアイゼンなしでも登ることが出来そうです。現にM夫妻の登ったときはアイゼンなしだったようで、氷河もあるのですが稜線上を歩いていけば問題ないとのこと。あとは今晩の天候頼み。

しかしなんの下準備もしてこなかった僕は、一体どこが登山口で、山頂までどのくらいの距離で、どのくらいの標高差があり、何時間で行けるのかまったく何も知りません。M夫妻はテントを背負い山中2泊したと言っていました。それを僕は日帰りでやってしまおうというのだから、かなり無謀なのかもしれません。

だけどやれないことはないはずです。幸い宿を出たばかりで水と食料は手元にあります。水は2.5リットル。食料はインスタントラーメンにカロリーメイトが3袋にアルファ米2食分(カロリーメイトとアルファ米はあみーごで会ったHさんが日本に帰る際餞別にくれたものだ)。日帰りなら十分動ける量です。

そうと決まれば入山手続きをしなければなりません。僕は管理事務所のような施設に入り、受付のおじさんにいろいろ情報を聞こうとしました。しかし僕のスペイン語の理解力ではまったく先に進みません。距離も、標高差もさっぱりです。ましてそこには山の地図さえ置いてありませんでした。結局手に入れたのは登山口から山頂までオチョオラ(8時間)で到着できる(それもたぶんというレベル)ということと、1本のチョコレートバーだけ。受け取った入山申請書も見慣れないスペイン語が並び、どこになにを記入すればいいのかわからず頭が痛むばかりでした。

難航するかに思われた準備ですが、事は好転します。

「コニチワ」

少しおかしな日本語で、ひとりのメキシコ人に話しかけられました。その彼はいくつかの日本語と、流暢な英語を話すことが出来ました。そしてとても親日的で、優しい男でした。渡りに船とはまさにこのことです。それまで遅々として進まなかった作業があっさりと、いとも簡単に進んでいきました。登山口の場所を聞き、申請書を書き上げ、2日分の入山料50ペソ(25×2)を支払い、腕に巻くチケットをもらったら、僕は晴れてイスタシュワトルに挑む権利を得たようでうれしくなってしまいました。

入山チケット2枚。腕に巻く。

メキシコ人の彼にお礼を言うと、彼ら(彼女と一緒にバイクで来ていた)も登山口まで遊びに行くのだと言いました。だから2台で一緒に行こうと。

2台のバイク(彼らは1台のバイクにタンデムで来ていた)で到着したラ・ホヤには広い駐車場と簡易トイレ、それに今は使っていない屋台小屋があり、一番奥にははるか上空に向かう登山口がありました。
今日はここに一泊し、明日の夜明け前に出発です。夕方までにはまだ時間があり、3人で山を見上げながらトルタス(メキシコ風サンドイッチ。彼らがご馳走してくれた)を食べ、いろんな話をしました。

ラ・ホヤ到着。
目の前には堂々たるイスタ。

イスタでトルタを。

夕暮れ。彼らの帰り際、僕は何度もお礼を言いました。もし彼らがいなければきっともっと不安な夜を過ごすことになったでしょう。なんといっても5000mという未知の世界に明日足を踏み入れるのです。それを思うと彼らには感謝しなければなりません。
バイクにまたがり今まさに走り去ろうというとき、彼は何かを思い出したように僕にペンはあるか?とたずねました。持っていたペンを渡すと、彼はメモ用紙に自分の電話番号を書き込み、

「ベラクルスに来ることがあったら電話してくれ。知り合いが小さな船を持っているんだ。それ乗って海に遊びにいこう」

そういってメモ用紙を僕に渡しました。

「必ず行くよ」

僕はそれを受け取り、ふたりとそれぞれ握手をかわし、そして見送りました。

彼らが去ったあとの登山口は僕以外だれもおらず、だけど常に山から見つめられているような奇妙な感じがしました。太陽が姿を消すとあたりは徐々にその明るさを失い、山は輪郭だけを残し、空にはひとつまたひとつと星が浮かびはじめました。

「これなら今晩の天候は心配ないだろう。きっと明日もいい天気だ」

僕はテントを張ることを放棄し、使われていない屋台小屋のベンチに寝袋を広げると、不安と期待を同時に抱えながら静かに目を閉じるのでした。

つづく。

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