2011年6月4日土曜日

鉄の扉の向こう側 ~そして僕はどこにもいけない~ vol.1

グアダラハラで二晩を過ごし、市内観光とバイクのメンテナンスを終わらせた僕。ついにメキシコの首都メキシコ・シティーへと向けてバイクを走らせるのでした。


ホテルを出たのは9時半でした。とにかく郊外に向けて走っていけばいいだけなのに、ホテルを出て5分でそれは叶わず、同じ道をぐるぐるとまわる羽目になってしまいます(僕は密かにこれをメキシコマジックと呼んでいる)。

なぜだ?
なぜいつも標識どおりに進んでいるのに、気づくと目的地からまるで明後日の方向に進んでしまうのだろう。というか時折その標識そのものがなくなったりするじゃないか。標識が標識としてのまっとうな仕事を放棄しているとしか思えない。そして僕はいつも同じ場所に戻ってきてしまう。メキシコマジック。

結局グアダラハラの町を抜けたのはもう11時にもなろうかという頃でした。どこをどう走ったのかわからないけれど、同じ場所をまわりすぎてバターになる前になんとか目的の国道15号線にたどり着き、モレリアという町を目指して走る出すことが出来ました。
グアダラハラを抜けて山に入ると、小さな村をいくつも抜けて走ります。高原地帯の家々は低地のそれとは違い、石(火山岩?)を積み上げただけの石垣に赤レンガ。そして屋根には赤瓦。土地が変われば家も変わるものです。その雰囲気はどこか沖縄のそれにも似ていました。

石垣、赤レンガに赤瓦。

モレリアの町。メキシコマジック。本当はそのまま15号を走っていたかったのに、なぜか標識の数字は126号にすり替わっていて、だけどタクシーの運転手に道を尋ねたらそのままでも進むことが出来そうなのでかまわず走って行きます。目指すメキシコ・シティーにはまだ半分といったところ。
いくら北米大陸と南米大陸とをつなぐ架け橋のような、狭く細い中米が近づいてきたといっても、ここはメキシコ。大陸の名残とでも言うべきか、そのスケールの大きさはまだまだ長い移動距離となって現実を教えてくれました。

結局、グアダラハラからメキシコ・シティーまでは3日をかけて走りました。
トルカの街を抜け、散々登った山道を気持ちよく下っていくと、それまで周りを囲んでいた山々がいつの間にか消えてなくなり、代わりにスモッグに煙るビル群が目に飛び込んできました。そこがメキシコ最大の都市、メキシコ・シティーでした。

グアダラハラはメキシコ第2の都市でしたが、実際メキシコ・シティーはその何倍も大きな町でした。標高もさらに上げて2200mを越えているはずなのに、まるで山という気配がなく、往来には車があふれ、たくさんの人々。その規模は首都としての顔をきちんと持つように思えました。

大きな町ゆえこれはかなり難儀するだろうと覚悟をして臨んだ宿探しでは、奇跡的に迷わず到着することができました。そこはメキシコ・シティーの小さな日本「ぺんしょん・あみーご」。車のクラクションと聞きなれない異国語が飛び交う目抜き通りから角を折れ、目にも鮮やかに塗り上げられた鉄の扉をひと押しすれば、そこにはサンシンの乾いた音と耳に馴染む母国語が流れる不思議な空間がありました。

世界3大日本人宿と呼ばれるその宿は、一歩足を踏み入れると沈没宿の匂いが漂っていて、ロサンゼルスを出てから移動を繰り返してきた体にその空気はどこまでも優しく、僕は安堵のため息とともに一瞬で骨抜きにされていました。

やっとシティーに到着した。
ビルが立ち並び、たくさんの車が行き交う。

中心地は人であふれかえる。

革命記念塔の夕暮れ。
宿から歩いて1分。

メキシコ・シティーでの日々を文字にすると、それは17泊という日数からは考えられないほど簡素なものになってしまいます。単に移動をしていないということだけを口実とするにはあまりにも弱く、実際のところ日々の穏やかさと不精の賜物以外のなにものでもないのですが…。

つづく。

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