2011年7月29日金曜日

メキシコ最貧困州を行く

山の中の小さな村ロヤンで警察官たちの親切により大雨の夜を暖かく過ごした僕。目を覚ましてなお聞こえる雨音に少し心が萎えてしまうのだが。


ステージの上で目を覚ますと、雨はまだ降っているようだった。雨の中カッパを着て走るのも嫌なものだが、ここにもう1日いるというわけにもいかない。トイレに行くついでに外の様子をうかがう。雨は小降りだけどしっかりとしたもので、バイクで走ればすぐに濡れてしまうのは容易に想像が出来た。

(どうしたものか)

今日の目的地サンクリストバル・デ・ラスカサス(以下サンクリストバル)までは半日もあれば到着できる距離。あせっても始まらない。とにかくコーヒーでも飲むかと湯を沸かし、ついでに朝食をとった。

コーヒーを飲み干し、荷物をまとめ、再度外に出る。雨は上がっていた。雨の代わりとばかりに現れたもやがすごく、2ブロック先の景色がぼやけるほどだったが雨よりはいい。空に浮かぶ雲も足早に流され、雨上がりのしなやかな空気が漂っている。警官たちにお礼を言い、奇妙な思い出の出来たロヤンの村を去った。

雨上がりの山を走る。

到着したサンクリストバルは山の中にある要塞。それが第一印象だった。尾根を越えた山道がくだり始めると同時に眼下にその町並みがひろがり、予期せず現れたそれはまるで戦争映画に出てくる要塞都市のような印象を受けた。そして結構な勾配の山道を一気に駆けおりると、僕はもうサンクリストバルの町に入っていた。標高は2100mと高く、周辺の山にマヤ先住民の伝統的な集落が多く残っているため、その伝統や生活に惹かれて訪れる旅行者が後を絶たない観光都市だ。

やたらと一方通行の多い町中を何度も迷いながら、日本人宿のドミトリーのベッドに荷物を入れた。バイクもガレージに入れられるので安心だし、ドミトリー1泊で45ペソと安いのもありがたい。サンクリストバルは物価も安く、また交通の拠点として多くの日本人旅行者が立ち寄る町だ。僕はバイクで移動しているのでわからないけれど、どうもバスで移動をする限りどこへ行くにも大抵サンクリストバルを通過するらしい。そして目にも鮮やかな民族工芸品が良質で、しかも安価に手に入るとあればこの町の人気の高さもうなずける。日本人旅行者の間では「サンクリ」なんて通称が普通に通じてしまうほど有名な町だ。

野良猫が出迎えてくれた。

町を見下ろせる教会から。

そんなサンクリストバルには5泊した。その間何人もの旅行者と出会っては見送った。もちろん僕もそんな彼らから見た旅行者のひとりだった。驚いたのは、宿に着いて呼び鈴を鳴らしたときに扉を開けて出てきたのがメキシコ・シティーで出会ったY君だったことだ。さらには同じくメキシコ・シティーで出会ったM夫妻まで再会することになった。確かに皆向かう先は同じだったけど、バスに比べ移動速度が圧倒的に遅い僕は、まさかここで再会するとは思ってもいなかったのだ。縁のある人とは再会するものだなと改めて実感した。

滞在中は町の中をひたすら歩いてまわった。教会へ、ソカロへ、メルカド(市場)へ。スコールが降ると店先の軒下を借りてやり過ごした。それほど大きくない町は5日もあれば一通り歩いてまわることが出来たが、どの町でもそうであったようにコロニアルな雰囲気のソカロ周辺よりも、人々の息づかいが感じられるメルカドの方を好んで歩いた。食事は観光客向けのレストランではなく地元の人々が利用する屋台や安食堂でとり、軒を連ねる土産物屋で小物を少し買った。とても雰囲気のいい町だったし僕はすっかり気に入ってしまったのだけど、やはり他の都市に比べるとその貧しさは隠すことの出来ない事実だったように思う。

雨宿り。

ゆで卵まるまるタコスが珍しい。
これだけ頼んで8ペソ(約60円)。

鶏肉のモーレ。
トルティーヤの量が…。

メルカドでの1枚。

ツーリストエリアで土産物を売る少女。

サンクリストバルのあるチアパス州はメキシコの最貧困州だ。住民の多くは貧しい農民で、スペイン語を話せないインディヘナも多い。サパティスタという民族解放軍も活躍しているようだが、過去を振り返ると先住民の暮らしは決して楽なものではない。山の中にある小さな村々を実際に訪れると、僕の鼻は飢えた野良犬のようにその貧困の匂いを鋭く嗅ぎ分けてしまう。

ロヤンからサンクリストバルへは深い山の中を進んできた。標高は徐々に上げていく。街道沿いの山腹にぽつりぽつりと小さな村が現れ、僕はバイクのスピードを落としゆっくりと通り過ぎる。村人たちは決まって奇異の目で僕を見つめる。僕は目のやり場に困る。

庭先で織物をしている女性を見かけた。機織りのような要領で極彩色の布を織り上げている。土産物として売りに出されるのだろうか。山の中の畑も満足に耕せない土地では大切な収入源なのかもしれない。それにしてもこんな山の中でどうやって現金収入を得るのだろうか。自分たちの食べる分を自分たちで作ればいいという時代ではもはやない。裸足で遊びまわる子供たちを見つめながら、そんなことをぼんやり思う。

やがて僕はひとつの村で休憩をした。教会の前に市が立っているのをみつけたからだ。バイクを道端に停めヘルメットを外す。同時に周りにいた村人たちの視線を痛いほど感じる。皆が僕を見ているのが分かる。バッグからデジタルカメラを取り出すことさえ忍びない。少し怖気を感じてしまう。こちらが笑顔で接すれば大抵は笑顔で答えてくれるのだが、だからといって両者の間にある溝までは決して埋まることはない。

こじんまりとした市だったが、やはり市は生活の匂いを至るところに感じることができた。売られている物も実にさまざまで、豊富ではないにしろ食料品から衣類、雑貨までおよそ生活に必要なものは一通りある。近くの屋台から香る匂いが胃袋を刺激する。女性たちは鮮やかな刺繍を施した民族衣装に身を包み、今日の夕食の買出しだろうか食材を買い求めている。

民族衣装は村ごとに存在するようで、基調とした色も施される刺繍も通る村々でどれも違っていた。衣装と同じ色のリボンを頭の後ろで編んだ三つ編みに一緒に編みこむのもしきたりのようだ。女性は大抵この衣装を着ていて、小さな子から老婆に至るまで皆同じ衣装に身を包んでいる。この村の民族衣装は濃い青を基調としていて、どこか日本のセーラー服を思わせて懐かしい感じだ。

小さな村の市。

ポジョアサード(鶏の丸焼き)。
これがまたうまい。

マヤ先住民の集落。

どの村も質素という言葉がしっくりとくる印象だった。だけど僕の目にそれはまったく不幸な光景と映らなかった。確かに貧しい村なのかもしれない。だけどその伝統や生活に僕たち(それは日本人ということではなく、文明社会に浸って生活をしている人々)が心惹かれてしまうのは、きっと利便性と引き換えに手放してしまったものを今でも大切に守り続けているからかもしれない。表面だけしか見ていない僕は何も分かってはいないのだろうけど、少なくとも裸足で遊びまわる子供たちを見ている限り、それは間違ったことではないのだと受け止めることができた。

おわり。

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