2016年11月7日月曜日

ベロシメトロは赤道を越えて vol.2

オタバロは、民族色の強い村だった。三方を山に囲まれている。ILMAN、FUYAFUYA、CUICOCHA。それらの雄大な山は、村のどこからでも眺めることが出来た。中心地にあるマーケットでは、民族衣装を身にまとったオタバロ族が、所狭しと店を広げていた。どうやらこの村は、ツーリスト向けの、そういった土産物屋が多いようだ。店の間にできた迷路のような通路を、あてもなく歩く。土産物はカラフルな色使いがアンデスらしく、ひと際目をひく。アルパカの毛で編まれたセーターなどはとても暖かそうで、肌寒い高地にいる身としては、ひとつほしくなってしまう。

 オタバロ族の民族衣装。どこか懐かしい。

村のマーケット。果物は豊富だ。

 色鮮やかな土産物がたくさんだ。

アンデスらしい色彩。

ホテルは3件目で落ち着いた。たったの5ドルだ。コロンビアより、格段に物価は下がっている。この値段でありながら、ガスのホットシャワーとは幸せすぎる。途切れることのない暖かい湯に、身も心も癒される。もっとも、そんな物価の安いエクアドルの安宿でさえ、夕食には部屋でインスタントラーメンをすするという節約ぶりは健在だ。

道中、イバラの町の屋台で昼食。
コーヒーをごちそうになった。

小さな村でも、夕暮れのカテドラルは美しい。

翌朝オタバロを出発した僕は、キトを目指した。距離にして約80㎞。エクアドルの首都である。小さな村を出ると、それまでと同じようにアンデスの山々が広がったが、目指す赤道は、もう目の前である。

いったいそれがどういうものかは分からないが、走っていてれば、それと気付くものがあるだろう。そんな気持ちだった。なにせ赤道。軽い気持ちにだってなる。往来の少ない国道だとしても、それなりの目印くらいは出ているはずだ。少し開けた場所で休憩を取り、南へと走り続けた。まさか、その場所が赤道だったとは思いもせず。


結局、ペアへでその言葉を聞くまで、まったく気付きもしなかった。3㎞戻った先が、つい10分前に休憩した場所だと知った時は、驚きだった。

休んだベンチからそれほど離れていない所に、小さな地球を模したモニュメントがあった。そこから、赤いラインがまっすぐに延びている。

これか。

小さな広場に、あまりにも簡単に置かれているので、言われなければわからない。

なんて飾り気のない国なんだ。
赤道をこえるんだ。そう興奮していた僕とは対照的だ。

なんだか拍子抜けしてしまい、ベンチに腰を下ろした。あたりはつい先ほどと変わることなく、実に穏やかな雰囲気につつまれていた。ここが赤道だからといって、観光客が来るわけでもなかった。地元の人々が、いつもと変わらぬ時間を、いつもと変わらぬように過ごしているだけだ。

可笑しかったのは、赤道の真上がバス停になっていたことだ。
バス停と言っても、小さな村に、きちんとしたバス停があるわけではない。道がまっすぐで、見晴らしがよく、路肩が十分ある。それだけの理由なのだろう。人々が集まったと思ったら、北半球からやってきたバスに手を挙げ、赤道上で乗り込み、南半球へと去っていく。逆も、またしかり。
 
 これか。飾り気なし。

まさか赤道上がバス停だったとは!

赤道をまたいで、当たり前に行われるその光景には、まっさらな生活観があった。
赤道だろうがなんだろうが、ここに住む人々には、それが常に日々の生活にあるのだ。
いつもと変わらぬ人々の営み。それを目の当たりにし、旅をする意味というものが、なんだかそこに見え隠れしているような気がした。

おわり。

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