2011年5月25日水曜日

グアダラハラの安宿と夕照のカテドラル vol.2

メキシコ本土マサトランに上陸し、次なる目的地グアダラハラへ向けて走り始めた僕。そのちょうど中間地点にある峠の途中、誰からも忘れ去られたようなグラウンドで一夜を明かすのでした。


朝起きると久々のすがすがしさを感じました。それは高原特有のもので、暑くもなく寒くもなく最適な温度。吹き抜ける風は気持ちよく、こういうキャンプの朝はとてもいいものです。
いつもより少し早めに走り始めたら、山を越え、町を抜け、給油をし、ぐんぐん進みます。しかし昼ともなると朝のすがすがしさはどこへやらで、Tシャツ1枚で走っても十分な気温になります。が、そんなことをしたらきっと日焼けで腕が大変なことになってしまうので、暑くてもジャケットは着たままです。

テキーラ発祥の地、その名もテキーラを抜けるとほどなくグアデラハラに到着しました。グアダラハラはメキシコ第二の都市。都会という言葉を使いたくなるほど家と店が密集し、ビルが建ち、車があふれていました。
ひさしぶりに大きな町を走る僕には、その中心地に向かうだけで一苦労。詳細地図を持ってない上に、交通量が半端じゃなく、さらにお世辞にも交通マナーがいいとはいえないのだから大変です。

テキーラ周辺には原料になるアガベ畑が広がっていた。

通りにはテキーラを売る土産屋がずらり。

車線変更にウィンカーなんてありえないし、信号が青に変わったとたんクラクションの嵐。そして歩行者よりも車優先。日本とは何もかもが違う交通マナーに僕はすっかり肩身を狭くしてしまいますが、遠慮して走っている方がよっぽど危険だと思い、堂々と車1台分のスペースを確保して走ることにしました。車線変更も、交差点での左折(右側通行なので)も、左手をうまく使い自分の意思を相手に伝えると、なかなかどうして大抵道を譲ってくれスムーズに走れるようになりました。

一応事前にホテルの住所と名前は調べていましたが、これだけ大きな町をあてずっぽうに走っていても到着できるはずがありません。とにかく何人もの人に道を尋ね(皆とても親切に教えてくれるのだが、言葉がわからないので残念ながら最初の曲がり角くらいしか理解できない)、少しづつ目的地に近づき、だけどやっかいな一方通行に同じ場所をぐるぐると何度も走らされ、19時になってやっとホテルにチェックインすることができました。

到着したホテルには駐車場はありませんでしたが、ありがたいことにフロントのスペースにバイクを入れさせてもらい、160ペソとホテルにしては格安の宿泊料金とルームキーを引き換えます。フロントと2階の部屋を3往復してすべての荷物を入れ終えると、どっと疲れてしまいました。
やっと着いた…と着替えもせずベッドに倒れ気持ちの良い疲労感に目を閉じますが、このままでは寝てしまうとシャワーを浴び、まだ完全に暗くなっていないグアダラハラの町へ散歩に出ました。

フルーツスタンドたくさん。

リベルタ市場。目もくらむほど大きい。
そして雑多。

ホテルからソカロ(中央広場)やカテドラル(大聖堂)まではのんびり歩いてちょうどいい距離で、灯り始めたオレンジ色の街灯が藍色の空と対照的に光り、幻想的な雰囲気を作り出していました。タパティア広場からソカロに向けて歩いていると、大きな噴水を隔ててふたつの塔をささげ持つカテドラルが、まるで静寂の眠りについているようにありました。
スペイン人が建てたビザンチン様式のそれは夕照に浮かびあがり、この上なく神秘的で、僕は言葉を奪われしばらく足を止めてそれを眺めていました。ソカロでは地元の人たちも夕暮れの時間をのんびりとくつろいでいます。

タパティア広場。

子供たちは一生懸命水遊び。

オレンジ色の街灯が灯りはじめる。

夕照のカテドラル。

美しく目に映るカテドラル。でもその美しさは僕の心のすべてを満たすことはありませんでした。心の片隅でこう思う自分がいたのです。
(これは本当のメキシコか?)
本当のメキシコもなにも、今僕の目に映るすべてが現実なのですが、僕にはバハカリフォルニアの砂に埋もれそうな小さな町の方がメキシコらしさを感じてしまうのです。

中南米へのスペイン侵攻は教科書で知ってはいました。しかし知識として知っているのと実際その場に立ってみるのとでは、頭と心に浸透していく密度が天と地です。

聖堂も宮殿も確かに目を見張るほど美しいものです。だけどそれはスペインによってつくられたコロニアルであり、当時の建築物をすべて破壊した上に建てられた今なのです。残酷な侵略の末、約300年もの間言葉も宗教もなにもかも有無を言わさず押し付けられた結果であると思うと、僕の胸はゆっくりと痛みを感じ始めるのでした。それは目に映る景色が美しければ美しいほどに。

おわり。

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