2011年6月21日火曜日

潮風香るベラクルス ~ナツイチがくれた夏~ vol.1

メキシコ最高峰の麓にある山小屋で一夜を明かした僕。夜が明けはじめ、深くワイン色をした空にむかってひっそりとたたずむピコ・デ・オリサバは実に神々しく目に映るのでした。


さすがにメキシコ最高峰と言うべきでしょうか。朝の気温は3度とかなり落ち込みました。しかしそんな寒さも朝焼けに浮かぶ山の美しさの前では苦になるはずもありません。熱いコーヒーで目を覚まし、パンとチーズの朝食を済ませたら誰もいない小屋を後にしました。
今日はこの高地から一気に港町のベラクルスまで駆け下りていきます。標高差は3000m以上あります。海沿いは、きっと真夏の気温で僕を迎えてくれることでしょう。

実際海に向かって走る道はそのほとんどが下りで、標高を下げるにつれて気温は徐々に上がっていきました。僕は何度か道端にバイクを停め、ジャケットの中に着ていた服を1枚ずつ脱いでいきます。午後の一番暑い盛りになると気温は35度を越え、じっとりと濃厚な汗が肌にまとわり付きます。走っていれば汗は乾きますが、体に受ける風はひとつも涼しくなく、唯一休憩に立ち寄るコンビニのひんやりとした空調だけにほっと一息つくことができました。ハラパの町を抜けるころにはついに長袖のTシャツのみで走っていました。

服を脱ぐのと同時にエアスクリューも少しずつ閉めていきました。標高を下げるにつれて明らかにエンジンの吹けが良くなり、パワーが戻ってきたのです。4000mの高地ではアクセルを開けても回転が付いてこず、寝起きのアフリカ象があくびでもするように一息遅れてからじわりと吹けあがっていたのに、今ではそれがうそのよう。

すべての道を下りきった先にベラクルスがありました。標高は0m。海沿いの町です。
町に入ると標識を頼りにセントロ(中心地)へ向かって進みました。町の中心地にはホテルも多くあります。迷うことなくセントロに着いた僕は通りの脇にバイクを停め、すぐにヘルメットを脱ぎました。そして同時に長袖をひじの上まで捲り上げます。とにかく暑かったのです。風を浴びなくなった体からはすぐに汗がにじみ出し、額には玉の汗。それでも晴れ渡った青空から降り注ぐ夏の太陽の下にいると、それはとても自然なことだとすんなり受け入れられるものです。

「ホテルを探しているの?」

タオルで額の汗を拭っていると、背後からそんな声がしました。振り向くとそこには小さなホテルがあり、その中から中年の女性が僕に話しかけていました。

「シー(そうだけど)」

中心地に到着した僕がやるべきことは、第一に宿探しです。それは旅においてかなり重要な仕事で、そして同時に骨の折れる作業でもあります。急きょベラクルスに来ることになった(本来はオアハカに行く予定だった)僕は、何の情報もなくこの町に来てしまいました。メキシコ・シティーでもらったガイドブック(もうメキシコを出るからとひとりの旅人からもらったものだ)があるのである程度の情報は調べられます。それでもそこに町中すべてのホテルが載っているわけではないし、僕としては少しでも安いホテルを探したいと思っているのでやはり情報を持っていないのはやっかいなのです。

声をかけられたついでに僕は女性に値段を聞いてみました。

「ひとり一晩いくら?」

しかし残念ながら僕の納得のいく値段ではありませんでした。値段交渉をするまでもなくあきらめざるを得ない値段だったので、ありがとうと言ってホテルを出ました。

こうなるとあまり開くことのないガイドブックも役に立ちます。載っているホテルの中で最安値は150ペソ。安いとまでは言えませんがシングルなら納得のいく値段です。ならばその値段をボーダーとして、いくつかのホテルをあたってみる事にしました。バイクで走りながら、目に入ったホテルにひとつひとつ入っては値段を聞いてまわります。値段は実にさまざまです。空調があるホテルとなると貧乏旅行者は手を出すことが出来ません。逆にテレビもなくシャワーも水しか出ないようなホテルだとやはり安く泊まれます。しかし外見がとてもきれいで一見して高そうだと思うホテルでも、実は意外と安かったりするのでいちいち聞いてみないとわからないのです。結局5軒ほどあたってみましたが、どのホテルも150ペソを下回ることはありませんでした。

それぞれの町にはそれぞれの相場というものがあります。きっとベラクルスで150ペソというのは安値なのでしょう。最安値とは言えない(たぶん)でしょうが、それを足で見つけることはかなり大変です。あきらめた僕はガイドブックを頼りにそのホテルに向かいました。ガイドブックは最新ではないので、もしかしたら値上がりしているかもしれません。しかし最大の問題は駐車場があるかどうかです。郊外のホテルやモーテルならほぼ駐車場が完備されていますが、セントロのホテルではそうもいきません。さすがに一晩を路上駐車というわけにもいきませんし、近くの駐車場を紹介されても別途料金が発生する場合もあります。

(いいホテルだといいな)

そんな期待を見事に叶えてくれるかのように、ホテルは間違いなく150ペソで、しっかりと管理された駐車場がありました。即決です。

駐車場にバイクを入れ、部屋の鍵を受け取り、荷物を部屋に運び入れます。3階の部屋への3往復で汗が滝になり、ですがすぐにシャワーを浴びればそんなことも気になりません。ホテルの隣にあるコンビニでビールを買い、部屋に戻り勢い良くまわるファンの下で一気に飲み干すと、それまでの暑さがまるでうそだったかのような心地よさに包まれました。

やっとみつけたホテル。
快適だった。

夕暮れの涼しさを待って散歩に出ます。港町のベラクルスは町中でも潮の香りが漂い、どこか懐かしさを感じます。海沿いまで歩き、久しぶりの海(そして初めて見るメキシコ湾)を眺めながらのんびりと散歩。通りは陽が暮れるにつれ賑わいを増していき、どこからともなく現れた楽団が音楽をかなで、ピエロが滑稽なショーで見ている者を笑わせ、みやげ物やおもちゃを売る商人たちが道行く人にせわしなく話しかけていました。それはとてもメキシコらしく、とても自由な雰囲気に満ちていました。

久しぶりの海だ。

自由な感じがいい。

ベラクルスには音楽があふれていた。
メキシコ人は音楽があればどこでも踊りだす。

黄昏時間。

風船売りの少女。

僕は近くに公衆電話を見つけ、財布からコインを取り出すと受話器をとり、メモ用紙に書かれた番号を忠実にダイヤルしていきました。それは一昨日イスタシュワトルの登山口でもらった番号で、仲良くなったメキシコ人が僕に手渡したものでした。受話器から呼び出し音が聞こえそれがしばらく続いた後、機械的なアナウンスが流れました。留守番電話につながったようです。僕は一瞬考えた末、静かに受話器を下ろしました。メッセージを残したところで相手からの返信を受けることができないからです。

(どうしようか。このまま連絡せずにいようか)

しかしベラクルスまで来たのにこのまま素通りというのもさびしいしものです。まして「電話するよ」と彼に伝えた一言が心に残っていて、とても後味が悪い。僕はもう一度受話器をとり、再びダイヤルしました。

果たして回線はつながり、僕は明日の朝もう一度彼に電話する約束をしました。彼は今プエブラにいてこれから帰っても3時間はかかるらしく、それでも明日は一緒に海へ行こうと言ってくれたのです。
突然電話したことを申し訳なく感じましたが、町中に漂う潮風のように彼の優しさが胸にしみてきました。

つづく。

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