2011年6月16日木曜日

朝焼けのピコ・デ・オリサバ vol.2

なんとなく山を見ながらのキャンプもいいな、なんて軽い気持ちでのこのこ峠までやってきた僕。高く見上げた山に登攀欲をかき立てられ、急きょ5000m峰に挑むことにしたのでした。


午前3時に目を覚ましました。寒い。温度計は7度の表示。小屋の外はもっと低いでしょう。寝袋から這い出て空を見上げると、そこにはたくさんの星がまたたいていました。天候は順調。風もありません。

それにしても登山口ですでに3940mの標高があります。富士山を余裕で越えています。おかげで空気もあきらかに薄い感じですが、メキシコシティーの2200mに慣れているおかげか僕自身変化はありません。富士山より高い山に登ったことのない僕にとって、この先はすべて未体験。楽しみなようで、同時に不安でもあります。

それよりも125ccの小さなエンジンを積んだ僕のバイクが、4000mの高所まで登るれることができてそれがうれしかったりします。確かにパワーダウンは否めませんでしたが、エアスクリューの調整のみでトコトコと粘り強く登ってくれたことは、この先の旅に大きな安心感を与えてくれました。

インスタントラーメンの朝食で体を温め、荷物を軽くするために必要な物だけをバックパックに詰め込み、4時を待たずにラ・ホヤを後にしました。

ヘッドライトの明かりを頼りに登山道を登り始めます。歩き始めはトレイルがしっかりと確認でき順調に進むことが出来ました。しかし闇に包まれたそれは小さなヘッドライトだけでは頼りなく、登り初めて1時間半で道を外れてしまいました。ヘッドライトの明かりさえ届かないほど深く切れ込んだ谷にぶち当たり、僕はどこにも進めなくなってしまったのです。迂回しようにも闇の中では地形もわからずどうしようもありません。

こうなると来た道を戻る以外方法はありません。しかし戻ったところでこの闇の中ではきっとまた同じことでしょう。僕はバックパックを下ろすと岩の上に腰掛け、ふぅとひとつため息をつきました。そしてパックからダウンのインナー、カッパの下、ビーニー、さらに手袋を取り出すとそれらをすべて着込み、もうじき現れる太陽をじっと待つことにしたのです。気温は4度。行動中ならいざしらず、じっとしているには寒すぎました。

空の星は姿を消し始めましたが、太陽が顔を出すにはまだ少し時間がありました。1時間くらいでしょうか。ただ待つだけの僕には半日にも感じられる時間の中、抱えたひざの上に額をのせ、うとうとしながら一刻でも早く空が白み始めるのを待つばかりです。

東の空がうっすらと赤みを帯び始めました。ライトなしでも十分足元が確認できるようになってから再び歩き始めます。そこにはお世辞にも登山道と言えるような道はなく、どこでどう間違ったのか、とにかくはっきり登山道とわかる場所まで下っていきました。

なるほどここか。小さな踊り場のような場所で直進してしまった僕は実際そこから右方向に伸びる登山道を見逃してしまったようです。明るい今ならば簡単にそれとわかるのですが、闇の中ではそうもいかないものです。

イスタから見る朝焼けのポポカテ。

思わぬタイムロスをしてしまいました。この山行は日帰りの計画ですから、昼には山頂に到着していないとまずいのです。今はもう6時半。少しあせります。

しかし頑張ろうにもなかなかペースは上がりませんでした。とにかく息が切れるのです。岩場でもないどうということのない登りでさえ、足が重く、2分も歩けば息が弾み、心臓の鼓動が早くなるのです。それほど激しい動きをしているわけでもないのに、自分ではどうしようもありません。そのたびに立ち止まり、何度も大きく息を吸い乱れを直します。そんなことを繰り返しながら登るので、日本で山に登っていたときのようなペースには到底及ぶわけもありません。

(なんてことない登りなのに。荷物もほどんどないのに。なんで。なんでこんなに苦しいんだ)

現在の標高は4500mほど。きっとこれが高所登山というものなのでしょう。標高が高くなればなるほど空気中の酸素は減少します。ただでさえ息苦しいのに、さらに運動をすることにより体内の酸素消費量が増えていきます。そして呼吸による酸素供給量がそれに間に合わなくなると血液内の酸素濃度が落ち、やがて高山病(低酸素病)になります。

5000m以上の山では靴紐を結ぶだけでも息が切れる、なんて話を以前聞いたことがありました。そのときはそんな馬鹿なと半信半疑だったのですが、あれは誇張でもなんでもなく実際の話なんだと理解できました。

なんてことない登りなのに…。

テン場(テントを張る野営場)をふたつ通り抜け、一つ目のピークに差し掛かります。本来なら左から巻くようにかわすのが正解だったのですが(その事は下山後に知った)、それを見つけられません。トレースを追って進んでいたものの、それが突然消えたとき、僕はまた道に迷っていることに気が付きました。振り向くと先ほどのピークは見上げる位置にあり、かなりの距離を下っていました。

(またこれを引き返さなければいけないのか?)

ただでさえ辛い登り。自分のミスのためにそれをまた登り返さなければならないのかと思うと泣けてきます。前方を見ると、沢を挟んだ山の中腹に大きなトレースが見えました。

(あ。あれに乗れば本線に復帰できるかも)

そんな確信のない淡い期待に心を売った僕は、考えることをやめ、さらに沢を下り、目の前にあるトレース(甘い誘惑)に飛びついてしまいました。

果たしてそのトレースはピークどころか本線にさえ復帰できませんでした。山の中腹の小ピークで行き止まった僕は、はるか見上げるピークに指をくわえるしかありません。

この小ピークだってなかなかの標高だし、眺めも悪くありません。ここでよしとするのもひとつの答えです。しかし、悔しさと歯がゆさで胸がいっぱいになっていた僕には景色などみる心の余裕などなく、見つめる先はただただピークのみ。その左下にはアヨロコ氷河がピークを守るかのようにその純潔な白を陽射しに輝かせていました。

(あぁ。あそこに立ちたかったのに。あのとききちんと引き返していれば)

そのときです。視界の一部にケルン(岩や石を積み上げた道標ないし目印)を見たのです。その先にさらにもうひとつのケルン。一気に心のもやもやが晴れていきます。あれに従って沢を詰めて行けば本線に復帰できるかもしれない。時計は10時を過ぎたことを告げています。よくてあと2時間。

(ケルンがあるんだ。可能性はある。ならば行ける所まで行ってみよう。それで駄目ならあきらめもつく。このまま引き返せるか)

ときおり見つけられるケルンを頼りに岩場を進み、なんとか本線復帰を試みます。その頃には体力がかなり落ちていて、さらに登山道でもない不安定なガレ場はかなり危険で、もう引き返そうかと何度も思いました。けれどやはりそれでは納得がいかず、なにくそとさらに沢を詰めていきました。あの稜線上に出れば本線があるはず。それが唯一の望みでした。

次第に急峻になるガレ場は四つんばいで這い上がらなければならず、足を滑らせればきっと滑落してしまうでしょう。それは結構な恐怖で、それでもなんとか標高を上げていきますが、下から見えた稜線上の氷河は間近で見るとかなりの大きさで、巻いてかわせる隙はどこにもなく、アイゼンもピッケルも持っていない僕はそのまま登攀することもできず、もはやどこにも行けなくなってしまいました。

(これ以上は危険すぎる)

僕はそのとき初めて山登りの最中に命の危険を感じました。
ピークは見上げればすぐそこで、不自由なく歩ければ1時間とかからずに踏むことができる場所にあります。それもでもうこれ以上は進めません。時計は11時30分を表示していて、これからの下りを考えればもう引き返したほうが懸命です。

(5000mを越えるところまで詰められたんだ。十分やったよ)

そう自分に言い聞かせますが、苦いため息が自然と漏れてしまいます。僕は、今きた道を引き返しました。

ピークは目の前。手が届きそうなのに。

本線から外れていたため帰り道も良くわからず、地図さえない僕はなんとか登山口まで戻ろうとしますが沢をひとつ残してまたしても行き止まりました。目の前の沢を抜けなければ登山口には届きません。しかしとても降りていけるような場所はありませんでした。この沢を越えるためにはまた尾根まで登り返さなければなりません。しかし行動食のみで動き続けた体はもう体力の底に近く、とても登る気力がわいてきません。何度もこのまま下れないかとあたりを偵察しますがそのたび徒労に終わり、元の場所に引き返すという無駄を繰り返してしまいました。空にはいつの間にか雲が湧き、風もでてきました。

(このままでは暗くなる。きっと雨も降る。早く下山しなければ)

覚悟を決めて沢の上部を目指し、重い足をひたすら動かし続けます。途中偶然テン場を見つけ、さらにそこから沢を折りるトレースを発見しました。

(これだ。もうこれしかない)

すがる気持ちでそれを追います。トレースは沢を斜めに下り、本線に復帰できるようでした。

(助かった。もう何でもいい。無事に戻れれば)

急な岩場を下り、腰まである藪を漕ぎ、疲れ果てて駐車場に戻ったときは、もう17時になろうとしていました。肩で息をするほど呼吸は乱れ、もう何も考えられなくなっていました。屋台小屋に入り、荷物をおろすとベンチにぐったりと座り込んでしまいました。

涸れた沢に可憐な花が咲いていた。

この沢を降りてきた。

これから荷物をバイクにまとめ、ここを立ち去る気力なんて微塵も残っていませんでした。昨日と同じようにベンチに寝袋をひくと、すぐに横になりました。息が整っていません。

(すべては明日の朝にしよう)

とにかくひたすら寝たかったのです。その後どれくらい経ったのか、激しい雷とあられが山を襲いました。

(移動しなくて良かった。テントじゃなくて助かった)

鼓膜に直接響くほどの雷鳴を聞きながら、僕は遠い意識の中でそれを思うのでした。

つづく。

2 件のコメント:

  1. こんにちは!超お久しぶりです。
    あまりにも、壮大すぎる風景ばかり!
    同じ地球とは・・・・いや、
    僕らは、普段地球を意識してないか(笑)
    きっと、高地トレーニング状態で、
    最強の肉体を手に入れてるのかも(笑)
    旅の無事を日本より祈っております。
    ではまた!

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  2. おひさしぶりです!

    これからの南米に向けて高地順応しておかないといけませんね。一度登った標高まではしばらく体が覚えているらしいので、忘れないうちにいろいろ挑戦してみたいと思っています。
    もちろん今度はきちんと準備をします。笑

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