早めの6時起床。空はまだうっすらと明るい位だ。ビスケットとコーヒーの朝食。太陽が出ていないからまだ気温は高くない。汗もかかずにテントを撤収できる。それでも太陽が高くなるにつれ陽射しは容赦なく、また今日も汗と格闘するいちにちだ。メリダまでは230kmほどあったが、早めに出発したこともあり昼には残すところ70kmとなった。何度か軍の検問があってその度に止められたが、荷物をあけるほどのことはなくすんなり通過した。
メリダでは安いドミトリーにでも入ろうと思っていたが、目星をつけていたホステルは調べていた値段の倍以上に値上がりしていて、さらに駐車場も無いというので値切る気力にもなれずあっさり断念した。その後ユースホステルにも出向いてみるが、駐車場込みで125ペソといい値段だった。
事前に調べていた情報では100ペソ以下が相場であった。すっかりその気でのこのことやってきた僕なので、125ペソと聞くとどうしても高く感じてしまう。25ペソといえば日本円にして約200円。なんだそれくらい、ときっと思うだろう。だけどすっかり貧乏旅が骨の髄まで染みこんだ僕にはその25ペソが大切だった。たかが25ペソ。されど25ペソ。ここでは屋台で食事が出来てしまう金額だ。
結局ユースホステルは保留にして、ソカロ周辺をバイクで走り、目に入ったホテル一軒一軒の値段を聞いてまわった。何軒目かのホテルに入ると、フロントには僕と同い年くらいと思われる青年がいて、事務的な椅子に座り事務的な仕事をしていた。
一見白人とも思えるような顔立ちをしている彼は、かなり強いスペイン語なまりの英語を話した。ホテルはいかにも洋館と言う造りで、清潔な感じが悪くない。床一面に白と茶のタイルが交互にはめられ、まるで自分がチェスの駒にでもなったような気分になる。中庭の植木は吹き抜けいっぱいに伸びて、2階の廊下を優に越していた。ぱっと見他に宿泊者はいないようで、フロントもロビーも閑散としていた。値段はシングルで180ペソだった。
(まぁそんなもんだろうな)
素直な感想だった。これではいくら値切っても100ペソは望めないだろう。僕はありがとうと言いホテルを出ようとした。
「150でどう?」
きびすを返した僕に、フロントの青年は待ったをかけた。そこから交渉が始まった。
「もちろん駐車場もあるよ」
しかしいくら個室といえど、ユースホステルのドミトリーは125ペソだ。一晩寝るだけならシャワーとベッドさえあればいい。残念だけど、と首を振り立ち去ろうとすると、どこからか女性(きっと青年の母親だろう)がやってきて、青年となにかを話し始めた。スペイン語の会話はまったく理解できなかったけど、女性は洒落たブラウスにスカートという身なりで、どこにもラテンな雰囲気はなかった。手には大きなブレスレットがはめられている。きっとあまり血が混ざっていないのだろう。これならチェスの床の洋館というのもうなずける。そんなことをぼんやり考えていると、ふたりの間では何かが決定されたようだ。
「小さな部屋だったら100ペソでいいよ」
青年はなまり英語で言った。いきなり目標の金額を目の前に出されてしまったら、もう帰るわけにはいかない。僕は部屋を見せてくれとお願いし、青年に案内されて2階の部屋に通された。小さな部屋といっても日本人の感覚からすればどこも小さくは無い。四畳半の部屋の方がまだ小さい。ベッドがあり、ファンがあり、机があり、テレビがある。もちろんシャワーとトイレもついている。
もう個室でこの値段はなかなか見つけられないだろうと、僕は部屋を見たときに即決したのだが、そうとは知らない青年はなんとしても僕を泊まらせたいらしく、リモコンでテレビをつけ(リモコンがあるというのはかなり”売り”のようだ)、電灯をつけ、ファンを最強でまわし、ホットシャワーまで出して部屋の設備をひとつひとつ丁寧に説明してくれた。
「問題ないよ。オーケー。今日はここに泊まることにするよ」
「そうか。それなら下で受付をしよう」
清潔感のある洋館。
4日ぶりの宿はやはり快適だった。
荷物を入れたら真っ先にシャワーを浴びた。外はいつの間にかスコールだったから、テレビをつけてベッドに横たわった。見上げた天井からぶら下がるファンは身をくねらせるようにまわっていて、いつかちぎれて落ちてくるんじゃないかと心配になる。テレビでは映画の「レオン」がやっていて、スペイン語に吹き替えられて言葉はわからなかったけど、なんだかんだで最後まで見てしまって、外はいつの間にか雨があがっていたから夕暮れの散歩に出た。
やはりと言うか古都メリダにおいてもソカロ周辺はコロニアルで、カテドラルは荘厳だった。おかげで僕は胸やけ寸前という気分だった。食傷。つまりはそういうことだ。唯一救いだったのは州庁舎の壁画が素敵だったことだ。それは今まで見てきたどの壁画とも似ておらず、見応えがあってよかった。
町の彫刻は、スペイン人がインディヘナを踏みつけていた。
今まで見たことの無いタイプの壁画。
州庁舎に並ぶ壁画。
どの壁画も物語性が強かった。
メルカドをぶらつき、安食堂街でポジョアサードとトルティーヤを買い、部屋に戻って夕食にした。この炭焼きの、ちょっと焦げたチキンが実にうまい。素手で身をほぐし、ハラペーニョと一緒にトルティーヤで巻いて食べるとかなりいける。ベラクルスで初めて食べて以来、すっかりお気に入りの食事になっている。
飯を食ったら眠くなる。疲れているせいかベッドでうとうとしていると21時になっていた。あわてて部屋を出る。今日はサンタルシア公園で歌と舞踊がおこなわれている(メリダは毎日どこかでそのようなイベントがあるらしい)ので見に行こうと思っていたのだ。というのもフロントの青年がぜひ行ったほうがいいと(なまり英語で)強く勧めたからだ。
公園はすでに結構なにぎわいで、特設のステージでは3人のメキシカンがギターを抱えて陽気に歌っていた。やっと涼しくなってきた気温と陽気な歌は疲れた体に心地よく、植木のブロックに適当に腰掛けて聞いていた。
メキシコはなぜかトリオが多い(と思う)。
そんな僕の前に、ときおり土産物をたくさん抱えた少女が現れて、色とりどりの布やらネックレスやらを目の前に差し出す。そして(あなたお金あるでしょ。買ってよ)という目で僕をみつめる。僕は、ただ目を伏せて首を横にふることしか出来ない。確かに金はある。いくら貧乏旅だといっても、少女からみたらとんでもない大金をポケットに入れているのだ。少し心が痛む。少女は、そんな僕にあっさり見切りをつけ次の客を探しにいく。
ベンチに座っていた恰幅のいい白人女性ふたり組みが、少女からいくつかの品を購入していた。僕はそれを見て少しほっとする。と同時に、胸の中にもやとしたものを感じてしまう。
心を痛めながらも、自分では買わない。しかもそのくせ品が売れているところを見て、ほっとする。なんという傲慢さか。僕はどうしようもないジレンマに苛まれる。
22時過ぎにイベントは終了した。歌も踊りも楽しいものだった。ステージでは民族衣装に身を包んだ女性が美しい笑顔で終演に花を添えていた。
観衆はくもの子を散らしたように自分の帰る場所へと歩いていった。僕も、ホテルに向けて歩き出す。今日はひさしぶりのベッドだ。それにファンもある。きっと快適な睡眠となるのは間違いない。真っ暗な夜の空にライトアップされた教会は煌びやかで、僕はそれを横目に足早にホテルへと歩いた。
素敵な笑顔で花を添える。
夜の空に見上げる教会。
つづく。
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