2012年6月17日日曜日

かつて世界一美しいと謳われた湖での日々は一瞬のまばたきの中に

転倒時の怪我を養生するという名目で、なんだかんだと1ヶ月以上もアンティグアに居てしまった僕。ついにその町を離れることにした。


怪我はかなり回復していた。ひざのかさぶたはまだ完全に取れていなかったが、ゆっくりとなら屈伸もできるようになった。これならバイクにまたがっても問題はない。左手の小指も肉がえぐれただけに一番心配していたのだが、今では逆に肉が盛り返し、もう心配がいらないまで回復した。未だ曲げることは出来ないが、小指を使わなくてもクラッチは握ることが出来る。今や停滞している理由はなくなった。

宿の宿泊費は1600ケツァールを超えた。それはかなりの金額と思えたが、37泊もしたのだ。当然の結果。支払いを済ませ出発の時が近づくが、どうしてもここを出るという実感がわかない。ともすればこのままもう1泊してもいいかなとさえ思えてしまう。しかし、今や停滞している理由はなくなったのだ。ここにいてもただ時間を浪費するだけだ。そう自分自身に言い聞かせ、体に染み付いた手順に従い、余計なことは何も考えないようにして、すべての荷物をバイクに積んだ。

8時半。宿のオーナーに見送られながら宿を出た。

「また来ます」

そう言ったのは建前などではなく、本当にそうするつもりだったからだ。
途中のガソリン・スタンドで給油をし、タイヤの空気圧調整をする。チマルテナンゴの町でパンアメリカン・ハイウェイに乗ると、一路西へ向かった。

これから中米を下り南米に向かうのであれば、逆だ。西ではなく東へ進まなければならない。しかし、僕は西へ向かった。コバンを出た日、シェラに向かおうとしていたというのもある。シェラはアンティグアから西へ向かったところにある町。しかし本当の目的はメキシコだった。メキシコのサンクリストバル・デ・サスカサスを目指していた。

中米は、今や完全に雨季の只中にいた。午後にもなると決まって激しいスコールが町をおおい、道は川のようになった。これからそんな状況が10月いっぱいまで続く。だから今、中米の国々をバイクで走る気にはなれなかった。
メキシコにバイクを預け、アメリカへ行こうと思った。あと3ヶ月もすれば中米の雨季も終わる。それから走り出そう。どうせ今から急いで南米に入っても、僕のペースでは向こうの夏に間に合わない。ならば次の夏に。そう結論を出したのだ(そしてその結果僕は一旦日本に帰国することになるのだが…)。

その日、僕はアティトラン湖のほとりにあるパナハッチェルへと舵をとった。アティトラン湖は一昔前、世界一美しいと謳われた湖だ。今ではすっかりその影もないが、周辺にある村々はとても落ち着いていて、民族色が濃く、物価も安い。だからヒッピーの溜まり場になっていて、のんびりするにはうってつけという事だった。

話どおり、僕はアティトラン湖のほとりの村々で実にのんびりした時間を過ごした。湖にカヤックを浮かべたり、仲良くなった連中とバーに飲みに行ったり、バーベキューをしたり、ジャパニーズ・レストランで久しぶり日本食に舌鼓を打ったり、そこで寿司パーティーをしたり。そして宿のバルコニーから眺める朝夕の太陽と月にため息をもらした。

世界一と謳われた湖。

村から村へはボートに乗る。

村の娘っ子。

町の壁画。

グアテマラではこんなものを食べてます、その1。
 鶏肉のスープと温野菜に米、そしてもちろんトルティーヤ。

グアテマラではこんなものを食べてます、その2。
牛肉の煮込みに米、サラダ、トルティーヤ。
ジュースは米から作った甘いもの。

カフェでおいしいコーヒーも飲んだ。そこでは久しぶりに「コーヒー」と思えるものを飲んだ。グアテマラはコーヒーで有名だが、山中の民家で飲んだものも、アンティグアのスペイン語学校で飲んだのも、どれも味が薄かった。最初それを口にしたときはそれがコーヒーだとは思えなかったくらいだ。例えるならそれは「甘い麦茶」で、なぜコーヒーで有名な国の人々が「甘い麦茶」を飲んでいるのか不思議だった。皆おいしいコーヒーを飲んでいるものとばかり思っていた。その答えは「輸出」ということだった。高級な豆はすべて輸出用として他国へ運ばれ、庶民層が口に出来るのは輸出に向かない粗悪な豆だけということだった。結果人々にはそれがコーヒーの味として浸透したようだ。

そのカフェは陽気なアメリカ人夫婦が経営してた。マイクと名乗るオーナーは僕のバイクを見て驚いて、排気量を聞いてさらに驚いていた。聞くと彼も25年前、スズキの650ccで中南米を1年かけて旅したそうだ。

「南米はどうだったの?」

僕が尋ねると

「ビューティフル!」

両手をいっぱいに広げてそう言った。それは美しい、という以外にも多分に意味が込められているようだった。そしてアドベンチャーだね、そう言って笑った。


アドベンチャーだね!

アティトラン湖畔での日々はまるで凪いだ海のようで、時計の針はその動きを止められたかのようだった。そして気が付いたら半月が過ぎていた。瞬きをしている間に日々が過ぎてしまっていた。居心地のよさに後ろ髪を引かれながら、僕は皆にさよならと告げてそこを後にした。
湖を離れると道は山を駆け上がり、あっという間に湖は眼下に広がった。同時に過ごした日々は一瞬で過去のものになった。


おわり。

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