2012年6月29日金曜日

ミサ

世界一美しいと言われた湖を後にした僕。メキシコへ向けて着実に西進するのだった。


向かった先はケツァルテナンゴ。そこは通称シェラと呼ばれる町で、湖畔の静かな村で日々を過ごしていた僕の目にはとても都会に映るのだった。それもそのはずここはグアテマラ第二の都市。高台に登って町を見下ろすと、山に囲まれた盆地にはどこまでも民家が連なり、片道2車線の幹線道路には車やチキンバスがあふれていた。信号がせわしなく、銀行が至るところにあり、マクドナルドやWALLマートまでもあった。町を歩く若い娘たちは綺麗にめかしこんでいて、それでも多くの女性はウイピル(民族衣装)を着ていて、そのギャップがまた楽しかった。

共同の洗濯場。

道ばたで野菜を売る女性。


市場で食べた食堂のおばちゃんとその娘。

器用に頭の上にのせるものだ。

見下ろす町並み。

シェラには1週間ほど滞在した。そこには日本人宿があり多くの日本人が羽を休めていた。アティトラン湖で会った女の子とも再会した。彼女の名前はユイと言い、僕と同じ地元で、家もそう遠くはないという偶然だった。そんな彼女と一緒に出かけた山あいにある村はとても印象的で、今でもその日の出来事をよく覚えている。スニルというその村は日曜に市が立つというのでふたりで出かけた。
シェラからチキンバスで30分も揺られただろうか。到着したスニルは小さな村で、カテドラルを中心とした市もこじんまりとしていた。そこで僕らは別れた。彼女は市を目的としていたが、僕はそうではなかった。ここで行われているミサを見るのが目的だった。「サン・シモン」と呼ばれるそれは土着のキチェ族が持つ独自の宗教と、スペインが持ち込んだキリスト教がないまぜになったもので、かなり独特なものらしかった。

サン・シモンが行われているのは教会ではなく普通の民家ということだった。場所は持ち回りということで見つけにくいかと思われたのだが、数人の村人に尋ねると意外にもあっさり見つかった。
入場料として5ケツァール、カメラ使用代として10ケツァールを払い中に入る。
薄暗い部屋の中には数人がいるだけで、部屋の一番奥に人形が椅子に座らせられていた。話に聞いていた通りその人形はサングラスをかけ、帽子をかぶっていた。そんな人形が黙って椅子に座る光景はどこか滑稽だった。人形の前にはいくつものロウソクが灯されていて、それは赤、青、白、黄とさまざまだった。色により願い事の意味が違うらしかった。黒いロウソクは「呪い」のためと聞いたが、そのときは一本もなかった。

ひとりの女性が人形の前に立っていた。祈祷師らしき男性がなにかをつぶやきながら女性の周り歩き、人形がかぶっている帽子を手に取り女性にかぶせ、日本のお祓いにも似た儀式を行った。言葉は理解できず一体なにを祈っているのかは分からなかったが、これがとてもキリスト教の色が入っているとは思えないほど不思議なものだった。

さらにその家屋の屋上ではキチェ族の儀式が行われていた。それはサン・シモンよりもさらに異様なものだった。砂糖で魔方陣のような模様を書き、その上にテニスボール大の木の実(それが何であるかはよくわからなかった)を積み、色とりどりのロウソク、、葉巻、菊のような花などを積み上げ、火をつける。その炎を前にやはり何かを祈る。時折酒をかけると、炎は盛大に燃え盛る。炎の勢いが増したところで祈祷師は生きた鶏を持ち出し、その首を押さえつけ、ナイフで切り落とした。鈍い音がする。切り取った頭を火の中へ放り込み、首からしたたる血を火にくべ、さらにナイフで鶏をさばく。両足を腿からもぎ取り、腹を裂き、臓物を取り出し、それらを次々に火に放り込んていった。さまざまな物がさまざまな思いで燃えていき、煙がいっせいに立ちこめた。むせ返るような匂いに息苦しくなる。一連の作業は流れるように行われ、火が消えかけた頃、何かの種を火にくべる。辺りにはパチパチという乾いた音が響きわたった。何かを犠牲にする代わりに何かを得ようとすることは、人間の深い部分に存在する普遍的な思いなのかもしれない。

なんとも言い難い気持ちで市に戻った。市は村人の生活のためといった感で、土産物屋はほとんどなく、食料品や生活用品を売る店が主だった。その生活観溢れる猥雑な雰囲気が、ついさっきまで見ていたミサとは対照的で、いつもより太陽の明るさが目に染みた。

サン・シモン

いろんなものが燃える。

色合いがいかにもグアテマラらしい。

素晴らしい刺繍。

見つけた屋台で昼飯を食べているとどこからともなくユイちゃんが現れた。小さな市は1時間もあれば十分で、時間をもてあました彼女はしばらく本を読んでいたという。
来たときと同じ場所でバスを待った。時刻表などないので、バスがやってくるまでのんびり待つしかない。

スニルとシェラの間にはロス・バーニョスという村がある。そしてその名の通りそこには温泉がいくつかあるのだった。だから僕らは途中下車をして温泉に入ることにした。個室の風呂場を1時間かりても100円足らずで、1年ぶりに入る風呂はどんなに気持ちいいだろうかと考えながらバスを待った。

おわり。

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