2012年8月23日木曜日

心に響かない町 vol.1

エルサルバドルはなかなかに居心地が良かった。物価は安く、ホテルも手ごろな値段でありながらかなり快適だった。ホテルの目の前には食堂があり、いつも地元の客でにぎわっていた。ゆえに味もよく、食事に困ることもなかった。
何より人が良かった。町を歩いていても、どこかの店に入っても、親切にされることが多かった。挨拶をすればきちんと返ってきたし、むしろされることの方が多かった。人の良さはその国を印象付ける大きな要素であるのだが、その点でエルサルバドルはかなり好印象だった。

だからといって長居することは許されなかった。これだけの条件が揃っているならばつい悪い癖(僕は居心地が良いとついのんびりしてしまうきらいがある)が出てしまうのだが、そうもいかない理由があった。ビザだった。残りの日数は2週間を切っていた。ホンジュラス、ニカラグアのことを考えると、残念ながらもうエルサルバドルを出なければならなかった。

日中は30度を超す気温だが朝は25度とすがすがしい。季節的には雨季に入ったのだが、今のところ雨の心配はない。今日はサンサルバドルから一路北へ、ホンジュラスへ向けて走る。

首都から北へ向かう道は、渋滞の上り車線を尻目に快調に進んだ。国境へは100kmほどあるので朝早くホテルを出発した。朝食もとらずに走り始めていたので1時間で腹が減ってしまい、途中の町でププサと甘いコーヒーをとった。チーズ入りのププサがおいしく、すっかりお気に入りだ。
同席になった青年が話しかけられた。見るからにインテリっぽかったのだが、話の内容はやはり「ツナミ」と「ジャイカ」といったものだった。ツナミについては心配され、ジャイカについては感謝されてしまった。僕はこれといって何もしていないのに感謝されてしまうのはなんとも面映くもあるのだが、エルサルバドルでジャイカの話をされたのはこれで2回目だった。

こんなところで食べてます。

腹も落ち着いたところで再度ホンジュラスに向けて走り出す。しかしそのホンジュラス、実はバイク乗りにとってかなり厄介な国として知られている。賄賂だ。入国時もさることながら、国道沿いにあるかなりの数の検問にいたるまで、いちいち賄賂を請求されるという話だった。なんということか。ただバイクで通過するだけに金を払わなければならないなんて。

お互いの利害関係が一致するのなら話は分かるが、こちらが一方的に損をするだけの賄賂など払いたくはない。そもそもそれは賄賂とはいえない。公的立場を利用した恐喝だ。検問では時間をかけて対応すれば賄賂を払わずに通過できるだろうが、その労力たるや大変なものだ。
そんな中、北部のローカル国境では賄賂請求などないという話を聞いた。それはメキシコで会ったあるバイク乗りの確かな話だった。最短距離で中米を貫くパンアメリカン・ハイウェイから外れ、北へと進路をとったのはそのためだった。

昼前に国境に到着した。エルサルバドル側の出国は何の問題もなかった(もっともイミグレーションではまたしても日数が少ないことに突っ込まれはしたのだが)。
ホンジュラス側へ移動する。話ではガイド(何のためのガイドなのか理解に苦しむ)がうざいくらいいて、そのガイドを通して入国手続き(そして賄賂の支払い)をしないとスタンプがもらえないと聞いていた。もちろん賄賂の一部はガイドに支払われる仕組みだ。
しかしどこを探してもガイドなど見つからなかった。それどころか誰一人として僕に近寄ってくる者はいなかった。それはそうだ。ローカル国境を使用して入国するツーリストなど微々たるもの。いつ現れるかも知らないツーリスト目当てにしてもガイド商売もあがったりだろう。うわさで聞いていた殺伐とした雰囲気など、ここには微塵も存在しなかった。

本当にのんびりしたものだった。ローカル国境にしては構えが大きく、広い敷地はバイクで移動しなければならないほどだったが、時折自家用車や大型トラックが通過するだけだった。ツーリストは僕のほかに英語を話す夫婦がひと組居るだけで、イミグレーションで入国カードを記入し3ドルと共に提出すると、スタンプは簡単にもらうことができた。

(あれ?案外スムーズに入れるかも)

と思ったのが間違いだった。
ガイドやら賄賂やらといった雰囲気は皆無だったが、税関でのペルミソ作成に長時間を要してしまった。税関に到着したのがちょうど昼時(11時50分だった)で、これから昼休みだからと書類さえ受け取ってもらえず、1時間待たされた。13時を待ち再度窓口に行くも、今度はシステム障害と言われ、書類は受け取ってもらえたものの、さらに待たされることになった。

窓口の女性は申し訳ない、といった顔をひとつも見せなかった。私の責任ではないもの、とはっきり顔に書いてあった。こちらとしても彼女を責めるわけではないが、いつ復旧するともわからないのでは困ってしまう。これが日本であれば大変なことだ。ラテン気質。この辺の感覚は日本と大きく違う。大きく違うのだが、別に腹立たしくはなかった。のんびりした旅をしているというのもあるが、日本を長く離れ、すっかりラテン時間に浸りきっていたということが大きいのかもしれない。

ここから先がホンジュラス。

どこかのどか。

まさかの足止め。

日陰に腰掛け、コーラを飲みながら、ときおりホンジュラス人とおしゃべりしながら、だらだらと時間が過ぎるのを待った。そこら辺を野良犬が奔放に走り回り、アイスクリームやらパンやらを売りに商人たちがやってきた。あまりに穏やかな雰囲気に、ここが国境だということさえ忘れてしまいそうだ。
システムはなかなか復旧しなかった。何の進展もないまま30分、1時間と時計の針だけが進んでいった。できれば午後いちにはホンジュラスへ、なんて思っていたがそうはいかないようだ。バッグからガイドブックを取り出し、今日の計画を練り直した。この雰囲気からして今日はもうそう遠くまで走ることはできないだろう。国境から100km圏内の町を探した。

結局ペルミソが発行されたのは15時を過ぎてからだった。3時間以上も待たされたことになる。真上にあった太陽は、今やすっかり傾き始めていた。もうその頃には今日中にホンジュラスに入国できればいいや、なんて気分になっていたので、夕方まで十分余裕のある時間に走り出せることが逆にありがたく思えてしまった。

つづく。

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