2012年8月24日金曜日

心に響かない町 vol.2

エルポイの国境からホンジュラスへと入国した。ペルミソ作成に思いのほか時間を要したため、そう遠くまでは走ることができず、国境北にあるサンタロサ・デ・コパンという町を目標に走りはじめた。

道はかなりの山道だった。ホンジュラス北部は想像以上に山深い。いくつかの峠を越えていくため景色は良かったのだが、いかんせん道が悪く、なんぎした。ところどころが未舗装であり、さらに舗装路でさえこれでもかと言わんばかりに穴があいていた。それは大きなものから小さなものまで実にバリエーションが豊富で、深いものでは30cm以上も陥没していた。カーブの途中にまでそれがあるのでなんとも厄介だ。穴をよけるため車が蛇行して走るので、車線などもはやあってないようなものだった。穴をよけながら、かつ対向車もよけなければならない。かなり気を引き締めて走らないとあっという間に事故を起こしてしまいそうだ。おかげで余計に時間がかかってしまい、国境から近い町を選んだにもかかわらずサンタロサに到着したのは夕方18時になっていた。

山中を突き進む。

雲。

ほこりっぽい町でちょっと休憩。

それは山を登った先に突如現れた。峠を登っているとき、きっとこれを下った平地にでも町があるのだろうと思っていた。しかし登り切った先にいきなり町が広がったので驚いてしまった。そして山の中とは思えないほど綺麗な町(とてもコロニアルだった)でさらに驚いた。もしかしたらこの町は観光地なのかもしれない。そう思うとふとある心配事が頭をよぎった。

案の定ホテルはどこも高かった、最初に入ったホテルでシングル500レンピーラ(約26ドル)と言われたときは、がっくりと肩を落としてしまった。地図で目星をつけてやってきただけなのでなんの情報も持っていないし、時間を考えるとこれから移動するわけにもいかない。夕闇は、今まさに町を包み込もうとしていた。とにかく町中をバイクで走り回った。テレビやエアコンなんていらない。安くひと晩を寝られる場所を探した。

ホテルのフロントで、ほかにもっと安いホテルはあるかと尋ねることにもすっかり慣れていた。最初はそれを聞くことに抵抗もあったが、ホテル探しの効率を考えるとそんなことでしり込みしている場合ではない。そんなものは知らないと無情に追い払われることも頻繁だったが、親切に教えてくれることもあった。たとえ高いホテルに入ったとしても、徐々に安い方へと進路を向けていくので、最終的にはその町の安宿に落ち着ける。

教えてもらったマヤという名前のホテルはシングルで150レンピーラだった。ドルにすれば約8ドル。まずまずの値段なのだけど、同じ値段で泊まっていたエルサルバドルの宿を思うと、その質の差は雲泥だった。シャワールームは狭く、シャワーを浴びると便器までも水浸しになるし、部屋にはコンセントひとつなかった。ベッドはスプリングがいかれ、体を預けるとどこまでも沈んでいった。そしてしばしば足元をゴキブリが這った。安いなりの理由はある。救いだったのは、安全な駐車場があることだった。

いつものように部屋に荷物を入れシャワーを浴びる。一息つくともう20時近かった。小さな窓から見上げる空にはすでに星がきらめいていた。長い一日だった。
ほっとすると同時に腹が減ってしまった。思い起こせば昼に国境でパンを買って食べたきりだ。なにか食事をと思ったが、今から町を歩く気分にもなれず、宿の前にあった食堂に入ることにした。
セナ(夕食という意味)を注文する。壁に張られたメニューはそれしかない。時間帯でデサユノ(朝食)、アルムエルソ(昼食)、セナ(夕食)と分かれているだけだ。つまりこの店に入った誰もがすべからく同じものを食べるというわけだ。

運ばれてきた夕食はまるで朝食のようだった。目玉焼き、焼きバナナ、フリホーレス(煮豆)、ハム、チーズ、クレマ(サワークリームのようなもの)が一皿にのせられ、それにトルティーヤが付いていた。これで50レンピーラ。エルサルバドルで食べていたカルネ・アサード(牛肉のステーキ)と同じ値段とはとても信じられなかった。ところ変われば品変わるということか。もっともラテンアメリカでは昼食がその日の主たる食事であり、夕食は軽く済ませるというのが通常だ。だからここでは昼食がディナーであり、夕食がランチというわけだ。フリホーレスをトルティーヤで包みながら、郷に入りては郷に従え、つまりはそういうことなのだと悟った。

そういうこと。

つづく。

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