2012年8月29日水曜日

心に響かない町 vol.3

少し早めに起きだした。昨日ホテルに入ったのがすでに日没後だったので、食堂で夕食をとっただけで町を散歩さえしていなかった。何の因果かさっかく訪れた町なのに散歩もしないで立ち去るのはもったいないと思え、早朝の町を1時間ほど徘徊した。町は、山中とは思えないほどコロニアルだった。それはどこかメキシコのサンクリストバル・デ・ラスカサスを思い出させた。

今日はホンジュラスの首都テグシガルパまで走りたい。しかし、その距離は読めなかった。地図を持っていなかったのだ。エルサルバドルまでの地図は持っていたが、その先の地図は(コスタリカ以外)まったく持っていなかった。かろうじて地図と呼べるものはガイドブックに記載されている極めて大雑把なものだけだ。ひとつの国を10cm四方の四角の中に収めているそれは主要道路が数本確認できるだけで、距離さえ読めなかった。バイクで旅をするにはあまりに頼りなさすぎる。なさすぎるのだが、僕はそれ以外を持っていなかった。本屋に行こうがガソリンスタンドで尋ねようが、中米では地図らしい地図を見つけることができなかった。

距離も読めないまま走り出した。距離は読めないまでも、主要道路をなぞっていれば問題はない。しかし今日中に到着できるかと思われたテグシガルパは遠かった。やはりガイドブックの地図では走れたものではない。まっすぐに引かれた線は、実際走ってみるとかなりの峠道で、時間などまったく読めなかった。

グラシアスの町までは良かった。道は山道で状態も悪かったが、まだ舗装されていた。しかしグラシアスを過ぎてしばらくすると、そこからラ・エスペランサまでの20kmほどが未舗装となった。それも赤土を固めただけのそれは凹凸が激しく、荷物を山と載せたバイクでは30kmも出すことができない。20kmの距離を1時間もかけて走った。ラ・エスペランサに到着したのはすでに昼近く、その時点でテグシガルパは厳しくなっていた。

今日もいくつもの峠を越えた。ホンジュラスがこれほど山深い国だとは思わなかった。グアテマラでも3000mを超える峠を越えてきたが、これほど上り下りを繰り返すことはなかった。きつい上りでは時速30kmも出せず、下りはエンジンを切っても惰性で延々10kmも勝手に進んでしまう。125ccのトライアルにはきつい道のりだ。

シグアテペケの町に突き当たると、道路の状況が一変し、片側2車線の実に走りやすいものになった。ここはテグシガルパとサンペドロ・スーラというホンジュラス第一第二の両都市を結ぶ幹線道路なのだからそれもうなずける。道路に穴があいていることはなくなったが、山を抜けることには変わりはなく、さらに交通量が格段に増え、今度はものすごいスピードで駆け抜ける大型トラックやバスに気を使わなければならなかった。

太陽がいったん傾きはじめると、日暮れを待ってはくれなかった。それでも道路状況が良くなったので多少残業をしてでもテグシガルパまで走ろうと考えていた。距離は約60kmを残すところだった。2時間かからない距離だ。しかしサンブラーノの町を過ぎ、山を下りはじめたあたりからぽつりぽつりときて、標高を下げるにしたがい本降りになってしまった。
一瞬で心が折れた。カッパを着て、夕暮れの国道を、大型車のしぶきに耐えながら2時間走る気などさらさらなかったし、テグシガルパにそれだけの見返りがあるわけでもなかった。あっさりときびすを返すと、雨の降っていないサンブラーノの町まで戻った。

町に一軒しかないホテルはシングルで330レンピーラだった。しかし値段交渉であっさりと200レンピーラまで下がってしまった。下がったというよりも、下げてくれた、といった方が正しい。僕の見てくれをして330はとても払えないだろうと思ったのか、女主人は品定めをするように僕を見つめたあと、いとも簡単にその値段を出してきた。
果たして200レンピーラで取った部屋はとてもきれいだった。ゴキブリの出る昨日のホテルとはえらい違いだったし、もしあのまま雨の中っていたらと思うと、こうして19時前に落ち着くことができるだけでもありがたかった。

翌日の出発はゆっくりだった。テグシガルパまでは60kmしかないうえ、あまり早く到着したところでホテルに入るわけにも行かない。どの国でも安宿においてはチェックイン時間など決められていなかったが、昼を待たずに部屋に入るというのも早すぎる。
10時に走り始める。昨日の夕暮れには本降りだった峠も、今朝は快晴だ。気持ちよく走る。標高を下げるにつれ両脇の山肌にへばりつくように家々が建ち並び始め、長い下り坂が終わると、やがてテグシガルパに到着した。

陽気なホンジュレーニョたち。

山肌にへばりつくように家々が立ち並ぶ。

スーパーにて。コーヒーたくさん。


セントロ(新市街)に向けてバイクを走らせる。しかしいつものようにカテドラル周辺は一方通行ばかりだ。さらに渋滞もひどい。このくそ暑い中、排気ガスにまみれて渋滞に捕まるというのは肉体的にも精神的にも苦痛だ。そんなセントロはあっさりと見限って(安宿風のホテルはどこにも見当たらなかった)、やはり今日も旧市街へとバイクを走らせた。

新市街と旧市街の間には小さな川が流れていた。そこに小さな橋がかけられ、人や車が絶えず行き来していた。こちら側と向こう側。新市街と旧市街。目に見えない壁が、目に見える川となって、その境をあらわにしているようだった。
橋を渡ると町の表情は一変した。背高の建物はなくなり、ゴミがやたらと目に付き、地べたで店を広げる婆さんがいて、「アミーゴ」と気安く声をかけてくる男がいた。町並みの色彩は乏しくなり、猥雑さが目に見えて増えた。それが旧市街というものだった。

バス停近くのサン・ペドロというホテルに部屋を取った。コンセントもないシングルだったが、安かった。ツーリストらしきは他におらず、もちろん大きなかばんを抱え一晩を過ごしにやってくる人もいたが、半ば住み着いているような人々が多かった。
二晩をそのホテルで過ごした。テグシガルパはホンジュラスの首都ではあるが、どの国の首都も押し並べて見るのもはない。強いて訪れるといえばせいぜい美術館や博物館の類になるのだが、テグシガルパには心惹かれるような美術館も博物館も存在しなかった。することといったら散歩くらいなもので、1日半も自由な時間があるのだからと、かなりの距離を歩いた。それが仕事と言うわけでもないし、誰かに脅迫されているわけでもないが、その距離は相当だったと思う。

今日のお宿。

 人も車もひっきりなしだ。

 目に見えるものとなって。

新市街。

旧市街。

町を歩いていると、頻繁に「チノ」と言われた。チノとは厳密には中国人のことなのだが、たいていはアジア人の総称として使われている。もちろん差別用語でもある。日本人である僕は、ホンジュラスに限らず、どこへ行こうとそう呼ばれるわけだからもう慣れていたつもりなのに、この町ではその頻度が高く、完全に人を見下した物言いで、言い方ひとつでこうも違いがあるものかと考えさせられた。学生などはスクールバスの窓から一斉に顔を出し、わけの分からない中国語らしきを口から発し、それはまるで動物園のサルでもからかうかのようだった。そんなものはどこ吹く風と気にしないつもりでも、やはり気持ちの良いものではない。

だからという訳でもないが、町中をいくら歩いても、僕の心に響いてくるものは見つけられなかった。旧市街も新市街も。パルケ、教会、メルカド、スタジアムから何もない路地裏まで。歩けど歩けどこれは、というものが見つけられなかった。僕は、この町と僕ををつなぐものが何もないように思えた。心が開かない。そんな感じだった。
なにかひとつでもと思ったが、足を棒にしてもなにひとつ見つけることがでなかった。唯一収穫と呼べるものは、ホテルから歩いて2分のところに冷えたビールを売っているスーパーを見つけたくらいのものだった。

おわり。

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