みんなに見送られる。
いい宿だった。ホスタル・メデジン。
一休み中。
今日の宿。
小さく「HOTEL」と書いてある。
それにしても暑い。「なんだよこの暑さは!」すっかりメデジンの快適な気候に慣れきった体では、暑さに毒づきたくもなる。宿のシャワーは久しぶりに水のみだったのだけれど、それすらありがたい。メデジンは山中にあるため標高が高く過ごしやすい気候だったが、コロンビアを東西に分断するように大きく南北に走るマグダレナ川の川べりにあるラ・ドラダは、その標高を一気に下げ、結果気温は一気に上がった。すっかり忘れていたのだけど、赤道は目と鼻の先ということをいやでも再認識させられる。
見つけた宿は町の中心近くにあって、12,000ペソ(約7ドル)と予算内にぴたりと収まる値段(部屋にテレビまで付いていた)。バイクも屋内に入れらせてくれたし、宿の人もみな親切で居心地も良さそうだ。さらにレストランが併設されているので、到着が遅くなった身としてはすべてがここで片付いてしまうのがうれしい。部屋に荷物を入れ、シャワーで汗を流したら、夕闇が迫る藍色の町を散歩した。
宿のマスコット。
町をぶらぶら。
コロンビアは本当に空がきれいだと思う。
宿に戻り、レストランで食事にする。スープ(前菜)、カルネアサード(牛肉を焼いたの)、フリホーレス(煮豆)、揚げバナナ(好き)に米で3500ペソ(約2ドル)。
味もまずまず。なにより安くていい。いいのだけど、ちょっと物足りなさを感じてしまう。なぜか?トルティーヤがないのだ。
メキシコから中米のニカラグアあたりまでは、完全にトルティーヤ文化だった。それもそのはず。マヤの人々はトウモロコシから人類が生まれたと信じていた(る?)ほどだ。レストランで食事をすれば、ホカホカのトルティーヤが布に包まれて出される。おかわりは自由。というか、なくなると自動的に運ばれてくる。
しかしなんということか。それ以南では主食が米に取って代わってしまった。トルティーヤがすっかり姿を消し、少し残念な気分というわけだ。あのトウモロコシ独特の香りが懐かしい。もっともメキシコに到着したての頃は、その独特がいまいち苦手だったことはご愛嬌。
レストランの調理場に立っていた女性はたいへん話好き。あれこれ質問が飛んできた。が、なにを言っているのかよくわからない。早口なのだ。言葉を聞き取るためにはよく耳を澄ませていなければならず、食事をおいしく頂いている場合ではない。
これはコロンビアに入って思ったことだ。コロンビア人のスペイン語は早口だと思う。他の南米の国は知らないが、中米のそれに対しては間違いなく、早い。特に僕はグアテマラののんびりしたスペイン語で勉強したものだから、彼らのスピードについていくのがもう大変である。好きな揚げバナナの味もわからない。
食べ物にしろ言葉にしろ、色々なことが国や地方によって様々で、様々なことが色々だった。ラテン・アメリカの国はほぼスペイン語が公用語なだけになんとなく同じ文化圏のように感じてしまうが、それはまるで違っていた。陸伝いに少しづつ移動を続けていると日々感じる違いは小さいのだけど、あらためて遠くを思い起こす時、そのコントラストを楽しめるのだった。
おわり。
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