風の吹くまま気の向くまま。バイクにまたがり、行きたいところに行き、居たいところに居たいだけいる。何のストレスもなく、自由な旅を続けている僕ではあるが、国と国をまたぐときには、それなりに色々なことに気を付けている。
国境を抜けるには、何が待ち構えているか予想もつかない。大抵はスムーズに事は運ぶのだが、とにかく時間がかかることもある。持ち物検査?システムトラブル?もしかして賄賂を請求されるかも?そうなったら持久戦。何があってもいいように、なるべく午前中には国境に付くようにしているし、評判の悪い国境は避けて通る。要らぬ難癖をつけられぬよう、身の回りを清めてから臨む。
残りの持ち金もそのひとつ。使いきれなかった他国の紙幣など、国境を越えればただの紙切れだ。国境を越えて両替しようものなら、いいように買い叩かれて、両替屋のおやじの懐を潤すだけだ。と、いうほど深刻には考えていないものの、貧乏旅行で札束を余らせるのも忍びない。なるべくなら使い切ってからの出国が望ましい。
そんなわけで、財布に赤信号が点灯していることに気付きながらも、僕は国境へ向けて走り続けていた。
国境の町は、どうにかなることが多い。それは僕が旅をして得た経験でもある。国境の町は、いろいろなことが流動的だ。後から思い起こすと不思議なんだけど、なんだかんだごまかしが効くのは確かだ。だから国境の町まで行けばなんとかなる。そんな期待を持っていた。
それにしてもポパヤンに到着した時点で、手持ちが21000ペソ(約12USドル)とういことはいかがなものか。ポパヤンは国境の町ではない。国境の町イピアレスまでは、さらに350㎞ある。どんなに安く見積もっても、ガソリン代と今日の宿代を考えたら、もう飯さえ食えない。
ポパヤンでは、ロンリー・プラネットに載っていた安宿に泊まった。ドミトリーで1泊12000ペソ。駐車場はなかったが、近くの駐車場を尋ねると、夜だけなら2000ペソでいいと言ってくれたので、そこに入れた。ということは残り7000ペソしかない計算。すべてガソリン代に充てたとしても、距離的に国境を越えられるかどうかぎりぎりのラインだ。
そんなこんなで夕方散歩には出たものの、外食などできず、おとなしく宿に帰って手持ちのパスタを茹でた。金がないからビールも飲めない。
(ま、なんとかなるよ。USドルのキャッシュはあるし)
暮れ方に映えるポパヤンの素敵な町並みを思い出しながら、ひとりさみしくパスタを食べる夜だった。
ポパヤンは白壁の町だった。
セントロの建物は、銀行から食堂に至るまで。素敵。
つづく。
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