2011年10月16日日曜日

ジンベイ鮫と泳ぐ日 vol.6

カンクンの日本人宿で何をするわけでもなくまどろんだ時間の中にいた僕。事の成り行きに任せ、カリブ海にジンベイ鮫を見に行くことになったのだが。


朝焼けのウシュマル通りは交通量が少なかった。それでも通りかかった何台目かのタクシーを捕まえることができた。まずは料金交渉だ。日本とは違いタクシーの料金なんてものはドライバーの言い値で決まってしまうこの国では、降りるときになってからもめないためにも最初に目的地までの料金を決めたほうがいい。僕らはプンタ・サムの港まで50ペソで行ったもらうことにした。コレクティーボという乗り合いバスならひとり数ペソ払えば行けるのだが、乗り場も時間もよく分からなかったのだ。50ペソを4人で割ればたいした額でもない。

港までいったいどれくらいの距離があるのか、誰も知らなかった。海沿いを北に向かえばある、というなんとも頼りない情報しか持っていなかった。4人を乗せたタクシーは、早朝の海沿いを結構なスピードで結構な距離を進んだ。そう遠くないと思っていた僕は若干心配になった。と同時に、料金交渉の時にドライバーが50ペソの値段でなぜ渋い顔をしたのか、理解できた。

しばらく走り、ドライバーはどこまで行けばいいんだ?と聞いていきた。最初の説明ではうまく伝わらなかったのだろうか。しかしどこまでといわれてもプンタ・サムという港の名前と、イスラ・ムヘーレスという島へ渡るフェリー乗り場があるということ以外何も知らない。道案内など無理だ。僕ではなく、4人のうち一番スペイン語がまともな男がそれを説明する。果たしてきちんと理解できたのかどうか分からなかったが、ドライバーは北へ向けて車を走らせ続けた。

ほどなくしてタクシーは停車した。そこには確かにフェリー乗り場があり、イスラ・ムヘーレスという文字が書いてあった。到着したか。ほっとした僕らはドライバーに料金を払い降車した。
さほど大きくはないフェリー乗り場だった。あたりを歩いてみる。しかし、それらしい雰囲気ではない。フェリー乗り場の脇に小型ボートが停泊できる桟橋があると聞いていたのだが、それが見当たらないのだ。おかしい。
そして、その予感は的中してしまう。

フェリー乗り場は場所を分けてふたつ存在したのだ。まさか同じ島へ行くフェリー乗り場がふたつあるとは思いもよらなかった。そして僕らは違う方のフェリー乗り場で降りてしまったようだ。目的の場所は、さらに北へ5、6km行ったところにあった。

4人で顔を見合わせた。歩けない距離ではないが、歩いていく時間は無い。結局フェリー乗り場の前でたむろしていたタクシーのドライバーに尋ねてみるしかなかった。ひとりの恰幅のいいドライバーが僕らを推し量るような視線を向けた後、

「100ペソで行ってもいい」

と言った。

そんなはずは無い。
セントロからここまで50ペソだったのだ。それなのにたった5、6km走るだけで100ペソなはずがない。完全に足元を見られてしまったようだ。しかも彼はディスカウントにも応じず、コレクティーボの有無を聞いても首を横に振るばかりだった。

安宿にたむろしているような貧乏旅行者がそんな金を払ってタクシーに乗るはずも無い。かといって歩くわけにもいかない。もはや打つ手なしかと思ったそのとき、僕らのまさに目の前に1台の乗り合いバスが停車した。それはこれ以上ない、というタイミングだった。フロントガラスには白ペンキで「CENTRO - PUNTASUM」と大きく書かれている。僕らはすぐさまきびすを返すと、まっすぐバスに乗り込んだ。

果たして到着した港は間違いなくプンタ・サムだった。まだ人影は見当たらなかったが、フェリー乗り場の脇にはきちんと桟橋があり、ツアーの受付にでも使うのであろう小屋のようなものがあった。
まずは無事に到着できたことに安堵した。そもそも当日の飛び込みであるというハードルがあるにもかかわらず、現地にたどり着けないのであれば論外だ。

ツアーのボートが来るまで各々が好きに過ごした。僕はみつけたベンチに腰かけ、ジンベイ鮫について想像をしてみた。実物は、見たことが無い。それどころか写真でも映像でもまともにそれを見たことが無いことに気づいた。
とにかく大きいということ。体に無数の斑点を持っているということ。そしてダイバーの憧れだということ。それくらいしか僕の知識にはなかった。いったいどんな魚なのか。巨大で、未知で、憧れの魚が、もしかしたら大群で見られるかもしれない。それを考えるのは、足が地に着いていないような感覚だった。

7時半を過ぎると、にわかに人が集まり始めた。ツアー会社の送迎らしきバンが現れては、数人の欧米人を降ろして去っていく。そんなことが何度か繰り返されるうち、桟橋のたもとには30人くらいの人だかりが出来た。この小さな港から毎日これだけの人がツアーに参加しているのか。そう思うとジンベイ鮫の人気の高さが伺えた。きっと他の港からも、同様かそれ以上の人数が参加しているはずだからだ。1年のうちたった2ヶ月ほどの期間しかその姿を現さないというのも人気を高めている理由かもしれない。

続々と集まるツアー客。

そうこうしていると、いくつかのボートが現れ、桟橋に停泊した。僕らはそのうちから1艘のボートを見つけだす。それは前日ツアーに参加したダイバーから教えてもらったボートだ。彼はそのボートの船長と話をし、その内容を僕らに教えてくれていたのだ。

「俺がキャプテンだ」

そう言ってボートから降りてきたのは、日焼けした肌にサングラスが似合うひとりの男だった。僕らはさっそく交渉を始めた。ここが一番肝心だ。どこのツアー会社も通していないうえに、当日の朝いきなり4人も現れたのだ。果たしてそんな飛び込み参加ができるのだろうか。

もし駄目なら仕方ない。昨日の夕方そんな話をしていた僕らだが、やはりここまで来てしまったからには参加したい。いったいどんな答えが返ってくるのだろう。心配していた僕らとは裏腹に、彼の答えは拍子抜けするほどあっさりしたものだった。

「ひとりだろうが4人だろうがもちろんかまわない。料金はひとり78ドルだ」

その言葉の中に、喜ぶべきことがふたつあった。まず無事にツアーに参加できるということ。そしてその金額が78ドルだということ、だ。100ドルを上限として、できれば80ドルでと考えていた僕らにその金額は予想外だった。値段交渉の手間もかからず、僕らは助手らしき若い男に金を払うと、キャプテンに促されるままちいさなボートに乗り込んだ。

ボートには全部で10人乗り込んだ。このボートのキャプテンとその助手。白人カップルが2組。そして僕ら4人。ボートは一旦イスラ・ムヘーレスに立ち寄り水や氷を補給したあと、北の水平線目指して進んでいった。
島から離れたボートは、それまでの運行がうそのようにスピードを上げた。今までふたつ付いている船外機のうちひとつだけが作動していたのだが、ふたつめが作動したとたん狂ったように走り始めたのだ。エンジン音は甲高くなり、船首が空に向かって跳ね上がった。一番船首寄りに座っていた僕は、両手でしっかりとつかまっていないと海に投げ出さてしまいそうだった。実際激しく上下に揺れる度、体は宙に浮いた。

いざ。

ダイバーの彼の話では、ジンベイ鮫が群れを成すポイントは日によってさまざまらしいが、おおむねボートで1時間はかかるとのことだった。いくら体長の大きな鮫が群れを成しているからといって、そんな遠く離れた場所にいる魚をこの広大は海原からよく見つけられるものだと思ったのだが、どうやら早朝のうちにヘリコプターが沖合いを飛び、あらかじめその群れを発見しておくらしい。なるほどそうか。それならほぼ100%の確立でジンベイ鮫が見られるという話もうなずける。

高速で飛ばすボートにどれくらい乗っていたのだろう。やはりたっぷり1時間はかかったと思うのだが、遠くにちらほらと見えていた同じくジンベイ鮫を見に行くであろう他のボートが視界に集まってきた。キャプテンも無線でせわしなく会話を続けている。きっと群れが近いのだろう。ボートは少しづつスピードを落とした。

やがて前方にボートの群れが見えた。エンジンの出力を最小にした僕らのボートは、ゆっくりとその群れに近づいていく。と、誰かが何かを叫んだ。何事だ。そう思った僕がボートから海面を見下ろすと、そこには体に無数の斑点を持った巨大な魚が、実に悠然と泳いでいた。たまらず僕も何かを叫んだ。想像以上だ。それは想像以上に大きく、そのためどこか現実味に欠けていた。

ふたりひと組になり、ひと組づつ助手について海に入っていった。自分の順番がまわってくるまで僕はずっとボートから海を見下ろし、巨大な魚を見ていた。それは口を大きくあけ、海面を優雅に泳いでいた。こうやってプランクトンや小魚を捕食しているのだ。いったいどれくらいの数の群れなのだろう。キャプテンにたずねると、今日は50匹ほどだといった。

順番がまわってきた。僕は足ヒレやゴーグルを装着すると、思い切って海の中へ飛び込んだ。深い藍色をした海は、とても気持ちがよかった。ライフジャケットを着ているため、海面に浮遊する感覚もいい。ボートから少し離れ、あたりを見渡す。助手が、なにやら指差している。その方向に、目をやる。1匹のジンベイ鮫が、こちらに向かって泳いできた。僕は、またしても叫んだ。海の中で見るそれは、ボートの上から見るのとはまったく異なっていたのだ。魚と同じ海の中にるというだけで、これほどまで臨場感に違いがあるものか。欠けていた現実味は、現実以上の迫力に変わった。

その開かれた口に、このまま吸い込まれてしまうのではないかと思えた。躍動するエラやヒレは、生命力にあふれていた。胴回りは両手いっぱいに抱えてもとても足りない。そしてゆっくりだと思ったその泳ぎは、かなり速いものだと分かった。
底がまるで見えない深い海で、たぶんずっと昔から姿を変えていないだろう巨大な生物と一緒に泳ぐという体験が、これほどまでに神秘的だったなんて。

彼らは四方から現れては消えていった。人に危害を加えることは無く、進行方向に人がいると判断すると器用に身をくねらせ脇をすり抜けていく。しかしその小さな目はほとんど見えていないようだった。体長は、大きなもので8メートルほどあった。これだけ大きければ天敵などいないのだろう。おっとりした性格なのも、目が見える必要性がないのも、その結果なのかもしれない。
50匹すべてを見ることはとても出来ないが、それでも海の闇から次々と現れる巨大なジンベイ鮫の姿には、息を呑むものがあった。

ボートのすぐ近くまで来る。

悠然。

予想以上。

神秘的。

交代で何度か海に入った。参加した皆が満足したところで、ボートは帰路に着いた。途中イスラ・ムヘーレスのリーフに停泊し、シュノーケルを楽しんだ。海は本当にきれいだった。あまりに海がきれいすぎるために魚の姿を見つけられないほどだった。餌となるプランクトンがいないのだ。プランクトンがいないために透明度は驚くほど高いが、その代わりに珊瑚も魚もほとんどいない。つまりはそういうことらしかった。以前メキシコ湾で遊んだ海は、本当に珊瑚と魚の楽園だった。同じきれいな海でも場所によってその表情がまるで違う。

ため息の味。

ボートの上ではセビチェ(魚介のマリネ)が振舞われ、ビールが飲み放題だった。僕は冷えたビールをもらい、メキシコらしくライムを搾ると、一気にのどに流し込んだ。コバルトブルーの海を眺めながら飲むビールはため息をつくほどおいしかったが、そのおいしさよりもさっき見たジンベイ鮫の姿が忘れられなかった。

おわり。

2 件のコメント:

  1. りょうりん2011年11月7日 14:58

    ジンベエザメと泳いだなんてうらやましすぎる!
    いきたくなった。

    カンクンの海、すごくしょっぱかった気がするんだけど、気のせいかな~。

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  2. ジンベイぜひぜひ。
    俺は逆に海ガメの産卵が見たいよ。

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