トゥルム遺跡を見終わった僕は、チェトゥマルという町に向けてバイクを走らせた。そこはベリーズとの国境に近く、トゥルムからは約250kmほどの距離だった。道は307号一本。迷うこともない。
いくつか小さな町を通り抜けたものの、なんだかタイミングがあわず、昼食もとらずに走り続けた。あまりにも暑すぎた、というのもある。結局道ばたのジューススタンドで冷たいパインジュースを買って飲んだだけだった。おかげで250kmの距離を昼近くからの走り出しだったにもかかわらず、16時にはチェトゥマルに到着することができた。
まずはいつものようにホテル探しなのだが、手持ちのペソがかなり乏しかった。明日メキシコを去るということで、メキシコ通貨への両替を控えていたのだ。残りのペソを数えると約250。ガソリン代や飯代などを考えると、ホテルには出せて150といったところだろう。さすがにガソリンを入れない訳にはいかないから、それを超えると飯が食えなくなる、ということだ。
「HOTEL」と書かれた看板を頼りに何軒かのホテルをのぞいてみた。しかしどのホテルも僕の期待に応えてはくれなかった。もっとも安いホテルでも250ペソだったのだ。これまでの経験から150ペソも出せば安ホテルのシングルルームに一晩ゆっくり寝られるだろうと考えていたのだが、どうも雲行きが怪しくなってきた。こんなことになるとは露知らず、チェトゥマルの宿情報など調べてはこなかった。そもそもこの町自体がガイドブックには載っていないし、ここに来る旅人にも今まで出会ってはいなかった。両替をしようにも銀行はもはや閉まっている。ここで250ペソを払ってしまったら、飯どころかガソリンさえも買えない。
(さて、困ったぞ)
あてもなくホテルを探しに町中をさまよった。目抜き通りを走り、裏通りを抜ける。右に左に。と、海に突き当たってしまった。あまり大きな町ではないようだ。仕方なく折り返し、少しでも賑やかな方へとバイクを走らせる。なかなか見つからない。それらしきものがない。注意を払いながら緩やかな坂道をゆっくり登っていくと、道路から少し奥まったところに「HOSPEDAJE」と書かれた建物を見つけた。
(あれは…)
それは以前たまたま聞いたことがあった。HOSPEDAJEとはスペイン語で宿を意味するらしいということを。それを話してくれた人も、異国の町で同じようにホテルを探してさまよったと言っていた。そのときその話を聞いていなかったら、きっと気にもしなかっただろう。知っているということは強い。
バイクを停め、ヘルメットを脱ぎ、入り口の上に小さくHOSPEDAJEと書かれた建物に入っていった。薄暗く狭い通路を進むと、その先に小さな部屋があった。中には女性がひとりいた。
「すみません。一晩泊まりたいのですが」
目が合った女性にそうたずねた。
「何人かしら?」
「ひとりです」
「ひとりなら140ペソね」
(140!)
ポルファボール(お願いします)と言う前に、一応部屋を見せてもらうことにした。だがそもそも今の僕に選択の余地などなかった。今まで値段を聞いたどのホテルにも泊まれるだけの金など持っていなかったのだ。それは当たり前だ。140ペソで泊まれるなら、今晩まともな飯が食える。女性の後について薄暗い階段を昇りながら、どんな部屋でもいいや、そんな気持ちだった。
部屋は期待以上にきれいだった。キングサイズのベッドはスプリングがしっかりしていたし、大きな鏡の付いたドレッサーがひとつ壁際に置いてあった。窓からは陽が射し込んでいる。シャワーは水のみだったがこの気温ならむしろ気持ちいいくらいだ。
無事に部屋のカギを受け取り、部屋に荷物を入れるや否やシャワーで汗を流した。
よく冷えたパインジュースでのどを潤す。
やっと見つけたオスペダヘ。
(さて…)
いつもならのんびり散歩にでも出かけるところだが、ここチェトゥマルではやるべきことがあった。それはベリーズの入国ビザを取得することだった。
これは本当にありがたいことなのだが、日本のパスポートを持っていれば入国時にビザが必要な国はさほど多くない。ほとんどの国にビザを持たずに入ることが出来る。しかし中米のベリーズに関してはビザが必要だった。以前は国境のイミグレーションでもすぐにビザが下りたらしいのだが、審査が厳しくなった今では約2時間、悪ければ半日待たされることがあると聞いた。審査で半日も待たされたのではたまらない。だから事前にベリーズ大使館や領事館でビザを取得しておくのが懸命だった。
しかし僕はその大切な領事館の場所を知らなかった。チェトゥマルの宿情報さえ調べずに来たのだから、ベリーズの領事館がどこにあるかなんて知るわけがない。そもそもどうやって調べればいいのか、それさえも分からなかった。すべては行ってから解決しよう。
簡単に考えていた。
つづく。
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