2013年11月1日金曜日

エル・ドラド vol.1

カルタヘナの街を抜け、南へと延びる国道25号に乗るにはさほど迷うことはなかった。目指すはメデジン。夜寝るのが遅かったために8時を過ぎて起きたわリは支度が早く、10時前には走り出すことが出来た。

カルタヘナを出た。コロンビアに着いて6日目のことだった。次に目指すはコロンビアでもボゴタ、カリと並ぶ大きな都市、メデジンだ。距離にして約650kmは3日の工程だろう。ついに南米大陸の旅が始まった。遥かなる旅路。カルタヘナを出ると、メデジンまで大きな街はない。

同室ですっかり仲良くなったヘンス、船のクルーだったアレックス、それぞれが宿の前まで出てきて僕を見送ってくれた。昨日の夜遅くまで飲んでいた連中はまだきっと夢の中。眠い目をこすりながら見送ってくれたことがうれしい。
もうひとつうれしかったことは、宿の近くのティエンダ(個人商店)のオヤジがいつものようにこれでもかと言わんばかりに大げさに手を振ってくれたことだ。

そのティエンダには毎日のようにビールを買いに行っていた。コロンビア(というよりは中南米全般に言えることだが)では、ビールは小さな缶で買うよりも、1リットルも入った大きな瓶で買う方が断然安かった。だから僕はいつも瓶で買っていた。1リットルほどのビールが、厚いカルタヘナでは乾いたのどを潤すのにちょうど良かった。

しかし瓶にはデポジットが必要になる。購入する際には酢十円ほどのデポジット(瓶を返せば戻ってくる)も一緒に払わなければならない。それはよく考えたら大した額ではないのだけど、たった数十円さえケチる貧乏旅行をしている身にとっては、飲み終えた後のビール瓶はお金と一緒だ。だから僕は毎日律儀にそれを抱えて店に行き、デポジット分を差し引いて新しいビールを手に入れていた、というわけだ。

店のオヤジはたいそう陽気だった。僕らが思い描くラテン気質というものを、キャンバスに書いたならきっこうなる、そんなオヤジ。毎日きっちり(空瓶を持って)ビールを買いに行く僕はすっかりそのラテンキャンバスに顔を覚えられてしまい、何気なく店の前を通るだけでも手を振ってくれるようになった。それも満面の笑みで。

その朝も、彼はいつもように笑顔で、いつもより大げさに手を振ってくれた。うれしかった。だから僕も手を振り替えした。もう二度と会うことはないだろう。

ひとところに長く居ると、しばしばそういうことがあった。
たとえばメキシコで。何気なく足を運ぶようになったタコス屋台の店主は、僕がいつもライムのお替りをするのをいつしか覚えてくれて、ライムをそっと多めに盛ってくれるようになる。
たとえばアメリカで。いつもビールを買いに行っている店だというにもかかわらず、いつもきちっりIDカードの提示を求めるバイトの女の子の申し訳なさそうな顔。
通り過ぎるだけの街では感じることのできない些細なことに、どこか居心地のよさを感じてしまう。そしてその街が好きになる。そんなことはないだろうか。


国道25号へ出た。だけど、やはり市街地での運転マナーなどはここ南米でも存在しなかった。バスは我が物顔で車線を行き来するし、その間隙を縫ってバイクは縦横無尽。車は人よりも強く、クラクションの洪水。
こんなところで事故など起こしたくない僕は、どうしても一歩引いてしまう。後塵を拝まされる。だけどそれでいいと考える。今は張り合っても仕方ないと、のんびり走ることにする。

国道にはありがたいことにメデジンへの案内看板が時折現れ、頭の中を空っぽにして走ることが出来た。ひたすら南下すれば良いだけだ。街を抜けると緑まぶしい風景が広がり、絶好の天気。これぞツーリング日和。すっかり気持ちを良くして走る。そこにはさすが南米と思える無辺の大地が広がっていた。




昼食に、どこか小さな街の屋台に立ち寄った。最初は食堂にでも入ろうかと思ったのだけど、たまたまバイクを道端に停めた先に屋台があった。吸い込まれるように足が向かった。
店は女性(女の子?)たちが切り盛りをしていて、その子供たちやらその友達やらが近くで遊んでいてたいそうにぎやかだった。
ゆで卵を小麦粉の生地で包んで揚げたものを食べた。味はよかった。だけど、なんとも日本人が珍しいのか、子供たちは大騒ぎ。あれよあれよと大勢集まってきて、こぼれるような笑顔に僕は囲まれてしまった。


この街がどんな名前かも知らない。道端に立つ小さな屋台なんて星の数だ。ただ通り過ぎるだけの街だけど、こういうふれあいがあると心に底に残る。そして旅はやっぱりいいものだと、改めて思える。

つづく。

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