2012年8月30日木曜日

mi casa su casa vol.1

ホンジュラスからニカラグアへは、やはりというべきか一番北にある国境を抜けた。テグシガルパから一番近い国境を選ぶとそういうことになった。目的地はレオン。レオンはグラナダと並び、ニカラグアでは誰もが訪れるであろう観光地だ。

13時にニカラグア国境のラス・マノスへ到着した。そこにはずいぶんと手前から大型のトレーラーがずらりと道の両脇を埋め尽くしていて、ひょっとすると通過にものすごく時間がかかるのではないかと危惧したが、それは杞憂に終わった。トレーラーの下にハンモックをかけ昼寝にいそしむ運転手たちを横目に、ゲート手前まですり抜けて走る。と、ホンジュラス側の出国手続きはいとも簡単に終わってしまった。

やたらトラックが多かった。

ニカラグア側へ移動する。しかしゲートらしきものもなく、僕にはどこからがニカラグアなのかが分からない。

「おいお前、どこへ行こうというのだ。こっちへこい」

保険屋の、とても投げやりな話し方をするおやじに止められた。その投げやりぶりはどこか人生をあきらめているような雰囲気だったが、保険のみならず、その後のバイク消毒、イミグレーションに通関とすべての作業を仕切られてしまった。入国には情報どおり12ドルが必要で、消毒とペルミソは無料。そして保険が12ドル。保険が強制なのかは実際判然としなかったのだが、税関でも入国ゲートでも保険証書を確認されたので必要だったのだろう。

しかし、ペルミソを作り終わったところで賄賂を要求されてしまった。税関のオフィスの外へ連れ出され、投げやりな保険屋が仲介役となってオフィサーに金を払うんだ、という話になった。しかもこともあろうことか12ドルもだ。なにがどうしてそういう話になってしまったのか理解できなかったが、金は出せないよ、そう言った。ペルミソ作成代金は無料のはずだし、そもそも有料ならオフィスの中できちんとした段階を踏んで支払いをするはずだ。なにもわざわざオフィスの外に出て支払いをするのはおかしい。
僕はもう一度言った。金は出せない、と。しかしなかなか相手も手強いもので、さらに詰め寄ってくる。壁を背に、ふたりに囲まれる形になってしまった。逃げる気はなかったが、逃げ道はなくなった。ここでひるんだら負けだ。そう思った。しばらく押し問答が続いた。頭の中ではなぜだ?が駆け巡った。

「どこにも12ドルなんて書いてないじゃないか」

ペルミソを突き出し、そう抗議した。向こうも一歩下がった。確かにペルミソのどこにもそんな金額は書かれていない。これで抜け出せるか?そう思ったが、今度は5ドルでいい、と言い出した。馬鹿馬鹿しい。ため息が漏れた。

「ペルミソを作ってくれたのはありがたいよ。だけど、金を払う気などはない」

強い口調できっぱりと言った。さすがに僕もこらえられなかった。やがて向こうはあきらめたのか、どこかへ消えた。僕は、自分が悪いことをしていないにも関わらず、気がめいってしまった。なんでこうも無駄な労力を費やさなければいけないんだ。もやもやとした気持ちで胸がいっぱいになった。

入国ゲートをくぐりぬけたのはもう14時半だった。レオンまでは今日中には到着できそうになかったので、国境から100kmほど進んだエステリという町で一晩を過ごし、翌日レオンへ入った。

部屋を取ったのはオステル・クリニカという名のホテルだった。婆さんと女主人、その娘と若い女使用人の女所帯で切り盛りするホステルで、ドミトリーは125コルドバ。1ドルが約23コルドバになったので6ドル弱という計算になる。ドミトリーは小さな部屋だというのに2段ベッドとシングルベッドがひとつづつ押し込められ、荷物を置くともうくつろぐ場所はベッドの上しかなかった。しかし、他には誰も入っていないようだったので貸切なら悪くなかった。昼間は暑くて部屋にいられなかったが、テラスのある大きな部屋の、風通しの良いところにハンモックがあり、うたた寝をするにはちょうど良かった。ちょうど良かったから、滞在中はすっかりそれを我が物顔で使ってしまった。

 ニカラグアのビール。トーニャ。いける。

子供はみなサッカー好きだ。

ハンモックでのうたた寝は気持ちいい。

レオンには3泊した。なかなかに居心地が良かった。目を見張るような大きな教会があり、そこを中心にして程よい大きさに広がる町は、散歩するにもちょうど良かった。宿で、ひとりの日本人にも出会った。

中川さんというその人は齢60を過ぎているというのに、見た目にはまだ50前と言っても不思議ではないほど若々しかった。カリブの島を周り、パナマから北上してきたが、ここレオンがなかなかに居心地が良いのでゆっくりしているところだといった。

その日の晩、ふたりで夕食に出かけた。中川さん曰く、レオンは安くてうまい飯が食えるとのことだった。それはなんともありがたいと思ったが、連れて行かれたレストランは小奇麗で、パティオがあり、少し気取った雰囲気の店だった。僕ひとりなら間違いなく入らない、そんな類のレストランで、もしかしたら「安い」の感覚が僕とはまるで違うのかもしれないと懸念した。

カウンターにはいくつもの料理が並べられ、好きなものを選び、ひとつのプレートにそれらを盛ってもらい、レジで会計をする、という中米では良く見かけるタイプのレストランだった。僕は中米風のチャーハンに牛肉を焼いたの、それに瓜だか茄子だか良く分からない野菜の半身をくりぬいてカッテージチーズを詰め込んだ料理を選んだ。果たして本当に安いのだろうかと懐疑的だったが、レジで求められた金額は45コルドバ(約2ドル)だった。確かに安い。

さらにここ中米においてはめずらしく奥行きのある味わいだった。なにせ茄子をくりぬいた中にカッテージチーズだ。店の主人は亡くなってしまったらしいがベトナム人という話で、それなら僕らの口に合うのも合点がいく。トルティーヤ、フリホーレス、焼き(もしくは揚げ)バナナを一切口にせず腹が満たされたのは実に久しぶりだ。なにせ片田舎の食堂ではそれ以外を探すことができない。

すっかり満足してレストランを出た。と、中川さんがビールでもどうですかというので、言葉に甘えて飲みに行った。向かった先はこれまた小洒落たカフェバーだったが、小瓶のビールで25コルドバ。バーで飲む価格を考えたらやはり安い。

店は繁盛していた。広い店内はどこを探しても空席がなく、入り口のドアは重厚で、天井は高かった。スピーカーからはロックが大音量で、壁掛けの液晶モニターからはESPNが流れていた。バーカウンターには世界各国の酒瓶が整然と並べられていて、サロンを付けたボーイが運んできたビールはキンキンに冷えていた。
大勢の白人が陽気にグラスを傾け、大きな笑い声があちこちからあがった。僕にはこの空間がニカラグアであるとは到底思えなかった。この場面だけを切り抜いて、僕は今アメリカに居る、そう言っても誰も疑わないはずだ。ほろ酔い加減の僕は、ニカラグアのレオンは、なるほどそういう町なのだと理解した。

つづく。

2 件のコメント:

  1. まいこはん2012年9月1日 6:12

    ひさびさなかちゃんのブログ見ました!
    日常の忙しさにかまけて旅ごころを忘れつつある私に
    いい刺激をくれます!ありがとう。

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  2. 忙しい日々は生きている証。
    ブログはたまにと言わずにいつでもどうぞ!笑
    そんで、旅心は永遠に。

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