2012年9月1日土曜日

mi casa su casa vol.2

ホステルの部屋代は日払いをしていた。ニカラグアに入ってすぐということもあり、コルドバを多く持っていなかった。週末に国境を越えてしまったので銀行でまどまった金額を両替できなかったのだ。
レオンにあるスーパーマーケットでは、やはりというべきかドルが使えたので、ドルの小額紙幣を使い、おつりをコルドバでもらった。スーパーマーケットなら週末も関係ないし、その方が少しではあるが銀行よりもレートが良かった。
だからまず朝起きるとその日の部屋代を女主人に支払いに行く。初日に2泊する予定だと伝えていたのだが、3日目の朝に部屋代を持っていくと、あら?今日も泊まるのね、という顔をされた。もう1泊したいと申し出ると、

「Esta casa es mi casa y tu casa(自分の家だと思ってちょうだい)」

好きなだけ居ていいわ、そう微笑む女主人はなんとも商売上手だ。

オスタル・クリニカ。




ケーナ吹けるかな?

レオンのカテドラル。でかい。

レオンに滞在中、中川さんとはお互い酒が好きということもあり、夕暮れの涼しくなったホステルのテラスで毎晩グラスを傾けた。旅に酒は欠かせないと(僕は)思っているのだけど、ひとり飲むよりも、こうやって誰かと飲む時間のほうがずっと心に残る。

中川さんはこの僕のなにをどう気に入ってくれたのか、食事や飲みに誘ってはおごってくれた。明日の朝レオンを出ますと伝えた日、やはり夕方にはまだ早い時間からふたりで町に繰り出した。

屋上のテラスがカフェになっている店に入った。屋上だから見晴らしは良かったが、見渡す空模様は良くなかった。遠くに雷雲が見えて、灰色のその中を紫色の閃光が走っていた。じきにレオンの町も雨が降り出しそうだった。
ビールをを飲みながら、降り出した雨音を聞きながら、さまざまな話しをした。特に中川さんが若かりし頃の旅話はとても興味深いものだった。アフリカや南米、アジアにカナダのヒッチハイクなど、どれも僕には考えられないような内容だった。それもそのはず。もう何十年と前の話なのだから、今しか知らない僕とは比べることはできない。

大瓶を2本空けたところでそろそろご飯でも、ということになった。向かった先は中華料理屋だった。どの国でも中華料理屋を探すことは容易いし、その味はやはり日本人の口に合う。焼くか、煮るか、揚げるかしか選べない料理ではなく、きちんと調理しましたと呼べる味付けで提供されるそれは、安心して食すことができる。僕もこれまで何度か中華料理屋のお世話になっていた。店を選べば庶民的な価格で、ボリューム満点の中華が食べられるのだから、とうもろこし以外にもたまには、という気分のときにはありがたい存在だ。

しかし、テーブルに着いた僕の目は今にも飛び出さんとしていた。メニューに載った料理はどれも1品が200~300コルドバもしたのだ。庶民的?そんなレベルではない。1泊125コルドバしかしないドミトリーのベッドに寝ている身としてはとんでもない金額である。

「これはちょっと…」

素直な気持ちだった。

「ここは私が出しますから、気にせずに」

僕の気持ちを汲み取ったのか、それが中川さんの答えだった。なんということだ。今さっき飲んだビール代さえ一銭も払っていないのに、まさかこんな高級な店までご馳走になってしまうのか。
しかしもう言葉に甘えるしかなかった。そもそも僕のポケットにはそんな金が入っていなかった。レオンがいくら治安の良い町といっても、食事に出るだけで部屋代の何倍もの金を持ち歩くことはしなかったからだ。

なんでも好きなものをと言われ、困ってしまった。さらに広げたメニューがスペイン語というのにも困った。海老と野菜の炒め物に、魚のから揚げの中華あんかけを注文することにした。が、もちろん料金の欄には目をやらないことにした。

やがて大きな皿に盛られた料理が運ばれてきて、ビールを飲みながら、楽しい時間をすごした。料理はどれもすてきにおいしかった。ビールはどんどんと注文され、空の瓶がテーブルに置かれていることはなかった。その頃にはふたりともすっかりご機嫌だった。

中川さんは料理にほとんど箸をつけず、すすめられるままに大体を僕が食べてしまった。一緒に米も付いてきたが、炒め物と魚を食べるともう満腹で、それ以上はとても腹に入らなかった。まだまだ炒飯でも焼きそばでも好きなだけ頼んでくださいよ、と中川さんは言ってくれたけど、そんな余地はどこにもなかった。

「これからも旅は長いでしょう。良い思い出をたくさん作ってください」

上機嫌でビールを飲みながら言った中川さんの言葉が胸に染みた。

おわり。

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