2010年9月22日水曜日

旅立ち

ついに成田到着。
いよいよ出発です。

これからソウル乗り換えでバンクーバーまで、18時間。

到着はなぜか22日の正午…

でわでわ、行ってきます。

2010年9月21日火曜日

ドナドナ

去年の暮れからはじめた準備の中で、一番てこずったのがバイクを輸送する船の手配です。

そもそも個人が中古のバイクを他国に輸入すること自体が厄介な作業であるのに、アメリカの同時多発テロ以降、北米ではそれがとても厳しくなったようです。ご多分に漏れず、僕もその洗礼を受けました。

まだ梅雨にもなる前です。僕はいくつかの運送会社に問い合わせをしました。誰もが耳にしたことがある大手企業もあれば、個人でやっている小さな会社もありました。メールで問い合わせをしたり、電話で問い合わせをしたり。

「北米は今とても厳しい状態ですので、そのようなご依頼はお取り扱いできません」

そんな返答も多々ありました。それでもメールを出した大手企業のひとつから、僕の携帯電話に連絡がきました。対応は早かったです。
しかしスケジュール表はもらったものの、見積もりはいつになっても送られてきませんでした。もうひとつの大手企業とも、平行でメールのやり取りをしていましたが、こちらはガス抜き証明や該非証明が必要(そんな話は聞いたこと無い)だと言い、やはり見積もり依頼に対する返事はなかなか来ませんでした。小さな会社に到っては、のれんに腕押しでした。

そんな状態だったので、梅雨に入る頃には徐々に雲行きが怪しくなってきました。

それでもなんとか先の会社から見積もりが送られてきました。やっとです。やっと。よし、これで先に進むことができるぞ。
安心したのも束の間、その見積もりを見てさらに肩を落とすことになりました。なぜなら金額欄に30万円という途方も無い数字が並んでいたからです。

なんだよこの金額は!

憤慨しました。とはいっても他社はもはや見込みがありません。僕はバイクのハンドルやフロントタイヤを外して梱包サイズを小さくするから、なんとか安く送れないか?と聞いてみました。しかしいくら小さくしても安くなるのは数万円。
どうしよう。このまま30万を払うか、新しく他の会社を探すか。どちらかを選択しなければなりませんでした。しかも他の会社を探すとなると、予定していた出国日を延ばさなければなりません。
それでも、僕は他を探しました。やはり30万円は払いたくなかったのです。

知人の勧めでジャパンエクスプレスという会社に打診しました。電話で直接問い合わせたのですが、拍子抜けするほど対応が早かったです。今までの難航振りがうそのようでした。僕のスケジュールに合わせて輸送可能な船を3つ提案してくれ、その中からひとつを選ぶと、すぐに見積もりが送られてきました。僕はその見積もりを見て、安堵のため息をつきました。先に見積もりをもらった会社と梱包サイズはほとんど変わらないのに、その金額は12万と1/3ほどだったからです。

すぐに話を進めました。出港日や通す税関を決め、梱包業者を教えてもらいました。

8月30日。
バイクを梱包業者に引き渡しました。タンクとキャブレターからガソリンを抜き、バッテリーの端子を外し、ナンバープレートを国際用に付け替え、車に載せて横浜の大黒ふ頭まで持ち込みました。カルネに載せたスペアパーツやテント、寝袋、ヘルメットなども一緒に梱包してもらいます。もちろんハンドルを外し、梱包サイズを抑えたのは言うまでもありません。

8月31日。
出来上がったカルネと他の必要書類を提出しました。これがないと日本の税関を通せないためです。

9月10日。
通関を済ませ(僕は一切ノータッチ)、横浜港から出航。

9月14日。
正式な輸送費用が言い渡されました。最初の見積もりよりもハンドルを外して梱包サイズを小さくしたので、9万円でおつりがきました。30万円とは天と地です。

9月22日。
バンクーバー港に到着予定です。僕もその日にバンクーバーに到着するので、自分が先か、バイクが先かという感じでしょう。もっとも荷物の積み下ろしに時間がかかるため、バイクが保税倉庫に入るまでには数日かかるかもしれません。


現地で税関を通し、保険に入れば晴れてバイクに乗ることができます。到着から乗り出しまで何日かかるかわかりませんが、あせっても仕方ないのでバンクーバーの観光がてら、のんびり構えるとします。

写真1
梱包業者に引き渡し。とてもあっさり。

写真2
横浜港からバンクーバー港に向けて。

2010年9月19日日曜日

今年に入って11人目らしい

カルネカルネってよく出てくるけれど、そもそも一体なんなのさ?

これまでのブログを読んでそう思った人は少なくないと思います。僕も初めてその存在を知ったときは、聞きなれない言葉にとても違和感を感じました。

「自家用自動車の一時輸入に関する通関条約」

これがカルネの本性です。

車やバイクというものは、いくら個人の所有物だとしても、たとえ中古でおんぼろだったとしても、あまつさえ自走であったとしても、国から国へ移動させる場合は「輸出と輸入」という扱いになってしまいます。そうなると必然的に関税が課せられるわけです。国によっては新車価格の200%を課税するなんてとんでもない税率のところもあるようです。そうなると旅行者は国境を越える度にいちいち大変です。というかそんなに払えません。そこで考え出されたのがカルネです。この書類を使用すれば、一時輸入という形で関税なしで通関することができるのです。

もちろん使用できる国とできない国があります。それはかなり流動的で、情勢によって簡単に変わるそうなのでどの国がどうとは断言できないようです。カルネがないと入国できない国もありますし、また使用できない国についてはその国の法律に従う形になります。

さらにカルネを使って一時輸入すると、期限(カルネの有効期限や、滞在国の一時輸入期限など)内に必ず輸出しなければなりません。というか、そういう条件で一時輸入させてもらう、と考えたほうがいいかもしれません。
それは車両本体のみならず、カルネに記載したスペアパーツやパーソナルアイテムもすべて含み、壊れていようがなんだろうが必ず国から持ち出せよ、ということらしいです。やむを得ない場合、という対処方法もあるようなので、大したこと無いだろうと考えてしまいがちですが、実際折れたレバーを捨てられずに持ち歩いたとか、事故で再起不能になったバイクをトラックで港まで運び、そのまま日本に送り返さなければならなかった、なんて話を聞いたことがあります。面倒な話です。

と、いろいろ制約はあるものの、僕にカルネなしでいきなり旅を始めるほどの度胸もお金もないので、当然作成しました。

申請にはバイクを日本のどの税関を通すか、いつ出港するか、輸送費用はいくらかなどの情報も必要になるので、バイクを送るための船の手配と合わせて進めました。しかし船の手配が思いのほか難航し、あわせてカルネの取得もずるずると遅れてしまいました。それでも何度かJAFの関東支部に足を運び、そのたび担当の女性職員に励まされ、必要な書類をすべて揃え、無事に取得することができました。


8月の末でした。オレンジ色したカルネ手帳を手にしたのは。それまでいろいろと準備に忙しくしてきましたが、カルネ手帳を受け取ったあのときが、一番気持ちが高揚した瞬間でした。

海外をバイクで走れるんだ!

口元は自然とゆるみ、喜びと希望が心の底からわいてきました。目の前がぱっと明るくなり、同居していたはずの不安は影を潜め、世界は僕の中にあり、今ならなんでもできる。我ながら単純なもんです。


それにしてもカルネも国際免許同様有効期限が1年なのです。それ以上の旅となると再申請となるため、やっぱり有効期限が3年くらいあると楽なのになぁと思ってしまう僕なのでした。

写真
これがカルネ。隣はJマーク。バイクに貼るらしい。

2010年9月18日土曜日

心ブギウギ冒険宣言

国際免許の取得と黄熱病の予防接種を済ませたのは15日のことです。


日本以外の国で車やバイクを運転するには国際免許が必要になります。その特性について詳しいことは割愛しますが、住民登録している都道府県の運転免許センターに行けば即日発行されます。有効期限は1年です。
必要なものは、

・運転免許証
・パスポート
・顔写真
・申請手数料(2,500円くらい)
・認印

と、特に難しいことはありません。30分もかからずに発行されました。モノは紙製で意外にしょぼい感じです。まぁそんなことはいいとして、有効期限が3年くらいあれば楽なのになぁと思ってしまうのは僕だけではないはずです。


さて、お次は予防接種。
山形からお隣の宮城まで車を走らせます。峠を越えて1時間。仙台医療センターという大きな病院に到着です。郵便局で収入印紙を購入し、受付で必要書類を受け取り、待合室で30分。順番に名前を呼ばれ、医師の話を少し聞き、ぷすっと3秒、はい終わり。イエローカード(黄熱病受けたよの証明書)をもらって完了です。


作業自体はどれも大したことありません。秋のドライブがてらにちょっと用事を済ませたって感じですが、なんとも可笑しかったのが予防接種を受ける際に記入した問診票でした。

受付でもらった書類に中には問診票があり、待合室でそれを記入しました。まぁ至って普通の問診票です。名前や住所などの欄があり、いくつかの質問に答えていきます。

どの予防接種を受けるのか
渡航先
出発予定日
滞在期間

などなど。

しかし「目的」という項目で僕は目を疑いました。そこには

□仕事 □観光 □冒険 □その他

と書かれていたからです。

冒険!?

思わずその場で吹き出してしまいました。だって「目的」が「冒険」ですよ。素敵過ぎます。検疫所といえば国の機関であるわけで、まさかそんな洒落が効いてるとは思いもよらなかったのです。いったい誰がこれにチェックするのだろう?なんて首をかしげながら、僕が「冒険」にチェックしたのは言うまでもありません。

2010年9月16日木曜日

本当はこわい事勿れ主義

さてさて。なんとなくのんびりと構えていますが、実は出国まで10日をきったわけで。今のペースでブログを書いていたら、出国後もまだ出国前のことを書かなければいけなくなりそうです。なので、バイクのメンテナンスとスペアパーツについては全部まとめて書いちゃいます。
話の流れも落ちもありません。まぁ記録として。


■作業内容

・エンジンオイル交換
・プラグ交換
・エアクリーナー交換
・前タイヤ交換
・チェーン交換
・前後スプロケット交換
・前後ブレーキシュー交換

・予備ワイヤー装着
・予備バルブ装着
・予備レバー&ホルダー装着


真夏のくそ暑い中、汗を滝のようにし、爪の奥までオイルで真っ黒にしながら済ませました。


スペアのワイヤー、バルブ、レバー&ホルダーについて。
ワイヤーは末端の太鼓部分をガムテープで巻き、クラッチ、ブレーキ、アクセルのそれぞれ今付いているワイヤーに沿わせてタイラップで、
バルブはヘッドライトの中にスポンジでくるんで、
レバーはタンク下のフレームにタイラップで、
ホルダーはハンドル中央部にそのまま装着させました。

なぜそんな面倒なことをするのか?
カルネのパーツリストに載せないため。カルネ(これについてはまた詳しく書きます)の特性上、リストに書いたパーツはなくす事ができません。出入国の通関時にリストと現物をチェックされるからです。おまけにリストにはパーツの型番まで書かなければいけません。だからバルブを交換したらかといって、切れたバルブをポイと捨てることさえ簡単ではありません。切れたワイヤーや折れたレバーをカルネのために後生大事に持っていても意味がありません。使った分は越境までに補充すればいいかもしれませんが、そうもいかないときもあるでしょう。そもそもがカルネに書かなければ面倒がないのです。

だから装着させました。これでバイクの一部でしょ?というコロンブス的発想です。中にはリストが3枚にもなる人もいると聞きましたが、そうすると消耗品の小さなパーツまでいちいち気をつけなければならないし、通関の度にその量をチェックされると思うとめまいがします。なので僕は極力リストには載せない方向にしました。

もちろんリストに載せたものもあります。

・プラグ
・タイヤチューブ前後
・チェーン
・スプロケット前後
・工具類

プラグ以外バイクに付けることができないですし、だけどもなくすほど小さなものではありません。そうそう交換が必要になるものでもありません。そしてリストに載せたパーツはバイクと一緒に船で送れるので、重い部品は船で送ってしまいたい、ということで。


工具は車載のみでは不安がいっぱいなので、SIGNETの1/4インチをメインに必要最小限で。

・ソケット(8、10、12、14mm)
・ハンドル
・エクステンションバー
・スパナ(8、10、12、14mm)
・モンキーレンチ
・バイスプライヤー
・6角レンチ(4、5、6mm)
・ニッパー
・タイヤレバー2本
・パッチ&ゴムのり
・エアポンプ

車載とあわせてこれだけあれば、とりあえずのメンテナンスはできそうです。あとは針金とガムテープと大量のタイラップ。

カルネに書かず、バイクにも装着しなかった残りのスペアパーツ(エアクリーナーエレメントやフロントフォークのOリングやダストカバーなど小さな物)は手荷物として持っていきます。

以上。

あーすっきりした。

写真1
隠ぺい工作。

写真2
真夏の作業は汗だくだく。

2010年9月13日月曜日

急がば、急げ!

長期の海外旅行者、特に多数の国に足を運ぶような放浪旅の場合、やはり予防接種は受けておいた方がいいようです。まったく受けないという兵もいますが、ヘタレな僕はびびって受けました。

接種した内容は

・A型肝炎
・破傷風
・狂犬病

これ以外にもB型肝炎、日本脳炎、腸チフス、ポリオ、コレラ…etc。なんだかたくさんあって困りますが、全てを受けるわけにもいかず、メジャー所を手堅く抑えるだけにしました。

しかしこれが高かった。A型肝炎は8,400円。破傷風は3,675円。狂犬病は18,900円(輸入ワクチン)。これをおのおの複数回受けなければいけないので、かなりの出費。

最初はA型肝炎と破傷風のみを受けようと思っていたのですが、診察時に医師の勧めで狂犬病も受けることにしました。狂犬病は動物に噛まれなければいい訳で、しかも噛まれた後もワクチンの接種が必要ということなので受けなくても良かったかも?なんて思っています。輸入ワクチンは3回で6万円近くもするし。ただ、発病してしまった場合の致死率はほぼ100%なので、心配な人は受けたほうがいいと思います。安心料。

予防接種の注意点として、ひとつの予防接種を複数回接種するために一定の期間が必要ということです。例えばA型肝炎。初回接種から4週間後に2回目。さらに6ヶ月~1年後に3回目と決められています。なので渡航日から逆算して接種日を決めていかなければなりません。
僕の場合、A型と破傷風の3回目を待たずに出国します。とりあえず2回受ければ抗体はできるようなので、時期がきたらどこかの国で3回目を受けるか、もしくはその頃にはすでに予防接種などどうでもよくなっているかのどちらかだと思います。

あとはやはり黄熱病。これは南米やアフリカへ行くのならマストではないかと思います。なぜならいくつかの国は入国時にイエローカード(黄熱病ワクチンを接種したと証明する証書)の提示を求めるからです。しかしこれが結構やっかいでした。黄熱病ワクチンは活性ワクチンであり、上記で僕が接種したA型肝炎などの不活性ワクチンとは同時に接種できないのです。

さらに黄熱病に限っては検疫所でのみ(一部特定の財団法人でも可能)しか受けられません。しかも渡航1ヶ月前から接種可能になるという話を以前聞いたこと(7~9月出国の人は2ヶ月前から可能みたい)がありました。なので僕は9月になったらぼちぼち~なんてのんびり構えていたのです。

だがしかし!

いざ予約という時点で困りました。検疫所は週一回しか予防接種を実施しておらず、しかも東京の検疫所は1ヶ月先まで予約がいっぱい。次に予約が可能な日は出国日の後でした。なんてことだ!なんとか食い下がっては見たものの、電話口の女性職員はけんもほろろ。「あ、無理ですね」冷たい返事が耳を貫きます。なんだかちょっと共産的な匂いを感じました。
財団法人である日本衛生検疫協会というところでも受けられるようなので、気を取り直してこちらにも電話してみました。が、やっぱりこちらもほろろ。今月出国なのに今頃電話?的反応。東側の匂いです。

なんかヤバいかも・・・

結構あせりました。まぁ予防接種は海外でも受けられるので、必要になったらその時受ければいいか、なんて思いもしました。しかしカナダやアメリカで受けると結構高いみたい(きちんと調べていないのでよくわかりませんが)だし、それよりなにより無理といわれると逆に燃えてしまうのが人情というものです。

ちくしょう。見てろよ!

怒りの矛先は検疫所の電話担当者。完全にとばっちりです。

とにかく他の検疫所に電話です。横浜。成田。どちらもほろろ。日本衛生検疫協会の横浜事業所にかけてみるもやっぱりほろろ。もう心が折れそう。来週には実家の山形に一度帰ってしまうし、これはもう手詰まりか?と思いました。

いや、待てよ。東北の検疫所は?

山形に検疫所があるとは聞いたことなかったですが、東北に無いとは思えない。きっと仙台あたりにあるのでは…?ビンゴ!やっぱり仙台にありました。すぐにダイヤル。

「うちは水曜日に実施していますが、人数制限は無いので15日でもいいですよ。」

すごく丁寧な対応。さすがは東北。これでこそ日本。見たか東京め!などと心の中で毒づきながら、何とか無事に予約までこぎつける事ができました。

15日は実家の山形に帰っており、酒田から天童まで車で国際免許の申請に行くので、仙台まで足を伸ばすくらいどうってことありません。しかし週1回の実施なのに人数制限が無いというのも大都市とはえらい違いです。

うんうん。やっぱり田舎はいいな。

僕は自分の初動の遅さは棚に上げ、ほっと胸を撫で下ろすのでした。

2010年9月9日木曜日

女神と僕とオートバイ


国際登録証が手に入ったので、今度はその番号でナンバープレートを作成しました。

カルネ作成時にJAFでお金を払えば(二輪3,000円、四輪6,000円、大型8,000円)日本で使っているようなきちんとした物を作ってくれます。が、特になんらかの規定はないようなので、どうせならと自作することにしました。もっとっもJAFの人に聞いたらば、大体がナンバー作成を依頼するようで、自作する人は珍しいとのこと。

もちろん僕も最初はナンバープレートを自作するなんて発想はなかったのです。バイクを海外へ輸送するための必要経費からみれば、その中の3,000円ぽっちという気持ちもありました。しかし海外輸送経験豊富な知り合いの

「そんなの国によってナンバープレートなんてマチマチなんだし、車体に付いていて、傍から見てナンバーが分かれば何でもいいんだよ。俺が見たヨーロッパ人なんて、リアフェンダーにカッティングシート直張りだったぜ」

という言葉が背中を押しました。だってリアフェンダーに直張りですよ?そうか。そうなのか。じゃ何でもいいや。という結果に至った訳です。確かにお金を払えば簡単に解決しますが、自分で国際ナンバープレートを作るというのもなかなか面白い作業であります。

作るべきナンバーは

「YAS 1」

これは由緒正しき陸運局から発行されたナンバーです。YASは山形(YA)庄内(S)の頭文字で管轄によって変わり、数字の1は庄内で1番に登録したかららしいです。

うん、なるほど。そういうことか!なんてその時は納得していました。

が、しかし!!

それはどうも間違いだと気付いたのは、だいぶ後になってからです。



国道15号、通称第一京浜から少し折れた所にある日本自動車連盟(JAF)東京支部のカウンターで、僕の目の前に座る女性はふーんと鼻をひとつ鳴らすと、カウンターに載せられた書類に目を落としたまましばらく考えこんでしまいました。先ほどまで辺りを包んでいた明るい雰囲気は消滅し、そこには重い空気が場を支配しはじめていました。

JAFにはカルネの申請書を貰いに行っていました。担当してくれたのはひとりの女性職員で、東京支部のカルネ業務についてはその女性が一手に引き受けているようでした。海外輸送についての知識も豊富そうで、すごく話しやすく、好印象だったのを覚えています。僕は去年のうちから頭を痛めながら予習していたおかげでその説明の内容はほぼ理解でき、旅話のあれこれを交えながら笑い声さえ起きていました。一枚の書類を差し出すまでは。

「もう国際ナンバーは取ったんですよ」

そう言いながら自慢げに手渡した国際登録証。しかしそれを見た女性の目付きは一変しました。宿る柔らかさが、鋭さに変わったのです。そして沈黙が訪れました。その時の僕は何も知らない子犬のようなものでした。あれ?何が起こったの?頭の中にクエスチョンマークを浮かべながらも、何かを口にすることもできず、親犬の顔色を窺うことしか出来ません。黙って待つ僕の耳に、やがて衝撃的な言葉が入ってきました。

「この国際ナンバーは間違ってますね」

意味が理解できません。

「え?それはどういうことですか?」

そう聞きかえすことが精一杯でした。なにが、どう間違っているのか。明らかに混乱しています。そんな僕をなだめるように女性は説明を始めました。YASは山形庄内の頭文字であること。そしてその後に続く数字は、国内で登録してあるナンバーの数字部分をそのまま適用しなければならないこと。いかに1番に登録したからといって、そこが決して「1」になるわけではないこと。

マジかよ?

説明を受けた僕はあせりました。もしかしたら再度手続きをしに山形へ戻らねばならないのかも、と思ったからです。いくら新幹線や高速道路が延びた今となっても、紙切れ一枚のために山形までの往復は楽ではありません。マジかよ?僕は頭をかかえました。かかえた頭の中は去年の冬まで時間がまき戻され、そこには陸運局の職員さんたちが同じように頭をかかえていました。あぁあの時か…。今度は僕が沈黙を作る番でした。

「もしかしたら大丈夫かもしれませんよ」

静寂を破ったのはそんな希望の言葉でした。大丈夫かも?つまりは帰らなくてもいいのかも?人間都合のいいことは瞬時に頭が働くものです。

「ちょっと待っていてくださいね」

女性は僕の気持ちを察したのか、ゆっくりとそう言うとオフィスの中を一周し、いくつかの書類を手にしてカウンターに戻ってきました。そして手馴れた感じで書類に目を通します。僕は、ひたすら次の言葉を待ちます。

「登録証書とカルネの番号が一致していれば、特に問題ないでしょう。わざわざ山形まで帰るのも大変でしょうから、このままでいきましょう。大丈夫ですよ」

目の前の女性が女神に見えました。一瞬後光さえ見た気がします。僕は、ほっと胸を撫で下ろしました。無事にカルネの申請書を手に入れ(申請書を貰うのでさえ簡単な審査が必要だった)、家路へと向かうバイクの上でよかったを連発しました。



女神からお墨付きをいただいた「YSA 1」。もう怖いものはありません。早速ナンバープレートの作成にとりかかりました。
用意したものは

・プラスチックのプレート(白)
・マスキングテープ
・ラッカースプレー(深緑色)
・カッター
・やすり
・ワッシャー

で、材料費は800円くらい。全てホームセンターで売っています。手順は簡単。

プレートを適当な大きさにカットし、
やすりですべての角を落とし、
全体にマスキングテープを張り、
パソコンでプリントした型紙を使ってカッターで文字を切り抜き、
スプレーで吹いて、
乾いたらマスキングをはがし、
取り付け用の穴を開ける。

完了。


マスキングテープの貼り方が甘く、文字のにじんでしまった部分をデザインカッターで削るという作業にちょっと時間がかかりましたが、気合いを入れれば1日で作れそうです。僕は夜の空いた時間、ビール片手に数日かけて作りました。

出来上がる前はきっと手作り感満載だろうなぁなんて思っていましたが、完成してみるとなかなかどうして。遠目に見ればそれなりの仕上がりです。これなら特に問題なさそう。しかも自分で作れば愛着もわくというものです。

ただし金属のプレートとは強度が違うので、取り付けにはなるべく径の大きなワッシャーをかませるようにしました。スプレーの色落ちはちょいちょいマジックで重ねていけばいいと思いますが、いかんせんプラスチック。道中振動で割れないことを願うばかりです。

もっとも、割れたら「直張り」っていう裏技がありますけどね。:p

写真
意外な出来栄え