2011年5月24日火曜日

グアダラハラの安宿と夕照のカテドラル vol.1

7日をかけたバハカリフォルニアを離れ船上の人となった僕。夜通し海を走ったフェリーは、その身を静かにマサトラン港に寄せるのでした。

遠くに聞こえるエンジン音の中、7時過ぎに目を覚ますとほとんどの人は起きているようでした。食堂で朝食をすませ甲板に出てみると、もうメキシコ本土は目の前で、フェリーはやがてマサトランの港に着岸しました。
タラップが金属音とともにゆっくりと下り、積まれていたコンテナが次々と吐き出されていきます。僕のバイクも固定していたロープが外され、船員に手招きされてフェリーを降りました。ついに本土上陸だ。

軍による荷物検査(といってもバッグを上から触る程度)を受け、ついでに国道15号(マサトランからメキシコシティーまで国道15号が走っている)への行き方を聞き、港を後にします。

マサトラン港で軍による検問。
案外適当。

バハカリフォルニアを走ってきた僕の目には、マサトランは結構な町に映りました。というかあの風に舞う赤い砂がないだけで印象がまったく違ってしまうのです。確かに家は粗末だったりしますが、それでもあの今にも砂に埋もれてしまうのではないかという危機感を感じることはありませんでした。

そんなマサトランの町中をのんびり走り、最初に見つけたガソリンスタンドでリアタイヤの空気圧調整をさせてもらいました。昨日パンク修理をした時に手押しポンプで空気を入れただけなので、圧がまったく足りていなかったのです。
ガソリンを入れるわけでもなく、ただ空気を入れさせてもらうだけだったのですが、ガソリンスタンドの店員は笑顔で快諾してくれて、そしてここでも僕は注目の的になってしまいました。あれやこれやと質問攻め。「どこへ行くんだ?」と聞かれ、「グアダラハラまで」と答えると、僕の持っていた地図を使って親切にもおすすめルートを教えてくれました。
「ここからこう行って、この海沿いを走るといい。ボニータなセニョリータがムーチョだぞ(きれいな女性がたくさんいるぞ)」
そう言って笑っていました。

地図で見てもわかるように、北部を除けばメキシコ本土は町と町がそれほど離れていません。バハカリフォルニアのように砂漠というものもありません。むしろ中央部は高原地帯で、メキシコシティーなどは標高が2200mを越えています。
港町マサトランから内陸へ進み、その高原地帯に入ると道沿いにはバナナやマンゴーの木々が生え、それらを売る店が軒を連ねていました。砂漠地帯では小さな個人商店に真っ黒になったバナナが棚の隅に置かれているだけだったので、その豊潤さを伺えます。

相変わらすコンクリートな個人商店。
でも危機感はない。

屋台は至るところにある。
メシには不自由しない。

ここのタコスはかなりうまかった。

メキシコ中央高原へ。
海沿いから標高を上げていく。

目的地のグアダラハラまでは結構な距離があります。1日ではとても到着できないので、どこかで夜を過ごさなければなりません。その日は峠の途中に見つけたグラウンドにテントを張りました。テピクの町まで走ってホテルを探そうかとも思ったのですが、空は徐々に明るさを失いつつあり、これから峠を抜けなければならないし、暗くなってから到着するよりもこのグラウンドで落ち着いたほうが良さそうでした。

グラウンドには切り出した木を組んだだけのサッカーゴールがふたつだけで、じつに静かなものでした。なぜこんな峠の途中にグラウンドがあるのかわかりませんが、ひっそりとした雰囲気は好印象で、一晩をすごすには申し分ないところです。

夕焼けとサッカーゴール。
子供たちが遊ぶのだろうか?

テントを張り夕食を済ませたら、あとは特にやることはありません。ろうそくのわずかな灯りで日本から持ってきた本を開き、読みつかれたら寝袋に包まりました。
明日は少し早めに出よう。そしてグアダラハラまで一気に走ろう。
まだ寝るには少し早い時間でしたが、灯りを消して目を閉じるとあたりはすっかり暗闇で、少し強くなった風がフライシートをなびかせていて、その音だけが聞こえていました。

つづく。

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