2011年5月22日日曜日

バハカリフォルニアの赤い砂 vol.4

バハカリフォルニア半島を北から南まで走りきった僕。いよいよメキシコ本土へと渡るべく、南色の海に浮かぶ異国の船に乗り込むのでした。


今日はついにバハカリフォルニアを離れます。ホテル近くの屋台で牛肉のスープとトルティーヤという朝食をとり、荷物をまとめ、バイクに積み、チェックアウト。と思いきや、すべての荷物をバイクに積み、スタンドを外してバイクを押そうとすると、なんとも嫌な手ごたえを感じました。まさか?

見るとリヤタイヤがぺちゃんこです。なんてこった。またパンクかよ。もう何回目だろう。いちいち数えるのもばかばかしくなってしまいます。
もう一泊?一瞬心が折れそうになりましたが、パンクごときでくじけていても仕方ありません。まだ宿を出る前で助かったとポジティブに考え、ホテルの人に事情を説明し中庭で作業をさせてもらうことにしました。

積んだ荷物をすべておろし、工具を出し、コカコーラのケースに車体を預け、作業開始。最初の頃は四苦八苦していたパンク修理でしたが、今はもう手馴れたものです。1時間とちょっとで完了。ホテルの人にお礼をいい、何とか出発することができました。やれやれ。

またパンクか。やれやれ。

ツーリストインフォメーションで仕入れた情報をたよりにラパスから20kmほど海沿いに走ると、マングローブの生い茂る先に大きなフェリーが浮かび、やがてピチリンゲの港に到着しました。この港からメキシコ本土のマサトラン、ロスモチス行きのフェリーが出ているとのこと。

早速搭乗手続きをと思ったのですが、やはりと言うか英語がまったく通じず、「マサトラン(行き先)」「モト(バイクのこと)」「グラシアス(ありがとう)」の3単語をバカみたいに繰り返し、なんとか手続きを済ませることができました。といっても結局は国内線なので、国際線のような面倒なあれこれはまったくありません。

夕方出航のフェリーなので少し時間があまり港をふらふらしていると、デザートパターンの迷彩服に編み上げのブーツ、そして肩から自動小銃という軍人たちによく話しかけられました。きっと小さなバイクに荷物を満載させた東洋人がめずらしいのでしょう。どうしてもその見た目で敬遠してしまう軍人たちですが、話しをすれば皆陽気で、最後は笑顔で別れることができました。

そんなこんなで時間をつぶしていると、ついに乗船がはじまりました。フェリーに乗るバイクは僕だけで、大型トラックの間をすり抜けるようにタラップを駆け上がります。船員に誘導され、広い甲板の隅に小さな車体を固定されました。そのロープが解かれるのは、明日の朝マサトランの港に着岸した時になります。

こいつに乗って海を渡る。

明日の朝までしばし固定。

海はもはや南色だ。

エンジンの音が大きくなり、空に向かって突き出た煙突から黒い煙が塊となって吐き出されると、大きな船体が力強く振るえ、フェリーはゆっくりと港を離れていきました。いくらかのメキシコ人と、たくさんのコンテナを載せて。目指すはメキシコ本土マサトラン。それはピチリンゲよりも少し南に下った場所にあります。

国境を越えてと言うわけではありませんが、やはり船旅は心弾むものがあります。シャワーを浴びて甲板に出ると吹き抜ける潮風が火照った身体に気持ちよく、時折いるかの群れがフェリーと追いかけっこをするようにジャンプをし、まるで僕らと遊んでいるかのようにその存在をアピールしていました。

サンタ・マルセラ号

アミーゴたちも黄昏る。

夕食もアミーゴたちと。
うれしいことに朝夕の2食付き。

甲板の手すりにもたれながら暮れなずむ空と離れ行く半島を見つめ、これまで走ってきたバハカリフォルニアのことを思うのは、また楽しいものでした。ついさっきまでその地に立っていたはずなのに、今はもう触れ合った現地の人たちも、すべてを焼けつくすような太陽も、大きなサボテンも、出会った事故も、何もかもあの赤茶けた砂塵の中の思い出となっていきました。

さよならバハカリフォルニア。

おわり。

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