エル・レマテ2日目。本当はティカル遺跡見学にあてる予定だった。しかし宿代さえ払えないほど金がないのではどうにもならない。30kmほど離れたフローレスまで金を作りに行くことにした。しかし今日は日曜日。銀行は閉まっているだろう。本当はトラベラーズ・チェックを使いたいところだが、ATMで金を下ろすしかない。
フローレスは噂どおり小綺麗な町だったが、これといって見るものも無く、ATMで500ケツァールを作り、屋台でポジョアサード(鶏の炭火焼)を食べ、スーパーマーケットで買い物を終えると、おとなしく静かな湖畔の村へ戻った。
宿代を払い終わると特にやることも無くなり、湖畔をあてもなく散歩した。途中、車で旅をしてるスイス人家族に出会った。ベリーズで中古のフォードを手に入れ、キャンプ道具を積み、中米をまわっているという。そして驚いたのはまだ乳飲み子ほどの幼児を連れていることだった。その自由な感覚がとてもうらやましい。
エル・レマテの村。
宿の前の道。
湖畔の空き地で少年たちはサッカーだ。
湖にのびる桟橋はいい遊泳場。
とても自由なスイス人の家族。
翌日、ティカル遺跡へ赴いた。雨季に入ったグアテマラは決まって午後から雨が降る。そのことを考えると早めに行動した方がいいのだが、その日はあいにく朝から小雨だった。雨がやむのを待ち、雨に濡れてもいい格好をして、バイクにまたがる。ティカルまでの道中、バイクにふたり乗りした警察に止められ、なぜお前はヘルメットをしていないのかと注意(グアテマラに入ってからヘルメットをしてバイクに乗っている人を見かけたことが無かったので、つい僕も横着したのだ)されてしまった。
(いやいやなにをおっしゃる。そもそもお前たちがヘルメットをしていないじゃないか!)
のどもとまで出かかったが、穏便に済ませた。
遺跡への入場料は150ケツァールだった。ガイドブック(かなり前のではあるけれど)には50ケツァールと書いてあったので、それはかなりの衝撃だった。150ケツァールと言えば20ドルに値する。しかもそれは外国人料金で、グアテマラ国民の場合その数分の1程度の料金だ。完全に足元を見た値段設定に腹立たしさを感じたが、しかしだからといって引き返すわけにも行かない。
遺跡はうっそうとした密林の中にあり、ひたすら広大だった。メキシコでいくつか訪れたどのマヤ遺跡とも似ていない。広大であるが故復旧された建造物は一部に限られていて、その多くは未だ密林に飲み込まれたまま、ひっそりと身を隠していた。それはまるで時の流れから逃れているようにも思えた。
神殿は独特のシルエットを持ち、天高くそびえていた。そんな神殿に登ると、眼下には世界が広がった。見渡す限りの密林があり、そこからぽつりぽつりと神殿が、その頭だけをのぞかせている。頂上に腰掛け、古代から変わっていないのだろうその情景をただぼんやりと見つめているだけで、十分すぎる価値があった。
(よくもまあこの場所に…)
これだけのものを造り上げた古代の人々の労力を思うと嘆息せずにはいられなかった。
神殿から降りる階段の途中で、ひとりの女の子に声をかけられた。
「Where are you from?」
Japanと答えたら
「日本人ですか?」
驚いたことに日本語で返された。
まさかこんなところで日本人に会うとは思わなかった。神殿の上だ。お互い一通り遺跡内を見終わっていたので、一緒に出口に向かって歩くことにした。
さらに驚いたことに彼女は、コスタリカで野生ザルの研究をしているんです、と言った。そして休暇中の今、少し足を伸ばしてグアテマラまで来たんです、とも。野生ザルの研究と言われても僕にはピンと来るものがないが、なかなか興味深い仕事だと思った。それでも朝3時には起きてジャングルに入り、1日中サルの群れを追いかけながらその生態を調べるのだから楽ではない。言葉にすれば簡単だが、高温多湿のジャングルで、晴れの日も雨の日もかまわずなのだからかなりタフでなければ務まらない。自然も動物も好きだという彼女は、大変だけど楽しいですよなんてあっけらかんと笑っていた。花が咲いたように笑うその顔はとても素敵なものだった。
時の流れか。
修復作業は今も続いている。
神殿の上で。
元気な娘だ。
コレクティーボ(小さな乗り合いバス)に乗ってフローレスに帰る彼女を見送って、僕もバイクで宿に帰った。心配していた雨には打たれなかった。それどころか雲の切れ間から薄日が射して暖かいくらいだったから、宿に到着したらまっさきに湖で泳いだ。周りには人がちらほらいたけれど、気にせず裸になって泳いだ。
最高に気持ちがよかった。
最高。
おわり。
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