2012年10月4日木曜日

コモノ氏 vol.2

チャンギノーラの町にホテルを取った僕は、夜の町へと繰り出した。たまたまホテルを探しているときに道を尋ねたプールバーで陽気なパナメーニョたちに出会ったので、ものは試しと店に入ることにしたのだ。

プールバーinパナマ。

いったいパナマではどんなゲームが遊ばれているのか、興味津々だった。キューを借り、誰か相手をと店員に申し出る。すると、道を教えてくれたパナメーニョたちが、ならばと相手をしてくれた。

ゲームは10番から15番のハイボールを使ったナインボールのようなルールだった。最後の15を落とせば勝ちなのだが、15のみコールショットだ。よってフロック勝ちはない。ファールの場合はツーポイント以内で手球フリーとなり、落ちた球もフットに戻る。球が少ない分9ボールより断然スピード感があり、展開も早い。セーフティーを使うことはなく、どんな球でも入れにいくのがパナマ・スタイルらしい。

コンディションはまずまずだった。どの貸しキューも救いがなかったが、ラシャの破けやヨレはなかった。雨上がりのおかげで湿気がものすごく、ブラシもまともにかけていないラシャは毛足がほとんどないにもかかわらずかなり重い。穴は甘くもなく、渋くもなく。ただ角がへたっているようで、クッション沿いの球をはじき気味に撞くと大抵嫌われた。

久しぶりのビリヤードだったが、勘を取り戻すほどに楽しくなった。C級程度のパナメーニョたちを蹴散らすと、カウンターで静かに成り行きを見つめていたひとりの男が立ち上がった。

「俺と遊ばないか?」

男はケースから自前のキューを取り出しながらそう言った。歳は40半ばといったところか。雰囲気からしてこの店の常連であることが瞭然だ。フォームを見るだけでかなり撞きこんでいるのが分かる。入れが強く、A級の腕前といったところだ。

最初は取られっぱなしだった。しかし、後半はなんとか五分五分まで持ち込んだ。球が少ないのでとばせば負ける。そんな展開だった。一球一球に神経を集中させる。えも言われぬ緊張感が体を駆ける。これだよ。この感覚。これがビリヤードだ。白熱したいい勝負。ひとしきり遊ぶと、その男は僕にビールをご馳走し、握手をして店を去っていった。

翌日はダビを抜け、ボケテという町に入った。ボケテはダビから緩やかな登りを1時間ほど走った先にある、山に囲まれた小さな町だった。常春の避暑地。そんな言葉がしっくりくるほど吹く風がさわやかで、バイクで走っているだけで汗をかく海岸線とはその快適さが雲泥だった。

カリブから太平洋へ。
中央山脈を越える。

 眺めの良い道1。

眺めの良い道2。

それはちょっと登りすぎ。

パルケ脇にある小さなホステルに入った。ドミトリーで8.5ドル。部屋は10畳ほどの広さにまさかの5ベッドでかなりせまいのだが、客は僕ひとりで個室状態だったから問題ない。
宿の主人がまた良かった。とても背が高い男で、丸顔でしゃがれた声が特徴的だ。その彼はいつも顔をあわせるたびに、

「Como estas? Todo bien?(調子はどうだい?)」

と聞いてくるのだった。それがいついかなるときもなので、そんなにしつこく聞かなくてもと思えたが、別段悪い気はしなかった。さらに僕がなにかを尋ねたりお願いしたりすると、決まって、

「Como no(もちろん)」

といった。それが彼の口癖だった。

「Como no, como no, como no」

やけに「como no(コモノ)」を連発するので、3日も経つとすっかり耳にタコができてしまった。しかも誰に対してもそうなので、しまいに僕は彼を(ひそかに)コモノ氏と呼ぶに至った。

コモノ氏のおかげでボケテでの滞在はすっかり快適だった。

ボケテでの見所はどこかと聞けば、(もちろん「コモノ」を連発しながら)丁寧に地図まで書いて教えてくれた。近くにあるおいしいレストランも教えてくれた。キッチンで料理でもしようものなら、「コーヒーはまだあるか?」と言いながら、別に催促したわけでもないのに小さな袋に入ったコーヒー豆をほいほいと与えてくれた。さらにコモノ氏が毎朝きちんとモップがけするので、ホステルの中は至ってきれいであった。

さらにホットシャワーなのが良かった(これはコモノ氏とは関係ないかもしれないが)。それもやけどするほど熱いお湯だ。中米の安宿は例外なく水シャワーだったから、ホットシャワーには自然幸せのため息が漏れた。気温が高いところでは水シャワーでもなんら問題ないのだが、久しぶりに浴びるホットシャワーがこれほど気持ちいいものとは、そのときまですっかり忘れていた。

パナマは酒が安いのがうれしかった(これに至ってはまったくもってコモノ氏とは無関係だが)。他の国に比べても格段に安い。ビールもワインも日本では考えられないような値段で売られている。パナマではなぜそんなにアルコールが安いのか分からないが、嗜好品である酒が安いというのは節約を常とする旅においては気分的にとても楽ではあった。

そんな快適なボケテでの日々だったが、ある日ドミトリーにひとりのスイス人がやってきた。もちろんドミトリーなので誰がいつ入ってきてもいいのだが、この数日すっかり我が物顔で部屋を使っていた僕には、なんだか急に堅苦しさをを感じてしまった。

(そろそろ走ろうか)

ある日のスイス人入室は、ボケテを抜けるための良いきっかけだったのかもしれない。

その向こうからスコールだ。

 山間の小さな町ボケテ。

おわり。

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