2012年10月13日土曜日

ダリエン・ギャップは優雅に越えろ! vol.6

朝の起き抜けにビールとはなんと贅沢なのだろう。まだ皆が寝息を立てている早朝、ひとり部屋を出て海を眺めながらのんびりとビールを飲んだ。移動中とはいえバイクを運転するわけではないので今は特別だ。


9時に船が島へ到着して僕らを乗せると、カルティ港でひとりの男を迎え入れた。そこには1台の自転車があった。太いフレームのマウンテンバイクはいかにもタフな長旅仕様で、これまでどのような道を走ってきたのだろう、その過酷な旅路を想像させた。持ち主はドイツ人のヘンス。彼もまたこの船で南米へと渡る旅人だった。

この旅で自転車乗りとじっくり話しをするのは初めてだった。もちろん何人かの自転車乗りには出会っていたが、道中で挨拶程度に会話をする程度だった。ヘンスはいかにもドイツ人らしい好青年で、多くのバイク乗り、自転車乗りがそうであるように、アラスカからアルゼンチンを目指して走っていると言った。

ヘンス。

アラスカから走り出してここパナマまで、その道のりはさぞ大変だったことだろう。そしてこの先も間違いなく大変なはずだ。ご苦労なことだと思う反面、それが僕にはうらやましいとさえ思えてしまう。それはバイクを船に積み込む際、大型のバイクを見てもちっともうらやましいと思えなかった気持ちに通じている。大型のバイクはうらやましくないが、自転車はうらやましい。僕の中で旅とは、やはりそういう位置づけにあるのだと強く認識した。

やはりこの旅は南米で一旦終止符を打とう。それはメキシコに到着する頃には芽生えていた気持ちだった。カナダから走り始めてまだ3カ国目のことだ。
世界は広い。アメリカ大陸が終われば、次はヨーロッパ、アフリカと次なる大陸への夢が待ち構えている。しかしこのままバイクで旅を続けようとする情熱は、徐々に薄れつつあった。

理由は多々あるのだが、簡潔に述べるなら「楽」ということだ。メキシコ・シティーの日本人宿で感じていたあの気持ちは今でもはっきりと思い出せる。当時の僕はそれをこう記している。

***

そのときの僕はドミトリーのベッドに仰向けに寝転がり、両手を頭の後ろで組んでぼんやりと高い天井を見上げていた。部屋の中にはゆっくりとした時間が流れていたが、僕の心は激しい浮き沈みを繰り返していた。

(この旅は南米で終わらせようか)

そう思い始めていたのだ。

メキシコ・シティーに到着するころには悶々としていた。カナダのバンクーバーから走ってきた。世界はやはり広かったし、非力な125ccのバイクでの移動は想像通り、いやそれ以上に大変な日々だった。しかし、なにかが足りなかった。いくら非力とはいえ、バイクは文句ひとつ言わず自動的に僕を運んでくれる。さらには荷物までも載せてくれる。なにかが足りなかった、絶対的に。心身を酷使して得られる高揚感というものが。

南米まで行けば、ヨーロッパやアフリカは近い。日本から直接向かうよりも格段に楽だ。航空券も安く買えるし、バイクを渡すための航路もかなりひらけている。だから日本を出る前は(資金の問題はあるが)大陸を変えて旅をしようと思っていた。とくにアフリカは行ってみたい大陸だったという理由もある。だけど、このままバイクで旅を続ける情熱が、徐々に薄れ始めていた。

日本からバイクを持ち出して、それで世界の国々を陸伝いに旅をするなんて、それはもう僕の中では「大冒険」だった。それは「すごいこと」として位置づけられていた。本を読んだり、雑誌の体験記を読んだりするだけで胸が熱くなった。いつか僕にもできるだろうか。そう思っていた時期があった。

だけどいざ自分が飛び出してみると、いつの間にか「すごいこと」が「すごくないこと」にすりかわっていた。確かにバイクだから大変なこともある。厄介なことだってあるし、危険なこともある。だけどあの当時感じていた胸の高鳴りは今、すっかりその居場所をなくしていた。やろうと思えば誰だってやれること。つまりはそういうことだった。

やろうと思っても、本当に困難なこと。それを達成してこそはじめて満足を得られるものだ。達成感は、その工程における困難さに比例する。ならばそれはいったいどんなことだろう。安宿のベッドの上に寝転がり、激しい心の浮き沈みを感じながらそんなことを考えていた。

***

ヨーロッパやアフリカへの夢を諦めたわけではない。だが今一度考え直す必要がありそうだ。ヘンスの自転車を目の前にして、その思いが一段と強くなった。
このバイク旅に向け、他の一切を切り捨て一本にしぼってきた道だったが、それはまたいつの間にか目の前に無限となって広がっていた。

つづく。

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