2012年9月12日水曜日

温かいスープの味

国境で時間を読んだとおり、リベリアには15時きっちりに到着した。セントロにあるオステル・リベリアにチェックイン。改装したのだろうか比較的見た目には新しく、シングル14ドル、ドミトリー10ドルとのことだったが、14ドルのシングルを10ドルにまけてくれた。

町へ出る。やはりここはコスタリカというべきか、町の風景はこれまでの中米諸国とは違う印象を受けた。特に何が、というわけでもないが、ひとつひとつのことがちょっとだけ洗練された感じと言えば良いだろうか。

その思いはメルカドへ行ってはっきりした。整然と並んだ店子。冷蔵のショーケースに入れられた肉。通路にぺたりと座り込んで勝手に店を広げている婆さんなんてひとりもいない。
そこには鼻を突く匂いがない代わりに、威勢のいい売り子の掛け声もなかった。そして町の規模からして小さすぎる敷地。リベリアはそれほど大きい町ではないが、メインと思えるメルカドがこれではいくらなんでも小さすぎる。ホテルからメルカドまでの間にスーパーマーケットが3つもあった。ひとつはかなり大規模な店構えで、きっともうここではそれらがメルカドに取って代わってしまったのだろう。

「コスタリカ?あそこはもうアメリカだからな」

エルサルバドルでひとりの男がすげなく言ったその言葉を思い出す。僕の目にはどちらかと言えばアメリカよりはメキシコなのだが、彼がそう揶揄したくなる気持ちも分からないでもない。パルケには、もう夕方だというのに屋台ひとつさえ出ていなかった。

リベリアから首都サン・ホセまでは3日かかった。1日目は海に突き出たニコヤ半島の浜辺のキャンプ場でキャンプをし、ひとしきり太平洋で泳いだ。2日目は名も知らぬ小さな町のホテルに泊まった。

黄昏のニコヤ。

犬も黄昏る。

道中幾たびも雨に遭遇した。グアテマラからこれまで運良く雨に降られずに来たが、コスタリカに入ってからは雨季らしい雨にやられていた。1時間ほど雨宿りをすればやんでくれるのだが、その降り方は唐突で、うまく雨宿りできる場所を見つけられないと大変なことになる。

その日も当たりをつけていたエスペルサの町の手前10kmでまたも雨に足止めをされた。前方は一面真っ黒な雲に覆われている。道はちょうど山の中を走っていて、すぐ近くにあるはずの山までも白くかすんで見えた。これはいくら待ったからといってとてもやみそうにない。仕方なく国道から少し外れたところにある名も知らない小さな町へと下り立った。

目抜き通りを走り、ホテルを探す。しかしそれらしい看板をひとつも見つけられないまま、あっという間に町が終わってしまった。山中の小さな町だ。ホテルなんてないのかもしれない。そうあきらめかけた頃、ちょうど公園にバイク警官が4人いたので尋ねてみた。

「この近くでホテルはありませんか?」
「この町にはない。ここから3km先に行ったところにある」

とひとりの警官が言う。しかしもうひとりがそれを制し、

「近くにひとつあるじゃないか。われわれは今から署に戻るから、そこまで連れて行ってやる」

ホンダの白バイ4台(正確には青バイだが)にはさまれる形で公園を後にした。5台でゆっくりと目抜き通りを走る。ホテルは、裏通りからいくつかの角を曲がったところにあった。さすがにこれでは探すことができない。

ホテルに到着するとひとりの警官が受付へと歩み、なにやら話しを始めた。僕はバイクから降りヘルメットを脱ぐ。すると周りにいた警官たちが集まってきた。

「どこから来た?」
「このバイクのメーカーはなんだ?」
「排気量はいくつだ?」
「コスタリカで買ったのか?」
「これからどこへ行くのだ?」

見慣れぬ旅人とバイクに興味津々の様子だ。日本。ホンダ。125cc。日本から持ってきた。これから南米に渡る。答えるたびに警官たちは顔を見合わせ、何を理解したのか、懸命にうなずきあっていた。

ホテルはとても綺麗だった。安くはなさそうだったが、せっかく案内までしてもらったのでとりあえず話しだけでも、と思った。受付には若い女性がひとりいて、警官から何を聞いたのか僕が言うよりも先に、

「どこから来たの?」

と尋ねてきた。日本からカナダに渡り、1年かけて走ってきた、そう答えると大そう驚いていたが、動じた様子はなかった。それよりもやさしく微笑んだような雰囲気が印象的だった。
部屋は、エアコン、テレビまで付いていて、12000コロン(24ドル)だった。残念ながらそれはちょっと無理な値段だ。なにせ今の手持ちは6000コロンしかない。

「実は今、6000コロンしか持っていないんだ」

正直に打ち明ける。ドルならあるのだけど、そう付け加えようとしたそのとき、

「それでいいわよ」

女性はいともあっさり言った。それがあまりにあっさりだったので、逆にこちらが驚いてしまった。
さらに彼女はご飯まで提供してくれた。すべてのコロンを部屋代に支払ったので、僕はもうパンひとつ買うことができなかった。そんな僕を不憫に思ったのか、部屋に荷物を運び入れている最中、

「おなか減ってない?」

と聞き、牛の内臓を煮込んだスープにご飯、アボカドをパティオのテーブルの上に用意してくれた。スープはとても温かく、空腹にはこたえられない味だった。どの国でも親切は身にしみる。

「長い旅でしょ」

花が咲いたように笑う女性に、僕は何度もお礼を言った。

染み渡る。

おわり。

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