2012年9月13日木曜日

サン・ホセのお母ちゃん

国道1号で首都サン・ホセへとひた走った。道は海沿いから標高を上げ、峠となった。時折開けた場所から見える景色が素晴らしい。山々は緑がまぶしく、空には多様な形の雲が浮かび、遠くに太平洋が見えた。

峠を進んでいくと頭上に雨雲が広がったが、なんとか雨にあわずに走ることが出来た。いくつかの尾根を越え、次第に町へ近づく。建造物が目立ちはじめ、道が広くなる。と、突然目の前に料金所が現れた。メキシコを抜けて以来有料道路なんてお目にかからなかったので、発展途上の国に有料道路はないものだと思っていたが、そうではないらしい。もしくはコスタリカはもう発展途上の国ではないということか。
やがて遠くにビル群が見え、まだ山を走っていると思った道路は一気に市街地へ突入した。そこが首都サン・ホセだった。

大きな町ではあるが、あまり迷わずセントロには到着できた。しかし目星をつけていたホテルはどこも12ドルで、駐車場がなかった。別に駐車場を借りるとなるとさらに5ドルが必要だと知り、セントロのホテルは諦めざるを得なかった。少し郊外になるが、サバナ喜多側という日本人宿が15ドルであった。オーナーの荻野さんとは去年グアテマラで偶然お会いしたことがあり、そのときに駐車場もあるからという話を聞いていた。

メモを取り出し電話を掛ける。出たのは女性で、しかもスペイン語だった。一瞬言葉に詰まってしまったが、なんとか必要な要件を伝える。荻野さんは今いないらしいが、泊まることはできるし、バイクも大丈夫とのことだった。わかりました、30分くらいで伺いますと言い、電話を切った。

サバナ喜多側へ到着し、バイクをガレージに入れるや否や、激しいスコールがサン・ホセの町を濡らした。間一髪だった。こんな降り方をされたのではカッパを着るどころの騒ぎではない。
出迎えてくれた女性は電話の主で、荻野さんが不在の今は私が宿の面倒を見ているのだ、といった。受付を済ませ、コーヒーを飲みながらその女性としばらく話しをした。多くの日本人を相手にしているからだろう、ゆっくりと、簡単な内容を、聞き取りやすく話してくれるので、スペイン語での会話もなんとかなった。

荻野さんは現在スペインに行っているとのことだった。それを聞いた僕は深く納得した。僕が去年グアテマラで会った時もスペイン帰りの途中だった。なぜそんなにスペインなのか、と尋ねたことがあったが、その答えはサンティアゴ巡礼ということだった。年に1度は巡礼しないと体調が悪くなるんだ、と荻野さんは声高に笑っていたが、どこからどう見ても健康そのものといった雰囲気だった。毎年800km~1000kmもの距離を歩くのだから健康でなければやってられない。

荻野さんに会えないのは残念だった。人当たりがよく話し好きで、グアテマラでお会いしたときはいろんな話しをきかせてもらった。やっとコスタリカに来ることができたのにスペインなら仕方ない。また機会があれば会うこともできるだろう。食堂の壁いっぱいに書き込まれた旅人たちのメッセージが荻野さんの人柄を偲ばせた。

(それにしてもこの女性はいったい荻野さんとどういう関係なのだろうか)

会話の最中も、僕の疑問はそこに集中した。邪推、といった方がいいかもしれない。しかし初対面の人にいきなりそんなことは聞けるはずもなく、そっと自分の胸にしまっておこうと思った。

「荻野さんと私は別に結婚しているわけではないのよ」

突然、彼女は僕の考えを見透かしたかのように言った。そして、笑った。
その実にあっけらかんとした物言いは僕が勝手に思いをめぐらせていたことが馬鹿らしくなるほどで、だからもうそんなことはどうでもいいや、とさえ思えてしまった。

一面に。
 
お母ちゃんと。

宿泊者の夕食は彼女が作ってくれた。もちろん宿代とは別料金ではあるが、なかなか手の込んだ料理はどれもおいしく、他の宿泊者(そのときは僕以外にふたりいた)と一緒にテーブルを囲んだ。

サン・ホセには2泊したのだが、彼女のおかげでとても落ち着いた、気兼ねのない、安心した時間を過ごすことができた。それはまるで自分の家にいるかのような感覚だった。

おわり。

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