コスタリカ側の小さなゲートをくぐる。と、右手にイミグレーションと税関の建物があり、その向かいに1台のアメリカン・バイクを見つけた。荷物を満載しているところを見る限り、長旅なのだとわかる。
バイクの持ち主は、老夫婦だった。ふたりとも60を過ぎているように見える。乗っているバイクに似合わず、とても品のありそうな夫婦だ。リタイヤ後だろうか。この歳になっても夫婦で1台のバイクに乗って旅をするなんて、なんとも夢に溢れている。
The Catcher in the Banano.
なんて。
またも国境越え。
中米はあっという間に次の国がやってくる。
夢があるね。
「国はどちらです?」
夫の方が税関で手続きをしていたので、細君の方へ僕から話しかけた。
イギリス出身だという夫婦は祖国から一路南へと向かい、アフリカ大陸を縦断。南アフリカ到着後、アルゼンチンへと大陸を移動し、北上。南米コロンビアからパナマへと渡り、これから北米を旅するのだと説明してくれた。
僕は、そこでさらに尋ねた。
「コロンビアからパナマへはどうやって渡りましたか?」
それは、今僕が一番知りたい情報だった。
パナマとコロンビア。中米と南米を分ける両国である。地理的には地続きだが、しかし、そこに道はない。北米から南米を貫くさしものパンアメリカン・ハイウェイでさえ、この区間は寸断されている。ゆえにいくら陸続きだからと言えど、自走でこの国境を越えることはできない。ダリエン・ギャップと呼ばれるそれは、アメリカ大陸をバイクで旅する者にとって今も昔も変わらず大きな壁となって立ちはだかる。
いったいどうすれば越えられるのだろう?
壁を目の前にした僕の、今一番の悩みの種だった。貨物船?セイルボート?空輸?方々から情報を集めてはいたが、いまだ確固たるものを掴めていなかった。
僕の質問に対して、彼女は一呼吸おいてからこう言った。
「It was realy hard.(とても大変だったわ)」
コロンビアのカルタヘナ(コロンビアからパナマへ向かう船の多くははカルタヘナから出ている)へ到着後、最初は費用の一番安い貨物船で送ろうとした。人とバイクの出入国のため、たくさんのペーパーワークをこなしたにもかかわらず(このとき彼女は本当にうんざり、という表情を作った)、船は予定通りパナマへ向けて出港することはなかった。業を煮やした夫婦はバイクを積める大型のセイルボートを探し出し、それにバイクを積んで渡ってきた。費用は貨物船の3倍ほども高かったが、それでも空輸するよりははるかに安い。
それが彼女の説明だった。
なるほどやはりそういうことか。僕は、深く納得した。それは今まで僕が収集した情報通りの内容だったからだ。目の前に大きく立ちはだかる壁は、そう易々とは越えられないということだ。
「ありがとう。とても助かりました。お互い気をつけて旅を続けましょう」
「あなたも良い旅を」
気持ちのよい挨拶の後、老夫婦はコスタリカへ、僕はパナマへ、お互いまだ見ぬ国へ向けて笑顔で別れた。
おわり。
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