2010年4月4日日曜日

歩93日目 宮崎県児湯郡川南町

天候 晴れ
気温 6時 9.2度
   17時 18.1度

小さな町だった。
学校があり、神社があり、小さな川が流れ、店は個人で営んでいるものがほとんどだった。この町のメインストリートはわずか数百メートル。夕暮れ時にもなると、歩いている人を見つける方が困難だった。

地方のどこにでもある町だった。だけどさびれた町とは言いたくない。この町にはこの町の良さがある。それは自然かも知れないし、農作物かも知れないし、町に住む人々の温かさかも知れない。通り過ぎるだけの僕には分からない事だ。

いくつもの町を通り抜けてきた。北から南へと。一体いくつ歩いただろう。もう数える事が出来ない。
僕はそんな小さな町をひとつ、またひとつと通り過ぎる度に、少し切ない気持ちを抱く。ずっと昔からそうだった。きっとこれからもそうだろう。

どんな小さな町にもそこに暮らす人々がいる。そして僕はいつだってただ一瞬通り過ぎるだけだ。誰も僕の事を知らないし、見かけた人だって僕の事を覚えている訳ではない。その町に住む人々の人生と僕の人生とは、決して交わる事はない。

通り過ぎる人とすれ違いざま、挨拶をする。だけど、交わらない。子供達が家路を急いでいる。交わらない。窓から漏れる光の先には、一家団らんの楽しそうな声が聞こえる。交わらない。
この土地に根を張り生きている人々がいる。でも決して僕の人生と交わる事はない。そう思うと、なぜだか少しだけ切なくなるのだ。

4時40分。起床。波の音で目が覚めた。相変わらず穏やかな音だった。テントの入り口を開けると、まだ空には星が見えた。太陽の出番はもう少し後。あとわずか夜の支配下だ。

朝からやたら腹が減っていた。やはり夕食を抜いたのが効いているようだ。空腹に任せてサンドイッチをふたつ食べた。つまり食パン4枚。それでも足りなくてさらにビスケット数枚。これだけ食べてやっと腹の虫が鳴きやんだ。どれだけカロリーを消費しているのか。まるで胃袋が知らぬ間にふたつに増えてしまったようだ。

7時00分。出発。今日の降水確率は終日0%。雨の心配はしなくてもいいのだと天気予報は言っている。それはどれほど精神的に楽な事か。それが例え今日1日だけだとしても、とてもありがたいのだ。

延岡から国道10号は海に沿う。左手に絶えず海を意識しながら歩く。それにしてもさすが宮崎。サーフィンのメッカだ。快晴の土曜とあり、サーフボードを積んだ車が行き交っている。サーフショップもよく見かける。さらにはコンビニにサーフィンの本のみならず、サーフワックスまで売っている。種子島、宮崎、高知。冬でも暖かい南のサーフスポットは、北国のサーファーから見ればまさに楽園のようだ。

12時30分。日向の道の駅に到着。休憩と昼食。人が多い。土曜の道の駅は駐車場も満杯だ。14時になって出発。

国道沿いの水田にきらきらと陽の光が反射していた。用水路から水が引かれていたのだ。もう田植えの時期なのか。まだ4月の頭だ。かなり早い。やはり南国か。雪が降らないのだから雪解けを待つ必要もないのだろう。

太陽が西に傾き始めた午後。気温は20度を越えた。道端の小休止は木陰を選ぶ。汗を乾かしながら地図を見る。今日は高鍋町辺りまで行けたらと思っていたが、まだまだ遠くて30km近く残っている。
予定変更だ。明日までに宮崎を通過できればいいのだ。今日の歩行は日没までとしよう。その辺りは臨機応変にだ。

16時40分。国道10号を外れ、都農の町中を歩いた。小さな町だ。なぜだか少しだけ胸が締め付けられる。いつもそうだ。なぜだろう。なぜだかわからないけど、それは大切な事のような気がする。なくしてはいけない様な気がする。僕は、僕の胸の中にまだその感覚が残っていることを確認して、安心する。

18時10分。川南の町に到着した。もうすぐ日没。この町で寝床を決めたい。町の入り口に運動公園の看板を発見した。そこだ。そこしかない。運動公園は大抵いい条件を揃えている。
スーパーマーケットで買い物をして運動公園へ向かった。いい公園だった。きれいで、芝生の手入れが行き届いていた。さらに決め手だったのは、桜が満開だった事だ。

満開の桜の下にテントを張った。日が暮れても寒くはなく、入り口を開け放しビールを飲んだ。思えば今年初めての花見だ。宮崎の地で、夜桜を見上げながらひとり静かに桜を楽しむとは、全く予想出来なかった。
夜空に浮かぶ桜は幻想的で、風になびくと小さな花びらを儚げに舞わせた。それはいつまで見ても見飽きる事がなかった。

今日の歩行距離約42km。

写真1
海辺。心地よい波音。

写真2
水田。もう田植え。

写真3
夜桜。儚く幻想的。

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