2010年4月17日土曜日

冒険と散歩

それは、壮大な冒険だったような気もするし、ちょっと長めの散歩だったような気もする。

もはや今となってはわからない。3ヶ月を超す旅の日々は、それを終えた時、あっという間に過去のものとなってしまった。
だけど、日本を北から南まで歩いたという事実だけは残っている。この胸の中に。確かに。

ついに、というか。やっと、というか。遥かな旅路を歩き終えた僕は今、憧れの南の島でこれを書いている。南風に吹かれながら。青い海を眺めながら。のんびりと。

とにかく前へ。
ただそれだけを思い、ひたすら歩き続けた日々はもう遠い日の夢となったけれど、目をつむればそれはいつだってまぶたの裏に蘇る。あたかも今自分がその場所に居るかのように。鮮明に。

浮かび上がる情景の多くは出会いの場面だ。見知らぬ土地で見知らぬ人との出会いであったり、古い友人との再会であったり。そしてその度に抱えきれないほどの励ましをもらった。
残せるものはバックパックに積んで、残せないものは僕の一部となって、毎日共に歩いた。この応援なくして旅の成功はなかったと言っても過言ではない。いや、そうだと言い切れる。断言だ。

本当に感謝している。僕はいつだってひとりじゃなかった。

***

「なぜ歩いているの?」

歩いていると、よく尋ねられた。だけどその問いに対する明確な答えを僕は持っていない。旅の最中も。旅を終えた今でも。

僕はただ歩きたかった。歩いて旅がしたかった。それだけだ。それ以上もなければそれ以下もない。
だけど、そう聞いてくる人が求めている答えは、残念ながらそうではないようだった。
「歩いて旅がしたかったんですよ」
そう言うと決まって
「なぜ"歩いて"なのか?」
さらに問われる事となる。簡単には終わらない。僕はいつも困ってしまう。またか。内心うんざりすることもあった。やりたい事の理由なんて、いちいち考えてなんかいない。日々の散歩に高尚な理由を求めてくる人などいないのに、旅となるとそうではないらしい。僕にとっては同じ次元なのに。

バイクで旅をしていた時、なぜバイクで?と聞かれた事などなかった。バイクと徒歩で何が違うのだろう。僕にとってバイクも徒歩も旅の手段のひとつに過ぎず、どちらを選ぶかはそれほど問題ではない。

それでも考えてみた。歩きながら。飯を食いながら。寝袋に包まりながら。"なぜ"についてを。
いくつかの言葉は見つかった。格好良く、もっともらしい言葉が。誰もがうっとりするような言葉が。だけど、どれも僕の心から染み出た言葉ではなかった。
残念ながらというべきか、結局行き着くところはいつも決まっていた。

「いやあ、歩くの好きなんですよ」
僕はいつも照れた笑いを浮かべながらそう答えるしかなかった。それで納得してくれたかどうかはわからないけど、それが本心なのだから仕方がなかった。

***

命の危険を感じる程の出来事などはなかったが、それでも雪深い山を何日もかけて歩いていると普段は到達出来ないような心境に陥った。

何時間と歩いても何もない。あるのは道と、山と、雪だけだった。氷点下の野宿は熟睡など出来ず、短い睡眠を繰り返すだけだった。食べるものは補給せず、日々手持ちの食糧のみでやりくりした。我慢は小さなストレスとなり、日々積み重なっていく。

暖かい布団。贅沢じゃなくていい。ありきたりの食事。そんな当たり前に飢えていた。そんな状態だったから、あらゆる欲が薄れていった。どんな娯楽よりも、どんな音楽よりも、普通に寝られて、普通に食べられる。そのふたつだけが突出して僕の頭を支配した。いや、むしろそのふたつだけしかなかったかも知れない。

とにかく、そのふたつが生きる上でもっとも大切なのだと悟った。それは当たり前かも知れない。当たり前過ぎて、一体何を言ってるんだと言われるかも知れない。だけどやっぱり人が生きていく上で一番大切なのはこのふたつだ。根源的過ぎて見えていないだけだ。

僕は、寒いテントの中で寝袋に包まる度に、粗末だけどなんとか食事にありつける度に、心から感謝した。それだけで幸せだった。
とても大変な日々だったけれど、その事を身を持って感じられたのは、これからの僕の人生をより豊かにしてくれるに違いなかった。

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