2009年12月19日土曜日

心折れた日

世の中には色んな旅の方法がある。そして旅をするならそのどれかひとつを選択することになり、それがその旅の楽しさにもつながっている。
その中にはもちろん僕にできて、僕に出来ないものがある。今回はそれがわかっただけでも前進としておこう。


まだ太陽は昇っていなかった。少ない乗船客にまじり、僕も北の大地に降り立った。函館のフェリーターミナルには何度降り立っただろう。ここは僕にとって北の玄関口と言っていい。
キンと冷えた空気が頬をさす。やはり北海道である。東の空が白み始めていた。もうすぐ日の出だ。見上げた空に雲はなく、すっきりと晴れているが故の寒さだった。

そんな空とは対象的に、僕は胸の中に悶々とした気持ちを抱えていた。フェリーに乗り込んでからずっと考えていた。ヒッチハイクについてだ。
出来る出来ないではなく、得手不得手で考えると、僕にとってヒッチハイクは疑う余地がないほどに不得手の部類に入るだろう。例えそれが0から1になってもだ。

この先稚内までヒッチハイクを繰り返すことは極めて困難と思えた。確かに昨日僕を乗せてくれた7人の人たちは皆いい人だった。それは心温まる出来事だったし、多少の自信にもつながった。だけど彼、彼女らがいい人であればあるほど、僕の心は苦しくなるのである。どうしてもその優しさをあてにしている自分が恥ずかしくなってしまう。

これまでの旅中、見ず知らずの人から数えられないほどの親切を受け取ってきた。自ら手を差し出したことはないにしろ、受け取った親切は事実だし、その事だけを見れば五十歩百歩じゃないか、そう考える事ができる。できるのだが、うまく割り切れなかった。やはり僕には難しいことだった。このままヒッチハイクを続けるべきか。船を降りても悶々は一向に消えないでいた。

とりあえず国道5号に向けて歩く。ニセコに行くなら国道5号で一本だ。だけどその足取りは重かった。やろうと思ったことを中断してしまうかもしれないという悔しさだけが原動力だった。国道に出たらヒッチハイクをしつつ、函館新道というバイパス入り口まで歩いた。途中のコンビニでマジックを買い、段ボールをもらって「森方面」と書いたプレートも作った。そのプレートがどれほどの効果があるかわからなかったけど、悪あがきをしたかったのかも知れない。
交差点を曲がり、バイパスに乗ろうとする車を狙った。だけどそれは形ばかりのものだった。気持ちがこもっていなかった。もしヒッチハイクの仕方に良し悪しがあるのなら、その時の僕は間違いなく悪い方だっただろう。

そんな状態だったためか、果たして車は1台も止まってくれなかった。立ち疲れてしゃがみこむと、なかなか立ち上がることができなかった。これからどれだけの車を捕まえなければならないのか。そう思うと気が重かった。学校へ行きたくない小学生が朝布団の中でぐずっている、そんな状態だった。

やりたくないならやらなきゃいいじゃん。

あきらめるのは簡単なようで、簡単なことではなかった。いたずらに時間ばかりが過ぎていった。もう決断しなければならなかった。僕は、心の中にある答えに従うことにした。それは、きっと船を降りた時から出ていたのかもしれない。

今来た道を戻る足取りは、さらに重いものとなった。

写真
北の日の出。すっきり晴れた空に救われる。

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